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近状報告+純文学とは。
しおりを挟む皆さんこんにちは、夜芒です。
前回の近状ボードへの投稿から数日ほど経ちまして、その間に短編小説をチラホラ執筆してはコンテストに応募しつつ、各サイトに投稿している次第です。
ですが始めたばかりですと閲覧数も少なく、正直こうしてWEB上に投稿したことが今まで無かったものですから、どのプラットフォームでどんなジャンルの小説が見てもらいやすいのか、ハッシュタグは何が人気なのか等、マーケティング的な要素も意識せざるを得ないと考えて少々億劫になっています。
というのも、私は現代の「ネット社会」が好きではなくて、そういった悪い側面の影響をもろに受けてきたものですから、少し前まではLINEやらTwitterなどの不特定多数の人間と繋がってしまうようなツールは触らないようにしておりました。執筆や読書の邪魔にもなりますしね。
しかし一生懸命造った作品がWEBという名の大海に埋もれるのは嫌だ、もっと色々な方に触れてほしい。
そうしてインターネットの良い側面を考えると利用しない手はない、とも考えたり。
大衆に、今の若い世代にはライトノベルのような堅苦しさのない小説の方がウケが良いのでしょうが、私はどちらかというと太宰治や夏目漱石、現代なら三浦しをんや池井戸潤、海外ならドフトエフスキーやコナンドイル等、俗にいう〈純文学〉?
古典的な物ばかり読んでいたので、そういった小説の方が親近感が湧きますし、目指すのであればそういうジャンルを意識して物語を書いていきたいです。
私が小説を書く以前はイラストレーターを職業として活動していたこともあり、沢山の方に自身の作品を閲覧してもらう為には何が必要なのかと日頃から工夫をしていましたが、やはり小説とイラストでは勝手がかなり違うので分析する要点も違うのだなと。
あまり多くのサイトを利用しても個人的負担が大きいですし、そこから更にSNSも運用するとなると「骨折り損のくたびれ儲け」になってしまう可能性が高い故に、ジレンマを抱えています……。
そんな中、公募しているコンテストをざっと探していた際に、かの有名な芥川賞に目が行きました。
よくニュースやテレビ番組で、子供の頃から見聞きしていた芥川賞、果たして「募集要項」はどのようなものなのかと。
調べてみたところ新人賞なので特に資格や経歴は必要ないとの事でしたが、しかし〈大衆文学〉ではなく〈純文学〉小説に限るとありました。
はて、その違いはなんぞや?
更に気になって調べてみると、
〈純文学〉は「国語の教科書に載っているような、夏目漱石や芥川龍之介らの書いた、いわゆる芸術性の高い文学作品のことを指す」とありました。
一方、
〈大衆文学〉は「今風に言えばエンターテインメント、娯楽性のある面白い読み物を指す」そうです。
んん? 夏目漱石や芥川龍之介の小説も、基本的に娯楽性がある作品だと思うのだが…
そもそもエンターテインメント、つまり娯楽性のない小説など、哲学書やビジネス系の類でなければ滅多に無いと思われる。(個人的に過去に読んだものの中では、マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」ぐらいだったかな、退屈だと感じたのは。)
また例に出しますが、ライトノベルと呼ばれるジャンルはまさに娯楽要素に振り切った作品形態だと思います。
小説を読む上でのハードルの低さや現代風の言葉遣いで台詞も多く、若い世代も気軽に読みやすいという長所がある。
一方、夏目漱石や芥川龍之介らの作品は表現や文体に「堅苦しさ」を覚えます。
しかし「こころ」や「羅生門」にしても、物語として書かれている以上は娯楽性があるし、実際に読んだことのある私も娯楽性があると感じる。
では、芥川賞応募のもう一つの条件に目を向けてみましょう。
「芸術性の高い」という点です。
これは言葉選びや描写を指しているものだと思いますが、では一体どんな表現が適しているのでしょうか?
個人的な見解ではありますが、例えば、
——すると、老婆は、見開いていた眼を、一層大きくして、じっとその下人の顔を見守った。眶の赤くなった、肉食鳥のような、鋭い眼で見たのである。それから、皺で、ほとんど、鼻と一つになった唇を、何か物でも噛んでいるように動かした。
こちらは「羅生門」から一部引用しました。
美しいというよりかは、作品に合った不気味な比喩表現ですよね。
もしくは、
——私は金に対して人類を疑ったけれども、愛に対しては、まだ人類を疑わなかったのです。だから他から見ると変なものでも、また自分で考えてみて、矛盾したものでも、私の胸のなかでは平気で両立していたのです。
こちらは「こころ」の十二章から引用しました。
読者が、この物語の主人公である「私」の現状に対して、「お嬢さんに好意を寄せている余裕があるのか?」と問うてくることを見越して言った台詞。
つまり物語の中から主人公が読者に「言い訳」をしている一節です。
「言い訳」といったら聞こえは悪いですが、言い回しとしては「芸術的」だと思いませんか?
——何を持って「芸術」とするのか?
これを断言するのは難しいですが、些細な動きや心理描写でも一言二言で片付けるのではなく、
『熟語や情景を駆使して表現すること』を求められているのでは無いでしょうか?
そもそも芸術なんてものは、感性の捉え方次第。
あの有名な「モナリザ」を見て美しいと感じる人いれば、ただこういう物なんだと納得する人、歴史的、学術的な側面から「モナリザ」を鑑賞する人もいるでしょう。
結論:
何らかの評価を受ける上で『批評する方の感性を釘付けにし、心を射止める事が出来るかどうか』という点でしょうね。
その工夫された言い回しや表現が芸術性であり、〈純文学〉とはそうした作品を指していて、
その他の哲学やビジネスなどの専門書を除いたものを〈大衆文学〉という括りで表しているのだと私は思いました。
長くなりましたが今回はこの辺で。
見ていただき、ありがとうございました。
--------------------
追伸:
自身の作品を広めるためにTwitter始めました。アカウント→ @Yoru_susuki_nvl
もし宜しければフォロー、いいね、RTをよろしくお願いします。
今後Twitterでは、小説のほかに自作の表紙絵や挿絵を単体であげるかも知れません。
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