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3 つがいと過ごす日々

09 凡人の策略

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 お茶を出してくれた泉が、少々失礼します、と部屋から出ていくと同時に、対面に座っていた男性が裕壬に頭を下げた。

「申し訳なかった」
「こちらこそっ」

 被せ気味に、迷惑をかけたのはこちらです、と裕壬も頭を下げた。

「それでは、改めて、僕がゴーシュ・ガイルの仮のボス、三箭ミヤ ケイです」
「っ、ご丁寧にありがとうございます、私は愛子アイコ 裕壬ユウジンです」

 まさかの本人から仮ボス発言が出るとは思っていなかった裕壬は、一瞬言葉に詰まったものの、なんとか返事をした。

 ようやく自己紹介できた、これから肝心の面接内容が……と安堵した裕壬の体が、突然ソファから宙に浮いた。

「ふぎゃっ!?」

 驚きすぎて変な声を出した直後、裕壬の尻は硬くて熱いものを下敷きにしていた。
 いいや、筋肉質な太ももに乗せられていた。

「三箭さん、ユージンはおれの番」
「……うっわ、ゴーシュのその反応、僕はすごく傷ついたなぁ」
「そういうのは泉さんに言って」

 裕壬を自分の膝の上に抱き上げたゴーシュが、スーツに包まれていてもがっしりと力強い腕で囲い込もうとしてくる。

「ちぇー、なんだよ、可愛がってるゴーシュに、反抗期に初めての恋人連れてきた息子みたいな態度とられて、僕の繊細な心はずったずただよ」

 やけに説明的な社長の言葉を聞きながら、裕壬は社長がちら、ちら、と目配せしてきていることに気がついた。

「……反抗期、ですか?」

 何を望まれているのか。
 社長がどんな人かよく分からないけれど、とりあえず話に乗ってみる。

 裕壬の返事が想定内だったのか、社長はソファから立ち上がると、薄いファイルを裕壬を抱えるゴーシュの前に差し出してきた。

「愛子くん、君は人狼をどれくらい知っている?」

 不意に、部屋の中が静まり返ったような気がした。
 裕壬の尻の下にあるゴーシュの体は、相変わらずリラックスしている気がするけれど。

「登録制のスーパーナチュラル愛好コミュニティに参加してます」
「ああ、あれか、自称の偽物しかいないやつね」

 ためらいもなく切り捨てられた。
 その瞳に笑みの影はない。

 しくしくと専務に縋ったり、子供の口喧嘩のようにゴーシュに向かって口を尖らせたり。

 これまでの全てが演技で、こちらの反応を見るためだったのかな、と裕壬が構えたその時。
 外から扉をノックする音が響いて、泉が顔を出した。

「三箭社長、時間ですよ」
「……ありがとう泉専務」

 気のせいでなく、泉がにっこりと笑ったけれど、裕壬は見なかったことにした。

 部屋の前で待っていた体格の良い男性と、女性を連れて社長が出て行った後、なぜか室内に泉が残る。

「愛子くん、一週間後までに連絡を下さい、新入社員研修の日程なども中に書いてあります」

 そう言う泉の視線は、ファイルから裕壬へ移動した。

「ま、待って下さい、私はこの会社に入れてもらうためにゴ、ガイルさんとおつ、お付き合いをしているわけではありませんっ」

 焦って色々と噛んでしまったけれど、言いたいことは伝わったはずだ。

「そうですか、本社でなくても構いませんが、系列会社には入っていただきますよ」
「え?」

 裕壬は泉をまじまじと見つめた。

 仕事は求めていない、と言ったはずだ。
 もちろん仕事は欲しい、けれどこんなコネもどきのやり方は求めてない。
 伝わってないのか、ともう一度、噛まないように言おうとした時。

「番を得てから、ゴーシュくんは安定しています。
 少々言動が幼くなってしまった点は問題ですが、仕事に関してはこれまで以上のパフォーマンスを見せてくれているのですよ。
 若さゆえのプライドのために君がこの件を蹴って、ゴーシュくんが不安定になった際に、会社に生じる損害を、全額補填できると言うのであれば、構いませんよ」

 泉はやはり怖い人だった。
 裕壬はそっと目をそらす。

 裕壬からこの話を断ることはできない、と言い切られた。

 会社の利益を守るために、裕壬には人質……ではなく、監禁、でもないけれど。
 とにかく、ゴーシュの近くにいろ、ということらしい。

 死んでも逃さない、ってやつなのでは。
 メンヘラか、このおっさん。

 グッと歯をかみしめ、裕壬は泉を睨んだ。
 一番最初に無理な要求を飲んでしまったら、次々に重ねられていく、と思って。

「考えさせていただきたいです」
「考えても勤務先くらいしか変更できませんよ」

 泉は、裕壬の思惑のさらに上を行く鬼畜だった。

 このままでは負ける。
 裕壬が就職斡旋を回避しなくては、と思っていると腹に回されていたゴーシュの腕が外された。

「ユージンのやりたい事は、ここにはない?」
「……え?」

 心配そうな声、いつも以上に近くから聞こえるそれに、ふと首を回してみれば、至近距離にゴーシュの瞳があった。

 とろりと溶けた蜜の色。
 優しくて甘くて、強い意思を秘めた瞳。

「絵を描く仕事がいいかな、と思ったんだけど、いや?」
「……ええと」

 あまりにも真っ当な言葉に、裕壬は言葉を失う。

 ゴーシュに抱っこしておんぶされるのは嫌だ、と深く考えずに拒否していたけれど、裕壬は目の前のファイルを開いてすらいない。
 どんな仕事なのか、給料も休日もどこで働くのかも、何も知らない。

 子供が、初めて食べる料理を見ただけで嫌がるように、駄々をこねていると思われた?

 裕壬はゴーシュに、仕事を紹介して欲しいと頼んでいない。
 逆に言えば、紹介しないで、とも言っていないのだ。

「ゴーシュさん、おろして」

 すんなりとソファに戻され、裕壬は薄いファイルを手に取った。





 ファイルを閉じて、裕壬も目を閉じる。

 ざっくりと目を通した中身は、やっつけで詰め込まれた情報ではなかった。
 裕壬が大学でなにを専攻しているのか、なにを学んでいるのか、調査でもしたのかと思う程度には正確だ。

 断ることは無理でも、選択肢は用意されていた。
 デザイン関係、もしくは全く無関係な部署。

 大企業って、こんなに部署や支社や職種があるんだな。
 他人事のようにそんなことを思いながら、裕壬はどうして就職先の斡旋をされているのに嬉しくないのか、と思う。

 自分が、求められていないからだ。

 裕壬はゴーシュのおまけ扱い。
 でも、社長の直下で長く働くゴーシュに、学生の裕壬が勝てる要素がない。

 信用も、能力も、見た目も、腕力も足りない。
 足りないものしかないのに、ゴーシュのおまけ扱いされることを喜ぶべきなのかとさえ思ってしまう。

「時間をください」
「ええ、どうぞ」

 裕壬の内心の動きをはじめから見越していたように、泉は口元を緩めた。

「これから先のあなた方の人生が、良いものであることを、祈っています」

 安っぽいプライドや傲慢さで、ゴーシュを傷つけるな。
 お前には、そんな価値はない。

 言外にそう言い含められた気がした。

 裕壬は負けず嫌いではない。
 面倒ごとは受け流す方だ。
 けれど。

 これまで努力してきたことを、軽んじられて踏みつけられているのに、黙って我慢できるほど大人でもなかった。



 秘書に案内され、肩を落として出ていく裕壬を見送ったゴーシュは、そわそわと泉を振り返った。

「おれも行って」
「駄目ですよゴーシュくん、なぜ愛子くんに厳しい態度を取るのか、説明したはずです」

 ゴーシュに話した内容は嘘ではないけれど本当でもない、と心の中で泉は舌を出した。

 泉は、裕壬に期待している。

 これまでは社長しか従わせられなかったゴーシュ。
 有用であっても、社長以外に心を開くことのない使いにくい駒だった。

 番の裕壬を招き入れることができたら、会社がゴーシュが所属する本当の群れになる。
 社長からボス(仮)の(仮)がとれる。

 ゴーシュが使いやすくなる。
 かもしれない。

 総務部長の報告に含まれ、対面しても感じたが、裕壬は少々エキセントリックだと泉も感じていた。
 全てを話して協力を頼むには、時間と信用が足りない。

 泉は、不安そうに白湯を飲む人狼を見ながら、わたしみたいな凡人は気苦労が絶えないよ、と息を吐いた。

 
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