ひだまりで苔むすもの

Cleyera

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本編と補話

補話1 納得のいかない話 :注意:汚いです

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 体が勝手に動く。
 なんだこれは、声が出ない!

 突然やってきた神官鎧のガキが、なんだかよくわからんことを口にしたら、なにもかもがおかしくなった。

 従軍神官を名乗る奴らに、ずるずると引きずられるように連れてこられたのは、下水処理設備区画。

 上層部に訴えてこい!、と金魚のフンのようにくっついてきているレイニレガ少尉、スタルケ准尉に言いつけようにも、体が動かん。
 声も出ない。
 気がつけば神官たちと自分だけになっていた。

 あいつら、逃げやがったな!!

「懲罰として本日より満十日間、休憩は二刻四時間おきに半刻一時間で、下水設備の清掃をしていただきます。
 第二癒術八一二式の維持権限譲渡は、すでに済んでおります」
「な」

 なんだと!?
 耳を疑った。
 下水設備の清掃は、下っ端のぺーぺーの士官ですらない二等兵向けの仕事だろうが!!
 ふざけたことを言うな、どうして佐官である自分が、他人のくそに塗れなくてはいかんのだ!

 怒鳴りつけようとしても、言葉が出ない。
 体が勝手に動く。

 従軍神官たちは顔に防臭用の布を巻き、保護眼鏡ゴーグルをはめながら「ああ、そうだ」と思い出したように言った。

「施術されている間は、睡眠をとることができません。
 きっちり十日間、我々も交代で付き添わせていただきますので、ご安心ください。
 食事は休憩時、排泄は作業中にその場でしてください」
「な」

 なに一つ安心できるものか。
 ふざけたことを言うな、死ね、今すぐこれを止めろ!!

「清掃にはこちらを使ってください」
「な」

 なんだそれは、やめろ、そんなもの放りだせ!
 うわっっ、なんて臭いんだ、やめろ、掃除など誰がするか!!

 こびりついたへどろを削り、すくい取るシャベルを、手が勝手に受け取る。
 止まれない。
 足が止まらない。

 言葉が出ない、何も伝えられない。
 清掃時に使う胴長靴ウェーダーの支給もないまま、私物の高級軍靴と平時制服のまま、ぐちょり、ずぶり、とすさまじく臭いへどろに踏み込んでいく。

 止まれ、止まれ、なぜ止まらない!!

 足先が冷たく濡れて、すぐに太ももまでぬるぬるでどろどろの汚泥に沈んだ。
 臭い、臭い、臭い!!

 下水設備の詳細など知らんので、これが他人の排泄物の成れの果てなのか、施設から排出された有害物質なのかの判断もつかない。

 やめろ、やめろ、やめろおおおおっっっ!!!

 自分の腕が、シャベルを機械的に振るって、排水溝にこびりついているへどろをすくい上げていく。
 削ってすくって容器に入れていく。

 臭い、汚い、冷たい。

 顔や体に飛んできたへどろを、拭うことができない。
 全身が汚泥にまみれているのに、冷えるどころか熱が出たようで、体を止められない。

 他人に見られているという事実が、心をへし折ってくる。

 それでも一回目の休憩が来るまでは、まだ人の尊厳を保っていた。
 この状況をくつがえせると思っていた。





「一回目の休憩です、食事と飲み物を摂取してください」
「な」

 なぜ、この状況で、普通におまえらは過ごしているんだ。

 鼻が曲がるような臭いで、他の臭いがわからない。
 顔面に飛んだ汚れを拭くこともできずに、真っ黒でぐちゃぐちゃの汚泥まみれの自分の手で受け取った食事を、自分の意思ではなく口に突っ込んで。

 吐いた。
 体は動かないままなのに、舌と喉がこれは食物ではないと判断した。
 直立したまま動けないのに、たった二刻で黒ずんだ制服が吐瀉物にまみれていく。

 まだ吐いているのに、酸っぱい口に手が食事を突っ込む。
 口が勝手に動いて噛み砕くが、ひどい味と臭いで飲み込めずに再び吐いた。

 体が動かなくても吐けるのか。
 そうだ、こんなもの食えるか。
 全身を洗浄して、きちんとした場所で、佐官にふさわしい食事を用意しろ。
 汚れも落とさずに、二等兵の食うような安っぽい飯など食わされてたまるか。

 食わなければ弱って倒れる。
 倒れれば解放されるのではないか。
 そう思ったが。





 なにも変わらない。

 言われた通りに睡眠をとることはできず、排泄は作業をしながらもらして。
 服の中にもらしているのに、全身がへどろにまみれているので、気づかれることなくそのまま。

 髪の先から足の爪先までへどろにまみれ、制服も軍靴もぬめぬめと光る泥で真っ黒に染まった。

 全身どこもかしこもへどろまみれだ。
 ひげも伸びているだろうが、顔もへどろで汚れている上に、命令されなければ鏡を見に行くこともできない。

 へどろを着ているのと変わらなくなった。
 汚物まみれの姿で過ごすことに慣れて、感覚が麻痺していく。

 眠れなくても、眠気がないわけではない。
 今が昼か夜かも次第にわからなくなっていく。

 意識がもうろうとしている時間の方が長くなる。
 何日目か分からない。

 爪も指もへどろの一部になってしまったように、真っ黒に染まった。
 傷ができたのか、ずきずきと痛むが、どこが痛いのか汚過ぎて判断できない。

 汚れた手を洗うことも許されずに、受け取った安っぽい食事を口に突っ込む。
 思い出したように疲弊した意識を犯してくる腐敗臭と、へどろの味に耐えきれずに吐く。

 ぬるぬるとじゃりじゃりとした食感を伴い、砂糖の味ではない甘苦くてえぐい、食べ物とは思えないへどろの味を上掛けされた、安物の薄い肉を挟んだパンなど食いたくない。
 食べなくては死にそうなほど、腹が減っているとしても。

 こちらを見ている従軍神官どもは、手を洗えとも口をすすげとも言わない。
 距離をとったまま、休憩と作業再開の命令を下すだけ。

 何度も吐いたからなのか、食事や飲み水を離れた地面に置かれて「摂取してください」と言われるようになった。

 吐けば、体が飢えと渇きを訴える。
 それでも「休め」と言われなければ、体は働き続ける。

 気がついた時には、自分の手の形にへどろがついたパンを、飲み込んでいた。

 体は動かないのに、涙が出た。
 目にもへどろが付着したのか、ごろごろとして痛い、視界が霞む。

 嗚咽と吐き気がおさまらないまま、喉を逆流してきた塊を、強引に飲み込んだ。
 自分の、意志で。

 ここで吐けば、また次の休憩まで、なにも食えない。
 なにも飲めない。
 吐いても新しい食事も水も、もらえない。

 屈辱だと思っていた気持ちが麻痺していく。

 声が出れば、持ってこい、と命令できるかもしれないが。
 従軍神官は部下ではないので、動くかどうか。

 動けば腹が減る。
 喉が渇く。
 ずっと腹が痛い、へどろを食べたせいで下した。

 当たり前の欲を当たり前に満たせていた普段が、まるで蜃気楼の向こうで揺れるように遠い。
 現実感が失せていく。

 体が思い通りに動かせない。
 それが普通になった頃。

「様子はいかがですか」

 あのガキがやってきた。

 ぶっ殺してやる。
 怒りで、再び見えるようになった視界。
 心の中で散々罵っても、体は作業を続けるのみ。

「ヴィグォルウ従軍特務神官長さま、作業は順調にすすんでおります」
「それはよかった、中佐の生命維持に問題はないようですね」

 訳のわからない会話をしながら、奴はこちらを見ようともしない。

「勉強になります」
「あなた方は不死兵の運用は初めてですか?」
「はい、我々は最後期に移植を受けており、戦場を知りません」
「なるほど、では良い運用試験になりましたね、ここはまかせます」
「はい」

 なにかのついでに顔を出した、とでも言うように、ガキは出ていった。
 こちらを一度も見ずに、おまえなど見る価値もないと言うように。

 殺す、殺す。
 絶対に殺してやる。
 なぜ、こんな目に遭わなくてはいけない。
 下官の保護義務?

 守ってやっていただろうが。
 役立たずとして追い出されないように、仕事を与えてやった。
 軍人としていることすら間違っている雑魚のボケ野郎に、ふさわしい仕事を与えてやっていた。

 なぜ、なぜだ。

 納得できないまま、時間だけが過ぎ。
 ようやく、十日間が過ぎて解放された時には、傷口から体が腐り始めていた。

 
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