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一、片思いから
05 志野木
しおりを挟む俺が東鬼を冗談で〝タッくん〟と呼ぶようになって、一週間が経った。
宣言通りに繁忙期が終わったらしい。
俺の方はまだ数日忙しい予定なので、特に何も考えていなかったが、警備員室の前や受付を通るたびに、もの言いたげな視線を感じる気がする。
同じビルの勤務になるからと、サプライズにしようとか企んで言わなかったのか?と詰め寄ったところ、東鬼の異動は予定外のことだったらしい。
もともと東鬼は、他のビルの管理部への異動が決まっていたと言う。
俺に言ったとおり、忙しくなり慌ただしかったらしい。
そんな時、俺の勤務先のビルも含め、複数のビルで警備主任をしていた前任者が私情で休職することになり、経験不足は否めないものの他に動かせる人材がいない、と主任に大抜擢されたらしい。
何もかもが突然だったので、引き継ぎ不可能、情報の伝達ができない、その上で主任に昇進と、聞くだけでとんでもないことになっていた。
東鬼は当初の予定通り異動になったが、他のビルでは繰り上がりで主任(暫定)の引き継ぎがされたらしい。
前任者の抜けた私情が、突然倒れてからの緊急入院で、現在も意思疎通が難しい闘病中と聞いてしまうと、前の主任さんを責めるわけにもいかない、と燃え尽きた表情で言う東鬼に、慰めの言葉しかかけられなかった。
あと数年もしたら複数のビル管理を押し付けられそうだ、って「やりたくねえ」って言うあたり、東鬼は出世欲がないのかもしれない。
ついでに、俺と顔合わせした時は〝心臓が止まるかと思った〟らしい。
「おはようございます」
「おはようございます」
挨拶と共に通行許可証を取り出し、確認した後もやけにじっとりとした目で見つめられても、立ち止まったりはしない。
朝は朝で、やらなくてはいけないことがたくさんある。
今日は首長さんが休みなので、普段なら分担できる事務所の掃除を全てしなくてはいけない。
事務員が掃除をしなくてはいけない決まりはないけれど、伝統みたいな雰囲気なので、やりたくないとも言えない。
掃除が嫌いな訳ではなく、毎朝の掃除のために早く来いと言われる事もない。
首長さんの推しイケメン話を聞いているのも苦痛じゃない。
書士の先輩方は仕事ができて、必要以上に絡まれることもないので、職場環境としては満足している。
何かあるごとに「彼女は作らんのか?」と絡んでくる所長の田貫さんだけが、鬼門か。
いつもと同じように、事務所内を掃き清めてから、神棚の水と米を替えて二礼二拍手一礼。
今日も何事も起こりませんように、と近頃の煩雑な私生活を思い出してしまう。
仕事しないといけないな、と旧型のコーヒーメーカーに豆と水をセットしてスイッチを入れ、他の人が来るまでの、あと数分で何ができるか、と考えていると、事務所の扉がノックされた。
まだ営業時間外というか、部外者は入れない時間なのに、と曇りガラスの扉の外に視線を向ければ、紺色の大きな人影が扉をふさいでいる。
まだ誰もいません、って居留守をしたいけれど、ビルに入る時に顔を合わせている。
「……おはようございます」
一応、周囲の目の可能性を考えて無言は避けておくけれど、警備員が始業前に何の用だと思われたら困る。
扉を開けたら、腕を伸ばそうとしてきたので一歩下がる。
触るな、と意思を込めて視線を向けると、なぜか立派な眉が下がってしまった。
「今夜、行ってもいいか?」
わざわざ職場に来なくて良いから、パソコン(だと思う)以外の連絡先を教えろよと思ってしまう。
いつでも繋がる連絡先を教えてもらえないってのは、相手を疑うには十分すぎる動機じゃないだろうか。
俺が本命だって思えるほど、呑気に浮かれていられない。
セフレ扱いしたいのか、浮気相手にと思われてるのか?って、疑っておいたほうがいいのか。
「申し訳ありませんが、他に人がおりませんので、後ほどこちらから伺います」
「……すいません」
大きな体がしょぼくれて背を丸めているような気がして、追いかけそうになる足を必死で止める。
俺は、東鬼と対等で建設的な関係でありたい。
それが相思相愛ってことだろう?
「おはようございます……志野木くん、どうかしたの?」
「おはようございます、なんでもありません」
普段通りに振る舞え、と自分に言い聞かせながら、午前中を過ごした。
昼休憩に事務所を抜け出して一階の警備部へ向かう。
なんて声をかければ良いのか、と思いながら歩いていると、廊下の角を曲がった途端にこちらを見ている視線にぶつかった。
「ウタさんたのんます!」
俺が言葉を口にする前に室内に声をかけて、通用口の受付から抜け出してくる大きな紺色の体。
廊下に出てきてから俺がいることを再確認したのか、顔がこちらを見た瞬間にニヘラと笑みくずれた。
仕事中じゃないのか、と言いたいのを堪えて、周囲に視線を向ける。
「タクっ」
がばり、と抱きつかれたことに気がついたのは、鼓動が二つ打ってからだ。
俺が周囲を確認した努力を、完全に無視して抱きついてきた東鬼を押し返す。
「どういうつもりだ」
口調が尖ってしまうのも仕方ない、俺は周囲に自分が同性愛者だと知らせるつもりはない。
田舎特有の、情報交換が密な狭い業界で噂を立てられたら、転職さえ難しい。
「……どういうって」
「俺はお前とは違う、男同士の付き合いで適切な距離以上に近づくつもりはない」
分厚くて広い肩がしょんぼりと下がってしまうのを見ながら、先ほどまで東鬼がいた受付の小窓から、誰かが覗いていることに気がつく。
東鬼と同じ紺色の制服を着た、四、五十代の男性。
見られた、と頭から血が下がるのを感じながら、精一杯平常通りに振る舞うことを意識する。
「主任、そちらが〝おひいさま〟かい?」
なんだその変な呼び名は。
思わず東鬼を睨むと、しょんぼりしていた肩がさらに小さくなる。
どうやら、年上の男ばかりの職場だからと気を抜いて、色々と垂れ流していたらしい。
抱きついた相手が男だということに関しての好奇心や嫌悪感を、向けられている視線からは感じないが、本心から受け入れてくれる人が少ないことは理解しているつもりだ。
俺は未だに、男が自分の恋愛対象だと母に言えていない。
彼女ができた、と伝えたときにとても喜んでくれたから、俺自身の振る舞いが原因で手酷く振られてしまったことを言えていない。
「いつもお世話になっております、三階のコナカ行政書士事務所で事務員をしております志野木と申します」
「知ってるよ、上に綺麗なコがいる、って話に上がってるからね」
「きれい、ですか?」
そんな評価をもらったのは初めてだ。
俺が大学二年生の時に早世してしまった線の細い父親と、全体的にこじんまりとした母親の、どこがどう混ざったのか、俺の顔立ちは古い時代の日本人らしい顔だ。
簡単に言えば色白の卵型の顔に、細くて一重の目、鼻はそれなり、唇は小さい。
日本人らしい顔といえばそうなのかもしれない。
「普段は無表情なのに、挨拶をすると笑顔になってくれるからね、みんな覚えてるさ」
「警備員に笑顔を向ける奴は少ないからなー」と嘆息する男性に、なんと返事をすればいいのか悩んでしまう。
……そんなことをしているつもりはなかった、笑顔なんて浮かべていたか?
「おれ以外に笑いかけるとかヒデェ!!」
東鬼がそう叫ぶのとほぼ同時に、のぞき窓から複数の男性が顔を覗かせる。
「主任、あんまり阿呆なことばかり言っとると、シノくんに嫌われちまうよ」
「時間があるならこっち来るかい?差し入れでもらったお菓子があるんだよ」
「まだ昼飯の時間じゃねえかよ!あとおれのタクをシノくんって呼ぶな!」
「細かいこと言いなさんな、悋気ばっかしとると嫌われるぞ」
「焼きもちよりも餅を焼けよ」
「若いってのはいいねぇ」
東鬼が主任のはずなのに、現場の力関係は違うらしい。
そして東鬼の職場の同僚が、おっさんばかりでいい人揃いだということだけは理解した。
シノくんってのは、俺のことなのか?
「それでさ」
そわそわしながら大きな男が近寄って来たので、少し体を斜めにして避けた。
「……」
「……」
なぜか無言で立ち止まる東鬼。
絶望したような顔をするな。
ここに来るまでは連絡先を教えてくれる気があるのか、を聞くつもりだったのに、言い出しにくい。
「……東鬼、あのな」
「迎えに行くから!」
「え、迎えって、俺は今日も定時には上がれない予定だけど」
「迎えに行くから!!」
「だから」
「迎えに、行くっ」
「……わかった」
何がしたいんだ?と思いながら見上げた東鬼の顔は、なぜか真っ赤になっていた。
「……」
人目があるところでは良くないと思ったが、このまま立ち去ってはいけないような気がして、受付の小窓から見えないように気をつけながら、東鬼の胸元に手を置いた。
「タッくん、待ってるから」
なんだこれ。
たった一言なのに、顔が熱くなるのを感じながら、背を向けた。
背後から「ヒャッホウ!」と叫び声が聞こえてくるのは、幻聴だと思っておこう。
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