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その後
17 兄ちゃんとおでかけ
しおりを挟むトリル兄ちゃんと一緒に、両親の店を改装した喫茶の新装開店前の、試食会兼、店舗完成お披露目会に行くことになった。
名目上はおれが土地と家屋の所有者だから、招待客として呼ばれている。
ドキドキしながら、下町まで移動車で向かう。
兄ちゃんが握ってくれる手が、命綱みたいな気がする。
これまでは使わないからと、兄ちゃんは自家用の移動車を所持していなかった。
けれど、少し前におれと外出する機会が増えるから、と整備と運転をしてくれる新しい使用人さんの雇用込みで、購入してくれたのだ。
移動車の購入金額は教えてもらっていない。
高いものだ、ってことしか知らない。
けれど、おれが一年も庭にいれば回収できるらしい。
……そう言われてみれば、庭の果物にとんでもない値段がついてたのを報告書で見たような。
真夏の果物が、寒くなっていく今の季節に旬の状態とは素晴らしい!、と高値を払ってくれる人々がいるのは聞いていた。
でも、庭師さんたちともっと美味しくなあれ、と作った作物の値段はそれ以上だ。
価値があると認められるのは嬉しい。
でも、兄ちゃんの言葉を守って、やりすぎないように。
今のおれには、助けてくれて知識をくれる人がたくさんいる。
それはなんて幸福なことなんだろう。
おれも、もっともっとみんなに分け与えたい!
庭が気持ちよくて、ずっと家を出ていなかったから、店に近づくにつれて緊張してきた。
空いている手で胸を押さえて、すべすべの服の手触りにほっと息をついた。
今日のために用意した、使用人さんたちと意見を交換しながら仕立ててもらった、おれの服。
冬の苔色の生地はわずかに起毛していて、遠目に見るとつやめいている。
職人さんが仕立ててくれた、とてもお気に入りになったばかりの、新しい宝物。
寝台の布地が素晴らしい手触りでうっとりしていたのを見られていたらしくて、おすすめされた布地は全部すべすべ系だった。
自分の服だけなら、きっと断っていただろうけれど、兄ちゃんとお揃いにする、と言われて、誘惑に負けてしまったのだ。
服はお揃いだけど、色は変えてもらった。
だって、恥ずかしいから。
でも、布地は同じだからすべすべだ。
兄ちゃんに、大好き、って抱きついた時もすべすべ。
兄ちゃんが、大好き、って抱き上げてくれた時にもすべすべ。
うん、おれは、すべすべが好きだったらしい。
これ、好きだなと思えるものがどんどん増えていく。
好きだと声を出して訴えると、みんなが喜んでくれるのは勘違いではないはずだ。
という訳で、兄ちゃんとおれは、開店直前の喫茶の店〝ヘデルマタルハ〟にやってきた。
店の周りの景色は、おれの記憶と変わっていない。
この家の売買を、不動産屋に頼みに来た時の記憶と、だ。
以前は違った。
子供の頃、下町でも貧民街に近いこの辺りは、流行り病の前までは薄汚れた雰囲気だった。
けれど、下町も貧民街も流行り病で住民が激減したのを機に、区画整理の手が入った。
国が、初めからそれを狙って下町ごと隔離したのではないか、と疑ってしまうのは、きっと、おれが両親の死に立ち会えなかったからだ。
お別れが言えなかった。
それが、心残りになってる。
古い建物が打ち壊されて、建て直されて、道も新しく敷かれた結果、貧民街はなくなった。
王都の外縁に新しい貧民街ができて、壊された、という噂は聞いたことがあるけれど、行ったことはない。
行きたい訳でもない。
今のこの辺りは、下町ではあるけれど、生活に余裕のある層向けの地区になりつつある。
十二年で、すごく変わった。
店が、見えてきた。
胸が、いっぱいになる。
言葉が出ない。
両親の店が形は違っても再建された苦しいほどの喜びと、両親の店ではなくなった悲しさ。
ぎゅ、と兄ちゃんが握った手から勇気をくれた。
外壁がきれいになっている。
補強工事をしただけでなく、磨いて塗料を塗ったのだろう。
二階建ての形は変わっていないはずなのに、真新しい建物のように見える。
風雪で壊れかけていた鎧戸は変えられて、熟れたオメナの果実色に塗られている。
窓枠は白。
壁は優しい枯れ草の色。
店の外には低い縁台が置かれている。
桶に水が張られて、色とりどりの花がたくさん並んでるのは、誰かからのお祝いだろうか。
古い石畳に足を取られがちだった道も、上町ほどではないけれど、整えられている。
これだけで、期待が高まる。
両親の店に通っていた人々はいなくても、新しい店は望まれている。
また、人に愛される姿が見られるかもしれない。
今のおれにとっての〝自分の領域〟は、豪邸全域に広がった。
でも、ここだっておれの大事な場所だ。
長年を過ごした軍の敷地では、どこにいても落ち着かなかった。
寮の自室だって落ち着ける場所ではなかった。
おれは店の土地家屋の所有者だから、喫茶の運営には関わっていないのに、庭師さんたちがこの店と専属契約した、という。
両親の店みたいに、常連のお客さんに愛される店になったら嬉しい、というおれの望みを、みんなで叶えてくれようとしている。
それを聞いて嬉しくて、昨日は泣いてしまった。
兄ちゃんが、朝に顔の腫れを治してくれたけれど、その後で、軍の定期検査で見慣れていた、金属を溶かしたような物を注射された。
これを体内に入れておくと傷の回復が早くなる、らしい。
なるほど、だから定期的に注射されていたのか。
兄ちゃんは、注射も上手だった。
従軍神官一の癒術の熟達者が、治療の専門家なのは当然か。
喫茶ヘデルマタルハの売りは、新鮮な野菜と果実を使っているのに、お手頃価格の料理と甘味だという。
どうしておれよりも兄ちゃんが詳しいんだろう。
え、おれとのお出かけが楽しみで眠れなかったから、調べてみた?
……兄ちゃんは時々、おれが返事できなくなることを言うんだ。
嬉しいけどすごく困る。
「いらっしゃいませ、ようこそおいでくださいました、奥へどうぞ」
この店の主人だと名乗った若い女性と、料理人だという男性が二人、そして雇われている接客係が二人。
そんなに大勢必要なのかな、と思いつつ、兄ちゃんに手をひかれて進んでいく。
所有者特権?、で簡単な壁で区切られた一番奥の四人がけ席に案内された。
机も椅子も新品だ。
でも、やすりをかけて磨かれた壁は、たしかに子供の頃に過ごした店のものだ。
上着かけは新しいものに変えられ、可愛らしい花模様の壁掛けがとめられている。
店の中の匂いに酒臭さは含まれていない。
酔漢の怒鳴り声も、げらげらと響く笑い声もしない。
全く違う、でも、両親の店は息を吹き返した。
嬉しい、ありがとう、兄ちゃん。
おれ、すごく嬉しいよ。
おれが感極まってしまうと、うまく言葉にできないことを知っている兄ちゃんが、背中を優しく撫でてくれる。
ボロボロ泣いて、顔がまた腫れぼったくなって。
最近、おれは泣いてばかりだな、なんて思っている間に治してもらって。
両親が死んだ、兄ちゃんがいなくなった、あの時から、おれは泣けなくなっていた。
だからきっと、今は嬉しいも悲しいも関係なく、十二年分の涙がたまっているんだろう。
そう考えておくことにした。
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