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第二章

第三十七話

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「……それで?  話があるとは聞きましたが、こんな所に連れて来られるなんて思っても無かった……ありませんでしたが?」


  パーティーに多くの人員が出払っている為か、やけに人気の少ないバルコニーで、二人の男女が向かい合っている。普通ならば何かいかがわしい事を想像できるシーンの筈だが、女性の方が明らかに不機嫌そうな顔をしている為、そういった色気のある雰囲気になる事はないだろう。

  向かい合った男性は困ったように頰を掻くと、場を持たせる為か手に持ったワイングラスを軽くあおる。赤い液体が、彼の口の中へと滑り込んでいった。


「……ぶどうジュースとは似ても似つかない味ですね。苦いし、酸っぱい。アルコールはまだ自分には早かったみたいだ」

「用がないなら戻らせて欲しいんだけど……ですけど?  あまり長話は好きではないので」


  ある程度は言葉を繕っているが、纏う雰囲気がそもそも目上の者に対するものではない。そこに込められた思いは苛立ちか、それとも不安か。

  彼女を見て一つ微笑むと、男はワイングラスを欄干の上に置く。


「そう焦らないで下さいよーー。貴方も私に対して聞きたい事が色々あるんじゃないですか?」

「っ!!」


  男ーーサカグチはアンリが一歩後ずさったのを見て、さらにその笑みを深める。

  アンリは思わず自らの胸元を探るが、直後にいつもの杖が入っていないことに気付く。先ほどの着替えの際、自身の服と共に置いて来てしまったのである。身を守るものが何一つとして無いと自覚すると、途端に不安が彼女の身を包む。

  対するサカグチは腰元に剣を携えており、他にも魔術的な防護が掛かっているであろう装飾を身につけている。おまけに唯一優位に立てるはずの情報アドバンテージさえも無くなり、アンリは一気に窮地へと立たされた。

  ヴィルヘルムや斬鬼からの支援は望めない。とにかく彼女が考えるべきは、この場をどうにか切り抜ける事。今更ながらに誰にも伝えず呼び出しに答えた事に後悔の念が浮かんでくる。


「そう、知ってるなら話は早いわ。アンタ、一体何をするつもり?  何を企んでるの?」

「企んでるとは心外ですね。私はあくまでこの国に召喚された身。勇者として職務を全うする迄です。そこに他意なんてあるはずも無い事は、同じ勇者として分かってもらえるのでは?」

「惚けんな!  私のママは国に連れ去られた。それも大した理由も無く!  これで何も企んでいないなんて言える!?」


  常に笑みを浮かべるサカグチだが、その笑顔がまたアンリにとって機嫌を逆撫でする要因でもあった。そのどこか見下すような視線を受け、思わず激昂しながら異議を唱える。


「そうお怒りになさらないで……仮にも『魔導の探求者』として名を馳せた御方とは思えませんよ?  魔の道を極めるのであれば並大抵ならぬ天賦の才と努力、そして忍耐が必要になると伺います。それに熱くなられては、まともに話す事も出来ませんよ」

「へえ?  ならその魔導の一端、その身で受けてみる?  溜まった鬱憤を晴らせるほどの的になってくれればいいんだけど」

「おっと、これは怖い。ならば私も正直に話さざるを得ないですね……ならば良いでしょう。ええ、確かに貴方のお母上を捕らえるよう指示を出したのは私です」

「っ!!」


  バチリ、とアンリの右腕に雷光が走る。あまりの怒りに、制御から漏れ出した魔力を無意識に魔法として放出してしまったのだ。

  体に染み付くほど幾度も繰り返した戦闘魔法、《ピアースボルト》。光の速度で駆ける稲妻の槍が敵対者の胸を穿つ光景を、彼女は幾度となく見てきた。そして、それを幻視出来る程度には熟練しているつもりである。

  いつ解き放たれてもおかしくない状態だが、そんな彼女を前にしても一切サカグチは余裕を崩さない。余程己の実力に自信があるのか、それとも。


「……随分と正直に吐いたわね。お陰でこっちは、今にも煮えたぎる怒りが爆発しそうだけど」

「ええ。確たる証拠も掴まれていない以上ここでしらばっくれる事は容易いですが、私もまだるっこしいのは好きじゃない。ここは一度、腹を割って話す必要があると思いましてね」

「話す?  弁明の間違いじゃなくて?」


  状況だけ見れば、いつでも相手を攻撃できるアンリが有利に見える。どんな手を使おうとも、サカグチが動こうとする前にその身を魔法が貫くだろう。

  だが、それだというのに。アンリの背筋には一筋の冷や汗が流れていた。


「そう強がらないで下さいよ。ここで私を殺したとして、その後どうなるか分からない貴方ではないでしょう?  それにーー貴方のお母上が今どうしているのか、気になるでしょう?」

「……くっ!!」


  そう、今のアンリは人質を盾にされている状態。ここで彼を打ち倒した所で、居場所が掴めていない以上どうする事も出来ない。寧ろ、より状況が悪くなることすらあり得る。

  故に、彼女はこれ以上行動を起こすことが出来ない。腕に纏った雷光を懸命に抑えつけると、サカグチは満足気に頷く。


「結構。賢い人は好きですよ。そんな貴方には特別に、お母上と会わせてあげましょう」

「な、なんですって?」


  苛立ちから一転、アンリはひどく驚愕する。それもそのはず、連れ去った当人がそれを言うのだ。驚かない筈がない。

  言うなれば誘拐犯が、なんの見返りも無しに人質を返そうというもの。アンリからすれば願っても無い事だが、それをサカグチが言うという事が更に怪しさを増していた。

  裏がない筈が無い。だが、母親の安否も確認したい。虎穴に入らずんば虎子を得ずというが、果たして踏み込んだ後に自分は帰ってくる事が出来るのだろうか。情と役割の間で、彼女の気持ちは揺れ動いていた。


「何もそう警戒するものではありませんよ。ええ、すぐに会わせて差し上げます」

「一体何を企んで……!?」


  と、次の瞬間。アンリの足から力が抜け、がくりと膝をつく。奇妙なまでの脱力感と倦怠感が身を包み、力を込める事すらままならなくなってしまう。


(『魔力欠乏症』……!?  そんな、いつの間に!)

「随分と多大な魔力をお持ちのようですね。判断力を鈍らせられれば御の字でしたが、まさかここまで酷くなるとは。折角用意した『吸魔の指輪』と『安息の指輪』でしたが、どうやらそう手間をかけるまでも無かったようです」


  雷光を必死に形成しようとするものの、漏れ出るのは静電気ほどの微弱な電流のみ。人を貫くどころか、を傷付ける事すらままならない。

  段々と重くなる視界に必死に抗おうとするも、既に指先すら動かせない状況。魔力欠乏症としては一番重い類の症状だと、頭の片隅に蓄えられた情報が訴えかけてくる。


「安心してください。約束はきっちりとお守りしますよ……」


  失敗。暗くなる視界の最後に、その二文字がチラついていた。
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