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そう言えば引いたっけ?~忘れた頃にやって来る、ささやかな祝福~

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 ともあれ、少なくとも今は家族と共に穏やかに暮らしている。
 幸運にも息子と娘をそれぞれ一人ずつ授かった。
 彼らは伝説級の祝福は持たない。
 当代は僕なので、恐らく祝福が継がれるのは僕が死んで以降になる。
 ともあれ、少なくとも今は家族と共に穏やかに暮らしている。
 幸運にも息子と娘をそれぞれ一人ずつ授かった。
 彼らは伝説級の祝福は持たない。
 当代は僕なので、恐らく祝福が継がれるのは僕が死んで以降になる。

 長男は鳥を指先に呼ぶことが出来、長女は探し物が得意だ。
 どちらも現時点では「それなりに有用」で便利。
 ただ、状況によっては化ける予感もした。

 生きるために身を助ける程度が、本来は一番良いのだろう。
 しかし世の情勢は常に読めない。
 勉強もさせるべきだし、身体も鍛えるべきだ。
 常日頃から備えだけは大事だと良く教えていた。

「思えば全ては女神の思し召しだったのかもしれない。僕は今の国を作る歯車としてあそこに置かれていたと言えるかも。紙一重の奇跡があそこまで上手くつながったのも、誰かの意思を感じるよ」

 あの牢屋に呼ばれた者はいずれも立場が弱く、多少の性格の差はあれど普通の人間ばかりだったと思う。気の良い者も多かったが、必ずしも善良さで選ばれたわけではないだろう。

 どんな理由はあれど、誰かを牢屋へと導くような者たちが真の意味で善良とは言えない。当然、それは僕にしても言えることだ。一方で、誰もがしっかりと己の役割を果たして次へと繋いだ。なまじ変な正義感を振りかざすようなこともなく、実に正しく求められる動きをした。
 
 嘆いてばかりであったメアリですらも牢に入ると言う役割をちゃんと果たしていたと言える、最悪彼女が自害するなどしていたら、事態はより混迷に陥っていただろう。つまるところは、最低限の有用さがあった。
 
 運命の橋渡しを行えるだけの何か。
 他人の話を聞くだけの賢明さや、極限での判断力。
 忍耐力。適応性の高さ。人柄。様々な点が挙げられる。
 だからこそ女神の慈悲が彼ら全員を救う方向に導いたとも言えるかもしれない。

 同時に国を傾けかけた王太子殿下への冷酷な裁き。
 それもまた、祝福と言えるのかもしれない。
 呪いと紙一重の、女神の与えし恩寵である。

「でも、それだと私の愚かさも女神様に利用されていたということかしら。嫌だわ。一度は死んだらしいし、本当に危ないところだった」
 
 繰り返しの一人目であるアンナ。
 僕にとっては彼女の生還だけが目的だったと言える。
 あらゆる全体像を考えれば、彼女こそが出発点。
 犠牲になることを前提とした、無慈悲で残酷な立場。

「全く恐ろしい話だ。思えばお互いに最善の行動を取れたとは言えなかったよね」

 まだ若かった時分の二人での計画は振り返れば穴も多かった。

「本当にそうよね。断罪の現場に飛び込むなんて無茶だった。とは言えあの状況では他の手段も思い浮かびませんけど」

「何事も結果論ではあるよね。打開に至るにはその道筋も必要だったし。若さゆえの勢いと言うのは怖くもあるし、愛しくもあるし、愚かでもある」

 年齢を重ねて、さすがに僕も多少は賢明になった。

 一方で失われたものもあるだろう。若さがその一つ。
 あの当時のような勢いを再び出せと言われても難しいだろう。
 
「若い頃ってそういうものよね。私も殿下に見出されて浮かれていた部分もあるとはいえ、そこまで間違っていたとも本当は思えないの。貧しい暮らしをしてきたから贅沢がしたい、辛い思いをしたから良い暮らしがしたい、って普通のことだと今でも思いますもの」

「僕もそう思うよ。君は悪くない。ただ世の中が甘くないだけだよね」

「でもやはり、もっとうまく立ち回るべきでした、本当にね。もう貴人相手の色恋沙汰はごめんです。子ども達にもちゃんと言っておかなくてはね。甘く蕩けそうな美味しい話には裏があるんですよって」

 アンナは疲れたように微笑む。
 年を重ねて淑やかな美しさが増す彼女。
 若さが薄れた分だけ得られるものもある。

「ただ、僕は君に会えて本当に良かった」

 これまでも、これからも何度だって言い続ける。
 あらゆる不幸も奇跡も、この出会いのためにあったのだ。
 世界のためではなく、僕と彼女のために。

「また会えて、とても嬉しかった。あらゆる運命に感謝するほどに」

「私もです。本当にね、地獄で天使に会えたみたいでしたね」

 互いに手を重ね合わせる。
 もはや懐かしくもあり、良く馴染んだ手の温もりが愛しい。

「そうだね。君はとても強く、光輝いて見えたよ。僕の天使」

 牢獄の中での出会い。
 二度と会えないと何度も折れそうになった、彼女との再会。
 牢番から解き放たれての第二の人生。
 苦労はたくさんあるけれど、かけがえのない喜びを手に入れた。
 あのとき、彼女の正しさを見て本当に良かった。

 あらゆる祝福に、ただ感謝を捧げる。
 一方で、小さなわだかまりは残っていた。

 それは出会ったばかりにアンナに対してしてしまった冷たい態度への罪悪感だ。今思い出しても、あの対応に、何故か自分でも許せないものを感じてしまっていた。
 どれだけ日々を重ねても泥のようにこびりつく。
 一体何をそれほどまでに悔いているのだろう、と自分でも思う。

 過去の記憶がすっかり遠のいていた頃にある男性が訪れる。
 レイラからの紹介状を持っていた。侯爵家からもお墨付きを得ているようだ。

「やっとお会いできました。絵を描かせていただくと言う約束です」

「誰だっけ? まぁ描いてもらえるならどうぞ」

 うろ覚えであるが、牢屋に呼んだ誰からしい。
 タンポポを手渡されて、記憶の蓋が開く。
 しかし名前も顔も浮かばない。
 その祝福だけをかろうじて思い出せた。

 そうそう、木炭は残り、タンポポは消えた。
 やはり使える物の方がいいよねと言う意識だけが何故か浮かび上がる。
 何だか年を取って少し思考が独特になっているなと感じた。

 当時未来から過去へ飛んだ者の一人。
 彼は人伝えに僕との対面を求めていたそうだ。
 しかし、侯爵家管理の者と、身分のない者を迂闊に引き合わせるわけにはいかないと言われたそうだ。長い年月をかけて芸術家としての実力を磨き、名声と信頼を得て、ようやくこの場に辿り着いたらしい。

 記憶にはないが、知らないところで誰かの戦いもあるものだ。
 ともあれ、家族そろって絵を描いてもらうことになる。
 ちなみに僕一人の絵も描きたいそうだ。
 こんなおじさんの顔の何が良いのかはよくわからない。

 彼が木炭を切らしたと言うので、アンナが祝福を使い木炭を差し出す。

 アンナは特に思い出すことはないが、不意に何かの記憶がよぎる。
 あぁ、そうだ。
 よりにもよって「遺書なら紙を渡す」はなかった。
 彼女と出会ったときに交わしたやり取りだ。
 困り果てていた彼女の訴えを軽く流した。
 その冷たい態度が後になってから己を苛んだのだ。

 母親が亡くなった際の遺言だ。「あなたの力はとても強くて恐ろしいものだけれど、心まで恐ろしくなってはいけません。正しい優しさと愛だけはどこかで覚えておいて」と。僕の祝福についてそんなことを言われたのだ。
 
 とても大切だった母の言葉を忘れていた。
 心を閉ざして、ただ罪人を見送る日々に埋没した。
 母の気持ちに背く生き方をしていた自分。
 
 お約束の婚約破棄での死罪と言われ、そうなんだと流した。
 真実を見抜く力を持っていたのにも関わらず。
 アンナだけではなく、多くの者達を見捨てて来たかもしれない。
 なんと言う、無慈悲な己だったか。

 複雑に絡まった想いで、息が少し詰まる。
 あぁ、僕はちゃんと正しく在れているだろうか。
 アンナはあの言葉に深く傷ついては居なかっただろうか。

 気が重くなっていると、男性は木炭を見て大げさに反応する。

「おぉ。これほど素晴らしい祝福は初めて見ました。タンポポも愛しいですが、これもとても素敵。天使様の奥方様は、まるで芸術の女神様のようです。いやぁ、若い頃にお会いしていたら求婚していたかもしれません。これは本当に得難い才能です」

 そんな風に高名な芸術家のダニエルはアンナを讃えた。
 天使か、ずいぶん昔にそんな与太話もしたなぁと思う。

「まぁ。そんな褒め方をされたのは初めてです。木炭がご入用でしたら、お安くしておきますよ」

 彼女は冗談めかして朗らかに笑い、僕も笑った。
 何気ない、普段通りの日常。
 だけど、そのやり取りが酷く心に染み入った。
 仄暗い記憶が跡形もなく消え失せるようだ。
 せつなさも後悔よりも、今はこの笑顔を讃えたい。
 美しい何かで上書きされたことを、心から有難く思う。

 タンポポの芸術家に酷く感謝した。
 何かとても良いものを引けたような、そんな心地だった。
 日の光の下で、永遠に輝くような昼下がりだった。
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