Locust

ごったに

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「ようこそ、俺の研究室へ」
 俺たちは放送をしていた男の前へ連れてこられるなり、コウモリ人間によって床に組み敷かれた。
 だからって、諦めたりはしない。
 逃げる機会が生まれたときに備え、辺りを見回す。
 特別な主張も個性も感じられない、しいていえば男の言った通り研究室然とした部屋だ。
 目を惹いたのは、部屋の奧にある青や緑や紫の光に照らされた無数の培養槽。
 空っぽのもの、子供の入ったものと言わず並んでいる。
 そのスペースと部屋とはガラス扉で仕切られており、その手前に簡素なデスクがあった。
 デスクの上にはパソコン、サブのディスプレイ、その他俺にはよくわからない機械が並んでいる。タブレット端末や飲料の缶なども転がっており、整理されているとは言い難い。
 壁や天井には、監視カメラの映像を映すモニターがいくつかある。
 どうやら俺たちの動きは、教会への突入から一部始終を見られていたようだった。
「俺のことは、ドクターと呼んでくれ」
 前衛芸術めいた髪型と、ピエロとも女性用とも違うメイク。
 ただの白衣のように見えて、その実、それは手の込んだオートクチュール感が漂う代物。
 科学者というより、ヴィジュアル系バンドのメンバーに見える。
 こんな辺鄙な島の秘密研究所で籠ってるだけだろうに、そのセットは徒労じゃないか?
 それともその格好することで、テンション上げるタイプだろうか。
「ドクター・ニムロデとかドクター・ラファエルとか名乗ってもいいんだが、日本人だってバレてるのにそう名乗るのもなぁ? 髪だけ赤や緑にしても、眉毛は真っ黒な日本人コスプレイヤーみたいでシマんねぇのよ」
 背もたれに体重を預け、ドクターは聞いてもいないことをベラベラとまくし立てる。
 かく言うドクターも髪をところどころ染めているのに、眉毛は黒かった。
 んなこた、どうでもいい!
「直斗を……俺の息子を返せっ!!」
「おじさんは元気だねぇ。それだけ元気なら、また女ひっかけてガキ産ませりゃいいじゃん」
「貴様ァッ!!」
 許せなかった。
 優愛も直斗も、俺にとってかけがえのない家族だ。
 それを、代わりを探せば解決するみたいに、こいつは言ったのだ。
 激するに任せて立ち上がろうとするも、コウモリ人間の膂力で瞬く間に制圧されてしまった。
 アラフォーにしては動けると自負しているが、人間を超えた存在が相手じゃさすがに無理なようだ。
「おいおい。舌噛まないでね。ギリスト教でも自殺者は救われないって言われてるぞ?」
「息子を残して、そんなことするか!」
「あっそ」
 ドクターは嘆息し、やれやれといった風に頭を左右に振った。
 いちいち腹の立つ野郎だ。
「えーと、おじさんの息子だから日月直斗君ね、っと」
 キーボードを叩く音がすると、ドクターのデスク上方にぶら下がっているモニターに培養槽が映し出された。
「な、直斗ッ!!」
 全裸に剥かれた直斗が、胎児のポーズで培養槽に漬かっていた。
 頭には何か機械を取り付けられており、眠っているようだ。
 鼻や口から気泡が発生し、それは水面近くまで行くと弾けて消えた。
 原理は想像もつかないが、液体中でありながら呼吸はできているらしい。
「お子さん、無事でよかったですね」
 隣で組み敷かれているシケイダ君が、声をかけてきた。
「あぁ。よかった、本当に」
 くだらなさそうに、ドクターが鼻を鳴らした。
 大丈夫だ、こいつに共感性とか同情とか寸毫たりとも期待してない。
 そんなことよりも。
 直斗が生きていてくれたことは、何より嬉しかった。
 こんな状況なのに、うっかり視界が涙で滲んでしまった。
 もちろん、助け出すまでは何も安心はできないのだが。
 興奮冷めやらぬ中、俺はあることに気が付いた。
 モニター越しに見える直斗が、時折、顔を苦悶や恐怖らしき形に歪めているのだ。
「夢を、見ているのか……?」
「ご明察。ここで俺が何を作り、成金どもに何を売っているかは知ってるんだろ?」
「直斗から、精気を搾り取っているのか!」
「そう慌てるなよ。もちろんそのつもりだけどよ、まずは準備が必要なわけ。アサリを食べるときは一晩、砂出しをさせるだろ? もしかして知らない? じゃあ、あれだ。カレーは一晩寝かせると美味くなる、みたいな?」
「馬鹿にしやがって。それくらい知ってらぁ!」
 翌朝のカレーが美味いのは、常識だろ。
 マッドサイエンティストが、妙に庶民的な比喩使ってんじゃねぇよ。
「質のいい精気は、高純度の恐怖あってこそ。だから、夢を使って恐怖への感受性を極限まで高めておくのさ。普通の夢でも、正夢になるとゾッとするだろ?」
 ニタニタと、気色の悪い笑みを浮かべるドクター。
 正夢、という言葉とその表情で、聞かずともこいつが子供にどんな加害をしているかは察しがついた。
 わざわざ内容を聞かない方が、絶対に賢明だ。
「俺は鬼畜だけどよ、わざわざ父兄が参観日にやってきたわけだし。直斗君を解放してあげないことも、ないよ?」
 ピアスをいくつも刺した舌を出し、ドクターは下卑た笑みを俺に向ける。
 こんな甘言を弄する畜生にも劣る悪党は、約束を守るわけがないというのがお定まりだ。
「あ。信じてないでしょう? ダメダメ。取引は信用から。おじさん、確かに商社務めじゃないかもだけどさ、元刑事なら犯人とのネゴシエーションの研修とかで、そういうの習わなかったの?」
「懐柔できる見込みのない相手にネゴシエーションなんかしねぇよ」
 んな研修に行く時間はなかったしな。
 忙殺されてたせいで、あったかすらも知らん。
 俺の素性は筒抜けのようだが、調査が甘い。諜報員を使ったわけではなく、どうせ警察のデータを盗み見たとかだろう。
「俺、言ったでしょ? このコウモリ型の連中は、精気を搾り尽くした残りカスを再利用してる、って。つまり、後天的に化け物に変えてるわけ。
 あ、ちなみに施術は成人の日にやってるよ。酒もタバコもパチンコも、風俗も選挙権も運転免許を取る自由もないけど、それくらいは配慮してあげてんの! 俺ってばなんて優しいんだろ!」
 耳障りな哄笑が研究室に響く。
 それを聞いても、コウモリ人間たちが平然としているのが不気味だった。
 怒りや悲しみといった感情が、まるでコウモリ人間たちの顔に表出しないのだ。
 それどころか獣毛に埋もれている眉を、ぴくりとも動かさない。
 コウモリ人間にはもはや、ドクターの命令を聞いて動く以外の意志だとか理性知性といったものは、失われているのかもしれない。
 それらが残っていてなお、子供を食い物にする方が、よっぽど恐ろしいのだが。
「見ての通り、コウモリ型は雑兵としては使い勝手はいいよ? 飛行能力あるから、バイオドローン的にも使えるし。でもま、俺の研究の最終目標はエジプトの壁画にあるような、カミサマの再現なわけ」
「神の、再現……?」
「ほら、エジプト神話にはよくいるじゃん。顔がワニだのジャッカルだのネコだので、身体は人間っていうカミサマ。ヒトと動物のキメラだよね、あれ」
「そんなものを作って、どうする気だ。兵士として各国に売りつけるのか」
「だから雑兵は足りてるんだよ」
「じゃあ、一体」
「好奇心。知的探求心さ」
「そんなことのために、命を弄んでいるのか」
「そんなこと? いやいやいや。それ以上の何が探求に値するわけ?」
 探求に値すること?
 元刑事で、現私立探偵の俺にとって探求とは、真実を追究することだ。
 価値の有無というより、純粋に仕事だ。
 知らないやつを殺したのが誰かとか、誰が誰と浮気している証拠とか。
 それ自体には、何の価値もない。
 社会正義だの依頼人の要望だのがあるから探求するだけ。
 自発的なものじゃない。
 だから、探求に値するもの、というのが俺にはピンと来なかった。
「世界宗教たるギリスト教、それを信仰している時代遅れどもはワンサといる。バベルの塔の神話にあるように、神に近づこうとすることは禁忌だと、迷える子羊とかいう脳みそブタ以下の連中には説いている一方!
 脂肪と選民思想を膨らませた教会上層部は、神に至る道を求めた。ギリスト教の成立に古代エジプトの信仰が関係しているのは自明のこと。だから、連中は獣頭の神、ヒトと動物のキメラを生み出す研究が可能な科学者を探した。
 利害が一致して、俺もそれに協力した。だから、この島に研究所を与えられた」
「依頼主の信仰を、馬鹿にしていいのかよ」
「いやいや。あいつらがマジでカミサマなんか拝んでるわけないだろ。ポーズだよ、ポーズ。ギリスト教を利用して、大衆を洗脳、支配するためのな」
「おしゃべり好きなお前の話を、これだけ聞いてやったんだ。そろそろ直斗を解放してくれてもいいんじゃないか? 知ってるか? 現代社会では、おしゃべりを聞くだけでも、対価を要求できる仕事があるんだぞ?」
 その点は心理カウンセラーでも、ガールズバーでも同じだ。ピンからキリまである。
「俺もいずれ、攫われてきたガキから美女に成長しそうなのを見繕うとするよ。俺の話相手になる性奴隷にするためにな。もちろん、ヤリ心地のいい動物とのキメラにしてからな」
 性奴隷、か。
 話し相手になってくれる女がいないのが、こいつの歪みの根源なのかもしれないな。
 どうでもいいけどな。こいつを救うのは、俺の役目じゃない。
「悪かったよ、話を脱線させて。お前の野望なんか聞きたくないから、さっさと用件を言え」
「つれないオッサンだな。俺の要求は一つ。次世代型のキメラの素体になって欲しいのさ」
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