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本編 〝弘〟視点

11/21 穏やかに癒される日々を

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 一度帰って着替えてきます、と言った晋矢シンヤさんは、三十分もしないで戻ってきた。

 シャワーを浴びてきたのか爽やかな匂いがして、ネイビーの半袖シャツが日焼けした肌を引き立てる。
 少し湿って跳ねている髪の毛が、なんだかとても……正面から見れない。

 若いハリのある肌は艶めいている。
 ぴったりと肌に添う袖から覗く、太い腕だけ見てもわたしとは大違いだ。

「朝から豪勢ですね、ありがとうございます」
「そんなことは、ないですよ」

 ご飯を炊くくらいなら、一人暮らしで自炊をしたことがある人なら誰でもできるだろう。
 研ぐのが面倒なら無洗米を使ったって良い。
 炊飯器があれば、水と米を入れるだけだ。

 朝からご飯で問題ないようなので、白米にワカメと油揚げの味噌汁、豚小間は照り焼きにした。
 増量と栄養と見栄えのための野菜は、玉子と玉ねぎと冷凍ストックのしめじを炒めて、中華だしと塩胡椒で味付けした玉子炒めもどきと、冷凍いんげんの胡麻和えを作った。
 雑な千切りキャベツも少し作った。

 干しきくらげを水で戻す時間があれば、昨夜の予定通りムーシーローが作れたけれど、朝から油の使用量が多い料理を食べたくない。
 玉子をふわふわ食感にするために、油をたっぷり使うレシピしか知らない。
 技術で玉子をふわふわにできるのか知らないし、できるとしても、わたしにそんな腕前はない。

 言葉では喜んでくれているけれど、内容と量は足りているだろうか。
 晋矢さんの好みに合っているだろうか。

 いつもと同じように、頭の中で、やるべきことと、やろうと思っていることが混ざってしまい、ごちゃごちゃと整理させられなくなって。
 それに気がついたことで、さらに狼狽えて。
 こんなだから、おじさんなのに落ち着きがないと思われてしまうんだ、と情けなくなりかけた所で、ふわりとこうばしい香りを感じた。

 スッと一瞬で落ち着いた頭の中に驚きながら、昼に食べたいものを、晋矢さんに聞けば良い、と結論を出す。
 これまでなら〝もっと色々と用意しないと〟と焦って慌てていたはずなのに。

ヒロシさんの作ってくださる食事を目当てに、ここに通ってしまいそうです」
「え……」
「冗談ですよ、冗談ですからね」
「……晋矢さん」
「はい」
「…………し、晋矢さんが来てくださると、嬉しいです」
「え?」

 わたしは一体、何を言っているんだろう。
 そう思う気持ちを持て余しながら、顔が笑顔になるのを止められない。
 だって、本心だ。
 晋矢さんがいてくれると、とても穏やかな気持ちになる。
 いつも一人で焦って慌てて疲れ果ててしまうことを、忘れてしまいそうだ。

 晋矢さんが来てくれるなら、晋矢さんの家に行けるなら、穏やかに過ごせる気がする。

「弘さんが純粋すぎて辛い」
「晋矢さん、どこか調子が悪いんですか?」
「調子は万全です、食後は何処かに行きますか?」
「食材を買いに行きます」
「一緒に行って良いですか?」
「……ただの、買い物ですよ」
「一緒に行きたいんです」

 そう言って微笑む晋矢さんは、心からわたしと一緒に過ごすことを望んでくれているようで、うまく言葉が出なくなってしまう。

「食事のお礼に、荷物持ちをさせてください」
「え、あ、はい」

 鍛えていなくてもわたしだって男だ。
 店内ではカートを使えば良いし、買い物カゴくらい自分で持てる。

 お礼なんて必要ないのに。
 そう思うと同時に、晋矢さんの言葉が嬉しくて。
 わたしのしたことを、喜んでくれる人がいる事が、息が苦しいほど嬉しくて。

 なぜだか焦ってしまって、顔が熱くなった。
 情けない顔を見られたくなくてうつむき、何か言わなくてはいけないと、さらに焦る。

「弘さん、ご一緒するのは迷惑ですか?」
「い、いいえ、いつでも、晋矢さんならいつでもだ、だ……」

 大歓迎です、と言葉にしようとして、気がつく。
 他人に合わせるのが苦手なわたしに、晋矢さんが合わせてくれている。

「その、い、忙しくなけれ……ば」

 押し付けがましくないように言い直そうとしてどもり、尻すぼみになった言葉を口にしたものの、晋矢さんの反応が怖い。
 何を言っているんだと思われたくない。
 晋矢さんから向けられる好意が本物だとしても、わたしが増長していたら何もかもをぶち壊してしまう。

 ふわりと鼻に届いだ香りと共に、温かい手がわたしの手を包む。

「予定を教えていただけますか?
 弘さんの予定が空いてる日で、次に来ても良い日を教えてください」

 微笑む若い顔は、あまりにも眩しかった。



 晋矢さんと一緒に食べる食事は、自分が作ったものなのに、いつもよりも美味しい気がした。

 障害が理由で、料理のようなマルチタスクはとても苦手だ。
 苦手であっても、上達しないわけではない。
 一人暮らしを始めてすぐ、おれは一人でも生活できる、ばあちゃんを呼んで一緒に暮らそう、って料理を練習してよかった。

 ばあちゃんを、あの家から出してあげることはできなかったけど、晋矢さんが「美味しい」って言ってくれる日が来るから報われる、って昔のわたしに教えたい。

 朝からしっかりと腹にたまる食事を終え、開店時間までニュースを見て時間をつぶす。
 最近はやりのスイーツ特集を見て、あれ、若い時にも流行ってたような気がする、なんて思って。

 晋矢さんに「知ってますか?」と聞けば、わたしが覚えているよりも豪華な盛り付けで、見た目がキラキラ光っているような写真が、たくさん投稿されているのを見せてくれた。
 昔とは違うなと思いながら、わたしが若い頃は、流行りのスイーツを追いかけている余裕はなかったなと少し沈んでしまった。

 晋矢さんが手伝ってくれたおかげで、皿洗いも洗濯も、あっという間に終わった。
 掃除は昨日したばかりだけれど、晋矢さんは毎日掃除しないと気になる人だろうか、と様子を伺っていたら、なぜか微笑まれて手を握られた。
 大きな両手で手をすっぽりと包まれるのは、恥ずかしいけれど、不思議と落ち着く。

 近所のスーパーに行こうかと思っていたけれど、晋矢さんが部屋で使うクッションや食器棚が見たい、と言うので、食料品の他に日用品を置いている大型店に行くことになった。

 わたしも晋矢さんも車を持っていないので、荷物持ちを頑張ろう、食材は少なめにしないと、と考えていたのが顔に出ていたようだ。
 今日は下見で、良いものがあれば、インターネットの大型通販モールで探して注文します、と言われた。
 どうして晋矢さんはわたしの考えていることが分かるのだろう?と思いつつ、うなずいた。

 愛用の保冷リュックを背負い、なぜか、晋矢さんと手を繋いで、店まで歩くことになった。
 通り過ぎる全ての人に見られているような気がして、恥ずかしくて仕方ないのに、手を離せなくて、離したくなくて困った。



  ◆



 わたしは、少しずつ晋矢さんを知っていく。

 週末に来てくれる晋矢さんと買い物に行くのは、とても楽しい。
 夕食を、朝食を、昼食を、何を作ろうかと話し合えるから。
 一緒に作ってくれるから。

 どんな味が好きなのか、お気に入りの調味料はあるのか、苦手な味はあるのか。
 そんな、とは一度も話し合うことのなかった会話ですら、晋矢さんが相手だと楽しいと思ってしまう。

 が来なくなっても、日々を空虚に感じることはなかった。
 一人で部屋にいる時でも、のことを思い出すことはほとんどない。

 前は、いつくるのか、今夜は来るのか、と緊張して食材は足りているのか、の機嫌はどうなのかといつも気にしていたのに。
 わたしは、本当にひどい人間だ。

 彼を歪めてしまったのに、全く反省していない。

 室内にいる時に、晋矢さんの匂いをいつも感じるからかもしれない。
 ふんわりと温かいこうばしい香り。
 優しい気持ちにさせてくれる香り。
 わたしのアパートに、晋矢さんの私物は置いてないから、幻臭だと分かっている。
 それでも、落ち着く。

 晋矢さんは、わたしがパーソナルスペースに侵入されることを苦手に思っていることを気がついているのか、部屋に私物を置いていかない。
 トラベルサイズのシャンプーやボディソープはもちろん、歯ブラシでさえも、毎回持ち込んで持ち帰ってくれる。

 晋矢さんの食事の好みも知った。
 好き嫌いは少なくて、肉も魚も好きだけど、塩辛みたいな癖が強いものは苦手。
 野菜もパクチーやセロリのような香りが強すぎるものは、他の味がわかりにくくなるので苦手。
 重篤な食物アレルギーはない。

 甘すぎるものは好きではないから、ジュースや加糖の缶コーヒーはあまり飲まない。
 ケーキなら一つ、パフェやアイスは小さめで十分だという。
 トールサイズのフラペチーノは甘すぎて大きすぎる。
 でも、おやつの時間にお茶菓子は食べたい。

 たいして手間も時間もかかっていない、出来合いものも使っている料理を、どうして喜んでくれるのか、と思ったら、目の前で作ってくれることが嬉しいと言われた。
 料理を作っている姿を見ると、幸せな気持ちになれると。

 笑顔で「両親が共働きだったから、手作りの食事が嬉しい」なんて言われて、エプロンを買おうかな、と思ってしまった事が、なぜかとても恥ずかしくなった。

 あとは好きなこと、得意なこと、苦手なこと。
 体を動かすのが好きで、休みの日は空手の道場に通っている。
 やった事があるのは水泳や野球、サッカーなど、授業でやるようなスポーツくらい。

 空手の段位は持っているけれど、あくまでも趣味の範囲内なので、師範などの肩書きは目指していない。
 体を動かすだけでなく、スポーツ観戦も好きで、動画や試合の放送を見ることが多い。

 将来は医療系能力者の専門職を目指している。

「晋矢さんなら、きっと素晴らしい職に就けると思います」
「ありがとうございます、励まされます」

 軽く触れられるだけで、わたしは癒されている気がする。
 晋矢さんと知り合ってから、わたしは日々を過ごすのが楽になった。
 上下に振り幅の大きかった不安定な精神面が、少し改善された気がする。

 医療従事者になりたいという希望を聞いて、晋矢さんの天職だと思った。

 
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