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10 ボク
イヤチコ 前
しおりを挟むボクたちは、歩き続けた。
旅をしていても、ディスは常に情報収集を続けていた。
シサイ仲間だけでなく、冒険者組合や情報屋、犯罪者に近い連中まで使っているようだ。
やり方が徹底的で苛烈すぎて、理解できないこともある。
けれど、目的を見失うことがないので、文句も言えない。
怪しげな団体や集団や教団を見つけて精査し、潜在的な脅威を減らす事を怠らない。
虫の這い出る隙間もない細やかで執拗で舐めるようなやり方には、絶対にかみさまを傷つけさせたくないという妄執めいた愛情を感じる。
ボクと同じくらい、こいつはゼンさまへの想いを重たく拗らせている。
ゼンさまは、なにもかも知っているのだろう。
知った上でボクたちのやりたいようにさせてくれる。
そんな日々を過ごしていたある日の事。
ディスが、原大陸と呼ばれている、かつてかみさまが降りられた伝説の残る地への移動を提案してきた。
現在いる新大陸の浄化が終わった、と判断したのだろう。
急激な環境の変化は、体の弱いゼンさまに良くないのではないか、と渋るボクに、根拠としてディスが使っている複数枚の地図を出してきた。
ボクとディスが潰した教団などを書き込んだ地図。
潰す必要までは無いけれど、サイシを差し向けた場所の地図。
ボクたちが三人で訪れた場所と、ボクとゼンさまが行ったと伝えた場所を書き込んだ地図。
大地の浄化具合から、ボクたちに出会う前にゼンさまが訪れたと考えられる場所を書き込んだ地図。
最後の地図は、人の手が入っていない未開の地ばかり埋まっていた。
人のいない山谷で、火おこしもできないゼンさまはどうやって過ごしてきたのか。
まるで、最初から大地を等間隔に進んで浄化しているように、ボクらは歩いていた。
ボクらも知らない間に。
かみさまが初めから決めた事をなぞってきたように。
そしてボクは、ゼンさまと共に知らず知らずのうちに故郷すら通り過ぎていた。
いつの事か、思い出せなかった。
安堵よりも、空虚さを覚えた。
故郷はもう無い。
この場所に、大陸に、未練はない。
ゼンさまの浄化能力が強くなり、人への試練は不可能になっている。
魚は清らかすぎる水の中で生きられない。
今のゼンさまの存在は、人には清らかすぎる。
強い欲望を抱えたものや、黒いもやもやを溜め込んだものは寄ってくるが、ごく普通の弱い人々には劇薬になる。
ゼンさまは弱い肉体しか用意できなかったのに、人のために弱い浄化能力だけを備えて世界を歩いていた。
シンシを得た事で、試練よりも浄化を進める方針へ変えてくださったのだろう。
ボクたちの手で、人の善心を育む方法は思いつかない。
かみさまへ悪心を抱くものを減らす作業だけは、二人で粛々と進めてきたから、諦めが肝心なのかもしれない。
新大陸全土の浄化が終わった。
そう言われてみれば、確かにそう見えた。
いつも薄くけぶっていた空が、くっきりと陽の輪郭を見せる。
降り注ぐ雨は清らかで、けれど大地は枯れていて。
試練がうまくいかないから、大地は実りを失っていくのか。
浄化された世界が生命豊かな姿を取り戻すのか、ボクらにも分からない。
ゼンさまが人に与えている試練は、浄化とは別だ。
浄化された大地に、黒いもやもやを撒き散らす人が残っていたら、また世界が濁って霞んで見えなくなるのではないか。
不安はあるけれど、ゼンさまはディスの提案に賛成してくれた。
ゼンさまにとっても、潮時だったのか。
生まれ育った新大陸に別れを告げて、ボクはどす黒く濁った海へと乗り出した。
船旅は苦痛の連続だった。
一日中、瞬きひとつの間でも気を抜けない生活は、子供の頃に末っ子叔父と過ごした時よりも大変だった。
乗船初日。
たった一晩でゼンさまは船と周辺の海を浄化した。
具合の悪いゼンさまに陽光を浴びてもらおうと出た甲板で、ボクは言葉を失った。
巨大な黒い水たまりだと思っていた海は、三角に尖った波を泡立たせる、力強く広大なものになっていた。
魚が狂ったように船に飛び込んでくる、と船員たちが会話していた。
ゼンさまに感謝の念を伝えようとしているのか。
それとも、元の黒く濁った海を返せと怒り狂っているのか。
魚の言葉は分からないけれど、船の上に飛び込んできた魚はびたびたと甲板の上で足掻き藻搔いて、食事の材料になった。
快適なはずの船の中は、お世辞にも過ごしやすい場所ではなかった。
ボクやディスは困らなくても、ゼンさまにとって船旅は良い選択では無かったと知る。
けれど、ゼンさまだけに特別扱いを願えば、黒いもやもやを持つ誰かを引き寄せてしまう。
現行、船以外で大陸を移る方法は無い。
金はいくらでも稼げても、伝手と権力の足りないボクたちでは、大海横断可能な大型船をまるごと借りることは難しかった。
選択肢を選べなかったディスは、言い訳を失い。
状況に文句を言いたくても言えないボクは、歯を食いしばった。
ボクたちから見れば賓客に対する対応であっても、ゼンさまにとっては違った。
全てに困惑している様子のゼンさまに心が痛んだ。
真っ暗な船室に怯えて震え。
わずかな船の揺れにも体調を崩し。
食べれば腹をくだす食事に眉を下げる。
見知らぬ誰かの艶めいた声や、下品な交合の物音に閉口して。
ボクらにとっては、全てが日常生活の延長のように当たり前だったけれど。
ゼンさまは心を曇らせていった。
その上、ボクたちは他の客とは違い、ただ船に乗っているだけでは無い。
ゼンさまを守らなくてはいけない。
狭くて周囲への警戒が難しい船内で交わり合う事は難しく、それを告げた時のゼンさまの表情に、ボクとディスはお互いを罵り合った。
望まれているのに、抱けない。
柔らかくてしなやかな肉筒に雄竿を収められない。
この時から、船旅はボクたちにとっても拷問の日々になった。
ゼンさまの限界を見極める事は難しかった。
大陸渡りの船乗りがかかりやすいと言われる病に近い状態になり、さらに嵐が遭遇した日、ゼンさまは亡くなられた。
ゆっくりと蝋燭が燃え尽きるように、ボクらの腕の中で身罷られた。
病の改善に菜葉や生肉が良いと知っていても、海では手に入らない。
普段から好んで食べられる果実や穀物も手に入らず、金を積んで手に入れた塩漬け肉は、ゼンさまには合わなかった。
そうでなくても、ゼンさまは命を奪う必要性から、肉を多く食べない。
ボクたちの不手際でゼンさまが亡くなられて。
三日三晩続いた嵐の後。
沈まずに乗り越えられた事を喜ぶ、船員や乗客の声の中。
ゼンさまが穏やかに目を覚ました事に、どれだけ安堵したか。
けれど、同じことが何度も続いた。
思わぬような事で、簡単にゼンさまの肉の殻は壊れる。
いつでも何度でも、戻ってこないのではと恐れ、心がすり減っていく。
毎回、ゼンさまの肉体が崩れて新しく形を取り戻すまで、二人で呼吸をひそめてただひたすらに願い続けた。
なぜ、ここまで弱い体で、地に降りようと思ってくださったのか。
亡くなる時の苦痛はいかほどか。
目覚めた時のゼンさまがにこやかに笑って下さるから、余計に心が疲弊していく。
ボクたちのために限界まで耐え、そして死ぬ。
なにを置いても一番に守りたいのに、守りきれない。
ボクらは、無力感に晒されながら耐えた。
原大陸に辿り着くまでの我慢だと。
そうして注意が疎かになり。
最終的に、優しいゼンさまへの執着を溜め込んだ船員たちと、深窓の君への興味を溜め込んでいたもやもやの発散に選んだ客を五人ほど、自壊させる事態になった。
一人が動くと、時間差で動き出すのは何故だ。
打ち合わせでもしていたのか。
ボクたちがいると知りながら、なぜゼンさまを連れ去ることが出来ると思ったのか。
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