ループを止めるな!

杓子ねこ

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ループを止めるな!

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 セレスティアの召喚に応じ、血塗られた魔法陣から瘴気が噴きでる。真昼の晴天を暗闇に染め、中心より姿を現したのは、《燃え盛る鉄の邪竜イヴリース》。
 邪竜の黒炎に焼かれながら、セレスティアは歓喜の高笑いを響かせる。
 想像以上の禍々しいオーラに彼女を断罪した王太子と男爵令嬢の顔はひきつり、青ざめていた。
 
 えぇ、そうでしょうとも!
 今回はいままでで一番の大物が呼べたわ。
 わたくしの積年の恨み、思い知るがいいわ!
 
 全身をなぶる炎の痛みは感じていなかった。それよりも憎い恋敵の無様な表情がセレスティアを高揚させた。
 目の前の二人は真実の愛を知り古代魔法を復活させたが、邪竜は二人分の魔力を使い果たしてようやく倒せるかどうかというところだろう。
 炭と化した手足が崩れ落ちる。自慢の金髪も白い肌も焼けた。それでもセレスティアは笑いつづけた。
 
 邪竜が軋むような叫び声をあげて王太子に突進する。
 居並ぶ群衆の恐怖と絶望に見開かれた目を眺めつつ、セレスティアの命は尽き果てた――。
 
 
 
「はい、やり直し」
 
 
 
 真っ暗闇に染まった世界にそんな声が響く。
 瞬間、まばゆいばかりの光がセレスティアを覆った。すべてのものが明るく照らされる。
 しかしそこには何もない。真っ白な空間が広がっているだけだった。
 否、一つだけ――正しくは、一人だけ――セレスティアの他に動くものがあった。
 
「もーっ! また邪竜召喚バッドエンドじゃん!!」
 
 ぱたぱたと小さな羽を必死に動かしながら、セレスティアの前に現れた彼はそう叫んだ。
 歳の頃は三、四歳に見える幼児が、ローブをまとい背中から羽をはやしている。
 彼はヒカリエルという。天使である。
 セレスティアにとってはすでに馴染みの相手であった。
 
「しかも呼びだすたびに邪竜がグレードアップしてるし……! このままじゃ次の人生で世界が滅んじゃうよう」
 
 うっうっと顔を覆って泣きはじめたヒカリエルをセレスティアはにんまりと見つめた。
 彼女の目標は、自分を貶めた世界を滅ぼすこと。
 その瞬間がもう眼前に迫っている。
 
 
***
 
 
 セレスティアがヒカリエルと出会ったのは、最初の人生を終えようとしていたときだった。
 王太子の婚約破棄に逆上したセレスティアは邪竜を呼び起こし、さらに罪を重ねたことにより地下牢へと幽閉された。それは幽閉というよりはむしろ処刑に近く、隙間風の吹く石畳の牢で手足を凍りつかせながらセレスティアは己の命のともしびが消えるのを待っていた。
 意識が濁り、視界がブラックアウトする。
 動かそうと思っても動かない指先を見つめ、耳には自分の呼吸音だけがやけに大きく聞こえて。
 
 あぁ、死ぬのだ、と思った瞬間、セレスティアはいまと同じ、何もないまっさらな空間にいた。
 
「セレスティア、あなたの人生は悲しみに満ちあふれていた。これは慈悲の力です。あなたにやり直しのチャンスを与えます――」
 
 厳かな声が聞こえた。
 どういうことだと尋ねる暇もなく、セレスティアの身体はぐんと後ろにひっぱられるようにして落ちていった。
 
 次に目覚めたセレスティアは、十五歳だった。王立学園への入学直前である。
 セレスティアはあの声が夢ではなかったことを知った。大いなる存在の慈悲によって、彼女にはやり直しの人生が与えられたのだ。
 セレスティアは、それはもう喜び、神に感謝して。
 
 前回よりも激烈に、恋敵である男爵令嬢を苛めぬいた。
 
 前の人生で男爵令嬢のドレスを破いたり頭から墨をかけたりしたのは彼女が王太子に近づいたからだ。それは王太子と男爵令嬢が同じクラスになった三回生から始まった。
 今回は、入学するなり嫌がらせを繰り返した。あばずれ、ふしだらな女と暴言を吐き、人前で頬を叩いたこともある。
 
 前の人生でされたことを思えば当然だろう。
 結果、次期王妃にふさわしくない行動をとったとしてセレスティアは早々に王太子の怒りを買うことになり、卒業パーティを待たずに婚約破棄。
 やはり邪竜を召喚して幽閉された。
 
 しかし一度目は絶望に狂った幽閉も、二度目ならばもう怖くない。自分がどのように弱って死んでいくかを知っているセレスティアは今度はさっさと首を吊った。
 また惨めな末路を迎えたけれど、憎い男爵令嬢に仕返しはできた、と満足しながら。
 
 
 目を開ければまた真っ白い世界だった。
 セレスティアの目の前には、信じられないものを見る顔で目に涙をためている幼い天使の姿があった。
 
「やり直した人生で一度目より早く破滅してどうするのさ!」
「うるさいわね、どんな人生を送ろうとわたくしの勝手でしょう」
「男爵令嬢に嫌がらせさえしなければ、邪竜召喚も幽閉も回避できるんだよ!?」
「それでもわたくしは婚約破棄され、あの二人はのうのうと暮らすのでしょう? それを見守るくらいなら破滅のほうがマシだわ」
「あぁ、もう……とんでもない娘にループの輪をかけちゃったよ。やり直して悪くなるなんて聞いたことない。これを正史にはできない!」
「つまり?」
「もう一度、やり直し!」
 
 その声とともに、セレスティアはまた十五歳の自分へと戻った。
 そしてまた、王太子をたぶらかし自分から王妃の座を奪った男爵令嬢をいたぶった。邪竜召喚、幽閉、天使との再会、説教と反論。
 
「やり直し!」
 
 その言葉が響くたびにセレスティアは十五歳にループする。
 しかしもう十八年に加え数年を数回生きてしまった身。三つ子の魂百までと言うし、いまさら性格など変わらない。
 あの女が現れるまで、セレスティアは世界の中心だった。王妃となるはずだった。その座を図々しくぶんどった女に仕返しをして何が悪いのだ。その思いは消えない。
 
 ヒカリエルは何度かセレスティアとともに地上へ降り、周囲できゃんきゃん子犬のような喚き声を立てて神の愛を説教していたが、すぐにエネルギー不足で帰っていった。
 守護天使として特定の人間を見守るためには、その人間の善行が生み出す《マナ》が必要になるのだという。
 その話を聞いたセレスティアは当然、悪行の限りを尽くした。
 数回の降臨後、ヒカリエルは地上行きを諦めた。
 
 ループが二桁に差しかかろうとした頃、セレスティアは、いたずらに寿命を浪費するのは得策ではないと気づいた。男爵令嬢への嫌がらせはどの人生も同じで進歩がない。セレスティアの嫌がらせのせいで彼女は王太子と距離を縮め、邪竜は召喚してもすぐに倒される。
 どうせ悪者になって死ぬなら、嫌がらせに研鑚を加え、彼らの苦しみをどれだけ増幅できるかを考えるべきだ。
 
 次の人生ではセレスティアはおとなしく三年間をすごすふりをしつつ、より強力な邪竜の召喚法を探った。生贄に自らの血を使い、憎しみを食わせることで邪竜のグレードアップが図れることを知った。しかしツーランクアップした邪竜も真実の愛の前にまだ無力だった。
 
 さらに次の人生では、自らの血のみでなく魂まで生贄にすることでファイブランクアップまでこぎつけた。召喚してすぐに死んでしまうので結果を見ることはできないが、嘘のつけないヒカリエルが「ギリギリで王太子カップルが倒した」と教えてくれた。
 
 ループのたびにセレスティアは邪竜の召喚陣解析に熱中した。
 しかしどうしても世界を破滅に陥れるには足りない。その苛立ちを次の邪竜に食わせ、さらに大きくし、の繰り返し。
 
 そしてついにセレスティアは、ヒカリエルより「次の人生で世界が滅ぶ」とのお墨付きをもらった。
 
 
***
 
 
「ざまあ見やがれですわ」
 
 おーっほっほっほ、と高笑いするセレスティアの前で、ヒカリエルはさめざめと泣いている。
 この天使は死者を過去の地点へよみがえらせる力はあるがそれを取り消す力はない。泣こうがわめこうが一度慈悲を与えてしまった以上、必ずセレスティアを過去へ送り込まなければならないのだ。
 そしてセレスティアは、目の前でいたいけな子どもの姿をした天使が泣いていても何も感じないタイプの人間であった。
 
「どうしたら善く生きてくれるのさ」
 
 泣き落としがきかないと理解したヒカリエルは頬に涙の痕をつけたまま尋ねる。
 それを考えるのが天使の仕事なのではと思ったが、もう何十回と繰り返したループで説教のネタは尽きたのだろう。
 どうしたら復讐を諦められるか。もう本人に尋ねるしかない。
 
「そうねぇ……」
 
 セレスティアは首をかしげ、
 
「あなたが王太子殿下よりも百倍イケメンで、百倍イケボで、百倍金持ちで、ずっとわたくしのそばにいてくれるなら考えてもいいわ」
 
 にいっと意地の悪い笑みを浮かべてそう言ったのは、セレスティアにとっては冗談だった。ありえないと思ったから言った。
 自分を捨てた王太子よりも好い男をつかまえて、王妃の座よりも贅沢ができるなら。
 しかしそんなことが許されるわけはない。
 ヒカリエルはまた泣くのだろうと残酷な愉悦を胸に視線を戻して。
 
 その瞬間、ヒカリエルの全身が輝いた。
 幼い身体が光に覆い隠されて見えなくなる。
 驚くよりも先にセレスティアの目は光の中から現れた男に釘付けになった。
 
 セレスティアの前には、銀髪をなびかせ、蒼い目をした、長身の男が立っていた。その背中には両手を広げたよりも大きな翼。頭上には金冠。
 銀色の睫毛に通った鼻筋。唇は薄く、色素は薄いのに艶やかさを備えている。肌は透きとおるように白い。陶磁器のような頬に、涙の跡。
 
「これがぼくの成長体の姿だよ。でもこの姿で地上にとどまるには普段の数倍のマナが必要で――」
 
 男は王太子よりも百倍イケメンだった。
 そして、低すぎず高すぎず耳に心地よい声は、百倍イケボだった。
 
 トゥクン……☆
 
「え、なに、いまの音。セレスティア?」
 
 イケメンすぎる顔面に瞳を覗き込まれイケボすぎる声に名を呼ばれて意識が遠のくというのは、セレスティアにとって初めての経験だった。
 
 
 
◇◆◇◆◇
 
 
 
 セレスティア・アーメイデン。
 国中で知らぬ者のない名を持つ貴婦人が亡くなったとき、誰もが深い悲しみにつつまれた。
 
 若き頃のセレスティアは婚約者の不実を許したうえ、その相手である男爵令嬢の教育を買って出、彼女を諸外国への訪問に耐えうる立派な王妃へと育てあげた。
 
 生涯で一度も夫を持つことはなかったが、国内外合わせて百を超える教会を建て、孤児院を併設し、恵まれぬ子どもたちのために尽力した。また、無利子の金融支援や、犯罪者の更生、貧しい者たちへの医療の提供、農具の改良投資など、数えきれぬほどの功績がある。
 
 それらをセレスティアは私財を投げうって行った。
 「死後の世界に地上の富は持ち込めません。善いことに使わなくては」というのが彼女の口癖だった。小さな屋敷に最低限の食糧を買って、彼女は暮らしていた。
 慈悲の聖女と呼ばれ、歩んだ足跡には小麦が芽吹くと言われた。傍らに天使が寄り添うのを見たという者もいる。
 
 亡国の危機を救ったこともある。王国に刃を向ける者たちが召喚した邪竜を、国王夫妻はいとも簡単に退けた。古代魔法を伝え、邪竜の弱点を国王夫妻に示したのもセレスティアであるという。
 セレスティアが赴けば紛争は中断された。誰も彼女を傷つけたくなかったからである。その後には和平が結ばれた。
 
 国中で彼女に救われなかった者はない。
 ある者は病を癒され、ある者は潰れかけた工房を復活させ、またある者は彼女の存在に未来への希望を見た。
 明らかに彼女は世界を善き方向へと導いていた。国には笑顔があふれ、人々は互いをいたわった。国民は働くことをいとわず、経済は発展した。
 国王夫妻はセレスティアを見習い、他国への援助も惜しまなかった。
 幸福は彼女を中心に伝播していった。
 
 
 セレスティアは八十まで生きた。
 臨終の言葉はこうだった。
 
「まだよ、ヒカリエル……わたくしもっとこの世界を善くできますわ。……だから、……」
 
 その自信と希望に満ちあふれた言葉は、遺された人々の心を強く打ち、のちに《希望のともしび》と呼ばれる全大陸平和協定のきっかけとなった。
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