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第9話 おもらし2号

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 事故で停車した電車の中で、おしっこを漏らしてしまった私は、ずっと両手で吊革をもって顔を両腕で隠し続けてた。
 とても顔を見せられない。
 恥ずかしくて消え去りたいのに、ここから動けない。
 電車が動いてくれない。
 ずっと晒し者のまま、
 おしっこで濡れたパンツを、みんなに見られてる。
 いったい何時間、何分が経ったの?
 時間の感覚がない。
 強烈な恥ずかしさで頭がクラクラしてくる。
 みんなが心の中で笑ってるのを感じる。
 でも、不意に、あの小学生の女の子が声をあげた。
「お母さん、おしっこしたい」
「我慢してなさい。電車が動かないの」
「うぅ…もう無理。私も、おもらししちゃうよ!」
 
 も
 
 私も、
 
 その、も、は、つまりは私のこと。
 顔を隠して視界がゼロな分だけ、あの小学生の声が心に刺さってくる。
「漏れちゃう、漏れちゃう! ホントに漏らしちゃうよ、ヤダヤダ!」
 かなり我慢していたみたいで、声が大きくなってる。
 すごく切羽詰まった声。
 あぁ……あの子も漏らすんだ……
 逃げ場のない、こんなところで漏らしたら、どれだけ恥ずかしいか。
 でも、あの子は小学生だから、まだマシ……
 いい歳の私が漏らすのとは、わけが違う。
 しかも二番手。
 みんな仕方ないって同情してくれるはず……いいなぁ……小学生……
 小学生なら、おもらししても、心のダメージは、すごく軽いはず……
 お母さんも、お兄ちゃんもそばにいるし。
 羨ましい。
 でも、あの母親は、けっこう冷たい声で言う。
「どうして、さっきトイレに入ったとき、済ませておかなかったの?」
 そりゃ、そうだ、私がトイレに入れなかったのは、あの家族が原因なのに。
 なんで、あなたまで、おしっこ漏れそうなの? バカみたい。
「だって、お兄ちゃんが先に立ちションしちゃうから、便器も汚れてて、ヤダったし。お母さんが電車の時間だからって着替えるだけにさせるから。ああっ、ああっ…もう、もう、もう、漏っちゃう! おもらしなんてヤダよ、みっともないのヤダ、あんなのヤダ、あうはうあふうぅぅ…出る、出る、出ちゃう」
 あはは……出しちゃえ……あなたも、漏らしちゃえ。
 ささやかながら私の心も晴れそうだった。
 なのに、
「しょうがないわね。ちょっとだけ待ちなさい。リュックから携帯トイレを出すから」
「うぅぅ…早くぅぅ…」
 あの母親が荷物を探る気配がして、何かの袋をピリピリと破る音がした。
「これにしなさい。早く服を脱いで、隠しててあげるから。お兄ちゃんは右側に立ってあげなさい。コートを拡げて、まわりから見えないように」
「わかった。登山で使わなかったのに、こんなときに役立つなんてな」
 服を脱ぐ気配がして、
「あぁあぁ……間に合ったぁ……ハァ……ハァ…」
 気持ちよさそうな女の子の声、
 おしっこがビニールか何かに当たる音、
 そして、おしっこの匂いも少し、こっちにまで来た。
 それから服を着る気配。
 
 ずるい!
 
 そんな、いい物、持ってたなんて。
 あなたたちのせいで、私は漏らしたのに、
 私は死にたいくらい恥ずかしい想いをしてるのに、
 なのに、
 なのに、
 泣きそう
 泣いちゃうそう
 でも今、泣き出したら、漏らした直後に泣くより何十倍もカッコ悪い。
 自分が漏らして、小学生が漏らさなかったから、それに傷ついて泣いてるって、みんなに丸わかりで、
 おもらし仲間ができることを期待して、
 それが期待外れで泣き出した、って。
 いい歳して、なんて無様な女だろう、って。
 あの家族以外は、みんな後の駅で乗ってきた乗客だから、私がトイレに行けなかった事情を知らない。
 私は嗚咽を何度も飲み込んで、泣かないでいようと耐える。
「お母さん、お腹空いた。まだ帰れないの?」
「オレも腹減った」
 あの家族は、私の苦痛なんて何とも思ってない。
 悔しい
 悔しすぎて、逆に、また頭がクラクラして、ボーッとしてくる。
 私の心が限界超えてる気がする。
 もう、何も考えないでいよう。
 何も考えない。
 あの三人も、
 電車が動く時間も、
 私のおもらしのことも、
 何も考えない。
 考えない。
 
 ボーッとして、また何分、過ぎたのか。
 わからなくなった頃、
 わかりたくない感覚が膀胱から伝わってきた。
 また、おしっこしたくなってきてる。
 まだ、それほど強い尿意じゃないけど、
 まだ、三分の一も貯まってないくらいだと思うけど、
 濡れて冷たい下半身のせいなのか、コスプレ撮影で長くトイレに行かなかったせいで余分な水分が多いのか、あんなに大量に漏らしたのに、また、したい。
 どうしよう、
 あと30分ぐらい、このままだったら再び漏らすかも。
 もう、おもらしはイヤ。
 せめて、なにか、おしっこを容れる物、
 袋か、なにか、
 あ、そうだ、ウィッグを外した後に容れる袋がバックにあった。
 あれならビニールだから液体でも貯めてくれる。
 空気抜きの穴が開いてるけど、そこに注意して、おしっこすれば床に撒き散らしたりしないはず。
 でも、私の身体を隠してくれるようなものはない。
 あの女の子みたいに、二人が左右から隠してくれるなら、パンツを脱げるけど、
 こんな電車の中で、なにも隠してくれるものがない状態でパンツを脱ぐなんて、とてもできない。まして私は超ミニスカートだから、丸見えになる。それするぐらいだったら、漏らす方がマシ。
 ザワザワ…
 膀胱が急にザワついてきた。
 そんな……
 まだ余裕あると思ったのに、
 ズキン…
 いきなり痛いくらいの尿意が来て、私は身震いした。
 チョロ…
「ぇ?」
 あっけなく股間に生温かい感覚がして、私は焦った。
 チョロ…ちょー…
 ウソっ?!
 私、また漏らし始めてる?!
 なんで、こんな急に?!
 ヤダヤダ、ちゃんと力を入れないと!
 私は内腿をぴったり合わせて、我慢しようとする。
 ズキン!!
「ヒッ?!」
 尿意が激痛に変わった。
 シャァァァ…
 激痛に負けて脚を開いてしまうと、パンツの中が一気に温かくなる。私の括約筋はフルマラソンで肉離れを起こした選手へ30分後に1000メートル走を強いたみたいな感じで、もう痛くて機能してくれない。
「んああっ…」
 せめてウィッグ袋をバックから出して、そこにしたい、
 パンツを脱ぐ時間がないのはわかる。
 そして脱ぎたくない。
 もうパンツに袋を直接あてて、そこに…
 床に撒き散らすのは、もうイヤ!
 二度もおもらしするなんて、絶対にイヤ!!
 でも、痛い! 尿意が痛すぎる! 出る、出ちゃう、漏れちゃう、ああ、出てる、漏らしちゃってる、止められない!!
「はあぁぁん…」
 変な声をあげた私は、もうパニックになって、
 バックからウィッグ袋を出す余裕もなくて、
 両手で、おしっこを止めようと、
 受け止めるように、開いた脚の間へ、両手をあてた。
 シュワァァァ!
 両手が温かい。
 絶望的に温かい。
 ピチャピチャ!
 手で受け止めきれなくて、零れて床に滴ってる。
「んんんぅぅぅ…」
 それでも、おもらしを止めようと頑張るのに、ぜんぜん括約筋に力が入らない。
 痛い、痛くて、痛くて、力を入れられない。
 シュワァァァ!
 ピチャピチャ!
「ハァっ…ぁッ、ぁ、ぁあ、ハァ」
 どうしようもなくて、おもらししながら私は大口をあけてプルプルと震えた。
 ガクガク…
 両膝も震えて、力が入らない。
 吊革を離した私の体重を両脚が支えられなくなって、しゃがみ込んでしまう。
 プシャァァァ!
 しゃがみ込んだせいで膀胱が圧迫されて、おしっこが噴き出していく。
 前に、おしっこが飛んでるのが見える。
「ハァぇえぅんぅ」
 とてつもなく変な声も漏らした私は、もう心が折れて、ペタンと床に座り込む。
 ぴちゃん…
 お尻が冷たい。電車の床で冷えた私のおしっこがスカートとパンツに染み込んできて、とても冷たい。
 ショロ…
 やっと、おしっこが止まる。
 止めたというより、全部漏らしただけ、
「ハァ…ぐすっ…ハァ…」
 おもらしが終わって私は自分のおかれた状況を見て認識してしまう。
 顔を隠していたときは見えていなかった水たまり、
 私のおしっこ溜まり、
 すごく大きい。
 遠くまで、拡がってる。
 私のいる場所から何メートルも先まで、流れていってる。
 どうして、そんなに流れたのか、そのときは考える余裕もなかったけど、後になって考えれば、電車が脱線したせいで前方へ下がる形で傾いていたのだと思う。
「…ぐすっ…ヒッ…」
 私のおしっこ溜まりから、みんなが避けるように距離をとってる。
 だから私の目前は遠くまで見通せるぐらい、
 そして、向こうからも私を見てる。
 見て見ぬフリの目、
 気の毒そうな目、
 私のそばにいた女性社員さんも、いつのまにか離れていて、
 男性社員さんも、離れてる。
 汚いおもらしから、離れて見てる。
 そして、あの小学生、ちゃんと携帯トイレに、おしっこできた子が、
「クス、…クスクス、ぷふふ、あの変な人、また漏らしてるよ、クスクス、ククっ」
 笑われた。
 小学生にまで、笑われた。
 すごくバカにした目で、
 口元を手で押さえた大人の真似みたいな仕草で、
 肩を揺らして、クスクス、嗤って。
 その兄も冷ややかに、顔を傾けながら冷笑して、
 あの母親は私を汚物でも見るような目で見てから、息子の視線が私の身体を見るのが穢らわしいという感じに、手で視線を遮った。
 恥ずかしさと、屈辱感と、不条理さが私の喉から溢れてきた。
「ううあああわああん!」
 自分でも、こんな大声で泣きたくないと思っても、
「うわあぁああん!」
 嗚咽が喉から突き出てきて、おもらしを止められなかったように、
「ひぐううああああん!」
 溢れて、
 漏れて、
 涙が洪水になる。
 とうとう私は、
 いい歳して、おもらしした上、わんわん泣き出すという、
 どうしようもない、
 恥さらしな女になっていた。
 おしっこまみれの両手で涙を拭いても、おしっこ臭くて余計に悲しくなる。
 ああ、ああ、もう泣くことしかできない。
 私は号泣し続けた。
 
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