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番外編
36 氷河の精霊を見つけたぼく 後 ※
しおりを挟む赤ちゃんは、なかなか大きくならない。
二歳になったから、成長速度が遅くなったのだろうと、父様が言った。
……乳母がいないのに、赤ちゃんのご飯は誰が用意しているのかな。
教育係はどこにいるんだろう。
毎日、おやつに出たお菓子を残しておいて、赤ちゃんの様子を見に行く。
僕の部屋にいた時は真っ白だったのに、今はうっすら汚れた床の色だ。
所々、赤ちゃんの毛がなくなっている部分に、黒いものがこびりついている。
もしかして血?
赤ちゃんがお菓子を食べている間に、部屋の中を見回す。
壁や床や家具に抉れたような傷跡。
絶対に赤ちゃんの爪の痕じゃない。
刃物で切りつけたように見える。
誰かが、僕の赤ちゃんを狙ってる?
連れてきた護衛騎士に、おちんちんをなめるから、赤ちゃんを守ってほしいと頼んだ。
みんな笑顔で約束してくれて、安心した。
護衛騎士がいない時には、城内で働く召使いや侍従や文官たちにも、食事を運んでくれるように頼んだ。
断る人もいたけれど、ほとんどの人が笑顔で引き受けてくれた。
よかった。
何人のおちんちんやびらびらをなめたのか、男たち、女たちの顔と名前が重ならなくなっていく。
後宮の建物は傷が増えて、暗殺者が仕向けられているのは間違いないと思った。
僕の赤ちゃんを守らないと。
僕のものだもの。
気持ち悪い。
くさい。
助けて。
今日、僕は赤ちゃんには名前が必要だと知った。
みんなが殿下と呼ぶけれど、僕にも名前があるように。
赤ちゃんにぴったりな名前は、どんなものが良いかを調べた。
あの赤ちゃんはたぶん〝クマ〟だ。
潜りこんだ図書室の書架から引っ張り出した、大きな辞書にクマはスノシティと書いてあった。
すごく遠いどこかの国の言葉。
響きが気に入った。
今日から赤ちゃんの名前はスノシティだ。
僕が名付けたから、僕だけが呼ぶ名前。
父様や母様に聞かれても秘密にして、教えないでおこう。
年々、王子としての勉強が増えていく。
スノシティに会いに行けない日が続いている。
暗殺者は、増えていく一方だ。
スノシティの専属護衛騎士を頼んだけれど、王の命令がなければ無理と言われる。
父様に頼んで、何度も飲んだのに、最後にはぐらかされた。
母様に頼んで、何度もなめたのに、笑ってごまかされた。
久々にスノシティのいる後宮に行けた。
嬉しい、ほら、抱っこしてあげるよ。
なぜか、スノシティが僕に牙をむく。
僕は嫌われるようなことをしてしまったのかな。
すごく、悲しい。
抱っこしたいのにできない、もう撫でさせてくれないの?
美味しいお菓子を、スノシティに持っていこうとしたのに、護衛騎士にとられて踏み潰された。
食べたらお腹を壊すって、本当?
苦しむ姿を見たくない。
スノシティが何を食べられないのか、調べないと。
十歳になった。
父様が、僕のお尻に陰茎を入れた。
いやだ、って言った。
やめて、って言った。
でも、父様の力で押さえつけられて動けない。
父様に『動くでない』と言われると、本当に体が動かなくなる。
痛くてくさくて気持ち悪くて。
死にたくなった。
スノシティに会いたかったのに、会えない。
守らなきゃ。
スノシティを守らないと。
十二歳になった。
前からお茶会の時に母様に何度も飲まされていたまずいお茶が、興奮剤入りだと知った。
気持ちよくなんてない、気持ち悪いだけだ。
死にたい。
でも、スノシティを残して死にたくない。
スノシティは僕のものだ、誰にも渡さない。
本で読んだ、寒い地方の氷河の精霊にそっくりの僕のスノシティ。
全身が長い真っ白な毛で覆われているんだ。
会いに行けない。
会いたい。
助けたい。
助けて。
死にたい。
死ねない。
……体を洗わなくちゃ。
汚いから。
ようやく会えた、眠るスノシティは可愛い。
傷の手当てをしてあげたいけれど、触れない。
僕は汚い。
男たちの精液や、女たちの淫液に浸されて汚染されてしまった僕は、もうスノシティを抱っこできない。
スノシティを自由にしてあげたい。
僕は手遅れだ。
いつか僕が、そう、いつか国王になったら、自由にしてあげられるかも。
愛しいスノシティ。
ずっとスノシティが僕の生きがいだった。
つらくても苦しくても、スノシティが生きていると思えば、耐えられた。
僕には耐えることしかできない。
僕は気が狂うような目に遭っても、狂うことができないから。
狂えてしまえたら、どれだけ良かったか。
耐えるしかない。
希望を持って。
唯一の希望を。
秋になって僕は二十三歳になった。
玉座は遠い。
いつになったら、父は退位するのか。
父を亡き者にしたくても、僕に力を貸してくれる者がいない。
なめようが咥えようが体を与えようが、誰も彼も僕の体を使うだけだ。
僕のことを思ってくれる人はいない。
幼い頃は、いたような気がする。
父様に苦言を呈していた宰相。
僕の頼みを聞いてくれなかった護衛騎士、召使いたち。
みんな、いなくなった。
きっと彼らこそが善良な人々だったのだ。
やり直せるなら、彼らに頭を下げて言うのに。
父様を追い落としてでも「僕が玉座に座る手伝いをして」と。
そういえば、近頃、スノシティの姿を見ない。
いつからだろう?
護衛騎士に体を委ねて頼み、後宮に赴いても、いない。
どこかで冬眠しているのだろうか、まだ冬になっていないのに。
そして、二月が過ぎて。
突然、処刑場に呼ばれた。
そうか、父様も母様も僕に飽きたのか。
ようやくか。
よかった。
……うそだ。
うそだ。
スノシティ、スノシティ、スノシティ、スノシティ、スノシティ、スノシティ、スノシティ、スノシティ、スノシティ、スノシティ、スノシティ、スノシティ、スノシティ、スノシティ、スノシティ、スノシティ!!!!
愛してた、愛していたんだ。
守れなかった。
スノシティがいない人生なんて、いらない。
みんないらない。
こんなくに、ほろんでしまえ。
ぼくもきえてしまえ。
「あいしてい、たよ、スノし……てぃ」
ぼくの……。
目を開く。
ここはどこだろう。
僕は確かに自分の胸を貫いて、死んだ。
やっと楽になれたのに。
生きる理由を失って。
なにもかも消えてしまえと願ったのに。
「殿下?」
目の前に、子供の頃に僕に触れて欲を満たしていた護衛騎士がいた。
父様の命令で、生きたまま吊るされて獣になぶり殺しにされた。
何が起きているのか。
親を殺したから、自殺したから、またずっと苦しい日々を繰り返して、生きなくてはいけないのか。
護衛騎士が手を伸ばしてきて、また、あの陵辱を受ける日々が……、と体を硬直させたその時。
ばたんっと大きな音を立て、寝室の扉が開かれた。
「何者だ」
腐っていても護衛騎士だ。
一瞬で顔を引き締めて、腰の剣に手を伸ばす。
「あにぃえーっ」
「!?、やめろっ」
なんとか止めることができた。
幼い声。
小さな白い体。
僕は、これを知っている。
「……出ていけ」
渋々と出ていった護衛騎士が扉を閉める音を聞きながら、僕は夢を見ているのかと思っていた。
「ふぇっ?」
不思議そうな声をあげた口には、まだ牙が生えてない。
まだ、ぼろぼろになっていないけれど、少し薄汚れた灰色の毛並み。
とても小さな体。
「こりょも!?」
びっくりしたような甲高くて愛らしい声は、間違いなく。
「どうしたの」
僕のスノシティ。
可愛いこぐまちゃん。
愛おしい僕だけの氷河の精霊。
僕は王族として生まれ持った、自分の特異能力〝自己認識保持〟が発動していることに気がついた。
まさか、人生をやり直している?
それとも、前の人生が無かったことになっている?
どちらにしても、僕は前の人生で死ぬまでのことを全て覚えている。
それが僕の能力だから。
この能力のせいで、僕は狂うことができない。
忘れることができない。
学んだことも見たことも体験したことも、何ひとつ。
父母から受けた仕打ち。
周囲の者からの嘲り。
有象無象に犯される日々。
王子であるのに軽んじられる事を、以前の僕は気にしてはいけないと思っていた。
僕があらがう事を諦めたからスノシティは殺された。
僕のスノシティが。
許さない。
みんな、許さない。
今ここにいる事に、理由なんて必要ない。
なぜかなんて、どうでも良い。
国王も王妃も、使えないクズどもも。
みんな、破滅させてやる。
死んだ方が良いと嘆く、そんな仕打ちを平等に与えてやろう。
そしてスノシティと僕の二人の国を作ろう。
誰にも邪魔されない国を。
了
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