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2 ボク
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しおりを挟む末っ子叔父は言った。
かみさまにお仕えするのがサイシの生きる理由だから、辛くても苦しくても逃げてはいけない。
痛いのも死ぬのも怖いなら、兄たちに逆らわないようにしなさい。
そう、それが正しいんだよ。
ああでもな、いつかかみさまにお会いするためと思って頑張ってきたけれど、辛い。
死にたいほど辛いのに、かみさまに会いたくて、お仕えしたいから死ぬ勇気が出ない。
うつろな目をして乾いた声で笑う末っ子叔父に、ボクはなんて返事をしたか覚えていない。
何度も暴行されたことで目が濁って遠くが見えない。
歯が足りなくて歪んでしまった顎。
骨が曲がった手足を抱え込むように話しをしてくれる末っ子叔父が、ボクは誰よりも美しいと思っていた。
かみさまに、末っ子叔父とボクを見つけてもらいたい、と願っていた。
果てのない大空を自由に羽ばたく末っ子叔父の夢想が、見えないものが見えるボクを肯定してくれた。
この力はかみさまにお仕えするためのもの。
サイシとして見える力を授かったのだ。
そう、思えていたのに。
いつか末っ子叔父と一緒に羽ばたきたかったのに。
ボクは、逃げた。
逃げ出した。
子供の足で、たいした距離を走れるわけもないのに。
末っ子叔父が溜め込んだものが。
実兄たちに注ぎ込まれたもやもやの、成れの果てだとしたら。
この先を見たら、かみさまへ捧げていた末っ子叔父の崇高な心を、失ってしまう気がして。
明け方まで足を止めずに進んで。
朝になってからは道を外れて、丈高い草原に座り込んで休んだ。
夜は死んだものの領域だから、生きた獣は出ない。
ボクも見つかったら不味いけれど、今は生きている人と獣の方が怖い。
もしも村の誰かに見つかったら。
末っ子叔父と同じ扱いになることが決まってしまう。
昼を行く野の獣に見つかったら。
食い殺されてしまう。
昼に見知らぬ誰かに出逢ったら。
どうなるかも考えつかない。
なにもかもが怖かった。
末っ子叔父を見捨てた自分が。
血のつながった末っ子叔父を抱くことに昂る兄の姿が。
自分の産んだ息子を、孫が犯すことを喜ぶ祖母が。
実の息子を蔑む祖父が。
己もと実弟を抱くことを望む父が。
自分達もと望む兄たちの姿が。
もやもやになってしまったような末っ子叔父が。
怖くて、怖くて、たまらない。
サイシなんて、なんの役にも立たないのだと言われたようで。
かみさまなんて、どこにもいないのだと突きつけられたようで。
もやもやどころでなく、どろどろと地面を埋めつくす黒ずんだなにかが、世界を覆いつくす気がして。
逃げた。
逃げ続けた。
夜露を飲みながら、人と獣に怯えながら。
夜毎にただひとつ星に願った。
死にたくない、と。
◆
あれから何日が経っただろう。
ボクは生き延びていた。
かろうじて。
偶然、いいや、おかしなものを見るボクの目と、おかしいと感じる心がボクを生かした。
ほうほうの体で逃げ込んだ町で見つけた荷馬車にもぐりこみ、どことも知らない町まで隠れて乗せてもらう。
良くないことだって分かってる。
でも、他にどうしようもない。
一人きりの子供を見つけた大人が、優しく世話をしてくれるなんて幻想だ。
町にたどり着きそうになったら、見つかる前に逃げて歩いて町へ入る。
しばらく浮浪児として過ごしてほとぼりが覚めた頃に、見つけた荷馬車にもぐりこんで他の町へ移動する。
何度かそれを繰り返した先で見つかってしまって、動けなくなるまで殴られてから道に放り出された。
放り出された幸運を喜ぶべきか。
優しい人に出会えなかったことを悲しむべきか。
場所は変わっても、人の腹の中にあるもやもやは変わらない。
色や量は違うけれど、だれもかれも、みんなもやもやを腹の中に溜め込んで飼い殺している。
人が多い場所には特にもやもやを多く持つ人がいて、それを見るたびに頭が重たく痛むようになってしまった。
見たくない、とボクが思うからかもしれない。
人が多い場所にはいたくない、どこかに長居するのも怖くて移動を繰り返した結果、見つかってしまった。
全身が痛いのは殴られたからだけではなくて、殴ってきた奴らのもやもやを末っ子叔父のように移されたからだ、となんとなく確信していた。
そう、あの頃は気がつけなかったけれど、末っ子叔父はもやもやを父や叔父たちから受け取っていた。
押し付けられていたのかもしれない。
末っ子叔父が吐き出せる量以上を受け取れば、溜め込んでいくのが当たり前だった。
ボクがもやもやが増えていることに気がついて末っ子叔父に伝えていれば、違う未来もあったかもしれない。
過去は変えられないのに、後悔してばかりだ。
もやもやは、他人に譲渡できる。
押し付けるのか、勝手に受け取ってしまうのかは知らない。
他人の肩を叩いた男から、叩かれた男へもやもやが移るのを見た。
握手をした手から手に、もやもやが這いずっていくのを見た。
触れれば必ずそうなるわけではないから、条件があるのかもしれない。
口から吐き出したもやもやは宙に溶けたように見えるけれど、それだって消えていないのかもしれない。
殴られた全身が痛くて、もやもやの溜まっているだろうお腹の奥が重たくて。
痛みにうめく自分の声にいらいらして、日差しが眩しくて、お腹が空いて、喉がかわいて、疲れきっていた。
地面に転がったまま、ボクもこのまま死ぬんだろうな、と思った。
お世話になった末っ子叔父を見捨てたボクに、似合いの末路だ。
おかしい。
あんなに死にたくないと思ったのに。
おかしい。
諦めてしまうのか?
かみさま。
今更、なぜかみさまに縋ろうと思ったのか。
サイシの力なんていらなかった。
かみさまなんて、かみさまなんてっ。
ぐ、と歯を食いしばると、乾いた唇が切れてぴりりと痛みが走った。
いやだ、かみさま。
死にたくない。
しにたく、ないっ。
しぬなんて、いやだ!
しんで、たまるかっっ!!
ぐるぐるとお腹で動くものを感じた。
ああ、これはもやもやが動いているのかもしれない、と気がついた時には。
ボクは野原にいた小さな獣を素手で捕まえて、くびり殺して引き裂いた肉にむしゃぶりつき、血をすすっていた。
もやもやがもたらす衝動に従えば、素早い獣よりも早く動き、力の強い獣よりも力強くなれると知った。
知ってしまった。
これがサイシの力なら、かみさまが与えてくださったと思えるのか。
こんな醜い力をかみさまが与えてくれたなんて、思えないけれど。
知ってしまえば使うしかない。
ボクには他に使えるものなんて無いんだから。
もやもやを使って、野で肉や毛皮になる獣を捕まえて町で売る。
受け取った金で食べ物を買って安宿に泊まった。
店の親父にまるごと持ってくるなと文句を言われて、解体を教わった。
高く売れる獣を教わって、そればかりを捕まえていたら、他の獣も持ってこいと言われた。
今は手持ちがないと言う親父の目の前で、片手で岩猪を持ち上げて他の店に行ったら、次から支払われる金が増えた。
余裕ができたので金をかけて身綺麗にしたら、周囲の視線が変わった。
結局、見た目なんだろう。
ぼろぼろの格好をしていれば浮浪児として扱われるけれど、身を清めて奮発した服を着ただけで舐められることは減った。
ボクが売るものは変わっていないのに。
こんなもんか。
この程度か。
これが人の世か。
お腹の中に溜めこんだもやもやは、使うと目減りする。
言葉に含んで吐き出すと消えたように見える。
自分の腹の中が見えないことは変わらなくても、体感で分かるようになった。
使った後のもやもやの行方は知らないけれど、不愉快なものを目にすればもやもやはすぐに増えたから、なにも問題はなかった。
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