上 下
50 / 53
インターミッション

閑話《ヴィルヘルムのとある一日》

しおりを挟む
 


   これは、ヴィルヘルムが天魔将軍となって間も無い頃のお話。






 ◆◇◆






「(あ、ドラゴンさんに挨拶するの忘れてた)」


   アガレスタの街へ斬鬼とともに出向いていた際、ふとヴィルヘルムはそんな事を思い出した。

   彼の日常は酷く孤独なもので、小鳥が唯一の話し相手だと自称する程飢えている生活だった訳だが、それでも話せる相手が皆無だった訳ではない。実は一人……いや、一体だけ言葉を交わす相手がいたのである。

   彼が『ドラゴンさん』と呼ぶ相手は、その名の通りドラゴンである。初めて見た際、  ヴィルヘルムは冷や汗を流して逃げようとしたが、会話が出来る事が分かると恐る恐るながらもコミュニケーションを取ることに成功。それからは大した頻度ではないものの、幾度か言葉を交わしていた。

   ちなみに何故頻度が少ないのかというと、ドラゴンの風貌にビビっていただけである。もう少し彼に度胸があれば、今頃まともなコミュニケーション能力を身につけていただろうに。

   まだ彼が幼く、獲物が取れなかった日などには度々食料を分けて貰ったり、少し困ったことがあれば力になって貰ったりとそこそこお世話になった相手である。やはり義理として挨拶の一つくらい交わしておくべきではあるだろう。

   そうと決まれば善は急げ、特にやることもなく斬鬼からも放置されている今、その使命を果たすべきだろう。何、往復で一日も掛かることはない。大した時間も掛からず帰ることはできるだろう。勿論、ヴィルヘルムからすれば、という但し書きが前に付くが。

   無駄に豪奢な椅子から立ち上がり、これまた豪奢な扉に手を掛ける(無論これらは斬鬼が設えさせた物であり、ヴィルヘルムの趣味ではない)と、扉の向こうには何故か一人のメイドが立ちはだかっていた。


「……何か御用向きでしょうか?  ヴィルヘルム閣下」

(ええええええなんでこの至近距離におるん?  無表情で目の前に立ちはだかられるとマジで怖いんですけど!?)


   自分の事を棚にあげるような内心の叫びはさておき、今は慣れないコミュニケーションを取らねばならない。若干震えながらも、最低限の言葉だけは絞り出す。


「……森だ。少し出る」

「森?  雑事であれば私共に任せて頂ければお手間を取らせる事もありませんが……」


(なぜ突き放すような言葉を使ったのに会話を続けてしまうのか。というか、心なしか彼女の圧が強くなっている気がする。顔の距離もなんだか近づいているような……あ、なんか良い香りする)

   クソほどにしょうもない事ばかり考えてしまうのは彼の癖か、それともコミュ障の性なのか。いずれにせよこれだけ考える事があるのならその万分の一でも口に回せと思わなくもない。

   用事といっても高々引越しの報告をするだけである。個人的な雑事で手間をかけさせるのはヴィルヘルムからすれば本意ではない上、他人に任せる事でもない。故に、彼はメイドからの申し入れを拒否する事にした。


「……いや、いい」


   断るにしてももう少しあるだろう、と口に出した直後に後悔した。

   口調にしても態度にしても、最早ただの反抗期の子供である。相手が母親ならばまだ分からなくはないが、今回は只のメイド。メイド服に母性を感じるような特殊性癖でも無し、彼は特有の『言った後に台詞を見返して後悔する沼』へと沈んでいった。


「……了解致しました。であれば、斬鬼様にもそのようにお伝えいたします。ご武運を」


   丁寧に一礼して、その場をしずしずと去って行くメイド。なんとかやり過ごした、と経緯はともかく結果に満足したヴィルヘルムは溜息をつく。


(……ん?  『斬鬼様にもそのようにお伝え』?)


   今更ながら彼女の言葉を反芻すると、漸く気が付いたのか彼は顔を青ざめさせた。

   脳裏に浮かぶのは『ハイ・ヴァンピール』を発動させ吸血鬼の本性を露わにした斬鬼の姿。刀を振り回しながら、ボロボロになった自分を追いかけ回している。幻視するにしても嫌な未来である。

   というか最後の『ご武運を』という言葉がより不穏。この文脈ではどう見ても『斬鬼に折檻されるだろうけど元気でね』という意味にしか見えない。


(さ、最悪だ……とにかく、パッといってパッと帰って来れば許してもらえるかなぁ……)


   若干気が重くなりながらも、行くと決めたのだから行かねばならない。肩を落としつつ彼は森へと向かった。








 ◆◇◆








(……まさか単身で『禁域』たる森へ向かわれるとは。これでも監視任務を背負う身なのですが、中々上手くいきませんね……)


   所変わって先程のメイド。彼女は自身の役目を果たせなかった事を憂い、一人溜息をついていた。

   ヴィルヘルムが向かうと言っていた森。それは『禁域』と呼ばれ、人も魔人も容易には立ち入る事が出来ない領域である。住み着く魔物や植物さえも軒並みレベルが高く、並大抵の者では三日生き延びることも難しいという。

   勿論、彼女もヴィルヘルムの監視兼奉仕役として選出されるだけあって、レベルは決して低くない。現に禁域に足を踏み入れられる一定のラインは超えており、そこらの魔物程度なら軽くあしらえる程の実力はある。

   が、それでも禁域に住み着く魔物を相手取るのは骨が折れる作業であり、余裕があるとは決して言えない。一対一ならば問題は無い。が、一対多や戦闘中の隙を突かれたとすれば、著しい苦戦は避けられないだろう。

   そして何より、人も魔人もその勢力を伸ばす事が出来ない要因の一つ、『守護竜』の存在も大きい。その力は天魔将軍すらも凌ぐと言われており、度々差し向けられた勇者などの戦力が鎧袖一触されたとの情報も伝わってくる。もし部外者たる彼女が守護竜に見つかれば……その先は想像もしたくない。

   はて、ではそんな危険区域にヴィルヘルムは何をしに行ったのか。彼女は大まかに推測を立てており、それを改めて心の中で反芻する。


(……私が抵抗しなければ踏み潰されてしまうほどの威圧感。捨て駒程度には出来るはずの私を置いて行くとなれば……あの御方が禁域で行う事はただ一つ。に他ならない)


   であるならば、自分がやる事は無理に着いて行き彼の背後で怯える事ではない。それを斬鬼へと伝え、後処理を円滑に進めさせる事だ。

   何故このタイミングでそれを行うのかは定かではない。相手は天魔将軍をも凌ぐと呼ばれる竜だ。普通に考えればヴィルヘルムの身は危険に晒されている。

   だが、何故だか分からないが。彼女にはあの不思議な魅力を持った主が負けるとは到底思えなかった。


(……とにかく、この事を斬鬼様に報告しなければ。確か今の時間ならあの方は……)


   だが、彼女は知らない。そしてこれを伝えられるであろう斬鬼もしらない。ヴィルヘルムにそんな意図は一寸たりとも存在していないという事を。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

従姉が私の元婚約者と結婚するそうですが、その日に私も結婚します。既に招待状の返事も届いているのですが、どうなっているのでしょう?

珠宮さくら
恋愛
シーグリッド・オングストレームは人生の一大イベントを目前にして、その準備におわれて忙しくしていた。 そんな時に従姉から、結婚式の招待状が届いたのだが疲れきったシーグリッドは、それを一度に理解するのが難しかった。 そんな中で、元婚約者が従姉と結婚することになったことを知って、シーグリッドだけが従姉のことを心から心配していた。 一方の従姉は、年下のシーグリッドが先に結婚するのに焦っていたようで……。

【完結】「心に決めた人がいる」と旦那様は言った

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
「俺にはずっと心に決めた人がいる。俺が貴方を愛することはない。貴女はその人を迎え入れることさえ許してくれればそれで良いのです。」 そう言われて愛のない結婚をしたスーザン。 彼女にはかつて愛した人との思い出があった・・・ 産業革命後のイギリスをモデルにした架空の国が舞台です。貴族制度など独自の設定があります。 ---- 初めて書いた小説で初めての投稿で沢山の方に読んでいただき驚いています。 終わり方が納得できない!という方が多かったのでエピローグを追加します。 お読みいただきありがとうございます。

婚約破棄と領地追放?分かりました、わたしがいなくなった後はせいぜい頑張ってくださいな

カド
ファンタジー
生活の基本から領地経営まで、ほぼ全てを魔石の力に頼ってる世界 魔石の浄化には三日三晩の時間が必要で、この領地ではそれを全部貴族令嬢の主人公が一人でこなしていた 「で、そのわたしを婚約破棄で領地追放なんですね? それじゃ出ていくから、せいぜいこれからは魔石も頑張って作ってくださいね!」 小さい頃から搾取され続けてきた主人公は 追放=自由と気付く 塔から出た途端、暴走する力に悩まされながらも、幼い時にもらった助言を元に中央の大教会へと向かう 一方で愛玩され続けてきた妹は、今まで通り好きなだけ魔石を使用していくが…… ◇◇◇ 親による虐待、明確なきょうだい間での差別の描写があります (『嫌なら読むな』ではなく、『辛い気持ちになりそうな方は無理せず、もし読んで下さる場合はお気をつけて……!』の意味です) ◇◇◇ ようやく一区切りへの目処がついてきました 拙いお話ですがお付き合いいただければ幸いです

僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?

闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。 しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。 幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。 お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。 しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。 『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』 さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。 〈念の為〉 稚拙→ちせつ 愚父→ぐふ ⚠︎注意⚠︎ 不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。

〈完結〉妹に婚約者を獲られた私は実家に居ても何なので、帝都でドレスを作ります。

江戸川ばた散歩
ファンタジー
「私」テンダー・ウッドマンズ伯爵令嬢は両親から婚約者を妹に渡せ、と言われる。 了承した彼女は帝都でドレスメーカーの独立工房をやっている叔母のもとに行くことにする。 テンダーがあっさりと了承し、家を離れるのには理由があった。 それは三つ下の妹が生まれて以来の両親の扱いの差だった。 やがてテンダーは叔母のもとで服飾を学び、ついには? 100話まではヒロインのテンダー視点、幕間と101話以降は俯瞰視点となります。 200話で完結しました。 今回はあとがきは無しです。

冤罪だと誰も信じてくれず追い詰められた僕、濡れ衣が明るみになったけど今更仲直りなんてできない

一本橋
恋愛
女子の体操着を盗んだという身に覚えのない罪を着せられ、僕は皆の信頼を失った。 クラスメイトからは日常的に罵倒を浴びせられ、向けられるのは蔑みの目。 さらに、信じていた初恋だった女友達でさえ僕を見限った。 両親からは拒絶され、姉からもいないものと扱われる日々。 ……だが、転機は訪れる。冤罪だった事が明かになったのだ。 それを機に、今まで僕を蔑ろに扱った人達から次々と謝罪の声が。 皆は僕と関係を戻したいみたいだけど、今更仲直りなんてできない。 ※小説家になろう、カクヨムと同時に投稿しています。

運命の番?棄てたのは貴方です

ひよこ1号
恋愛
竜人族の侯爵令嬢エデュラには愛する番が居た。二人は幼い頃に出会い、婚約していたが、番である第一王子エリンギルは、新たに番と名乗り出たリリアーデと婚約する。邪魔になったエデュラとの婚約を解消し、番を引き裂いた大罪人として追放するが……。一方で幼い頃に出会った侯爵令嬢を忘れられない帝国の皇子は、男爵令息と身分を偽り竜人国へと留学していた。 番との運命の出会いと別離の物語。番でない人々の貫く愛。 ※自己設定満載ですので気を付けてください。 ※性描写はないですが、一線を越える個所もあります ※多少の残酷表現あります。 以上2点からセルフレイティング

処理中です...