上 下
124 / 191
第二章

47.そして物語は始まる

しおりを挟む
 錬金術師の塔の階段を、ローブを羽織り深くフードを被った人間が、ゆっくりと登っていく。

 やがて、5階の最奥の部屋の扉の前にたどり着いたその人が、ノックをしようと右手を上げた時。扉が勝手に開いた。扉の周囲には誰もいない。けれど客人は驚きはしなかった。


 乱雑に物が置かれた部屋の奥で、気怠げにソファーに背を預けた魔女ベアトリーチェが、客人へと視線を向ける。

「魔女の部屋にようこそ、お客様。ここでは魔女の薬ならどんな物でも手に入るわ。もちろん相応の対価は頂くけれど。それで、あなたは何をお望み?」

 長い足の上に乗った鍵尻尾の黒猫の背を撫でながら、ベアトリーチェは優雅に微笑んでみせた。

「ふざけるのはおやめ、ウィルキウス・ルフス」

 ばさりとフードを払い、妖艶な女性が顔を見せた。少しつり上がった目に細く高い鼻、ぽってりと紅の乗った美しい唇。何より、ローブを纏ってはいても、彼女のスタイルの良さは隠しきれてはいなかった。





「あら、ここではベアトリーチェと呼んで欲しいわ、王妃様?」

 ベアトリーチェは王妃と呼んだ人物に対し、礼をとることも、椅子を勧めることさえしない。

「お前の酔狂に付き合っている暇は私にはない。いつもの物を貰おう」

 王妃は立ち尽くしたまま、ベアトリーチェを睨んだ。

「もう、せっかちな人ねぇ」

 ベアトリーチェは黒猫を床に下ろして立ち上がり、薬棚をあける。中にはいくつもの薬品が入った小瓶が並んでいた。その中から3本の瓶を取り出し、王妃の近くの作業机に置いた。

「改めて、説明は必要かしら?」

「不要よ」

「あっそ。それにしてもあなたって酷い母親ねぇ……。こんな薬を娘に盛るなんて」

「無駄口を叩くな」

 王妃はベアトリーチェから一つの小瓶を受け取り、光にかざす。瓶の中で揺れる液体は、キラキラと虹色に輝いていた。

「あなたは、一人娘をどうしたいのかしらね? 巷では『恋人の本音が聞ける薬』等と呼ばれてはいるけれど。現実のその薬は、物事を深く考えられなくなり、思った事を口にする。感情を制御しづらくなる。簡単に人を信じて、疑う事を忘れる。けれど、そんな薬を飲まされてなお、あのお姫様の純真さも天真爛漫さも失われはしない。これって本当に凄いことなのよ」

 ベアトリーチェの言葉に、王妃は嘲るように笑った。

「私には娘などいない。だいたい、お前の薬の効き目が弱いのではないか? エヴァンジェリンがルイスに飲ませている薬も、全く効いていないと聞く」

 蔑むような王妃からの視線を受けて、思わずといった風に、ベアトリーチェは肩を竦めた。

「あ~、あれねぇ。あれでもちゃんと効いてたのよ? 相手が完全な状態であれば、効きはしなかったでしょうけど、運良く心に大きな隙間が空いていたからねぇ。そのせいでお姫様がそこに入り込めた感じかしら?」

「結局は、心が健康な人間には役にたたないということではないのか?」

「そうじゃないわ。彼が特別なの…思いが強すぎるのよ。まあ、それでも、あの薬を使えば心の隙間に入り込んで、内側からさらに少しずつヒビを入れ侵食する事はできるもの。可哀想な、お人形さんのようなお姫様を放置できないようになる位には……ね」

「お前の言うことは、いつも意味が分からない」

 王妃の言葉にベアトリーチェは人差し指を口元にあてて、ほんの少し首を傾げながら思案する仕草をみせた。



「そうねぇ。なら、王様にあの薬を飲ませて、効果を試してみるのはどうかしら? たった一夜で、あなたは傾国の美女になれる。王の権力も財力も、この国のあらゆる全てのものが、あなたの思いのままよ? あら?それはそれで楽しそうよ。たとえ最低限に薄めていたとしても、あれに逆らえる者など、きっとこの国には殆どいないもの、周りのものにどんどん飲ませちゃうってのはどう?」

「馬鹿馬鹿しい。その対価を考えただけでも恐ろしい。魔女の誘惑にはのらない」

「あら~、残念」

 ベアトリーチェはくすりと小さな笑みをこぼした。元いたソファーへと座り直して手に本をとると、それを待っていたかのように、黒猫がベアトリーチェの膝の上に飛び乗った。


「ウィルキウス ・ルフス、お前はいつまでここにいるつもりだ? こんな陰気なところにおらずとも、私の元に来れば良い」

「それは王妃様の情夫へのお誘いかしらぁ?」

「たわけ者が!!」

 王妃は吐き捨てるように、ベアトリーチェを睨んだ。

「もう、怒らないでよ。ちょっとした冗談よ。私はね、ここが気に入っているの。ここでしか見えない景色ってモノがあるからね」

「そうか。邪魔をしたな」

 王妃は3本の薬瓶をローブの内側の袋に入れ、フードを再び深く被った。踵を返し、部屋を出ようとしたその時、ベアトリーチェの声が響く。

「ねぇ、王妃様」

「なんだ?」

「対価をお忘れではないわよね?」

 ベアトリーチェの問いに王妃は首だけで振り返り、真っ赤な紅をさした口元を、にたりと引き上げた。



「忘れるわけはない。約束した通り、そなたには最高の喜劇を用意しよう。この私がこの国の王族に流れる女神の血筋を絶やす様を。この国が滅びゆく様を。とくと見ているがよい」

「素敵。また会いましょう」



 王妃の言葉に、ベアトリーチェは満足げに微笑んだ。









────────────────

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。第二章はこれで終わりとなります。
この後、挿話を入れて、第三章となります。
更新ペースはゆっくりになるとは思いますが、この先もできましたらお付き合いください。


今回のラストシーンに伴い、ベアトリーチェがストーリーテラーとなるお話『私が愛した彼は、私に愛を囁きながら三度姉を選ぶ』を公開しています※R15

魔女の薬が絡む、大人のマザーグースっぽいショートショートです。(天狗庵の元の話となります)
この話とは無関係ですが、今回のお話の中のベアトリーチェの台詞の持つ意味がわかって頂けるかな?と、思います。

ただ、バッドエンド、DV、裏切り等、悲惨なお話ですので、苦手な方はお気をつけ下さい。
しおりを挟む
感想 110

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

いつか彼女を手に入れる日まで

月山 歩
恋愛
伯爵令嬢の私は、婚約者の邸に馬車で向かっている途中で、馬車が転倒する事故に遭い、治療院に運ばれる。医師に良くなったとしても、足を引きずるようになると言われてしまい、傷物になったからと、格下の私は一方的に婚約破棄される。私はこの先誰かと結婚できるのだろうか?

王子殿下の慕う人

夕香里
恋愛
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。 しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──? 「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」 好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。 ※小説家になろうでも投稿してます

バイバイ、旦那様。【本編完結済】

ちくわぶ(まるどらむぎ)
恋愛
妻シャノンが屋敷を出て行ったお話。 この作品はフィクションです。 作者独自の世界観です。ご了承ください。 7/31 お話の至らぬところを少し訂正させていただきました。 申し訳ありません。大筋に変更はありません。 8/1 追加話を公開させていただきます。 リクエストしてくださった皆様、ありがとうございます。 調子に乗って書いてしまいました。 この後もちょこちょこ追加話を公開予定です。 甘いです(個人比)。嫌いな方はお避け下さい。 ※この作品は小説家になろうさんでも公開しています。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。