上 下
23 / 76
変わらないもの、変わっていくもの

変わらないもの、変わっていくもの ③

しおりを挟む
「やっぱりあんな大金を全部ノアに払って貰うのはやっぱり良くないというか……」

 これはエリスのわがままだ。一緒に進むならばノアと対等でありたいからという、それらしい理由をつけた見栄。罪悪感から逃れたいだけの我儘だとは自覚している。

「ノアの気持ちは嬉しい。けど私がこのまま隣に居るのは嫌だって……それだけなんだけど」
「そうか……。ごめん。エリスがお金のことで負い目を感じてしまう気持ちをもっと汲むべきだった……ならエリス。こうしない? ひと月、エリスは僕の仕事の手伝いをする。成功報酬は金1億5000万グル、でどう?」

 項垂れたのも束の間。名案だとばかりにノアは顔を明るくさせる。対してエリスは手放しには喜べない。つい眉根をよせ、窘めるようにノアに告げてしまう。

「その……要求ばかりで申し訳ないんだけれど、一般人の私が手伝える事なんて限られてないかしら? どう考えても報酬と見合わない気がするわ」
「そうかな? 危険だし、リスクの方が大きいから僕以外は皆嫌がってたよ。大きな手柄をたてられる絶好の機会なのにね」

 苦笑いし肩を竦めるノアにエリスは未だ眉間のしわを解かない。

「そんなに重要な案件なの?」
「陛下直々の命令だから、まあそうかな?」
「それは尚更……こんな所で私に言っていいものなの?」

 呆れるエリスにノアは断言する。

「大丈夫だよ。単なる地質調査の話をここでエリスにするのに問題なんてある訳がない」

 その言葉にようやくエリスは少しだけ安堵し、先を促した。
「なら良いけれど……。手伝える事なんてあるかしら?」
「あるよ。人手が必要なんだ。目立たない為にも一般の人の方が助かるけど……危険も事情も何も話さずに頼むのは良くないと思って。……実を言うと最初からエリスに頼むつもりだったんだけどね」

 ノアは悪戯を仕掛けた子供が種明かしをするように笑うとエリスへと手を差し出す。一瞬前の悪童のような表情は、既に誠実な青年のものへと変わっていた。

「危険は承知の上で頼みたい」

 曇りなき青の瞳がエリスを見つめる。エリスもまた、迷いなく差し出された手をしっかりと握り返した。

「わかった。報酬分……は難しいけれども精一杯努力するわ」

 懐かしい感覚に、自然と頬が綻む。
 エリスとノアは幼馴染みで、恋人で。そして誰よりも信頼する友人だった。その事を今になってエリスは思い出した気がした。

(お金の代わりに何か返したいなんてわがまま言っちゃったから。せめて頼んで良かったって思ってもらわなくちゃ!)

「ありがとう、エリス」
「ううん。こちらこそありがとう、ノア。久しぶりね。こういうの」
「そうだね。またエリスと一緒に何か出来る……幸せだ」

 不意に。握手を交わした左手の甲に柔らかなそれが触れる。一瞬で懐古の感動も驚きも吹っ飛んでしまう。あっという間に頬に熱が集まり、真剣な眼差しがエリスを捕えた。

「エリスの事は絶対に僕が守りきる」
「ノ、ア……」
「エリス……」

 ノアの澄んだ瞳の奥に熱が灯る。エリスは思わず羞恥に俯くが効果は薄い。鼓動は瞬時に速く、頬も熱くなってしまう。

「あ……えっと」
「明日、洞窟で話をして、まだエリスの気持ちが変わらないようだったら……良い?」

 するりと左手を取られ、指輪越しに薬指を撫でられた。僅かな違和感を感じて顔を上げれば、眉間に皺を寄せ唇を噛むノアが目に入る。
「……それとも僕とはまだ、そういう事をする気持ちになれない?」
「あ……!」

 そこでようやく、エリスは指輪の存在を思い出す。熱くなっていた頬から熱が一気に引く。

「ノア、ごめんなさい。これはその、説得するのに……あれ? えっ?」

 エリスから間抜けた声が漏れる。指輪が全く外れないのだ。ぴったりはまっている等というレベルではない。錆びついたかんぬきのように、指輪はびくともしない。

「外れないと思う。何度やっても駄目だった」
「えっ?」

 ため息と共に、ノアからとんでもない事実が告げられた。

「かなり強い魔法が指輪そのものにかかってるみたいなんだ」
「こんな? 指輪に??」

 表現はベークマンに失礼かもしれないが、所詮それらしく見えるように用意した偽物だ。
 それにベークマンからは一度だって執拗な感情を向けられた事などない。こんなに小さなものに手の込んだ魔法をかけるなど、魔術師でもないベークマンがわざわざ人に頼んでするだろうか。

「うん。指輪はよくある安物だけれど、魔法をかけた魔術師はかなり腕が良いんじゃないかな。悔しいけれど僕の力じゃすぐには外せない。だからそれは追々……」

 何かが頬の脇を通り過ぎる。それが細身だが鍛えあげられた腕だと理解する前に、エリスの視界が反転した。

「僕がきちんと外す。薬指には僕からの指輪をして貰う」
「あ、えっ……っ、ん」

 首筋にそっと押し当てられた唇の柔らかさに、エリスから甘ったるい声が漏れる。ノアは左手を執拗に弄りながら、強くエリスを抱き締めた。

「はぁ……婚約の話を聞いて、気が狂うかと思った。もしあいつに、周りに話を合わすためだって尤もらしい理由付けられて……指輪だけじゃなくて、こんな風に夫婦がするようなこと求められたら。エリスはどうするつもりだった?」

 思いもかけない問いにエリスは目を瞬かせる。ぴったりと合わさった胸の心音は二人同じ速さを刻む。

「その、丁重にお断りして代案を出すなりするつもりで……っあ」
 必死に応えるエリスの首筋に、再び唇が触れた。熱い吐息と共に余裕の無いノアの声が耳朶を掠める。ノアから与えられたものと言うだけで、些細な刺激も特別な意味を持つ。

「無理矢理される可能性は? こうやって密室に二人きりになったら」
「あ……ならな、いっ……」
「っは、ぁ……今みたいに逃げられないんだよ?」
「で、でも、ノアみたいに……」
「あいつはだから? 僕みたいにその場を利用して迫ったりしない?」

 掠れた声で嘲笑するノアに、羞恥や恋情とは別の感情がエリスの胸を締め付けた。
 『紳士』だから『自分』とは違う。その台詞にはノアの複雑な感情が表れている気がした。

「誤解よ! ベークマンさんとはお店や外でしか会わなかったし、あの人には他に恋人がいて、私に興味が無いのはすぐにわかったから……っ」

 ノアの表情が固まって、エリスは飛び出た言葉の不用意さに気付く。

 罪悪感を持つ必要も無ければ、負い目を感じる必要も無いと。ノアの不安を払拭してあげたい気持ちから出た言葉なのに。
 これではまるで、好意を持つノアとは二人きりになった時にどんな危険があるのか自覚し、今晩はそれを承知で部屋に来たように聞こえる。もしくは言い訳がましく聞こえたかもしれない。

「……その、ノアは私のこと…………でもそこはちゃんと……その、信頼してたと言うか……」

 真っ赤になりながらしどろもどろに新たな弁明をするエリスに、ノアの眉がハの字に下がる。

「それは嬉しいような、危機感は持って欲しいような……ごめん。さっきみたいなことした僕が言えないね……」
「大丈夫! その、こういう風になると思ってなくて……気にしないで!」

 エリスの頬をノアの手が包んだ。ほんのりと赤く染まった耳と、真夜中を写す湖のような瞳に心臓が跳ねる。

「ありがとう。エリス。これからもよろしく」
「う、うん……。よろしく! ノア!」

 子供のような返事をするエリスにノアもはにかむ。二人の頬が同じ色に染まっているのは、ランプが灯す光のせいだけではないだろう。


 コマドリとフクロウの声が遠くから聞こえる。止まっていた二人の時間は、再びゆっくりと動き始めていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜

なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」  静寂をかき消す、衛兵の報告。  瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。  コリウス王国の国王––レオン・コリウス。  彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。 「構わん」……と。  周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。  これは……彼が望んだ結末であるからだ。  しかし彼は知らない。  この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。  王妃セレリナ。  彼女に消えて欲しかったのは……  いったい誰か?    ◇◇◇  序盤はシリアスです。  楽しんでいただけるとうれしいです。    

義兄様に弄ばれる私は溺愛され、その愛に堕ちる

一ノ瀬 彩音
恋愛
国王である義兄様に弄ばれる悪役令嬢の私は彼に溺れていく。 そして彼から与えられる快楽と愛情で心も身体も満たされていく……。 ※この物語はフィクションです。 R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

悪役令嬢は王太子の妻~毎日溺愛と狂愛の狭間で~

一ノ瀬 彩音
恋愛
悪役令嬢は王太子の妻になると毎日溺愛と狂愛を捧げられ、 快楽漬けの日々を過ごすことになる! そしてその快感が忘れられなくなった彼女は自ら夫を求めるようになり……!? ※この物語はフィクションです。 R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

何もできない王妃と言うのなら、出て行くことにします

天宮有
恋愛
国王ドスラは、王妃の私エルノアの魔法により国が守られていると信じていなかった。 側妃の発言を聞き「何もできない王妃」と言い出すようになり、私は城の人達から蔑まれてしまう。 それなら国から出て行くことにして――その後ドスラは、後悔するようになっていた。

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。 あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。 その時までは。 どうか、幸せになってね。 愛しい人。 さようなら。

処理中です...