上 下
8 / 13

8 同等の言葉の痛み

しおりを挟む
 テーブルの食器を片づけ、パソコンを立ち上げて椅子を二つ並べた。
 昨日の文章に多少手を加えただけの私の体験を基にした短編をもう一度読んでもらい、数分で読み終えた榛さんは、難しい顔つきでモニターを睨んでいた。

「会社名や、勤続年数は変えてあるんだね」
「えっ、うん。そのまま会社名書くのは流石に拙いかなって思って。社名は一部だけ変えて村本とか、村谷とか、岡田、上田とか幾つか候補は考えたんだけど、しっくりこなくって。それならXX製作所でもいいかって思って。勤続年数も5年から10年に代えて、社員数も本当は少ないのに400人以上にしちゃった。会社も北陸にあることにしたから、私の事を知っている人が読んでも気が付かないかもしれないけどね」
 一葉が勤めていたのはもっと少ない従業員数で立地場所は都内だった。
「でもまぁ、セラミックコンデンサを扱う会社として有名だから、読めばきっと以前勤務していた人が書いたものってことはばればれになるんだろうけど」
 検索ワードで調べればランキングは上位で表示される会社名だ。

「ああ、まあね。でも一葉、相当酷い目に遭ってたんだね。もっと早く知っていれば俺も何か出来たかもしれないのに。悔しいな。力になってあげれなかった」
 数日前に比べれば気持ちが前向きになっているのを感じている。榛さんの凛々しい顔が罪悪感を感じてか暗くなっている。彼は全然悪くないのに。こうやって親身になって話を聞いてくれるだけでどれだけ私は救われているか。
「ううん、その言葉だけでも嬉しい。ありがとう。榛さんにこうやって知ってもらっただけですっきり出来たもん」
「すっきりって・・・。一葉の気持ちが軽くなることは良いことだと思うけど、相手の事まで許しちゃ駄目だからね」
「どういうこと?」
 私にはよく意味が分からなかった。
「一葉の心に傷を負わせた相手が今でも心から罪の意識で苛まれているとしても、許さなくていいってこと。今更名乗り出ることはするはずないだろうけど、相手が分かったとしても、だよ。金銭的な事だけは弁償出来るかも知れないけど、心に傷を負わせたまま数年生きるってことがどれだけ辛いか一葉は身をもって体験したでしょ?周り中が加害者かもしれないと疑いながら仕事をするってある意味拷問だよ」
 榛さんは私の肩を引き寄せると、抱きしめる様にして私を温めてくれた。
「それに加害者を野放しにして、被害者だけが貧乏クジを引いて泣き寝入りさせるなんて絶対にその会社も間違っていると思う」
 きっぱりと真剣な声が耳元から聞こえる。
「実際に警察に行って、その現場写真を撮るのに警察官が出入り業者を装って会社の作業現場に来るなんて始めて知ったよ」

 私も上司に説明され現場に警察官が来ることは聞かされてはいたが、実際に現場に来た人が警察官には見えない服装をしていたから驚いたのを覚えている。

「ちょっと俺の考えを言っていい?」
 抱き寄せられたまま私は頷いた。
「ロッカーでの盗みと、財布ごと盗んだ犯人は俺も別の人間だと思うんだ。ロッカーは女子じゃないと入れないのだから女の犯行だろうし、なるべく犯罪がバレないように少額のお金しか盗らなかったんだろ?でも財布丸ごとというのは、数枚盗むよりリスク大きさは違うよね。お金以外にカードも入っていたというのなら下手をすれば限度額いっぱいに不正使用されてた可能性だってあるんだから。でも金額の多い少ないはあれど窃盗は犯罪だ。被害者を退職したいとまで追い込ませて、加害者を会社に居残らせるっていうのは長い目で見ればマイナスにしかならない」

「どうして?」
「反論出来ない弱い者をターゲットにして自分の欲とスリルを満足させてるやつは、自分の貰ってる給料に満足してないからやってるんじゃない。そういうやつはターゲットが居なくなればまた新たなターゲットを探して何度だって繰り返す。で、たまに運悪くお金が無くなったと誰かが騒いでも、現行犯で見つからない限り犯人を特定したくない会社側としては、なあなあに済ます。窃盗位軽犯罪だからと言って犯人を探す事もしない上司もある意味犯罪に加担してると言っていいと思うけどね。だって次の犯罪が予測出来るのに何も手を打たないってことだから。まあ、その上司の主任が犯人という可能性もなきにしもあらずといったところかな?だって警察に行っても、一葉には財布を落としたって届け出ろって言ったんだよね?」
 今日書き加えた文章の一部分のことだと直ぐに分かった。

 私は、重く「うん」と答えた。
「何処の会社でもそうなのかは知らないけど、財布にクレジットカードを入れてたから、悪用されないように直ぐにカード会社に連絡取ったの。そしたらどう理由で無くしたかと聞かれたから会社で財布ごと盗まれたって言ったら、警察に盗難届出して下さいって言われたの。取り敢えず次の日に仕事が終わってから警察に行こうと思って念のために上司に報告したら、落としたことにして届け出を出しないって言われて・・・。すっごいショックだったのを覚えてる」
 財布を盗まれたことも勿論ショックだったが、同等に思える程にその一言に私はショックを受けたのだ。
「それはショックを受けて当たり前。その上司の更に上からの指示や会社の考えだとしても、だ。その主任って人としても最悪だね。自分達の社内で起こったことなんだから、犯人は不特定多数の人間じゃなく、絶対に社内の人間なのは間違いないのに。犯罪を揉み消すよう被害者に一葉に命令したんだから」

 ああ、そうか。私は上司に犯罪をもみ消す様に命令されたのか。
 榛さんに言われて今頃理解してるなんて。
「ずっとね、こんなちょっとしたストレスでしょっちゅう目眩や吐き気に襲われるのって、加害者が不幸になればいいのにって心の何処かで思ってるから、跳ね返ってこうなってるのかなって自分でそう思ってたの。人を呪わば穴二つって言葉があるでしょ?だからかなって」
 自分ではすっきりしたと言いつつも、やっぱり心の奥底ではどこかでは納得出来ていなかったのかもしれない。
「それは絶対に違うから。眩暈や吐き気は確かに頸椎症のせいもあるだろうけど、一葉の場合そうじゃなくて、心が言葉を話せないから悲鳴をあげて助けを求めてるからでしょ?心が弱いからじゃなくて、優しいから。そういう一葉の優しさに付け込んだ加害者が犯罪者と呼ばれるべきであって、罰を受けるべき対象なんだから。---悔しいな、同じ会社に居たら絶対にこんな一人で背負いこんで、辛いおもいばかりには羽目にさせなかったのに」

 優しい言葉に私はぽろっと涙を流してしまった。そんな私を痛ましそうに見つめながら榛さんに無言のままベッドへと連れていかれ、壁に寄りかかった彼の足の間に挟まれ座らされた。私は向かい合わせにただ抱きしめられた。
「ごめん、泣かせるつもりは無かったんだけど」
 私は涙を彼の服に吸わせながらゆるゆると首を振った。ゆっくりと後頭部を撫でる大きな手に温もりと優しさを感じながらも溢れ出た涙は止められなかった。

「もう一晩、俺をここに泊めてくれる?ずっとこうしていたいから」
 返事の代わりに私は両腕を榛さんの背中に回して抱き付き、ぎゅっと力を込めた。
 その日はもう一つの小説を読ませることなく、約束通り一晩中ただ抱きしめられた。穏やかで安穏な時間が過ぎていった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

セカンドラブ ー30歳目前に初めての彼が7年ぶりに現れてあの時よりちゃんと抱いてやるって⁉ 【完結】

remo
恋愛
橘 あおい、30歳目前。 干からびた生活が長すぎて、化石になりそう。このまま一生1人で生きていくのかな。 と思っていたら、 初めての相手に再会した。 柚木 紘弥。 忘れられない、初めての1度だけの彼。 【完結】ありがとうございました‼

【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!

楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。 (リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……) 遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──! (かわいい、好きです、愛してます) (誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?) 二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない! ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。 (まさか。もしかして、心の声が聞こえている?) リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる? 二人の恋の結末はどうなっちゃうの?! 心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。 ✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。 ✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

読み聞かせ令嬢の誤算

有沢真尋
恋愛
つつましく生きて来た貧乏貴族のリジ―。 このたび晴れて決まった勤め先は、なんと第三王子の家庭教師。   (絶対にこの仕事、ものにしてみせる! 貧乏生活脱出!) 強い決意を胸に王子のもとに乗り込んではみたものの、待ち構えていたのはたいへん麗しく、たいへん意地悪な王子様で……

隠れ御曹司の愛に絡めとられて

海棠桔梗
恋愛
目が覚めたら、名前が何だったかさっぱり覚えていない男とベッドを共にしていた―― 彼氏に浮気されて更になぜか自分の方が振られて「もう男なんていらない!」って思ってた矢先、強引に参加させられた合コンで出会った、やたら綺麗な顔の男。 古い雑居ビルの一室に住んでるくせに、持ってる腕時計は超高級品。 仕事は飲食店勤務――って、もしかしてホスト!? チャラい男はお断り! けれども彼の作る料理はどれも絶品で…… 超大手商社 秘書課勤務 野村 亜矢(のむら あや) 29歳 特技:迷子   × 飲食店勤務(ホスト?) 名も知らぬ男 24歳 特技:家事? 「方向音痴・家事音痴の女」は「チャラいけれど家事は完璧な男」の愛に絡め取られて もう逃げられない――

婚約破棄されたら魔法が解けました

かな
恋愛
「クロエ・ベネット。お前との婚約は破棄する。」 それは学園の卒業パーティーでの出来事だった。……やっぱり、ダメだったんだ。周りがザワザワと騒ぎ出す中、ただ1人『クロエ・ベネット』だけは冷静に事実を受け止めていた。乙女ゲームの世界に転生してから10年。国外追放を回避する為に、そして后妃となる為に努力し続けて来たその時間が無駄になった瞬間だった。そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、王太子であるエドワード・ホワイトは聖女を新たな婚約者とすることを発表した。その後はトントン拍子にことが運び、冤罪をかけられ、ゲームのシナリオ通り国外追放になった。そして、魔物に襲われて死ぬ。……そんな運命を辿るはずだった。 「こんなことなら、転生なんてしたくなかった。元の世界に戻りたい……」 あろうことか、最後の願いとしてそう思った瞬間に、全身が光り出したのだ。そして気がつくと、なんと前世の姿に戻っていた!しかもそれを第二王子であるアルベルトに見られていて……。 「……まさかこんなことになるなんてね。……それでどうする?あの2人復讐でもしちゃう?今の君なら、それができるよ。」 死を覚悟した絶望から転生特典を得た主人公の大逆転溺愛ラブストーリー! ※最初の5話は毎日18時に投稿、それ以降は毎週土曜日の18時に投稿する予定です

あなたの心臓に愛を捧げて

天使 逢(あまつか あい)
恋愛
 持病を持っている主人公、九条梓音(くじょう しおん)は自殺をしようと、橋の上から飛び降りようとしたが、桜色の瞳をした少女、天使楓(あまつか かえで)に助けられた。 それから、彼女は自殺をさせまいと必死に梓音を助けていく。 自らの持病を欠点と思っている梓音は、楓に励まされながら日々を生きていく。 甘く切ない、物語。 ほんの少しのノンフィクションが混じっていますが、この作品の持ち味として生かしていくつもりです。 そしてこの作品も不定期更新です。

処理中です...