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第二章

第二十話

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  様々な下準備を用意している内に、二日という期間はあっという間に過ぎていった。

  アンリとミミの分の礼装も仕立てが終わり、斬鬼も自身の身の回りや手土産の準備を、ヴィルヘルムは……まあ彼なりの準備を整えていた。

  そして早々と迎えた出発の日。人付き合いが苦手な人特有の『約束の日が近づくと行きたくなくなる』現象に襲われていたヴィルヘルムはいつもより若干暗い雰囲気を漂わせていたが、残念ながらそれが気付かれる事はない。それどころか、


(ヴィルヘルム様がいつになく真剣な面持ちでいらっしゃる……どうやら想像以上に、この任務は過酷なものになりそうだな)


  などと斬鬼に勘違いされていたりもした。


「馬車では少々格が落ちましょう。此方の『竜車』をお使い下さい」


  出迎えに来たリーヴェルトが勧めて来たのは、地を這う地竜が車を引く『竜車』である。竜と名がつくだけあって、馬よりも遥かに高い馬力と堅牢な装甲を合わせ持ち、その無尽蔵ともいえる体力で昼夜を問わず動き続けられる。正に長旅や身分の高い者が乗るには打って付けだと言えるだろう。

  しかし、その引き換えという訳ではないが、その初期費用や維持にかかるコストは、馬車とは比べ物にならない程高い。

  まず第一に、地竜自体元々気性の荒い生物であり、それを手懐けるためには卵から孵った直後から躾を始める必要がある為、それに伴う費用も自然と高くなる。

  そして第二、むしろ此方の方がメインだが、地竜は燃費の悪い生物の為、維持費用ーーつまり食費が非常に嵩むのだ。
  馬力故に多量に荷物を積むことが可能だが、大抵その半分は地竜の食糧となると言えばどれだけ影響が大きいか分かるだろうか。竜と名がつくだけあるのは、何もメリットばかりでは無い。

  しかし、そうしたデメリットを差し引いても、地竜は非常に有用だ。前に挙げたデメリットは、逆に言えば金銭面さえクリア出来れば一切の問題にはならないとも言える。少なくとも天魔将軍であるヴィルヘルムが扱うには、相応しい格を持っているだろう。


「竜車か……心遣いはありがたいが、生憎とこれを扱えるような者はいないぞ。私にしても馬が精々だ」


 馬力の強さゆえに、それを扱う者にもそれなりの技量が必要になるのが竜車の難点でもある。最悪力で無理矢理動かすという手法もあるが、それをするならば大人しく馬車で向かったほうが楽でもある。


「その点はご安心を。プロの操竜士をすでに雇っておりまして……」

「おー、相変わらず花だらけだよなここの都市は! 来るたびに香りがキツイったらありゃしねェ」


 と、リーヴェルトの言葉に被せるように、粗野な女性の声が響き渡る。

 本来ならあり得ないはずの闖入者。唐突に現れた金髪のワイルドな格好をしたその女性の顔を見た瞬間、アンリ達は思わず身構えた。


「ぼ、《暴虐》のヴェルゼル!?」

「ああ? なんだよお前、なんか文句でもあんのか?」


 グルルと犬歯を剥き出しにしてアンリのことを睨み付けるヴェルゼル。だが、直後にその表情に疑問の色を浮かべると、彼女の近くでスンスンと鼻を鳴らした。

 予想外の行動に思わず後ずさってしまうアンリ。


「な、何よ……」

「……この匂い、間違いねェ。お前ニンゲンだろ?」


 ピシリ、と表情が固まった。

 魔人族と敵対している以上、敵地の真っただ中で人間だとバレてしまえばどうなるか分かったものではない。幸いにしてヴィルヘルムは慈悲深かったが、普通は斬鬼のように敵意を剥き出しにしてくるのが常なのだ。
 その相手が別の天魔将軍ともなれば、最早アンリ程度には太刀打ちできない次元の話になってくる。故に、彼女がヴェルゼルのことを警戒するのも必然と言えた。


「……そ、そうよ。それがどうしたのよ? 何か文句でもあるの?」


 先ほどヴェルゼルに言われた事と全く同じ内容を返して見せるアンリ。それはともすれば挑発とも見られかねない行為であり、彼女にとっては危険な賭けでもあった。

 暫しの睨み合い。だが、その口火を切ったのは他でもないヴェルゼルだった。


「ハッ、気丈な奴だ。今にも震えて逃げ出しそうな癖に、この俺に刃向ってやがる。いいぜ、そういう奴は嫌いじゃねェ」


 顔を離すと、にやりと口角を釣り上げる。どうやらアンリは、ヴェルゼルの御眼鏡に叶ったようだ。


「そもそも魔王からヴィルヘルムの新しい部下についてお達しは来てるからな。元勇者のニンゲンに、はぐれ者の狐人族フォクシーのガキ。また変わった奴らを連れてきたもんだと思ったモンだよ、なあ斬鬼?」

「……仰る意味がよく分かりませんね」

「惚けやがって……まあ、変だとは思うがヴィルヘルムの選択にいちゃもんはつけねェよ。お前みたいなもいることだしな」


 流石に力量が上の相手に対してはあまり反論ができないのか、斬鬼の言葉もいつになくキレが悪い。このまま弄られ続けると不味いと感じたのか、彼女は話題を変えようとする。


「それよりも、ヴェルゼル様は一体どうしてこちらに? まさか雇われた操竜士だったなんて言いませんよね」

「バカ、俺が誰かに雇われる訳ねェだろ。徹頭徹尾、俺は自分の為にしか動かねェよ」


 斬鬼の言葉を一蹴するヴェルゼル。彼女はくしゃりと自身の金髪を掻き上げると、若干乱れていた毛並みを整える。


「国境付近のヴァリアハートって都市に少しばかり用があるんだよ。昨日出発したんだが、そしたら道中でアガレスタの警備兵を見かけてな。そういえばとヴィルヘルムが泊まってる事を思い出して、そのまま見送りついでに顔を出した訳だ」

「……徹頭徹尾自身のために動くのではなかったのですか?」

「あ? 勿論自分の為に決まってんだろ。俺自身、ヴィルヘルムには興味があるからな。だが……」


 と、そこで言葉を切りジロジロと用意された竜車を見やる。ふと、良いことを思いついたとでも言うようにニンマリと笑みを浮かべた。


「……そうだな。この竜車、俺が動かしてやろうか?」


 そうして口から飛び出てきたのは、誰もが予想しなかった一言。あまりの衝撃に、暫し全員が意味を理解できずに固まる。


「……なっ、ヴェルゼル様、それは流石に戯れが過ぎるというものです!」


 最初に復帰した斬鬼が、諌めるような口調で彼女のことを咎める。なにせ天下の天魔将軍が、あろうことか御者の真似事をしようと言っているのだ。その驚きは甚だしい。

 だが、徹頭徹尾自身の欲望に従うと豪語しているだけあって、彼女は一度自身が面白いと思ったことに関しては梃子でも曲げることはない。斬鬼の忠言も、鼻で笑い飛ばすことでやり過ごした。


「まあそう心配すんなよ。地竜を操った事だって何度かはある。不自由な思いはさせねェよ。な? いいだろヴィルヘルム?」


 そう言いながら、彼女はヴィルヘルムと肩を組む。

 だが、ただの肩組みと侮るなかれ、天魔将軍の中でも武闘派としてその名を知らしめているヴェルゼルは、筋力が半端ではない。
 そうでなくとも吹けば飛ぶような防御力をしているヴィルヘルムがそれをモロに食らえば、恐らく両肩が粉砕骨折を起こすことだろう。

 故に、彼は《ジャイアント・キリング》を一切の躊躇なく発動させた。天魔将軍と関わるだけで彼の死亡フラグはビンビンに立っているのである。


「……構わん」

「良し、やっぱ話が分かるなお前は!!」

(うわ顔近! なんか心なしか良い匂いもするし……なんで女性ってこんな良い匂いを漂わせることができるのか本当に不思議なんだけど)


 結局、押しと女性に弱いヴィルヘルムは間近に迫ったヴェルゼルの顔を見ただけで抵抗の意思を喪失し、若干顔を逸らしながら渋々とオーケーの返事を出した。

 傍目には肩を組んでじゃれているようにしか見えない光景。だが、この瞬間にも戦闘者としての本能から、ヴェルゼルは彼のことを値踏みしていた。


(結構力を込めたのに、一切体が揺れてねェ……あの魔王でも少しは揺らいだってのに、ますますこいつの底が知れなくなってきたな。ああ……いつか全力で戦ってみてェモンだ)


 内心でじゅるりと舌なめずりをするヴェルゼル。そんな彼女の本音を知ってか知らずか、ヴィルヘルムは相も変わらない表情であさっての方向を見つめるのだった。
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