66 / 76
天罰でも、因果応報でもなく
私怨か救いか
しおりを挟む
紅を引いたサラの唇からフクロウの鳴き声が零れる。同じ鳴き声が返り、あたりは静寂を取り戻した。
件の屋敷の裏手、広大な庭園の片隅で。サラは仲間との連絡を取り終えた。
「何笑ってるのよ?」
「? 嬉しいから?」
似合わぬ騎士団の訓練服に身を包んだ男は、記憶と違わず気の抜けた返事を返す。
すらりとした手足に適度に鍛えられ、引き締まった体躯。少しだけ跳ねている淡い金の髪と、浅葱色に近い透き通るような碧眼は闇の中でも目を引く。
気を抜くと崩れる口調としまりのないふにゃふにゃの笑い癖を除けば、端正な顔立ちだけでなく立ち居振る舞いまでもが飛び抜けて良い。これで社会的地位も将来的価値も補償されているなど、神の采配とは意外に杜撰だとサラは思う。
「こっちは終わったけれども、まだ私達の仕事は残ってるんだから。早く戻るわよ。はぁ……貴方のお守りは卒業したはずなのに。……一体、どうしてこうなったのかしら?」
目の前のにやつく男と容姿だけはよく似ている義弟を思い浮かべながら、サラは歩みを進める。可愛い義弟が仕組んだこととは信じたくない。
足早に裏庭を横切り、水溜まりを飛び越える気安さで自身の身長の二倍はあるだろう塀を飛び込える。顔色ひとつ変えずについてくる男に、ため息が更に深くなった。
(おかしな方向に成長しちゃって……政務にはきちんと取り組めてるのかしら? と言うか。いくら民主化の動きがあると言っても、普通王族ってこんなに暇で身軽な職業じゃないのだけれど?)
「サラ……」
つと、彼の声が強ばる。視線の先、大木の根元に蹲る影にサラは眉をひそめた。
警戒を解かずに、サラは影へと近付く。
「……?! どういう事?!」
これまで数多の物言わぬ肉塊を目にしてきたサラも、男の正体に絶句せずにはいられなかった。
大木に縋るように倒れていたのは、エーミール・フェルザー。長年サラ達が秘密裏に調べ、現在進行形で証拠を揃え、先程わざと逃がしたばかりの相手だった。
彼は今夜のサラ達の働きにより、数日後には死体損壊の罪で警察に聴取、その後至って穏便で平和な方法でエリオット率いる王家の私設部隊”植物”へと身柄が渡る予定だったのだが。
まだ温もりの残る体は小さな万年筆を抱く。
それはサラ達が必死で探し、証拠の品として押収するはずだった故王妃アメリアの私物。
「……可哀想に……」
瞬時に全てを悟ったサラから、幾度も紡いだ台詞が重く、漏れる。
仇敵の悲愴の浮かぶ死に顔に、後ろの彼もまた、同じ推測へと行き着いたのだろう。彼の顔には驚きよりも悲哀が浮かんでいた。
念の為と脈を確かめ、サラは筋張った首に突き立ったナイフを抜いた。無意味なことと知りつつ、それは彼の腕の中にある方が良い気がしたのだ。
最期の血飛沫は闇夜に霞み、従順に役目を果たしたそれは主へのはなむけの如く宙に紋を浮かばせる。
「これが……悪魔なのね……」
サラはナイフをそっと、エーミールの傍へと置いた。数十年前、とある魔術師が弟子の幸福を祈り、慈愛と覚悟を込めて託したそれを。
「……ああ。でも……馬鹿だからかな。俺にはあれの行いが……平凡で、一種の救いに見える時がある」
サラの横で屈んだ彼の碧眼が滲む。すぐ傍であの、忘れもしない叫び声達が聞こえた気がする。
「私もよ。でも……私はこんな救いが一番良かったなんて、思えないわ……」
稲妻を纏う真白き翼に寄り添う漆黒の爪――サラやアメリアの古巣、王家の影を担う植物の忌まわしき紋は、大事な物を必死で守る獣の一番近くで溶けて、消えた。
件の屋敷の裏手、広大な庭園の片隅で。サラは仲間との連絡を取り終えた。
「何笑ってるのよ?」
「? 嬉しいから?」
似合わぬ騎士団の訓練服に身を包んだ男は、記憶と違わず気の抜けた返事を返す。
すらりとした手足に適度に鍛えられ、引き締まった体躯。少しだけ跳ねている淡い金の髪と、浅葱色に近い透き通るような碧眼は闇の中でも目を引く。
気を抜くと崩れる口調としまりのないふにゃふにゃの笑い癖を除けば、端正な顔立ちだけでなく立ち居振る舞いまでもが飛び抜けて良い。これで社会的地位も将来的価値も補償されているなど、神の采配とは意外に杜撰だとサラは思う。
「こっちは終わったけれども、まだ私達の仕事は残ってるんだから。早く戻るわよ。はぁ……貴方のお守りは卒業したはずなのに。……一体、どうしてこうなったのかしら?」
目の前のにやつく男と容姿だけはよく似ている義弟を思い浮かべながら、サラは歩みを進める。可愛い義弟が仕組んだこととは信じたくない。
足早に裏庭を横切り、水溜まりを飛び越える気安さで自身の身長の二倍はあるだろう塀を飛び込える。顔色ひとつ変えずについてくる男に、ため息が更に深くなった。
(おかしな方向に成長しちゃって……政務にはきちんと取り組めてるのかしら? と言うか。いくら民主化の動きがあると言っても、普通王族ってこんなに暇で身軽な職業じゃないのだけれど?)
「サラ……」
つと、彼の声が強ばる。視線の先、大木の根元に蹲る影にサラは眉をひそめた。
警戒を解かずに、サラは影へと近付く。
「……?! どういう事?!」
これまで数多の物言わぬ肉塊を目にしてきたサラも、男の正体に絶句せずにはいられなかった。
大木に縋るように倒れていたのは、エーミール・フェルザー。長年サラ達が秘密裏に調べ、現在進行形で証拠を揃え、先程わざと逃がしたばかりの相手だった。
彼は今夜のサラ達の働きにより、数日後には死体損壊の罪で警察に聴取、その後至って穏便で平和な方法でエリオット率いる王家の私設部隊”植物”へと身柄が渡る予定だったのだが。
まだ温もりの残る体は小さな万年筆を抱く。
それはサラ達が必死で探し、証拠の品として押収するはずだった故王妃アメリアの私物。
「……可哀想に……」
瞬時に全てを悟ったサラから、幾度も紡いだ台詞が重く、漏れる。
仇敵の悲愴の浮かぶ死に顔に、後ろの彼もまた、同じ推測へと行き着いたのだろう。彼の顔には驚きよりも悲哀が浮かんでいた。
念の為と脈を確かめ、サラは筋張った首に突き立ったナイフを抜いた。無意味なことと知りつつ、それは彼の腕の中にある方が良い気がしたのだ。
最期の血飛沫は闇夜に霞み、従順に役目を果たしたそれは主へのはなむけの如く宙に紋を浮かばせる。
「これが……悪魔なのね……」
サラはナイフをそっと、エーミールの傍へと置いた。数十年前、とある魔術師が弟子の幸福を祈り、慈愛と覚悟を込めて託したそれを。
「……ああ。でも……馬鹿だからかな。俺にはあれの行いが……平凡で、一種の救いに見える時がある」
サラの横で屈んだ彼の碧眼が滲む。すぐ傍であの、忘れもしない叫び声達が聞こえた気がする。
「私もよ。でも……私はこんな救いが一番良かったなんて、思えないわ……」
稲妻を纏う真白き翼に寄り添う漆黒の爪――サラやアメリアの古巣、王家の影を担う植物の忌まわしき紋は、大事な物を必死で守る獣の一番近くで溶けて、消えた。
0
お気に入りに追加
25
あなたにおすすめの小説
義兄様に弄ばれる私は溺愛され、その愛に堕ちる
一ノ瀬 彩音
恋愛
国王である義兄様に弄ばれる悪役令嬢の私は彼に溺れていく。
そして彼から与えられる快楽と愛情で心も身体も満たされていく……。
※この物語はフィクションです。
R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。
【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜
なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」
静寂をかき消す、衛兵の報告。
瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。
コリウス王国の国王––レオン・コリウス。
彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。
「構わん」……と。
周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。
これは……彼が望んだ結末であるからだ。
しかし彼は知らない。
この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。
王妃セレリナ。
彼女に消えて欲しかったのは……
いったい誰か?
◇◇◇
序盤はシリアスです。
楽しんでいただけるとうれしいです。
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
悪役令嬢は王太子の妻~毎日溺愛と狂愛の狭間で~
一ノ瀬 彩音
恋愛
悪役令嬢は王太子の妻になると毎日溺愛と狂愛を捧げられ、
快楽漬けの日々を過ごすことになる!
そしてその快感が忘れられなくなった彼女は自ら夫を求めるようになり……!?
※この物語はフィクションです。
R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
何もできない王妃と言うのなら、出て行くことにします
天宮有
恋愛
国王ドスラは、王妃の私エルノアの魔法により国が守られていると信じていなかった。
側妃の発言を聞き「何もできない王妃」と言い出すようになり、私は城の人達から蔑まれてしまう。
それなら国から出て行くことにして――その後ドスラは、後悔するようになっていた。
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる