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迷子がなにかに使えるかなと餌を与えたら、お礼をしたいと望まれた

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 驚いて言葉を失ったぼくの頭を、木が少ない若葉とたくさんの枯れ葉がついた細い枝の先でそっとなでた。

 木が動いてる。
 木って動くの?
 そんな話、読んだことないけど。
 話にないだけで、木が動くのは普通だったりする?

『どうしたの?』
「えぇと、木、木って、木だから」

 いったい、ぼくはなにを言いたいのか。
 自分でもよく分からないまま、もごもごと言い訳のように口を開いて、うまく言葉にできずに口を閉じた。

『うん、木だよ、きみは迷子?』
「本当に木なんだ、すごいや、ぼくは、ぼく、迷子ではないけど、迷子というか」

 自己紹介をしようにも、ぼくは家を捨てて逃げ出した身。
 子爵家嫡男としての名前を名乗るわけにはいかない。
 でも、まだ偽名も考えていなかった。

 迷子か、という質問にも答えにくい。
 暗くなるまで森に隠れていようとは思ったけれど、なにも見つけられない上に迷うと考えていなかった。

 つまり、準備も覚悟もぼくには足りなかった。

 説明できない。
 ありのままを伝えるには、相手は木で信用できるか不明。

 頭の中が真っ白になって、言葉に詰まってしまったぼくの体だけは正直だった。
 くるるるぅ、とお腹が鳴り、昨夜からなにも食べていないことを思い出す。

 今の時間を知ろうにも、頭上には木の葉しか見えない。
 よく見ると、枯れかけた葉が多く見える。
 病気の木、なのかも。
 目の前の巨木の白い幹がぼんやり光っているような気がして、昼なのか夜なのかも分からない。

『お腹が鳴るのは食べ物が欲しい時、だったかな……んー、フタツアシなら……はい、どうぞ』

 するすると頭上から降りてきた細い枝の先端に、見たことのない果物がぶら下がっていた。
 アルマやクルテのような形をしているけれど、果皮の色が不思議だ。

 アルマのようにつやつやの赤ではなく、クルテのようにざらついて柔らかい緑色や黄色でもない。
 真っ白の果実。
 雪を丸めたような真っ白い果実からは、知っている香りがした。

 握りしめたまま寝ていた拾った葉を嗅ぐと、同じ香りがする。

 甘くて芳しい。
 つん、と鼻の奥に届くわずかな酸味のある香りと共に、頭がくらくらするほどの甘さが届く。

「ありがとう、ございます」
『はい、どういたしまして』

 白い果実に手を寄せると、ぽろりととれて、ぼくの手の中に転がってきた。
 片手に乗せるには大きいけれど、両手で包むには小さい。

 香りを嗅ごうと鼻を鳴らせば、くるるぅとお腹が返事をした。

 ぼくの歯は、薄い果皮を簡単に食い破った。
 真っ白の皮の中身は、みずみずしくて真っ赤だった。
 血肉を思わせる果肉は、生々しい生き物じみた質感に見えるのに、気持ち悪いとは感じない。

「おいしい!」
『そうか、よかった』

 シャクシャクと歯触りが良いのに、ふわふわと柔らかさもある不思議な食感。
 中心に近づくほどにねっとりとしていき、濃厚な味と身が詰まっている。

 喉が苦しくなるほど甘くて、酸っぱいような、ほんのりした青臭さもある。
 新鮮な果実にしかない生臭さのような、蜜煮などに調理したら失われてしまう果実の命をもらっている。

 素直に、そう感じた。


 夢中になって果実にかじりつき、種の一つも入っていないと気がついたのは、柔らかい皮も残さずに食べてしまってからだった。

 果実一つで、飢えも渇きも楽になった。
 誰にも邪魔されずに食べ終えられたのは、いつ以来だろう。

 手のひらや指についた、赤く滴る果汁が勿体無い。
 でも、舐めるのは行儀が悪い。

 名残惜しく手指を見ていたぼくの前に、するりと滑り込むように二つ目の果実が姿を現した。

「いいの?」
『えんりょしないで良いよ、いくつでも作ってあげる』

 性別や年齢を感じさせない音なのに、機嫌が良さそうだと感じた。



   ◆



   ◆



 ぼくが、自称〝木〟のお世話になるようになって、おそらく数日が過ぎた。
 木の枝で空が見えないから、昼も夜も分からない。

 話しかけてくれる回数は多くないけれど、木が優しくて離れたくないと思った。

 勢いで飛び出したけれど、行く宛てがないこと。
 今いる場所が、街からどれくらいの距離なのか分からないこと。
 飢えや渇きと無関係に過ごせること。

 ずっと孤独を感じていたぼくが、動きたくないと考える理由には十分だった。

『おはよう』
「おはよう、木さん」

 自分のことを〝木〟と名乗った相手を、そのまま木と呼ぶのは奇妙な気がしたけれど、他に呼ぶ名前もない。
 ぼくだって、名乗っていないままだ。

『はい、どうぞ』
「いつもありがとう」
『はい、どういたしまして』

 ぼくが空腹を覚えるたびに渡される白い果実は、その時々によって大きさが違って、味も少しずつ違う。
 だからなのか、同じ果実しか食べていないのに飽きることがない。

 果実しか食べてないからなのか、出るものが極端に減ってしまって、それは気になっているけれど。
 お腹の中で詰まっていたりしないよね?

 しゃくしゃく、ふわふわ、ねっとりと甘い果実を堪能して、体を洗えないことで開き直って、果汁まみれの手のひらをなめて。
 ほう、と満足の息をついたぼくは、目の前を覆い尽くす大きな木を見上げた。

 木に耳があるようには見えないのに、会話が成立する。
 これまでの様子から、この自称〝木〟が理性的な相手だと信じて。

 初めて、自分から話しかけた。

「木さん、聞きたいことがあるんだけれど」
『なんだい?』
「ごちそうになるばかりでは心苦しいから、なにか、お礼ができないかな」

 貴族として、民のために。
 常に歩み続けろ、後ろを向くな。
 苦しい時こそ、楽しそうな顔をしろ。
 泣き言を吐くくらいなら気炎を吐け。

 おかあさまの教えは、ぼくが実行するには辛いことばかりで、でもその中に、今のぼくに必要な教えもあった。

 借りは作っても、貸しを溜め込むな。

 木に貸し借りの考え方があるのかは不明だ。
 今のぼくは木の気まぐれで生かされているだけ、かもしれない。
 いざという時にすぐに身動きを取れるように、印象をよくしておいた方が良いと思う。

 お世話になりっぱなしでは、ぼくはここから動けなくなってしまう。
 ここが街からどれくらい離れていて、広い森のどの辺りかも分からないのに。

『お礼?』
「そう、たくさん果実をもらったお礼」

 なにもできないかもしれないけれど、と言おうとしたその時。

『種が欲しい』
「たね?」
『そう、食べた実に種は入ってなかったでしょ?』

 思い返してみれば、確かにこれまで受け取った果実に種はなかった。
 皮まで食べられてしまう柔らかい実だから、種がないものだと思っていたけれど、違ったらしい。

 言われるように種はなかった、と頷くと、しゅるしゅると何本もの枝がぼくのそばに降りてきた。

 枯れ葉と若葉が混在する枝。
 若葉なのに、揺らすとはらはらと落ちてしまう。

 なんだろう。
 なにが起きるんだ。

『種がないウツシミは完熟まで待っても動かせない、種があれば動かせるウツシミになる、動かせるウツシミを実らせたい、フタツアシの巣穴をどかしたい』
「……なるほど?」
『ヨツアシのオスの種では知能が低くてうまくいかなかったけど、フタツアシのオスの種ならできるかもしれない』

 知らない単語が大量に混ざったけれど、要約すれば種が必要という意味らしい。
 巣穴って、なにのだろう。
 ぼくから見える根元の周囲に、木の発育を邪魔するようなものは見当たらないけど。
 地中のアリの巣みたいなものかな。

 だんだん早口になっていって、木の言葉がうまく聞き取れない。
 聞き取れないけれど、分かることだってある。
 すでに知っていることも。

 花が咲いた後には実がなる。
 めしべは、おしべから花粉をもらう。

 本にそう書いてあった。
 首が痛くなるほど見上げてみても、空を埋め尽くす巨大な木の梢に花らしいものは見えない。

 どうして果実に種がないのか、調べられるだろうか。

 
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