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両親が旅行に出かけたら(一日目):裏面
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私には兄がいる。
名前は裕理。
彼は、生まれたときから私のそばに居た。
困ったときはいつも助けてくれて、私の我が儘は全部聞いてくれて、そしていつもそばいいてくれた。
楽しいときも悲しいときも苦しいときもいつもそばにいてくれた。
この人のそばに居れば、何があっても大丈夫なんだと思った。
私は彼が大好きだし、彼もきっと私のことが好きだ。
だっていつもそばにいてくれるんだから。
小学校の時、友達に教えてもらった漫画で、恋というものを知った。
私は彼に恋をしているのだと自覚した。
テレビドラマで、愛というものを知った。
私は彼を愛しているのだと再認識した。
やがて同級生の間で、誰が好きだ誰が素敵だという話で盛り上がるようになった。
同級生の間で話題に上がる、顔が良いとか、足が速いとか、そんな男には魅力を感じなかった。
確かに彼は、特別顔が良いわけでも運動神経が良いわけでもない。
でもあたしのことを一番に考えてくれている。
みんなが気になっているという彼らは、きっと彼よりも私のことを考えてくれるとは思わないから。
そんな奴らには、少しも興味が湧かなかった。
私は彼の好きな物を知っている、彼の嫌いな物を知っている。
彼は、私のことを誰よりも知っている。
この世の誰よりも一緒に居たい相手。
いつもそばに居る。これからもそばに居て欲しい。
これからもずっとそばに居ると信じて疑わなかった。
そして修学旅行の夜。
「樹里ちゃん、お兄ちゃんが好きなの? 妹なのに」
同級生のその言葉に、その表情に、私は血の気が引くのを感じた。
そうか。
この感情は、“普通”は受け入れられるものじゃないんだ。
じゃあ、普通な彼も、私に対して、きっと。
私は、この気持ちを誰かに伝えることをやめた。
この気持ちを誰にも悟られないように。
友達にも、両親にも、彼にも。
だって、もしこの気持ちが知られたら、彼が困るだろうから。
こんな普通じゃない妹が居るなんて思われたら、きっと彼が迷惑するから。
裕理とできる限り接触する機会を減らした。
話しかけられても素っ気なく、必要以上に近付かないように。
本当は昔みたいに、もっとくっつきたいのに。自分の気持ちに嘘をついて。
でもやっぱり、自覚した想いは止められない。
裕理から見た今の私はきっと嫌な女なのに、私がどんな嫌な態度をとっても、裕理は困った顔をしてただ笑うんだ。
文句だってあるはずなのに。
私を気遣って、言い返さない。
そんないじらしいところも愛おしい。
気持ちは日に日に強くなる。
だから諦めようと思ったのに。
我慢しようと思ったのに!
お母さんの言葉が頭に響く。
「明日からお母さんとお父さん、旅行行くから」
今までは、お父さんとお母さんの目があったから理性が働いていたけど。
裕理と二人っきりなんて。
もう、耐えらんないよ!!!!
私の気持ちなんてみじんも知らないであろう裕理がふにゃりとした表情で言う。
「たかが三日でしょ?」
ほんと、人の気も知らないで……!!
私は裕理を見て言った。
「あんたは黙ってて」
「はい」
しゅんとした表情の裕理に少しムラッとしたのを力を込め必死で堪えた。
いや、ほんと耐えられないと想うんだけど。
・・・
翌日。
そわそわする父さんを侍らせ笑顔の母さんが手を振る。
「じゃ、いってきま-す」
「いってらっしゃい」
裕理の言葉と共に玄関の扉が閉まる。
鍵が閉まる。
いま、この場には裕理と私だけ。
完全な密室。男女一組。何も起きないはずもない……!!
そんなことを考えていると、
「さ、じゃあどうしようか」
なんていう裕理の言葉に現実に引き戻される。
私はなんとか胸の内がばれないように平静を装って、
「え、はぁ!? な、何!? いきなり!?」
ダメだった。
無理だよ……。意識しちゃうよお……。
「いや何が? 家事の分担、決めなきゃでしょ?」
首を傾げる裕理を見て浮かれまくってる自分に恥じながら私は答える。
「あ、ああ、家事、家事ね」
いやどうでも良いでしょ。
いいよ、裕理は居てくれるだけで。
私がもう全部やるから。
取りあえず情けないところは見せられない。
まずは冷静に、深呼吸。
うん。落ち着け私。
裕理は言う。
「取りあえずゴミ捨ては俺やっといたから、料理、洗濯、掃除かな。まあ掃除は適当でもいいか。樹里ちゃんは洗濯と料理どっちがいい?」
ゴミ捨てしておいてくれたの。
しゅき。
暴走しそうになる思想を押さえつけながら、私は考える。
いや、これは洗濯一択だろう。
裕理の手料理を味わいながら裕理の使用済み衣服を味わうことも出来る。
二度おいしい。
うん。
そうしよう。
いや待て私。逸るな私。
ここで我欲を全開に出して良いものか。
ここは男を立てるいい女ムーヴをした方が好感を得られるのではないか?
頭の中の裕理が言う。
樹里ちゃんは優しいね!俺のこと考えてくれて!
いいんだよ裕理。私にとってあなたが最優先なんだから。
よし、そうしよう。
私は目の前の裕理に答えた。
「その、あんたは、どっちやってほしい?」
私の言葉に裕理は少しだけ目を見開いて、
「俺? 俺はどっちでも良いけど。強いて言うなら料理かな」
そう言った。
ふむ。
であればこの三日間は私が裕理にご飯を作るということだ。
私は「ふーん」と興味なさげに相槌を打ちつつ想像してみる。
悪くない。
お帰り裕理、ご飯できてるよ、とかやりたい。
新婚さんごっこしたい。
いや待て。
それよりも、さっきの裕理の発言を思い出せ。
私が聞いたのはやりたくない方ではなく、やって欲しい方。
そして裕理は、私にご飯を作って欲しいと言った。
つまり裕理はあたしの手料理を食べたい……ってこと!?
私は意を決して尋ねた。
「……あたしの料理食べたいってこと?」
裕理は、
「いや俺が料理できないから」
間髪入れずにそう答えた。
私は言った。
「死ね」
「なんで!?」
そりゃないよ。
夢くらい見させてよ。
そこではたと気付いたように裕理は言う。
「あ、でもあれか。俺が洗濯しない方がいいか」
裕理の言葉に私は首を傾げる。
「なんで? 別に、どっちがやったって良いと思うけど」
「いやだって、樹里ちゃんの服、俺が洗濯することになっちゃうよ?」
「は? だから別にいいじゃん」
「下着も?」
ダメです。
それは乙女的にNG。
……でもそういうプレイだと考えればありなのでは?
いや待て待て。
正気に戻った私はつい口走った。
「最っ低」
死ね私。
私は気を取り直すためにひとつ息を吐いて、そして言った。
「……いいよ。あたしが料理も洗濯もやるから」
元々私がやるつもりだったし。
裕理の手料理という夢は綺麗に崩れ去ったけど。
「ごめんねえ」
まるで子犬のような表情で肩をすぼめる裕理に嗜虐心がくすぐられる。
「役立たず」
私がそう言うと裕理は悲しげに眉を下げた。
「返す言葉もねえ」
かわいい。
「お詫びと言ってはなんだけど、掃除は俺がするから」
いいのに。
でもそういうところも好き。
「別に三日くらい大丈夫でしょ」
「どうかな。母さんにばれたらなんか言われそう。それにお風呂掃除は毎日しなきゃ」
「確かに」
それはそう。
お母さん怒ると怖いし。
「じゃ、さっさとかたづけよっか」
「うん」
そうして私たち兄妹は早速家事に取りかかった。
……なんかこれ、同棲したてのカップルみたいでいいな。
・・・
私は今、試されている。
洗面所で洗濯物を選り分けて居るうちに巡り会ったそれを手に、私は逡巡する。
私は、それを手に固まっていた。
それは、裕理が昨日着てた服。
まだ暖かい。(幻覚)
手にしたまま、私は思わず周囲を見渡す。
掃除機の音が聞こえる。
裕理は今リビングの掃除機がけの最中だ。
なんかよだれ出てきた。
テイスティングしたい欲求がふつふつと湧いてくる。
……いけるか?
いや待て私。万が一その様子を裕理に見られたらどうするつもりだ。
脳内の悪魔が言う。
大丈夫大丈夫。裕理は細かいこと気にしないから、ちょっとくらい食べちゃっても大丈夫だよ。
私は首肯する。
そうだよね。一枚くらいパンツなくなっても気付かないでしょ。
しかし、脳内の天使が言う。
行けませんよ樹里。パンツがなくなってしまえば裕理が困ってしまいます。裕理の困り顔は大変魅力的ですが、もしばれたら汚物を見るような目を向けられますよ。
私は思う。
……それはそれでアリなのでは?
「樹里ちゃん?」
「っ!?」
ふいに意識の外から声をかけられ、飛び上がりそうになった。
思わず手にしていた洗濯物を洗濯かごに叩きつけて声の方に向き直る。
「な、なに?」
不思議そうな表情を浮かべる裕理がそこに居た。
裕理は首を傾げて言う。
「いや、なんか固まってるから。具合悪い?」
裏のなさそうなその言葉に、どうやら不審には思われていないらしいと悟る。
「は? 全然大丈夫だけど。ほら、洗濯の邪魔だから早く出てってよ」
私はそう言いながら裕理の背中を押して、洗面所から追い出した。
取りあえず、これの処遇は追って考えよう。
むやみに洗濯してしまうにはあまりにも惜しい。
・・・
パンツの処遇はいったん保留として朝の一仕事を終えたので、私は次の予定を考えていた。
今日は土曜日。
普段は特に用事もなければ部屋でゆっくりしているが、せっかく神がくれたチャンスだ。イチャイチャポイントを稼いでおこう。
私は音が鳴るか鳴らないか位の力で裕理の部屋を軽くノックする。
そして返事を待たずに勢いよくドアを開けた。
いやノックしたから。
もし着替え中だったとしてもノックしたから。
しかし裕理は既に着替え終わっていたようで、私は心の中で舌打ちをする。
まあいい。
私は本題に入るために裕理に声をかける。
「ねえ」
「どうしたの?」
無垢な表情を浮かべる裕理に、少しばかり口ごもる。
「いや、その、お昼何食べたい?」
なんか改めて口にするとなると気恥ずかしいな。
でもまあせっかくなら裕理の食べたいもの食べさせたいし。
しかし裕理は申し訳なさそうな顔で言う。
「あー。俺出かけてくるから、外で食べるよ」
「え」
なるほど。
どおりで外行きの格好をしていると思った。私は「ふーん」と相槌を打った。
まあ、良いけどね。別に。
三日あるし、一日くらい。
そう思いながら改めて裕理の格好を眺める。
ふうん。悪くないじゃん。
こういうきれいめカジュアルな格好なら私も隣を歩くときは浮かないような落ち着いた格好にしなきゃね。
「何おしゃれなんかしちゃって」
「あ、これおしゃれかな?嬉しい」
「は? きも」
「直前まで褒めてたのに!?」
しかしながら普段ならもう少し着古しただらしない格好をしていた気がするけれど。
言ってはなんだけど裕理は友達相手に体面を気にするタイプではないと思っていた。
私はふと思い至った可能性を口にしてみる。
「何? 女にでも会ってくるの?」
少なくともそんな相手は居なかったように認識していたが、もしもということもある。念のための確認だ。
すると裕理は一瞬ぽかんとした表情を浮かべてから、悪戯っぽく笑って、
「ないしょ」
なんて言うのだった。
「は?」
は?
なにその表情。えっち過ぎない?
思わぬ反撃に、面食らっていると、
「じゃ、外に出るときは戸締まり気をつけてね。いってきまーす」
裕理はそう言って私とすれ違って部屋を出て行った。
正気を取り直した私は少しの後、裕理を追いかけるように家を出た。
・・・
裕理にばれないように距離をとって追いかける。
駅前で待ち合わせしていた裕理の元に近寄ったのは、私も知っている男だった。
ならば良し。
しばらく見張り、女の気配がないことを確認したので、私は家に戻った。
両親は旅行。裕理も電車で遠出。
しばらく家には私だけ。
つまりパーティータイムである。
家に帰った私は裕理にメッセージを送る。
完全犯罪のために。
数件送って返事がなかったのでゆっくりしてくるだろう。
一緒に居た相手から考えて帰りは六時頃か。
最後に「もういい」とだけ送ってから、私は前に向き直る。
目の前には木製の扉、手にした得物を改めて確認し、私はドアノブに力を込めた。
参ります。
先ほどにも入った裕理の部屋は、しかし今は主がいないことで私を背徳感により興奮させる。
私は改めて部屋を見渡す。
めぼしい物はない。
ゴミ箱の中は少しだけ期待したが、今朝の裕理の発言から既に処理されていることだろう。
……一縷の望みを込めて覗いてみたがやはり空だった。
となると。
私はおもむろにベッドに倒れ込む。
そして枕に顔を押しつけた。
は?
何この濃厚な裕理スメル。
やば。頭おかしくなる。
ひとつ深呼吸。
肺いっぱいに空気を堪能する。
あ、だめだ。耐えられない。
樹里、行きます。
そして私は躊躇いなく裕理のかけ布団に頭をつっこんだ。
・・・
途中、裕理からの生電話とかいうスーパーご褒美タイムがあった気がするけど記憶が曖昧なので割愛する。
・・・
「ふう」
一息ついた私は展開したバスタオルを畳み、乱れた布団を整え、衣服を整え、口元のよだれを拭う。
対戦ありがとうございました。
・・・
焦げ付かないように鍋の中身をかきまぜる。
すると香ばしいスパイスの香りが漂う。
試しに味見してみて、満足する。
まあ、カレーなどよほどのことがない限り失敗はしないけれども。
そして時計をちらと見た。
時刻はもうすぐ午後六時。そろそろ帰ってくる頃だろうか。
そう思って居るとガチャリと鍵が開く音。
私は玄関に向かって駆け出した。
「ただいま」
「おかえり」
そんなやりとりに思わず頬が緩みそうになる。
危ない危ない。
私は努めて平静を装って裕理に問いかける。
「ご飯、カレーだけどいいよね?」
すると案の定裕理は目を輝かせる。
「マジ? やったー!」
そんな子供っぽい表情に、思わず頬が緩んでしまう。
「まったく、子供じゃないんだから」
昔から、カレーが好きだったことを覚えている。
そしてにんじんが嫌いなことも知っている。
だからちゃんとすりつぶして入れてある。
それから私は裕理の上着を受け取って、続ける。
「お風呂も出来てるから食べたらさっさと入ってね」
「はーい」
手洗いのために洗面所に向かう裕理を見届けてから、私はその上着に自分の顔を埋めようとして、なんとかとどまった。
危ない危ない。
さすがに裕理がいるのに冒険は出来ない。
いや、一瞬ならばれないか?
そう思っていると洗面所から裕理が顔を出した。
「樹里ちゃん?」
「……何?」
「いや、俺の服、洗濯してくれなかったの?」
その言葉に思い返す。
やば。使ったあと洗濯かごに戻したまんまだった。
「……」
私は無理矢理頭を回転させる。
そして、口を開いた。
「その、分けて洗おうとしたら忘れてただけだから」
「そ、そっか」
曖昧な返事をする裕理。
ちょっとだけ、気まずい空気が流れた。
いや、あとで洗おうと思ってたのはほんとだよ?
・・・
私のカレーをニコニコしながら食べる裕理を、テレビを見ているふりをしながら窃視する。
見て、裕理が笑ってるよ。かわいいね。
私のカレーで!!!!
そうして食べ終わった裕理にお風呂に入るよう促すと、裕理は素直にお風呂に向かった。
食器を洗いながら私は考える。
悪くねえ~~~~。
すごい、いい。
今めっちゃ新婚さんっぽい。
お嫁さん指数めっちゃ高い。
こ、これがあと二日も続くの?
前世の私はどんな善行を積んだの?
徳の高いお坊さんだったのかな???
いやそれはないか。
私こんな煩悩塗れだし。
しばらくして裕理はお風呂から出てきた。
そしてその姿にぎょっとした。
やば。
今まで見ないようにしてたけど、お風呂上がりの裕理めっちゃえっち。
大丈夫? 歩くえっち罪で現行犯逮捕されない?
するとふいに裕理がこちらを向き、バッチリと目が合ってしまう。
つい目をそらせずにいると、裕理はへにゃりと笑って「次お風呂どーぞ」なんて言うのだった。
思わず生唾を飲む。
私は逃げるように浴室に向かった。
そして勢いのまま服を脱ぎ、体も流さず湯船に飛び込んだ。
溢れるお湯が落ち着くのに合わせて自分の気持ちも落ち着かせる。
なんだあれは。
誘ってるのか?
ははーん。さては裕理、私が手を出せないと思って煽ってるな?
ここではたと気付く。
発想の転換。
私は今まで、自分の気持ちを悟られないように努力してきた。
それは、裕理に自分の気持ちを知られないためだった。
なぜか。
私の気持ちは裕理に迷惑をかけるから。
だが。
だがしかし。しかし。
もし、もしもだ。
もし裕理が私と同じ気持ちなんだとしたら。
これは、決して悪いことではないんじゃないか?
だって、それはただの相思相愛だ。
世間体もあるから対外的にはやっぱり隠す必要もあるだろうけど、私たちが好き合っているのであれば問題はないはずだ。
ならば先ほどの裕理の所作にも納得がいく。
あいつは、私を試しているのだ。
罠を仕掛けて私が引っかかるかを試している。
私の気持ちを試しているんだ……!!
上等だ。ならば相手になってやる。
逆にこっちこそ、あちらの気持ちを試してやる……!!
……その前にこのお湯はもう少し堪能させてもらおう。
そうして私は湯船にゆっくりつかり、恥ずかしくないようにしっかり身を清め。
お風呂から上がった私は、着替えを持って来ていなかったことに気付き、愕然としたのだった。
・・・
ドキドキしながら体を拭き、髪を乾かした私は、一度深呼吸をした。
そして、意を決して裕理のシャツを身に着けた。
……おお。
まさかこんな風に憧れの彼シャツ(?)をすることになるとは。
鏡の前で、正面、後ろ姿を確認する。
うん。大事なところはしっかり隠れている。
やっぱ裕理おっきいんだなあ。
しかし、なんだろうこの充足感。
まるで全身が裕理に包まれているような感覚。
今なら何でも出来る気がしてきた。
何よりこの格好は都合がいい。
さあ、勝負だ裕理っ!!
私は洗面所から出た。
それから余裕を見せつけるようにできる限り優雅な足取りでソファーに向かい、ゆったりと腰掛ける。
「あつ……」
そしておもむろに自分の胸元を手で扇ぐ。
「あついなあ」
ふふっ、見てる見てる。
残念だったね。
さすがの裕理も私があからさまな攻勢に出るとは思わなかったのだろう。
そんな裕理と目が合う。
「……」
少しの沈黙。
心臓がうるさい。
さあ、手を出してこい……!!
そして裕理が口を開き、
「エアコンの温度下げる?」
間抜けな顔で、そう言った。
「はあ?」
聞き返すと裕理は表情を変えずに言う。
「いや暑いって言うから……」
そんなやりとりに思わず力が抜ける。
「はあ……まったく」
まあそんな、簡単な話ではないとは思ってたけどさ。
ちょっとくらい興味ありそうにしてくれてもいいじゃん。
いいか。
まだあと二日ある。焦ることはない。
裕理はそこで少しだけ、意を決したかのように口を開く。
「ねえ樹里ちゃん」
「今度は何」
なんだろうか。そんな改まって。
そう思っていると、裕理はなんとも言いにくそうに、
「それ、もしかして俺のシャツじゃない?」
なんて、言うのだった。
お風呂で暖まったはずの体は一気に血の気が引いた。
私は誤魔化すように言う。
「は? 意味わかんないんだけど。きも」
「きもくないよ?」
あ、だめだわ。全然頭回んないわ。
それから私は大きく息を吐いて、言った。
「別に、着るのなかったから着てやってるだけだし」
すっかり覚めた頭で思う。
まあこれは事実だけど。
別に自分の服で良かったよね……。
「そっか……」
また、なんとも気まずそうに、裕理は言う。
そして思い出したかのようにこちらを向き直って言った。
「あ、じゃあ今度パジャマ買ってあげよっか?」
「なんでそうなるの? ほんとキモいんだけど」
「きもくないよ!?」
びっくりして反射的に悪態をついてしまう私に、裕理が言い返してきた。
いや待て私。これはチャンスでは?
私は裕理に向き直って言う。
「でも、どうしてもって言うなら、買ってくれても良いよ」
「着る服ないって言ったのは樹里ちゃんでしょ……」
そう言いながらも否定をしない裕理に、私はほくそ笑む。
よし。言質はとった。
明日は、デートだ。
そうと決まれば、しっかり作戦を練らなきゃ。
この朴念仁を落とす作戦を。
そう考えていると裕理は何気ない調子で口を開く。
「樹里ちゃんさあ」
「何」
「暑いからって下着つけないのはどうなの」
その言葉に、今の自分の格好が急に恥ずかしくなった私は、つい裕理に言った。
「死ね」
いや違うの。
これは照れ隠しで、反射で出ちゃうの……!!
両親が旅行に出かけたら(一日目):裏面 終わり
名前は裕理。
彼は、生まれたときから私のそばに居た。
困ったときはいつも助けてくれて、私の我が儘は全部聞いてくれて、そしていつもそばいいてくれた。
楽しいときも悲しいときも苦しいときもいつもそばにいてくれた。
この人のそばに居れば、何があっても大丈夫なんだと思った。
私は彼が大好きだし、彼もきっと私のことが好きだ。
だっていつもそばにいてくれるんだから。
小学校の時、友達に教えてもらった漫画で、恋というものを知った。
私は彼に恋をしているのだと自覚した。
テレビドラマで、愛というものを知った。
私は彼を愛しているのだと再認識した。
やがて同級生の間で、誰が好きだ誰が素敵だという話で盛り上がるようになった。
同級生の間で話題に上がる、顔が良いとか、足が速いとか、そんな男には魅力を感じなかった。
確かに彼は、特別顔が良いわけでも運動神経が良いわけでもない。
でもあたしのことを一番に考えてくれている。
みんなが気になっているという彼らは、きっと彼よりも私のことを考えてくれるとは思わないから。
そんな奴らには、少しも興味が湧かなかった。
私は彼の好きな物を知っている、彼の嫌いな物を知っている。
彼は、私のことを誰よりも知っている。
この世の誰よりも一緒に居たい相手。
いつもそばに居る。これからもそばに居て欲しい。
これからもずっとそばに居ると信じて疑わなかった。
そして修学旅行の夜。
「樹里ちゃん、お兄ちゃんが好きなの? 妹なのに」
同級生のその言葉に、その表情に、私は血の気が引くのを感じた。
そうか。
この感情は、“普通”は受け入れられるものじゃないんだ。
じゃあ、普通な彼も、私に対して、きっと。
私は、この気持ちを誰かに伝えることをやめた。
この気持ちを誰にも悟られないように。
友達にも、両親にも、彼にも。
だって、もしこの気持ちが知られたら、彼が困るだろうから。
こんな普通じゃない妹が居るなんて思われたら、きっと彼が迷惑するから。
裕理とできる限り接触する機会を減らした。
話しかけられても素っ気なく、必要以上に近付かないように。
本当は昔みたいに、もっとくっつきたいのに。自分の気持ちに嘘をついて。
でもやっぱり、自覚した想いは止められない。
裕理から見た今の私はきっと嫌な女なのに、私がどんな嫌な態度をとっても、裕理は困った顔をしてただ笑うんだ。
文句だってあるはずなのに。
私を気遣って、言い返さない。
そんないじらしいところも愛おしい。
気持ちは日に日に強くなる。
だから諦めようと思ったのに。
我慢しようと思ったのに!
お母さんの言葉が頭に響く。
「明日からお母さんとお父さん、旅行行くから」
今までは、お父さんとお母さんの目があったから理性が働いていたけど。
裕理と二人っきりなんて。
もう、耐えらんないよ!!!!
私の気持ちなんてみじんも知らないであろう裕理がふにゃりとした表情で言う。
「たかが三日でしょ?」
ほんと、人の気も知らないで……!!
私は裕理を見て言った。
「あんたは黙ってて」
「はい」
しゅんとした表情の裕理に少しムラッとしたのを力を込め必死で堪えた。
いや、ほんと耐えられないと想うんだけど。
・・・
翌日。
そわそわする父さんを侍らせ笑顔の母さんが手を振る。
「じゃ、いってきま-す」
「いってらっしゃい」
裕理の言葉と共に玄関の扉が閉まる。
鍵が閉まる。
いま、この場には裕理と私だけ。
完全な密室。男女一組。何も起きないはずもない……!!
そんなことを考えていると、
「さ、じゃあどうしようか」
なんていう裕理の言葉に現実に引き戻される。
私はなんとか胸の内がばれないように平静を装って、
「え、はぁ!? な、何!? いきなり!?」
ダメだった。
無理だよ……。意識しちゃうよお……。
「いや何が? 家事の分担、決めなきゃでしょ?」
首を傾げる裕理を見て浮かれまくってる自分に恥じながら私は答える。
「あ、ああ、家事、家事ね」
いやどうでも良いでしょ。
いいよ、裕理は居てくれるだけで。
私がもう全部やるから。
取りあえず情けないところは見せられない。
まずは冷静に、深呼吸。
うん。落ち着け私。
裕理は言う。
「取りあえずゴミ捨ては俺やっといたから、料理、洗濯、掃除かな。まあ掃除は適当でもいいか。樹里ちゃんは洗濯と料理どっちがいい?」
ゴミ捨てしておいてくれたの。
しゅき。
暴走しそうになる思想を押さえつけながら、私は考える。
いや、これは洗濯一択だろう。
裕理の手料理を味わいながら裕理の使用済み衣服を味わうことも出来る。
二度おいしい。
うん。
そうしよう。
いや待て私。逸るな私。
ここで我欲を全開に出して良いものか。
ここは男を立てるいい女ムーヴをした方が好感を得られるのではないか?
頭の中の裕理が言う。
樹里ちゃんは優しいね!俺のこと考えてくれて!
いいんだよ裕理。私にとってあなたが最優先なんだから。
よし、そうしよう。
私は目の前の裕理に答えた。
「その、あんたは、どっちやってほしい?」
私の言葉に裕理は少しだけ目を見開いて、
「俺? 俺はどっちでも良いけど。強いて言うなら料理かな」
そう言った。
ふむ。
であればこの三日間は私が裕理にご飯を作るということだ。
私は「ふーん」と興味なさげに相槌を打ちつつ想像してみる。
悪くない。
お帰り裕理、ご飯できてるよ、とかやりたい。
新婚さんごっこしたい。
いや待て。
それよりも、さっきの裕理の発言を思い出せ。
私が聞いたのはやりたくない方ではなく、やって欲しい方。
そして裕理は、私にご飯を作って欲しいと言った。
つまり裕理はあたしの手料理を食べたい……ってこと!?
私は意を決して尋ねた。
「……あたしの料理食べたいってこと?」
裕理は、
「いや俺が料理できないから」
間髪入れずにそう答えた。
私は言った。
「死ね」
「なんで!?」
そりゃないよ。
夢くらい見させてよ。
そこではたと気付いたように裕理は言う。
「あ、でもあれか。俺が洗濯しない方がいいか」
裕理の言葉に私は首を傾げる。
「なんで? 別に、どっちがやったって良いと思うけど」
「いやだって、樹里ちゃんの服、俺が洗濯することになっちゃうよ?」
「は? だから別にいいじゃん」
「下着も?」
ダメです。
それは乙女的にNG。
……でもそういうプレイだと考えればありなのでは?
いや待て待て。
正気に戻った私はつい口走った。
「最っ低」
死ね私。
私は気を取り直すためにひとつ息を吐いて、そして言った。
「……いいよ。あたしが料理も洗濯もやるから」
元々私がやるつもりだったし。
裕理の手料理という夢は綺麗に崩れ去ったけど。
「ごめんねえ」
まるで子犬のような表情で肩をすぼめる裕理に嗜虐心がくすぐられる。
「役立たず」
私がそう言うと裕理は悲しげに眉を下げた。
「返す言葉もねえ」
かわいい。
「お詫びと言ってはなんだけど、掃除は俺がするから」
いいのに。
でもそういうところも好き。
「別に三日くらい大丈夫でしょ」
「どうかな。母さんにばれたらなんか言われそう。それにお風呂掃除は毎日しなきゃ」
「確かに」
それはそう。
お母さん怒ると怖いし。
「じゃ、さっさとかたづけよっか」
「うん」
そうして私たち兄妹は早速家事に取りかかった。
……なんかこれ、同棲したてのカップルみたいでいいな。
・・・
私は今、試されている。
洗面所で洗濯物を選り分けて居るうちに巡り会ったそれを手に、私は逡巡する。
私は、それを手に固まっていた。
それは、裕理が昨日着てた服。
まだ暖かい。(幻覚)
手にしたまま、私は思わず周囲を見渡す。
掃除機の音が聞こえる。
裕理は今リビングの掃除機がけの最中だ。
なんかよだれ出てきた。
テイスティングしたい欲求がふつふつと湧いてくる。
……いけるか?
いや待て私。万が一その様子を裕理に見られたらどうするつもりだ。
脳内の悪魔が言う。
大丈夫大丈夫。裕理は細かいこと気にしないから、ちょっとくらい食べちゃっても大丈夫だよ。
私は首肯する。
そうだよね。一枚くらいパンツなくなっても気付かないでしょ。
しかし、脳内の天使が言う。
行けませんよ樹里。パンツがなくなってしまえば裕理が困ってしまいます。裕理の困り顔は大変魅力的ですが、もしばれたら汚物を見るような目を向けられますよ。
私は思う。
……それはそれでアリなのでは?
「樹里ちゃん?」
「っ!?」
ふいに意識の外から声をかけられ、飛び上がりそうになった。
思わず手にしていた洗濯物を洗濯かごに叩きつけて声の方に向き直る。
「な、なに?」
不思議そうな表情を浮かべる裕理がそこに居た。
裕理は首を傾げて言う。
「いや、なんか固まってるから。具合悪い?」
裏のなさそうなその言葉に、どうやら不審には思われていないらしいと悟る。
「は? 全然大丈夫だけど。ほら、洗濯の邪魔だから早く出てってよ」
私はそう言いながら裕理の背中を押して、洗面所から追い出した。
取りあえず、これの処遇は追って考えよう。
むやみに洗濯してしまうにはあまりにも惜しい。
・・・
パンツの処遇はいったん保留として朝の一仕事を終えたので、私は次の予定を考えていた。
今日は土曜日。
普段は特に用事もなければ部屋でゆっくりしているが、せっかく神がくれたチャンスだ。イチャイチャポイントを稼いでおこう。
私は音が鳴るか鳴らないか位の力で裕理の部屋を軽くノックする。
そして返事を待たずに勢いよくドアを開けた。
いやノックしたから。
もし着替え中だったとしてもノックしたから。
しかし裕理は既に着替え終わっていたようで、私は心の中で舌打ちをする。
まあいい。
私は本題に入るために裕理に声をかける。
「ねえ」
「どうしたの?」
無垢な表情を浮かべる裕理に、少しばかり口ごもる。
「いや、その、お昼何食べたい?」
なんか改めて口にするとなると気恥ずかしいな。
でもまあせっかくなら裕理の食べたいもの食べさせたいし。
しかし裕理は申し訳なさそうな顔で言う。
「あー。俺出かけてくるから、外で食べるよ」
「え」
なるほど。
どおりで外行きの格好をしていると思った。私は「ふーん」と相槌を打った。
まあ、良いけどね。別に。
三日あるし、一日くらい。
そう思いながら改めて裕理の格好を眺める。
ふうん。悪くないじゃん。
こういうきれいめカジュアルな格好なら私も隣を歩くときは浮かないような落ち着いた格好にしなきゃね。
「何おしゃれなんかしちゃって」
「あ、これおしゃれかな?嬉しい」
「は? きも」
「直前まで褒めてたのに!?」
しかしながら普段ならもう少し着古しただらしない格好をしていた気がするけれど。
言ってはなんだけど裕理は友達相手に体面を気にするタイプではないと思っていた。
私はふと思い至った可能性を口にしてみる。
「何? 女にでも会ってくるの?」
少なくともそんな相手は居なかったように認識していたが、もしもということもある。念のための確認だ。
すると裕理は一瞬ぽかんとした表情を浮かべてから、悪戯っぽく笑って、
「ないしょ」
なんて言うのだった。
「は?」
は?
なにその表情。えっち過ぎない?
思わぬ反撃に、面食らっていると、
「じゃ、外に出るときは戸締まり気をつけてね。いってきまーす」
裕理はそう言って私とすれ違って部屋を出て行った。
正気を取り直した私は少しの後、裕理を追いかけるように家を出た。
・・・
裕理にばれないように距離をとって追いかける。
駅前で待ち合わせしていた裕理の元に近寄ったのは、私も知っている男だった。
ならば良し。
しばらく見張り、女の気配がないことを確認したので、私は家に戻った。
両親は旅行。裕理も電車で遠出。
しばらく家には私だけ。
つまりパーティータイムである。
家に帰った私は裕理にメッセージを送る。
完全犯罪のために。
数件送って返事がなかったのでゆっくりしてくるだろう。
一緒に居た相手から考えて帰りは六時頃か。
最後に「もういい」とだけ送ってから、私は前に向き直る。
目の前には木製の扉、手にした得物を改めて確認し、私はドアノブに力を込めた。
参ります。
先ほどにも入った裕理の部屋は、しかし今は主がいないことで私を背徳感により興奮させる。
私は改めて部屋を見渡す。
めぼしい物はない。
ゴミ箱の中は少しだけ期待したが、今朝の裕理の発言から既に処理されていることだろう。
……一縷の望みを込めて覗いてみたがやはり空だった。
となると。
私はおもむろにベッドに倒れ込む。
そして枕に顔を押しつけた。
は?
何この濃厚な裕理スメル。
やば。頭おかしくなる。
ひとつ深呼吸。
肺いっぱいに空気を堪能する。
あ、だめだ。耐えられない。
樹里、行きます。
そして私は躊躇いなく裕理のかけ布団に頭をつっこんだ。
・・・
途中、裕理からの生電話とかいうスーパーご褒美タイムがあった気がするけど記憶が曖昧なので割愛する。
・・・
「ふう」
一息ついた私は展開したバスタオルを畳み、乱れた布団を整え、衣服を整え、口元のよだれを拭う。
対戦ありがとうございました。
・・・
焦げ付かないように鍋の中身をかきまぜる。
すると香ばしいスパイスの香りが漂う。
試しに味見してみて、満足する。
まあ、カレーなどよほどのことがない限り失敗はしないけれども。
そして時計をちらと見た。
時刻はもうすぐ午後六時。そろそろ帰ってくる頃だろうか。
そう思って居るとガチャリと鍵が開く音。
私は玄関に向かって駆け出した。
「ただいま」
「おかえり」
そんなやりとりに思わず頬が緩みそうになる。
危ない危ない。
私は努めて平静を装って裕理に問いかける。
「ご飯、カレーだけどいいよね?」
すると案の定裕理は目を輝かせる。
「マジ? やったー!」
そんな子供っぽい表情に、思わず頬が緩んでしまう。
「まったく、子供じゃないんだから」
昔から、カレーが好きだったことを覚えている。
そしてにんじんが嫌いなことも知っている。
だからちゃんとすりつぶして入れてある。
それから私は裕理の上着を受け取って、続ける。
「お風呂も出来てるから食べたらさっさと入ってね」
「はーい」
手洗いのために洗面所に向かう裕理を見届けてから、私はその上着に自分の顔を埋めようとして、なんとかとどまった。
危ない危ない。
さすがに裕理がいるのに冒険は出来ない。
いや、一瞬ならばれないか?
そう思っていると洗面所から裕理が顔を出した。
「樹里ちゃん?」
「……何?」
「いや、俺の服、洗濯してくれなかったの?」
その言葉に思い返す。
やば。使ったあと洗濯かごに戻したまんまだった。
「……」
私は無理矢理頭を回転させる。
そして、口を開いた。
「その、分けて洗おうとしたら忘れてただけだから」
「そ、そっか」
曖昧な返事をする裕理。
ちょっとだけ、気まずい空気が流れた。
いや、あとで洗おうと思ってたのはほんとだよ?
・・・
私のカレーをニコニコしながら食べる裕理を、テレビを見ているふりをしながら窃視する。
見て、裕理が笑ってるよ。かわいいね。
私のカレーで!!!!
そうして食べ終わった裕理にお風呂に入るよう促すと、裕理は素直にお風呂に向かった。
食器を洗いながら私は考える。
悪くねえ~~~~。
すごい、いい。
今めっちゃ新婚さんっぽい。
お嫁さん指数めっちゃ高い。
こ、これがあと二日も続くの?
前世の私はどんな善行を積んだの?
徳の高いお坊さんだったのかな???
いやそれはないか。
私こんな煩悩塗れだし。
しばらくして裕理はお風呂から出てきた。
そしてその姿にぎょっとした。
やば。
今まで見ないようにしてたけど、お風呂上がりの裕理めっちゃえっち。
大丈夫? 歩くえっち罪で現行犯逮捕されない?
するとふいに裕理がこちらを向き、バッチリと目が合ってしまう。
つい目をそらせずにいると、裕理はへにゃりと笑って「次お風呂どーぞ」なんて言うのだった。
思わず生唾を飲む。
私は逃げるように浴室に向かった。
そして勢いのまま服を脱ぎ、体も流さず湯船に飛び込んだ。
溢れるお湯が落ち着くのに合わせて自分の気持ちも落ち着かせる。
なんだあれは。
誘ってるのか?
ははーん。さては裕理、私が手を出せないと思って煽ってるな?
ここではたと気付く。
発想の転換。
私は今まで、自分の気持ちを悟られないように努力してきた。
それは、裕理に自分の気持ちを知られないためだった。
なぜか。
私の気持ちは裕理に迷惑をかけるから。
だが。
だがしかし。しかし。
もし、もしもだ。
もし裕理が私と同じ気持ちなんだとしたら。
これは、決して悪いことではないんじゃないか?
だって、それはただの相思相愛だ。
世間体もあるから対外的にはやっぱり隠す必要もあるだろうけど、私たちが好き合っているのであれば問題はないはずだ。
ならば先ほどの裕理の所作にも納得がいく。
あいつは、私を試しているのだ。
罠を仕掛けて私が引っかかるかを試している。
私の気持ちを試しているんだ……!!
上等だ。ならば相手になってやる。
逆にこっちこそ、あちらの気持ちを試してやる……!!
……その前にこのお湯はもう少し堪能させてもらおう。
そうして私は湯船にゆっくりつかり、恥ずかしくないようにしっかり身を清め。
お風呂から上がった私は、着替えを持って来ていなかったことに気付き、愕然としたのだった。
・・・
ドキドキしながら体を拭き、髪を乾かした私は、一度深呼吸をした。
そして、意を決して裕理のシャツを身に着けた。
……おお。
まさかこんな風に憧れの彼シャツ(?)をすることになるとは。
鏡の前で、正面、後ろ姿を確認する。
うん。大事なところはしっかり隠れている。
やっぱ裕理おっきいんだなあ。
しかし、なんだろうこの充足感。
まるで全身が裕理に包まれているような感覚。
今なら何でも出来る気がしてきた。
何よりこの格好は都合がいい。
さあ、勝負だ裕理っ!!
私は洗面所から出た。
それから余裕を見せつけるようにできる限り優雅な足取りでソファーに向かい、ゆったりと腰掛ける。
「あつ……」
そしておもむろに自分の胸元を手で扇ぐ。
「あついなあ」
ふふっ、見てる見てる。
残念だったね。
さすがの裕理も私があからさまな攻勢に出るとは思わなかったのだろう。
そんな裕理と目が合う。
「……」
少しの沈黙。
心臓がうるさい。
さあ、手を出してこい……!!
そして裕理が口を開き、
「エアコンの温度下げる?」
間抜けな顔で、そう言った。
「はあ?」
聞き返すと裕理は表情を変えずに言う。
「いや暑いって言うから……」
そんなやりとりに思わず力が抜ける。
「はあ……まったく」
まあそんな、簡単な話ではないとは思ってたけどさ。
ちょっとくらい興味ありそうにしてくれてもいいじゃん。
いいか。
まだあと二日ある。焦ることはない。
裕理はそこで少しだけ、意を決したかのように口を開く。
「ねえ樹里ちゃん」
「今度は何」
なんだろうか。そんな改まって。
そう思っていると、裕理はなんとも言いにくそうに、
「それ、もしかして俺のシャツじゃない?」
なんて、言うのだった。
お風呂で暖まったはずの体は一気に血の気が引いた。
私は誤魔化すように言う。
「は? 意味わかんないんだけど。きも」
「きもくないよ?」
あ、だめだわ。全然頭回んないわ。
それから私は大きく息を吐いて、言った。
「別に、着るのなかったから着てやってるだけだし」
すっかり覚めた頭で思う。
まあこれは事実だけど。
別に自分の服で良かったよね……。
「そっか……」
また、なんとも気まずそうに、裕理は言う。
そして思い出したかのようにこちらを向き直って言った。
「あ、じゃあ今度パジャマ買ってあげよっか?」
「なんでそうなるの? ほんとキモいんだけど」
「きもくないよ!?」
びっくりして反射的に悪態をついてしまう私に、裕理が言い返してきた。
いや待て私。これはチャンスでは?
私は裕理に向き直って言う。
「でも、どうしてもって言うなら、買ってくれても良いよ」
「着る服ないって言ったのは樹里ちゃんでしょ……」
そう言いながらも否定をしない裕理に、私はほくそ笑む。
よし。言質はとった。
明日は、デートだ。
そうと決まれば、しっかり作戦を練らなきゃ。
この朴念仁を落とす作戦を。
そう考えていると裕理は何気ない調子で口を開く。
「樹里ちゃんさあ」
「何」
「暑いからって下着つけないのはどうなの」
その言葉に、今の自分の格好が急に恥ずかしくなった私は、つい裕理に言った。
「死ね」
いや違うの。
これは照れ隠しで、反射で出ちゃうの……!!
両親が旅行に出かけたら(一日目):裏面 終わり
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