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君を想えばこそ、なれど

君を想えばこそ、なれど ② ☆

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「ノア、今頃楽しんでるかな……」

 夜になり冷え込んできた室内で、ふとエリスはページをめくる手を止め呟いた。
 仲の良いシンハと信頼する元上司との再会。ノアには楽しんで欲しいと思う反面、まだ帰らないのだろうかと少しだけ待ち遠しく思う自分もいる。

 食事も次回調査の準備も終わらせ、それでも時刻は午後八時半。ノアが屋敷へと帰ってくる気配はまだない。

(だめだめ、今は大事な時。私は私の出来ることを進めないと)

 邪念を振り払い、エリスは本へと意識を戻しペンをとった。

 今エリスが読んでいるのは先日ノアから手渡されたものだ。『魔法と契約』――主に神獣や天使、悪魔や精霊との契約の概要やその方法、事例などが載っている。

 ナールからの話を聞いた時、その方面に明るくないエリスは彼の言っている事の全ては理解出来なかった。

 そもそも途中からノアは会話が出来ない状態であった。

 話を早く進める為という外面的な理由意外にも、何かノアにその時に発言されては都合が悪い事情――例えばナールの微細な嘘を訂正され、曖昧な文言の意図を明確にされては困る等――があったと考えれば、あの時ナールの言ったこと全てが真実とは限らなくなる。

 だからまずは出来うる限りノアに以前の契約内容を確認し、書物等で魔法を介した契約について学んでおくべきだとエリスは考えた。


 早速ノアに尋ねてみると、彼はいきなりエリスを抱き締め、すぐにこの本と用意してあったであろうメモを手渡してくれた。「契約の決まりについては僕が説明するよりも早いし詳しいと思う。勿論書斎は僕達のなんだから、自由に使って」と寂しそうに笑って。
 
 エリスは二つに折られた薄茶の紙を開く。
 ノアから手渡されたメモだ。


【ブラッドとの当初契約

 ●王位継承者と能力継承者の選定権……継承者の死によって次の選定が行われる。各個別々の継承可。
 ○両継承者各々の能力の使用・新たな契約の提起。

 ノア・マリーツ・エリオット・ルイス・ファン・デル・ライとの契約

 ●契約者の願いが叶った場合は、以前の契約の際に生じた証(枷)を二つ解除する。契約完了時、能力の使用の一部権利が戻る。
 ○両親の死の真相究明に関してのみ、一日の能力使用回数の限度の撤廃と使用可能能力の権限範囲を拡大する。
 契約が破られた場合は双方にペナルティが科される。

 また契約はナールの魔力を元とした魔法による期限付き契約であり、効力の証を互いに創り、一定期間持たねばらない。二者間の期限付契約の詳細は本に。


 あまり役に立てずすまない。書斎は自由に使って欲しい。 ノア】
 

 小さく書き添えられた最後のメッセージからも、ノアはこれ以上エリスに詳細を伝えられないように思える。

(でもこのメモと本を頼りに調べれば、ある程度わかる事もあるんじゃないかな? ノアがただ確認する為だけにメモを用意してたとは思えない。)

「よし……!」

 エリスはメモを畳むと手渡された本、ぎっちりと詰まった文字の羅列へと視線を戻した。

「えっと……『契約は双方又は主契約者がその内容をどちらかの言語を使用し示し合い、互いに認めあった場合にのみ締結、有効とされる。この認め合う場合とは以下の三つを指す。また契約内容については見解が別れており、先の287頁に記した内容が含まれていない場合はこの限りでないと提唱するのは叙事詩『リオンの竪琴』を正式なる禁書と扱う……』」

 頭に入れる為にも呟きながら読み、時折時計を見ては五分しか経っていない事に苦笑しつつ、エリスは重要事項を書き写していく。

(帰りはまだまだ、よね。私、まるでお母さんの帰りを待ちきれない子供みたい。でも子供……かぁ。ノアともいつか……わ、私ったら気が早くない? でもノアもちょっとそんなこと言っていたような……。ずっと一緒に居たいな。ノアの傍に居たい。……その為にも今は最低限の知識くらいは入れておかないと!)


 何度か時刻を確認し、小一時間ほど経った頃。

 ふと、エリスはノアから貰ったペンダントを胸元から取り出した。彼の事を想っていたから為だろうか、それとも部屋が冷えてきた為だろうか。青く澄んだ石が普段よりも熱を持っているように感じたのだ。

(気のせいかな……?)

「そんなに大事にしてくれると、あげた甲斐があるね」

 突然の声にエリスは反射的とも言うべき速さで振り向き、立ち上がる。

「っノ、ノア?! おかえりなさい!」
「ただいま」

 待ち遠しく思うあまり、かなりぼんやりしていたのかもしれない。ノアの帰宅にエリスは全く気付かなかった。

 一方、ノアは鼻歌が聞こえてきそうな程に上機嫌だ。唖然とするエリスの手を取り、流れるような仕草で腰に手を回す。

「僕の可愛いエリス。何をしてたの?」
「ええと……必要な資料を読んだり、あと次回の調査に向けて私なりに魔鉱石の考察とか」
「へぇ。随分熱心だね」
「そうだ、この間の調査で気になったことがあって、動植物についてなのだけれど……」
「ああ。それはまた今度ね」

 それだけ答えるとノアはにこりと微笑む。意外な反応にエリスは瞳を瞬かせた。

(酔ってるのかな……? たしかノアはお酒に弱かったし……)

「ふふ。ねぇ? エリス。毎晩我慢ばかり。そろそろ僕も限界だ。今夜はベッドで君の淫らな姿が見たいよ」
「えっ……⁈ み、みっ……⁈」
「ああ。今晩くらい良いだろう? またいやらしい声で喘いで、俺の好きにして欲しいって腰振ってねだってくれよ」

 直接的な言葉の連続にエリスは口を開け閉めし言葉を見失う。
 ときめきや羞恥心などはとうに通り越し、これは本当に己の知るノアなのかとの混乱にまで至りそうだ。素面で無いとしか考えられない様だった。

(お酒は人を変えるって言うけれど、一体どうしたの⁈ 今後、お酒だけは気を付けないと……)

「ねぇ? 何考えてるの?」

 端正で非の打ち所のない顔が更に近付く。苛立ったような声音とは裏腹に、青い瞳は細まり唇は弧を描いている。

「エリスは俺の事だけ考えてれば良いんだ。朝も昼も夜も」
「ノア……?」

 それはほんの少しの奇妙な感覚。
 ざらりとした異質なそれはエリスの中を撫で、摩り、挑発するかの如くその場で燻り続ける。懐かしさとも、恐怖とも、切なさとも異なるが、エリスはそれを知っている。ただそれだけはハッキリとわかる気がした。

 己の感覚を正しく認知する間もなく、エリスは顎を上向かせられる。

 胸が焼けるように熱く、目の前の青の瞳は背筋が凍るほど冷たい。
 揺らめく瞳に初めて恐怖を感じた時に、目の前の青年は動きを止めた。


「なにやってるの?」

 否。冷たい声が動きを止め、引き剥がすように青年の肩を引く。

 驚くエリスは声の主の姿を見て、更に目を見開いた。
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