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三年生
126 エルダー様の進む道 ※エルダー視点
しおりを挟む「坊っちゃま、手紙が届いております」
書類から目を離して声の方を見ると、ピンと背筋の伸びたシュトレ公爵家の老執事がトレーを持って立っていた。
「坊っちゃまは止めてって言ってるのに」
「申し訳ございません」
口では謝罪を述べながら、坊っちゃま呼びを全く止める気配のない老執事に溜息が出そうになった。
この執事はお爺様の乳兄弟で、僕どころか僕の父親が生まれた時から知っているのだ。
僕のことを孫のように思ってくれているのはありがたいけど、お爺様同様愛が重くて、いつまでも子供扱いしてくるのはいただけない。
この前、もう成人したから坊っちゃま呼びを止めないと返事をしないと言ってみたら、坊っちゃまが反抗期を迎えられましたとお祝いをされてしまった。
あんな羞恥パーティーは二度と御免だ。
僕は溜息を飲み込んで手紙を受け取った。
「ユランからだ」
ハイベルグ公爵家の灰色がかった青い蜜蝋で封がされた手紙を開く。
「ああ、春祭りが終わったんだ。去年は半日で中止になっちゃったからね。盛況だったみたいで良かった」
領地幽閉になってから、ユランを筆頭にウィルやオリビアからもこうして手紙が届く。
ライリーは筆まめではないし、レオナルド殿下は立場上僕に手紙は出せない筈なのに、たまにユランやウィルの手紙と一緒に入っていることがある。
今回はレオナルド殿下からの手紙が入っていた。
第二王子であるアーサー殿下が、執着軽減の魔道具をつけて落ち着いたことで、被験者の募集に人が殺到しているようだ。
そのおかげで、以前の首輪型なら誰に対しても同じくらいの効果があったのに、腕輪型だと個々の魔力量や執着の度合いによって利き目が異なることが分かったらしい。
僕がつけている魔道具も、調整が必要かもしれないとの内容だった。
僕の両手には、ウィルが送ってくれた新しい腕輪型の魔道具がついている。
お爺様も同じものをつけているけど…。
「僕は大丈夫だけど、お爺様にはもう少し効き目が強い方がいいかな?」
言われてみれば、腕輪型になってからお爺様が前よりしつこくなった気がする。
「返事を書くから、待ってて」
「畏まりました」
ピシリと背筋を伸ばしたまま、壁際に下がる老執事。
お爺様にしてもこの執事にしても、年齢を感じさせない覇気と所作だ。
ほかの使用人達の話しによると、僕が来てから凄まじい勢いで元気になったらしい。
「年相応のままでも良かったのに」
「坊っちゃま?」
「何でもないよ」
小声で言ったのに聞こえたようだ。
耳もまだまだ達者だな。
去年の春祭りに執着を暴走させシェリルを誘拐した僕は、ウィルが研究していた執着軽減の魔道具の被験者になった。
最初のは首輪型だったけど、つけた途端に自分の中のドス黒い気持ちが真綿に包まれたように消えていき驚いたものだ。
シェリルのことが好きだという気持ちは変わらないけど、何かに追われるような焦る気持ちは無くなった。
ウィルがシェリルと婚約したと聞いた時も、少しモヤっとしたけど、ウィルならシェリルを笑顔に出来るだろうと祝福することが出来た。
シェリルは可愛い。
背が小さくて小動物みたいな上に、表情がコロコロ変わってつい苛めたくなってしまう。
でも同時に、守ってあげたくもなる。
相反する気持ちに振り回されて、僕は暴走してしまった。
シェリルの気持ちなんてお構いなしに、連れ去って閉じ込めようとしたのだ。
こんな僕じゃ、シェリルを笑顔にさせられないだろう。
「だから、これで良かったんだ」
手紙の返事を書きながら小さく呟くと、壁に張り付いていた老執事が少しだけ前に出て言った。
「大旦那様は、坊っちゃまがまだあのお嬢様をお望みなら、王家とことを構えてでも坊っちゃまにお与えになる用意があると仰っておりました」
「それ本気で止めてね」
やっぱりお爺様の魔道具は早急に調整が必要だし、ついでにこの老執事にも魔道具をつけた方が良さそうだ。
そして翌日。
「ようこそ、レイアー嬢」
「ふ、ふ、不束者ですが、よ、よろしく、おおお願いしますっ」
僕の妻になる人が到着した。
シュトレ派の子爵家の次女である彼女は、可哀想なくらい緊張している。
「ちゃんとした結婚式を挙げてあげられなくてごめんね。でも今日は、ささやかながら我が家の料理人達がお祝いの料理を作ってくれたんだよ」
「は、はい!あああ、ありがとうございます!」
僕は領地幽閉中だから派手な結婚式は挙げられない。
「レイアー嬢!よく来たな!」
僕の隣りに立つお爺様が声をかけると、レイアー嬢はビクリと肩を揺らして固まってしまった。
お爺様の声は大きすぎると思う。
「お爺様、レイアー嬢を脅かさないでよ」
「す、すまん」
固まってしまったレイアー嬢を見て、お爺様が縮こまってしまった。
お爺様との関係はまあまあ上手くいっている。
今までずっと、お爺様は僕のことが嫌いなんだと思っていたのに、実は僕に執着してたなんて最初はとても信じられなかった。
でも、魔術師の塔にいた僕のところにお爺様が来てから、お爺様が執着軽減の首輪をつけるまでの様子を見ていたら、信じるしかなくなってしまった。
それくらいお爺様の僕に対する執着は凄かった。
魔術師の塔の僕の部屋で寝泊まりしようとしたり、そのために見張りを買収しようとしたり、ひっきりなしに僕に張り付いて僕の機嫌を取ろうとしていた。
僕が観たかったなぁと呟いた公演をしていた劇団をシュトレ家で買い取ったと聞いた時、僕は初めて記憶にすら残っていない両親に感謝した。
家族がいない寂しさから拗らせてしまった自覚はあるけど、お爺様がずっと側にいたら拗らせるどころか人格が崩壊していただろう。
両親がお爺様を僕から遠ざけたのは、英断だったと思う。
執着軽減の魔道具をつけてからやっと落ち着いて話せるようになったけど、なまじお金と権力のあるお爺様を抑えておくのは大変だった。
戸惑いもあったけど、馬鹿みたいに愛情を押しつけてくるお爺様は嫌じゃなかった。
ずっと求めていた家族の愛情をやっと感じることが出来た。
思っていたより重かったけど。
「レイアー嬢、着いたばかりで疲れてると思うけど、先に少し話しがしたいんだ。いいかな?」
固まったままのレイアー嬢に声をかけ、縮こまっているお爺様を老執事に任せると、僕はレイアー嬢の手を引いて庭に出た。
王都より少し暖かいシュトレ領では、すでに薔薇が咲き始めている。
庭を案内しながら小さな泉の側にある東家に向かう。
到着した時には、我が家の優秀なメイド達がお茶の準備を終えていた。
「レイアー嬢」
お茶を飲みお菓子をすすめて一息ついたところで、僕は改めて彼女を見た。
濃い茶色の髪に灰色の瞳。
特別美人なわけじゃなく、どちらかというと地味な印象だ。
僕より四つ年上の二十歳だと聞いている。
「僕と結婚して、本当にいいの?」
「?!」
彼女の灰色の瞳が揺れる。
「聞いていると思うけど、僕はとある女性に執着を発症して犯罪を犯してしまった。今は領地幽閉の身なんだよ。でもシュトレ公爵家の血を残さなくてはいけない。だから君が呼ばれたんだけど……僕はシュトレ公爵にはなれないんだ。お爺様の後は僕の子供がシュトレ公爵になる」
レイアー嬢は揺れる視線をそっと落とした。
「僕と結婚しても君は公爵夫人になることは出来ないし、僕は王都に行くこともないから、華やかな生活をさせてあげることも出来ないんだ」
今、シュトレ公爵家の正当な血を引くのは僕だけだ。
親戚もいるけど、どこも血が薄れてしまって、シュトレの色である黒髪に紫の瞳はいない。
だから僕は、次のシュトレ公爵になる子を成さなくてはならない。
メネティス王国建国以来続く、シュトレ公爵家の血を絶やさない為に。
つまり彼女は、身を流れる血にしか価値の無くなった僕と、子供を作る為だけに用意された生け贄なのだ。
「今ならまだ帰してあげられる。家のことは心配しなくていい。僕がちゃんと守ってあげる。だから無理して僕と結婚しなくていいんだよ」
下を向いたままの彼女に、なるべく優しく聞こえるようにそう言って、僕は返事を待つべくお茶のカップに手を伸ばした。
「私……」
「うん」
「エルダー様お会いしたことがあるんです」
「え?」
彼女はそっと顔を上げた。
灰色の瞳に陽の光が差し込み、透明感が増した。
思わず目を見張った。
とても綺麗だった。
「王都のお友達の家で開かれたお茶会で。私の目を見て、神秘的な瞳だねと仰ってくれたんです」
僕はちょっとだけ彼女から目を逸らした。
そんなことなら誰彼構わず言ってた気がする。
「あ!もちろん、エルダー様が覚えているとは思っていません。エルダー様はいつも綺麗な女性達に囲まれていましたし、女性を褒めるのは水が低い方へ流れるのと同じくらい自然なことだと聞きましたから」
「………」
確かにその通りで返す言葉もないけど、何だか居た堪れない。
「でも、私、嬉しかったんです。私は見た目も性格も地味で、それまで男性に褒められたことなんてありませんでしたから」
彼女は僕を見て恥ずかしそうに微笑んだ。
その微笑みをちょっと可愛いと思ってしまった。
「この年までまともな縁談もありませんでした。生涯独身で過ごすのだろうと諦めていたんです」
彼女に縁談が来なかったのは、子爵家の経済状況が良くないせいだと思うけど。
「エルダー様は私の初恋なんです。だから、お話しを頂いた時、とても嬉しかったんです。私みたいな年上で地味な女なんて、エルダー様こそお嫌なのではありませんか?」
「嫌なんかじゃないよ!」
思わず大きな声を出してしまい、自分で驚いてしまった。
正直誰でもいいと思っていた。
でも嫌々結婚されるくらいなら逃してやろうと思っていた。
だって、僕は公爵にはなれない。
シュトレ公爵家も中央議会に戻れない。
王都で華やかな生活も送れない。
何より、ほかの女性に執着を発症して暴走し、誘拐という犯罪を犯した。
そんな僕と結婚したい人なんているわけない。
実際、様々な家に僕との結婚を打診をしたけど全て断られたのだ。
以前は僕に擦り寄っていた令嬢達にも、手のひらを返したように冷たくあしらわれた。
レイアー嬢も、実家の子爵家が経済的に困窮していて、さらにシュトレ派の一員であることから主家の命令に逆らえず、嫌々来たんだろうと思っていた。
初恋だとか、嬉しかったとか、そんな風に言ってくれるなんて思ってもいなかった。
彼女がいい。
これから先、一生一緒にいるのなら、僕の妻になることを嬉しいと言ってくれた彼女がいい。
「レイアー嬢」
「はい」
僕を見上げる灰色の瞳が、神秘的な輝きを放つ。
「僕の、家族になってくれますか?」
その瞳が、キラキラと輝いた。
「はい…」
そう言って花が綻ぶような笑顔になったレイアー嬢を見て、何とも言えない温かい気持ちに包まれた。
僕達はその夜夫婦になった。
僕は新しい家族を手に入れた。
これからきっと、増えていくだろう家族を笑顔にするために、僕は僕に出来る最善を尽くそう。
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