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一、片思いから
02 志野木
しおりを挟む俺を押さえ込んでいる男が、苦しそうに顔をしかめたのが、逆光でも見えた。
「お前が、おれをそんな目で見るから」
「え?」
「気がついてないのか?」
ゆっくりと降りてきた男の顔が、俺の耳元で囁く。
「お前は車を見る時とおんなじ目で、おれを見てくる」
男の言葉の意味は分からなくても、このままではまずいということは分かる。
押さえつけてくる手を払って逃げようとしたが、学生時代は柔道部主将で負け知らず、現在は警備会社で働いている男に、帰宅部もやしで今は事務職の俺が敵うわけがなかった。
「志野木、お前さ、やったことあんの?」
「なにをだよっ」
「男と」
「だから、なに」
「セックス」
「~~~っっ」
唇を噛んでぎゅっと目を閉じたけれど、くくく、と男が喉を震わせる音が聞こえた。
「そーゆう反応するってことは初めてか、やっべぇ、クソたぎってきたっ」
昼飯持ってきたぞ、とスーパーの惣菜をスチロールトレイのまま持ってくる大雑把な男だが、いつも肩提げのトートバッグを持ち歩いている。
サーキットで見たことがあるのは、汗を拭くスポーツタオルとミネラルウォーター、ロールオンのデオドラントくらいか。
でも、今は明らかに飲み物ではない中身が詰まったボトルと、薄っぺらい四角い箱を取り出し、俺に見えるように振ってみせた。
「さすがに尻の中を洗うもんはドラッグストアにはなかった、ゴムあるからこのままで良いよな?」
「……る」
「あ?」
「……うちに、ある」
男の顔が見れない。
何だよこれ、いじめじゃないのか、それともただ俺が墓穴掘ってるだけなのか?
そうだ、俺は男に告白する勇気がないくせに、自分の尻穴に触る勇気もないくせに、いつかそんな日が来れば、男を襲ってでも初めてをもらってもらいたい、と必要な道具を用意していた。
つまり直腸内を洗浄する道具を、だ。
店に行く勇気などないので、ネットで買ったけれど。
自分の尻の穴を男に差し出す未来なんて、妄想でしかなかったのに。
こいつとの再会が嬉しくて、一人で酒盛りして深夜テンションからの注文!が恐ろしすぎる……と後悔したものの、いつか使う日が来るかもしれないと返品できず、未開封のままクローゼットの肥やしになっていた。
視界の端で、影になっているのに呆然と口を開けているのが見えた男が動いて、先ほどのいびつな笑顔ではなくにっこりと笑ったことに気がついた。
思わず顔を上げてしまい、やっぱり男らしくてかっこいい、と見とれる俺に男が口を開いた。
「それなら和姦だな」
「……アホかよ!」
最高に男らしい表情をしているくせに、その言葉は最低だった。
一緒にやる!と引かない男に頼み込んで、自分で風呂とトイレの往復を済ませた。
説明書を読まないと使い方も分からないのに、一緒にとか絶対に無理だって。
男が風呂に入っている間、男同士の行為ってのは、いつもこんなしんどい目に合わないといけないのか、と憔悴してげんなりしていたら、重たい足音がして分厚い胸に抱き寄せられた。
風呂上がりの男の肌はしっとりとして暖かい。
男が俺と同じシャンプーとボディソープの匂いをさせている、と気がついてしまったせいで、視線が合わせられない。
「もういいか?」
「……本気なのかよ」
「本気と書いてマジだ」
「……」
かなり年上の男性ばかりだと聞く職場環境のせいなのか、同い年とは思えないおっさんくさい発言をする男を見上げ、その瞳に欲情の炎を見てしまった。
本当に本気、らしい。
夢じゃないのか。
「こんなことしても、先には何も無いって、分かっているだろう?」
目を逸らして、口にしてから後悔した。
きっと、誰よりもそう思っているのは俺だ。
俺が一方的に男を好きになっただけで、男は恋愛的な意味で俺を好きなわけじゃない。
男の口から両性愛者だと聞いたことはないし、高校生の頃の男には彼女がいた。
抱かれたところで、男と恋人になれるわけじゃない。
好きな人に初めてを捧げられて、素敵な思い出ができた、と感傷的になることしかできない。
そもそも男は異性愛者だから、尻に突っ込むことに興味を持ったけれど、女性……恋人だと嫌がられるかも、とかそんな理由かもしれない。
尻を使う場合は準備がいるから、女性には言い出しにくいだろう。
そんな動機で求められているとしても、嬉しいと思ってしまう自身の浅ましさに涙がにじんだ。
こいつが、好きだ。
なぜか分からないほど、この男が好きだ。
「……あのさ、勘違いしてねえか?」
「勘違い?」
「志野木はおれが好きなんだろ?」
「……なんで、そんなことに答えないといけない」
「いやいやいや、これは大事なことだろ!」
「なにがどう大事だって言うんだ」
「おれとお前は相思相愛なんだから、すごく大事なことだろ!」
「……?」
とっさに返事ができなくて、立っている時は頭半分は上にある男の顔を見上げた。
カミソリを持ってきていたのか、青くなっていた顎がつるりとしている。
初めから、俺の家に泊まるつもりだったのか?
「そうしそうあい?」
「おう」
「誰と、誰が?」
「おれとお前」
「っ、い、いつから?」
「そんなん知るか!」
慌てている男の耳が赤い、逸らした目がゆらゆらと逃げる。
「……俺は、高校の頃から好きだけど?」
「おま、ちょお待て、ここでそういうこと言うなよ!!」
さっきまで怖いと思っていたのに、目の前の男があからさまにうろたえる姿に笑ったら、涙が頬を伝っていった。
男らしい立派な体格と、人懐こさが前面に出た顔立ち、朗々とした心を持った男が、俺なんかの言葉で動揺している。
「俺が呼ばれたのに東鬼が返事をして、初めは苛々したけれど、気がついた時には好きになってた」
「……志野木、お前さぁ気がついてねえだろ」
「なにを?」
「おれが、お前とお笑いやろうって言い続けた理由」
「……俺が、挙動不審で面白いから」
「んなわけあるかよ!若手芸人は相方とルームシェアするだろ?
周りに怪しまれずにお前と同棲できるじゃねえか、一緒に住んでりゃ口説くのも簡単だし、毎晩セックスし放題だろ?最高だろ?」
「……アホか」
「おう、誉めんなよ」
ドヤ顔でこちらを見る男の、筋肉で盛り上がっていかつい肩に腕を伸ばす。
溺れる者が藁にすがりつくように、逃げられるかもと震える唇を、風呂上がりの温かい唇にゆっくりと重ねた。
思っていたより柔らかい唇に受け入れられて、歓喜で心が震えた。
嫌がられたら、逃げられたら諦めよう。
そう思っていたのに、太い男の腕が背中に回されて、苦しいほど抱きしめられる。
「ずっと、ずっと諦めないと、いけないって思ってた、高校を卒業して、会えなくなって、悲しいのに安心して、何年も経ってるのにっ、忘れられなくて、ずっと苦しかったっ」
「同窓会にも顔を出さねぇから心配してた」
「格好良くなった東鬼を見たくなかったんだっ」
栓が壊れたよう涙が頬を伝っていく。
人ってこんなに赤くなれるのか?と思うほど赤い顔をした東鬼が「本当にお前、男の趣味悪すぎ」と言いながら、お返しのキスをくれた。
◆
結果、俺は東鬼に食べられることはなかった。
いや、俺が食べる、咥え込む方なのか?
……とにかく、あとは突っ込むだけって時になって、怖くなって逃げてしまった。
何がとは言わないけど、思った以上に大きかったんだよ。
とりあえず次の休みの日はサーキットではなく、二人で人生初のアダルトショップに行くことになった。
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雨が降るたびにスリップに怯えて、恐怖と不安定な気持ちを抱えて生きてきた俺に、太陽が顔を見せた。
太陽が見えていれば、いつか道は乾くだろう。
ずっと一人でいるか、諦めないといけないと思ってた。
本音を隠して、元カノと付き合ったのもそのためだ。
乾いた道しか走れない俺に、最適なラインをとって走れば恐れなくていいのだと、東鬼が教えてくれた。
スリップするなら、上手にスリップすれば良いのだと。
何事にも知識と準備と心構えが大事ということを、忘れないようにしようと思う。
あとは、覚悟も。
◆
このあと、車関係の話題はほとんどないです、残念
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