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2章

閑話 後半 次の町へ

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「はぁ……はぁ……!」

 男が息を切らしながら、濡れた泥の地面を血塗れの体を引きずり這いずっている。
 体には剣や軽装の防具を身に付けている冒険者らしき風貌をしていた。

「クソ、しくじっちまったな……まさか俺が、油断してここまでっ……やられちまう、なんてな……」

 苦悶の表情を浮かべながらも左腕のみで這いずる男。その頭上からドロリとした何かが落ちてくる……

「――――ッ!?」

 黒い流動物が男の頭へと落ち、包み込んで口と鼻を閉じて呼吸を封じた。
 それは一般では何の力も持たないとされていたグロロだった。

「~~~~……」

 抵抗する力すら残ってなかった男はグロロを剥がすことすらできず、呆気なく息絶えてしまった。
 そしてグロロは男の全身を包み込む。

「……」

 そして一時間が経った頃、先程まで瀕死だったはずの男が何事もなかったかのようにその場で呆然と立っていた。
 消失していたはずの両手両足も復活しており、男は驚きもせず自分の手足を確認するように動かす。
 男はしばらく自分の体を確認した後、ヨタヨタと歩き出す。
 まるで生まれたての赤ん坊のような覚束無(おぼつかな)い足取りで、彼は森の中へと消えて行った――

――――

 「……はい、たしかに確認しました。では次!」

 日が沈もうとしていた頃、巨大な門の前で甲冑に身を包んだ銀髪を長めに伸ばした女性がそう叫び、列に並んでいるものが次へ、また次へと門の中に入って行く。

「次の者!」

 そして彼女に呼ばれて次に前へ出たのは、一つの幌馬車だった。

「中には?」
「私の荷物少々と乗客数名です」

 女の質問に馬車を引く御者が簡潔に答えると、他の簡易的な甲冑を着た複数の女たちが幌馬車の荷台を覗き込み、確認する。
 そこにはグラサンをかけた男やフードを深く被る少年少女くらいの背丈をした子供、そして胸が異常に発達したニット帽を被っている少女など、目立った特徴を持ったグループが乗っていた。
 それはイグラスの町からやってきたヤタたちだった。

「皆さん、通行証を拝見させてください。すいません、そこの二人。それぞれフードと目にかけている物を取ってもらっていいでしょうか?」

 女に声をかけられたヤタはレチアと顔を合わせ、彼だけが前に出る。

「俺はいいですけど、この子は勘弁してくれませんか?」
「何か不都合なことでも?」

 ヤタがイクナの姿を隠そうとすることに疑念を抱いた女が訝しげな表情で彼らを睨む。

「えぇ、まぁ……人にお見せできるようなものではないんですよ」

 するとヤタがそう言ってグラサンを外す。

「……ひっ!?」
「な……に……?」

 そしてヤタの特徴的な目を見た女たちは小さく悲鳴をあげる。

「どうした!……っ!?」

 彼女たちの異常な反応に気付いた銀髪の女が駆け寄ると、彼女もその目にたじろぐ。

「ほら、だから言ってるでしょ?俺の目でさえあなたたちは怯えるのに、この子は全身がそうなんです。それに身分の善し悪しでしたら、プレートで証明できるのでは?」

 ヤタがそう言って自分を含めたイクナとレチアの分のプレートを差し出した。
 今現在同乗している、同じ冒険者の青年から聞いたことを早速活かして言葉を選び紡いだヤタ。

「……わかりました、では少々お待ちください」

 銀髪の女が落ち着きを取り戻してそう言い、ヤタからプレートを受け取るとどこかへと行ってしまう。
 ヤタたちがしばらく待っていると銀髪の女が慌ただしく戻って来て、プレートを彼らに返す。

「今確認が取れました。たしかに犯罪歴などは見付かりませんでした。あなた方の事情も理解したので通っていただいて構いません」
「ありがとうございます」

 一応圧を加えるべくずっとグラサンをかけずにいたヤタだが、今度は相手の気分を害さないようグラサンを再びかけて笑いかけた。

「ちなみにこの町での滞在期間はどのくらいで?」
「決めてないです。適当に稼いだら次の町へと目指そうかと」
「そうですか……なんだか冒険者らしいですね」

 そう言って笑いかけてくる銀髪の女に、ヤタの顔が赤くなりそっぽを向く。

「そ、それは喜んでいいのかどうなのか……それより、この町にできるだけ安い宿はありますか?」

 気を紛らわせようと気になっていた質問をしようとするヤタ。
 それを見て不快に思ったレチアがヤタの背中の肉をつねる。

「えぇ、ここで一番安いので七百五十ゼニアで泊まれる『穴熊』という場所がありますが、値段の割に十分な設備が整っているのでお金に困っていたらそこがオススメです」
「それはよかった」

 普通の人間であれば悲鳴をあげるほどレチアから強く肉を強くつねられていても、全く気にしていないヤタの様子にイラついたレチアが更に指に力を加える。

「どうした?」
「なんでもない二!」

 しかし彼は痛みを感じないので、ただキョトンとして振り返るだけだった。
 「なんでもない」と言ったレチアだが、ヤタの反応が気に入らなかったからか背中を何度も強めに叩く。
 それらのやり取りを見て、銀髪の女がクスクスと笑う。

「……失礼、では通行を許可します。ようこそ、風の都市『アウター』へ。私はこの町の騎士団を任せられているロザリンドです。何かあれば私に言ってくれて構いませんから」
「丁寧にありがとうございます。あなたたちのお世話にならないよう精進しますよ」

 ロザリンドと名乗った女の言葉を「お前が何かしたら自分が捕まえるぞ」という捉え方をしたヤタ。
 その後、彼らは何事もなく門を通り過ぎていく。
 ロザリンドはそんなヤタたちの幌馬車を見えなくなるまで見送った

「……隊長、よかったんですか?あんなら怪しい奴らを行かせて」
「さっきあのプレートの中を読み込んだところ、最近通行証自体を発行した上に犯罪の形跡がなかったんだ、一応は信用するさ……しかし目は光らせておけ。いつ誰がどんなことをするかわからないからな。では各自、元の持ち場に戻ってくれ」

 ロザリンドの言葉を聞いた女たちは敬礼をして「了解!」と返事をする。
 彼女はそこで軽く溜息を吐き、次に並んでいた者を見据える。

「では次の者、前へ!」

 ロザリンドが呼ぶと、一人の男が前に出てくる。

「あなたは……ディラン!生きていたのですか!?」

 ロザリンドの大声に、先程の女たちや列を作っていた周囲の人々が視線を向ける。
 多くの視線が集まる中、ディランと呼ばれた男は気にした様子もなく、ただ虚ろな目をロザリンドに向けていた。

「五日前に依頼を受けたまま帰って来なかったから、皆心配したのですよ!今までどこに――」

 するとディランはいきなりプレートをロザリンドの目の前に差し出して、言葉を遮らせた。

「何を……?」

 強引な行為にロザリンドはたじろぎ、虚ろな目をしたディランはそれを許可と受け取って通り過ぎようとする。

「あっ……」

 ディランの様子は明らかにおかしいと感じるはずなのだが、今はそれよりも男の何でもないような行動に気圧されてしまったことを顔を赤くして恥じるロザリンド。

「隊長!?」
「大丈夫だ!……問題ない」

 「こんなことは問題ないにもならない」と自分に言い聞かせ、冷静になろうとするロザリンド。

「ディラン、もう一度プレートを見せなさい!」

 ディランが半ば門を過ぎた辺りでロザリンドが呼び止める。
 ディランは足を止めて振り返る。
 そして男が差し出したプレートをロザリンドが受け取り、ジッと見つめる。

「……たしかに確認しました、通行を許可します。それと連合の方には報告はしっかりしなさい。このままだとあなたは死亡扱いされたままですからね」

 ロザリンドがそう言うが、ディランは聞こえてないかのように無視して振り返り、町の中へと消えていく。
 彼のことを多少なりとも知っているロザリンドからすると、ディランのその言動に違和感と不安を感じていた。
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