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9.変人公爵の勇気
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すっくと立ちあがるとソファに沈みこんだ二人を見下ろす。
表情を消しさった顔――それが怒りによるものであることは誰が見ても一目でわかる。薄ら笑いを浮かべていたピエトロもマリリンも、表情をこわばらせた。
「な、なんだ……面をあげてよいとは言っていないぞ」
「ピエトロ様。わたくしにも悪いところがございました。わたくしではあなたの心を癒やせなかった。それは事実です。でも、本当にそれでいいのですか?」
瞳に炎を燃やしたまま、けれども口調はあくまで淡々と語りかけるテオドシーネに、ピエトロはぐっと喉を詰まらせた。
(やはり本当は理解していらっしゃるのだわ)
己の立場が危ういことも、落ちぶれたはずの元婚約者を嘲笑いにきている場合ではないことも。
それでも現実から目を逸らし、自分よりも下の者を見て安堵しようとする。……自分には権力があるのだ、と。しかし彼の立場はもはや砂上の楼閣だ。
傾きながら沈んでいく己の姿から目を逸らしているだけ。
「ピエトロ様……僭越とは存じますが、国王陛下から激励を賜ったのではないのですか? 勉学に励み、将来の国王にふさわしき教養を身につけるようにと……」
そして、さもあらずば、王太子の地位は取り除かれるであろうと。
そう国王は言い渡したはずだ。
驚愕にピエトロの目が見開かれる。
彼にとってみれば最も知られたくなかった父親との対話だ。
「なぜ貴様がそんなことを知っている……!?」
「国王陛下直々にお手紙をくださったからです。前々から申しあげていた懸念が現実のものとなってしまったと」
自分の言葉がピエトロには届かないと知ったとき、テオドシーネは身のまわりの整理をした。
一つは、領地へ隠遁するための手配。
もう一つは、国王陛下への直訴である。万が一ピエトロ様が王家と侯爵家の取り決めに横やりを入れるようなことがあれば、そのときにはしっかりと眼をひらいてご子息をご覧ください――テオドシーネはそう告げた。
あの時点では国王は半信半疑であったが、実際にピエトロが婚約破棄に踏みきったと聞いて、彼を諭し、手紙をくれたのだ。
だから――いまならまだ間にあうはずだったのに。
「貴様……父上と組んで、俺を陥れようとしたのか!?」
ピエトロは追い詰められている。
内に巣食う恐怖と、しかしそんなものでは矯正しきれない傲慢にがんじがらめになって、動けない。
テオドシーネが陥れるわけがない。ピエトロがテオドシーネを陥れようとしたのだ。テオドシーネは国のために動いただけ。この期に及んでそんな妄想にすがっているようでは更生の見込みはない――国王陛下はそう判断してしまうだろうに。
どんな形でもいいから努力をしなければ。
スタートラインにすら立てない。
ピエトロがそれに気づけたのは、テオドシーネを婚約破棄してからだった。
生まれながらに恵まれた地位と美貌をもった彼は、努力の仕方を知らぬままに成長してしまったのだ。
そしてその事実にテオドシーネが気づいたのもまた、シエルフィリードと出会ってからだ。
「目を覚ましてください、ピエトロ様!!」
「俺に指図をするなぁ!!!」
「きゃぁっ!!」
マリリンを押しのけ、ピエトロは立ちあがる。
美しい顔をしているといっても相手は男だ。身体の大きな存在から見下すように睨みつけられれば恐怖がわきあがる。
けれど逃げてはいけない。
これは自分だけを磨いてしまったテオドシーネの罪でもある。
もっと早く、ピエトロの孤独に気づいていれば。
「学問なら、わたくしがお教えいたします。絶対につき放したりはしません。ピエトロ様が変わろうとなさるなら、いくらでもお付きあいしますから、だから……!!」
「俺を……俺のことを、心の中で笑っているんだろう!?」
青ざめるマリリンを残したまま、ピエトロの表情は歪んでゆく。
まるでお伽話の小鬼のように。
髪を振り乱し、目を血走らせ、歯を剥き出しにして。
テオドシーネは目を逸らさなかった。
ピエトロが拳をふりあげたときも。
その拳が自分へむかってきたときも。
――しかしくるはずの衝撃は、突如現れた影によってさえぎられた。
「お待ちください!!!」
「――……!!」
ピエトロの拳が宙でとまる。
その腕をつかんでいるのは――馬のかぶりものをした、小柄な男。
シエルフィリードだ。
「シェル様……!? なぜ……」
閉じこめたはず、とは言えずに黙ったテオドシーネに、子どもを相手に諭すかのようにシエルフィリードは告げる。
「ここはぼくの屋敷だ。ぼくはこの屋敷の主人だ。主人が命ずれば、扉だってひらくさ」
普段とは違う声色と物言いには彼の怒りがうかがえた。
驚きに言葉を失うテオドシーネの背後では、ひらきっぱなしの扉から使用人たちがおそるおそると顔をのぞかせている。
しかし誰もなにも言えない。声を発するものは一人もいなかった。
ピエトロの視線は、ちょうど自分の目線のあたりにある馬の顔を凝視していた。
マリリンも血の気の失せたまま、ソファから馬の顎を見上げている。
シエルフィリードの片手が馬の横面にそえられる。
ぐいん、と馬の顔が歪んで、かぶりものが床に落ちた。
現れたのは、目出し帽をかぶった人間。
ピエトロが状況についていけないうちに、シエルフィリードはぐっと頭部をつかむと、それすらも取り去った。
表情を消しさった顔――それが怒りによるものであることは誰が見ても一目でわかる。薄ら笑いを浮かべていたピエトロもマリリンも、表情をこわばらせた。
「な、なんだ……面をあげてよいとは言っていないぞ」
「ピエトロ様。わたくしにも悪いところがございました。わたくしではあなたの心を癒やせなかった。それは事実です。でも、本当にそれでいいのですか?」
瞳に炎を燃やしたまま、けれども口調はあくまで淡々と語りかけるテオドシーネに、ピエトロはぐっと喉を詰まらせた。
(やはり本当は理解していらっしゃるのだわ)
己の立場が危ういことも、落ちぶれたはずの元婚約者を嘲笑いにきている場合ではないことも。
それでも現実から目を逸らし、自分よりも下の者を見て安堵しようとする。……自分には権力があるのだ、と。しかし彼の立場はもはや砂上の楼閣だ。
傾きながら沈んでいく己の姿から目を逸らしているだけ。
「ピエトロ様……僭越とは存じますが、国王陛下から激励を賜ったのではないのですか? 勉学に励み、将来の国王にふさわしき教養を身につけるようにと……」
そして、さもあらずば、王太子の地位は取り除かれるであろうと。
そう国王は言い渡したはずだ。
驚愕にピエトロの目が見開かれる。
彼にとってみれば最も知られたくなかった父親との対話だ。
「なぜ貴様がそんなことを知っている……!?」
「国王陛下直々にお手紙をくださったからです。前々から申しあげていた懸念が現実のものとなってしまったと」
自分の言葉がピエトロには届かないと知ったとき、テオドシーネは身のまわりの整理をした。
一つは、領地へ隠遁するための手配。
もう一つは、国王陛下への直訴である。万が一ピエトロ様が王家と侯爵家の取り決めに横やりを入れるようなことがあれば、そのときにはしっかりと眼をひらいてご子息をご覧ください――テオドシーネはそう告げた。
あの時点では国王は半信半疑であったが、実際にピエトロが婚約破棄に踏みきったと聞いて、彼を諭し、手紙をくれたのだ。
だから――いまならまだ間にあうはずだったのに。
「貴様……父上と組んで、俺を陥れようとしたのか!?」
ピエトロは追い詰められている。
内に巣食う恐怖と、しかしそんなものでは矯正しきれない傲慢にがんじがらめになって、動けない。
テオドシーネが陥れるわけがない。ピエトロがテオドシーネを陥れようとしたのだ。テオドシーネは国のために動いただけ。この期に及んでそんな妄想にすがっているようでは更生の見込みはない――国王陛下はそう判断してしまうだろうに。
どんな形でもいいから努力をしなければ。
スタートラインにすら立てない。
ピエトロがそれに気づけたのは、テオドシーネを婚約破棄してからだった。
生まれながらに恵まれた地位と美貌をもった彼は、努力の仕方を知らぬままに成長してしまったのだ。
そしてその事実にテオドシーネが気づいたのもまた、シエルフィリードと出会ってからだ。
「目を覚ましてください、ピエトロ様!!」
「俺に指図をするなぁ!!!」
「きゃぁっ!!」
マリリンを押しのけ、ピエトロは立ちあがる。
美しい顔をしているといっても相手は男だ。身体の大きな存在から見下すように睨みつけられれば恐怖がわきあがる。
けれど逃げてはいけない。
これは自分だけを磨いてしまったテオドシーネの罪でもある。
もっと早く、ピエトロの孤独に気づいていれば。
「学問なら、わたくしがお教えいたします。絶対につき放したりはしません。ピエトロ様が変わろうとなさるなら、いくらでもお付きあいしますから、だから……!!」
「俺を……俺のことを、心の中で笑っているんだろう!?」
青ざめるマリリンを残したまま、ピエトロの表情は歪んでゆく。
まるでお伽話の小鬼のように。
髪を振り乱し、目を血走らせ、歯を剥き出しにして。
テオドシーネは目を逸らさなかった。
ピエトロが拳をふりあげたときも。
その拳が自分へむかってきたときも。
――しかしくるはずの衝撃は、突如現れた影によってさえぎられた。
「お待ちください!!!」
「――……!!」
ピエトロの拳が宙でとまる。
その腕をつかんでいるのは――馬のかぶりものをした、小柄な男。
シエルフィリードだ。
「シェル様……!? なぜ……」
閉じこめたはず、とは言えずに黙ったテオドシーネに、子どもを相手に諭すかのようにシエルフィリードは告げる。
「ここはぼくの屋敷だ。ぼくはこの屋敷の主人だ。主人が命ずれば、扉だってひらくさ」
普段とは違う声色と物言いには彼の怒りがうかがえた。
驚きに言葉を失うテオドシーネの背後では、ひらきっぱなしの扉から使用人たちがおそるおそると顔をのぞかせている。
しかし誰もなにも言えない。声を発するものは一人もいなかった。
ピエトロの視線は、ちょうど自分の目線のあたりにある馬の顔を凝視していた。
マリリンも血の気の失せたまま、ソファから馬の顎を見上げている。
シエルフィリードの片手が馬の横面にそえられる。
ぐいん、と馬の顔が歪んで、かぶりものが床に落ちた。
現れたのは、目出し帽をかぶった人間。
ピエトロが状況についていけないうちに、シエルフィリードはぐっと頭部をつかむと、それすらも取り去った。
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