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2 一匹狼はつがう

06 巣穴

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 目が覚めて。
 裕壬ユウジンはまず、暑い、と体の上にかかっている毛布をどかそうとした。

 そして気がつく。
 この毛布、筋肉質で温かいぞ、と。

 体温を持った毛布のようなずっしりとした何かが、裕壬の背中と腹に張り付いている。

 毛布でないと気が付いてしまえば、背中もやけに熱い。
 大きくて温かい、なにかがくっついている。

 背後に何があるのかを見ようとして、裕壬は全身が軋むように痛いことに気がつく。

 筋肉痛だ。
 どこもかしこも痛い。

 運動をした覚えなんてないのに。
 バイトはしていても、日常的に運動をする習慣はない。

 いて、いてて、と出そうな声を我慢しながら振り返ると。

「!?」

 言葉にならないほど驚いて、飛び起きそうになるけれど、すんでのところで耐えた。

 裕壬を背後から抱き抱えていたのは、母犬に甘える子犬のように、ゆるみきった寝顔で安らかに眠る人狼だった。
 白っぽい灰色の長毛が、分厚く全身を覆っている。

 毛に覆われた長い腕が、裕壬を包み込むように腹に伸ばされていた。

「……うわ」

 夢じゃなかった。
 という呟きは口から出なかった。



 裕壬は、ゴーシュをうっとりと見つめた。
 以前に人狼の姿を見た時は、恐ろしいほど凛々しいと思っていたのに、眠っている姿はひどく幼く見える。

 まぶたを閉じている頭部は、狼そのもの。

 まつげが長い。
 耳がぴんとして格好良い。
 鼻先はつやつや。
 口の中にあるのは、やっぱり牙なんだろうか。

 口元に触れて見てみたい。
 その気持ちを抑えるのに苦労しながら、裕壬は横になったままゴーシュを上から下まで視線で調べる。

 人狼の姿を至近距離で見られる日が来るなんて、と裕壬は歓喜に無言で悶えた。

 頭は獣、上半身は人+毛、下半身は獣。

 全身を覆う被毛の毛足は長くて、室内でも熱そうだ。
 筋肉の量が多いと仮定して、発熱量が多くて体温が高いのかもしれない。

 実際に、くっついていた背中が熱くて、裕壬は目が覚めた気がする。

 可愛い。
 子供のように安らかだ。

 ……そういえば、人狼の三十歳が、人の何歳くらいなのかを聞いていなかった。
 昨日のあれが、初体験のようだと感じたのは気のせいじゃない。

 技術は無い、抱いた相手への配慮も無い。
 けれど、求められているとすごく感じた。

 つたなく、ぎこちなく、がむしゃらに腰を振られたせいで、今も裕壬は後孔に違和感を感じている。
 切れているかは不明だが、炎症を抑える薬は必要だろう。



「そういえば……ここ、どこ?」

 裕壬は周囲を見回した。
 キャンプ場でテントの中にいたはずなのに、知らない部屋だ。

 ぐるりと見て、ベッドの他に家具が見当たらない部屋には生活感が無い。
 あまりにも何もなくて、ホテルだとは考えられない。

 まさか、ゴーシュの家とか言わないよね。
 裕壬はそう自分に言い聞かせて、目の前の尖った鼻先に視線を戻した。

 濡れた鼻先は、呼吸でわずかに揺れている。

「……」

 ベッドの上で、横向きに寝ているゴーシュを見つめる。
 眠るときは人狼の姿で過ごすのかな?と考えながら。

 きれいな生き物。
 人とは違う。
 強くて恐ろしくて、そしてとても美しい。

 広い部屋の真ん中に、ドン、と置かれたベッドはかなり大きい。
 クイーンサイズくらい、あるように見える。

「……ム?……」

 寝息も聞こえないほど安らかに眠っていたゴーシュが、ふと微かな声を上げた。

 尖った鼻先がぴくぴくと動いて、頭頂の耳が何かを探すように動く。
 震えるまぶたが薄く開いて、琥珀の瞳が覗いた。

 密かにどきりとした裕壬の存在に気がついたのか、顔が近づいてきて。
 喉元に、濡れて冷たい鼻先が押し当てられた。

 すんすん、と鼻を鳴らす音が聞こえる。
 すり寄せられる鼻先の短い毛が、首筋をちくちくと刺激する。

 なにしてるんだ、とうろたえる裕壬の耳元に「ユージィン、スキ」と寝ぼけ声が届いた。

 うわ、かわいいんだけど。

 裕壬は、そう思ってしまった。
 思ってしまったのだ。

 その場で真っ赤になって硬直する以外には、他に何もできず。
 甘えるようにすりすりしてくる、生きた毛布が起きるまで、布団の住人になるのだった。





 ゴーシュは人生で最高の目覚めを迎えた。

 体はだるい。
 けれど、頭はすっきりとしていた。

「ンー?」

 目を開ける前にすんすんと鼻を鳴らせば、腕の中に裕壬を感じた。
 昨夜の出来事を思い出して、顔が緩む。

 ゴーシュは、番を手に入れたのだ。
 人の世では得られないと思っていた番を。

 愛おしい。
 苦しいほどに。

 これほどの思いを常に抱えてしまうなら、他の人狼が番を失った時に、生きる気力を無くしてしまうのも分かる。
 そう理解してしまった。

ユージンEugene

 そっと口の中で転がした言葉は、とても心地よい。

 ゴーシュの番は、とても素敵な名前を持っている。
 意味は〝高貴な者〟や〝生まれが良い〟だったはずだ。

 ……もしかしたら、人の中でも由緒正しい血筋なのかもしれない。
 その素晴らしい名前を、これからずっとゴーシュが呼べるのだと思えば、胸が暖かくなる。

 これから先、二人でどう暮らしていくのか考えなくてはいけない。
 番と離れる選択肢は、人狼には存在しない。

 ユージンが大学を卒業したら、一緒に暮らせるだろうか。

 きちんと考えるのは、もう少しだけ番の体温を堪能してからでも良いだろうか、とゴーシュは目の前の細い首に鼻先を押し当てる。

 良い匂いがする。
 番の腹に種を注ぎながら。
 おれの番だと存在を刻みたい。

 人の姿ではかろうじて理性が働いたけれど、人狼や狼の姿で愛し合えば、止まることはできないだろう。

 番の匂いを嗅ぎたい衝動に負けて、ぺろり、となめらかな首筋に舌をはわせると、「うわっっ!?」と悲鳴があがった。

「お、おはようっ」
「オハヨウ、ユージン」

 悲鳴の後に慌てて繋げられた挨拶に、ゴーシュはまぶたを持ち上げる。
 これまで表情が動かなかったことが嘘のように、顔が笑みになる。

 これからのゴーシュは、番と共に生きていけるのだ。
 なんと素晴らしいのだろう。

 ふわふわと幸せの中にいるゴーシュを、体を反転させた裕壬は困った顔で見つめて口を開いた。

「ゴーシュさん、ここはどこ?」
「オレノ巣穴ダ、コレカラ一緒ニ暮ラス巣穴ハドコガイイ?、一緒ニ探スカ?」
「……え?」

 裕壬の戸惑う表情を見たゴーシュの胸が、ぎしり、ときしむのを感じた。
 不穏さに、胃がじくりと痛くなった。





 裕壬は、後悔していた。
 勢いに流されて、ゴーシュとセックスしてしまったことを。

 現在地は広くてがらんとしていたベッドルームから出て、やっぱり広いダイニング。

 起きるまでは幸せそうな顔をしていたゴーシュは、今はなぜか身構えたような表情を裕壬に向けてくる。
 人の姿になり、顔を洗って着替えれば、やはり人の三十歳よりも若い。

 洗顔時にひげを剃っていた様子はない。
 手洗いを借りた時に見た洗面台には、シェービングに必要な諸々もT字カミソリも無かった。
 電気シェーバーを使っているとしても、音がしなかった。

 逆に、なぜこんなものが?、と思ったのは、中高生向けのニキビケア洗顔料と化粧水だ。
 そこからの推測として、ゴーシュの顔にひげは生えていない、のだろう。

 ……もしかしたら、まだひげの生えない年齢なのかも?
 人の年齢的には未成年ではないけれど、もしかして、人狼だと未成年?

 もやもやと色々なことを考えてしまうのに、決定的なことが聞けない。
 何がいけなかったのか。

 起き抜けに言われた、一緒に暮らす、という言葉の意味も、言葉通りなのか、含みのある人狼の慣習があるのか。

 裕壬はゴーシュが好きだ。
 ゴーシュが裕壬を好きだと思ってくれているのも、本当だろう。

 それなのに、すれ違っている気がする。
 聞くべきなのに、聞けない。
 どう聞けば良いのか、分からない。

「……どうぞ」

 個包装のドリップコーヒーと、なぜかレトルトパウチの長期保存パンが目の前に差し出された。
 家では食事をしないのが、人狼なのかもしれない。

「ありがとう」

 もさもさと食べて、意外と美味しいかも、備蓄しておこうかな、なんて長期保存パンのパッケージを見てしまった。 

 
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