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第三章 父と娘、蓉子の正体

消えていく思い

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「ぬらりひょん様、あれは何でしょう? ああっ、あっちも気になります!」

 初めて見る夜祭に子どものようにあれこれ指差しては、さちは無邪気な声を発する。天真爛漫なさちの様子を見守りながら、ぬらりひょんも楽しそうだ。

「時間はあるのだから、ゆっくり見て回ろう。ほれ、転ぶゆえ、手を放すな」
「はい、ぬらりひょん様」

 大きな手につつまれる幸せを噛みしめながら、さちはぬらりひょんと並んで歩く。
 家族連れや夫婦など、夜祭には多くの人が集まっている。九桜院家とぬらりひょんの屋敷しか知らないさちには、どこにこれほど多くの人がいたのかと思うほどだ。さちひとりきりだったら、きっと目を回していただろう。ぬらりひょんがさちの手をしっかりと握っていてくれるから、さちも安心して祭りを楽しめるのだ。
 中にはあやかしもまぎれこんでいるのか、ぬらりひょんを見かけては無言で会釈をするものもいた。

「ここの夜祭はな、あやかしも商いをしていたりするのだよ。大きな声では言えぬがな」

 不思議そうな顔をするさちに、ぬらりひょんがこっそりと耳打ちして教えてくれた。

「祭りの時のみ、幽世から戻ってくるものもいるほどだ。あやかしは楽しいことが好きじゃからのぅ」
「そうなんですね。でもその気持ちわかります。お祭りって、特別な日って気がします」
「祭りは人もあやかしも、共に祝えるゆえ貴重なのだ。それもだんだん少なくなっていくかもしれんが……」

 あやかしは人々と共に生きてきた。ゆえに祭りを楽しみにするのは、あやかしにも多い。ちゃっかり商売をするもの、人間の子どもにまぎれて露店めぐりを楽しむもの、人間の娘のように艶やかに装うものなど様々だ。

「さち、何か買ってほしいものはあるか? 露店にはいろんなものが売られておるぞ」

 行き交う人々を楽しそうに眺めるさちに、ぬらりひょんが優しく声をかけた。

「もしも飴菓子があったら、お願いしたいです」
「飴か。遠慮せずとも、もっと良いものを買っても良いのだぞ」

 さちは軽く首を振り、微笑みながらぬらりひょんを見上げた。

「お祭りには、きれいな飴細工の菓子が売られてるんだよ、いつか連れてってあげるからね、って母が言ってくれたんです。共に行くことは叶いませんでしたけど、母がどんなものを買ってくれようとしたのか知りたくて」

 今は亡き母との思い出を語るさちの頭を、ぬらりひょんが気遣うようにそっと撫でた。

「ならば、飴菓子にしよう。好きなものを買ってやるぞ」

 ぬらりひょんの優しさに感謝しながら、さちはこくりとうなずいた。
 飴菓子は子どもにも人気のようで、どこの店も子どもたちが群がっていた。最初は遠慮がちにやや遠くから見ていたさちだったが、売り子が飴を見事に細工していくところを見たくて、ぴょんぴょんと飛び跳ねるようになってしまった。
 
「さち、わしはここで待っておるから、近くで見てくるがいい」

 見かねたぬらりひょんが言うと、さちは恥ずかしそうに微笑み、頭を下げた。

「では少しだけ見て参ります」

 ぬらりひょんの手から離れたさちは、群がる子どもの邪魔をしないよう、器用に体をくねらせながら前へと進んでいく。いつもは控えめなさちだが、食への好奇心だけは抑えられないのだった。
 子どもに交じって飴細工を見るのは、ぬらりひょんにはさすがに抵抗があったため、少し離れたところからさちを見守った。
 かがみこむようにして、子どもと同じ目線で飴細工を見つめるさちの目は、きらきらと輝いている。

「すごいわ、なんてきれい……」

 飴細工がどのようにして作られているのか、気になって仕方ない。
 蓉子に戯れでもらった菓子ぐらいしか食べたことがないため、甘い菓子の作り方を、さちはあまり知らないのだ。

「甘いものを、もっと作れるようになりたいわ。一つ目ちゃんやぬらりひょん様も喜んでくれそうだもの」

 今後は菓子の作り方も学んでいきたいと心の中で誓っていると、傍らにいる幼い女の子が涙ぐんでいるのが目に入った。周囲を見回してみたが、親らしい人は近くにいないようだ。迷子なのかもしれない。気になったさちは、女の子の顔をのぞきこむようにして声をかけた。

「あなた、大丈夫? ひょっとして、お父様やお母様とはぐれてしまったの?」

 こくんとうなずいた幼児は、おかっぱ頭の可愛らしい女の子だった。さちの声かけに安堵したのか、ぽろぽろと涙を流し始める。

「泣かないで。お姉さんがいっしょに探してあげるからね」

 泣いてる女の子をそのままにしておけず、さちは幼子の手を握った。少しでも安心してほしいと思ったからだ。さちの気配りに気持ちも落ち着いたのか、少女は泣き止み、顔を上げた。

「お姉さん、ありがとう。たぶん、こっちだと思う。いっしょに来て」

 おかっぱ頭の女の子は想像以上に力が強く、さちの小柄な体はあっという間にぬらりひょんの近くから引き離されてしまった。

「ちょ、ちょっと待って」
「こっち、こっち。お姉さん」

 ぐいぐいと腕をひかれ、どんどん人けが少ないところに連れていかれる。灯りも減っていき、進む先は暗闇だ。さすがに不安になってきたさちは、女の子に聞いてみた。

「ねぇ、あなた。この先に本当にお母様たちがいるの?」

 おかっぱ頭の少女は背を向けたまま、無言で立っている。ふり返りもしない。

「ねぇ、聞こえてる……?」

 少女はしばし沈黙していたが、ゆっくりとさちのほうへ顔を向ける。

「聞こえてるよぉ。さちお姉さん」

 少女はにたりと笑っていた。幼い女の子とは思えないほど、不気味な笑い方だ。

「ど、どうして、私の名前を?」
「知ってるよぉ。だって蓉子様にいつも聞いてるもん。『わたくしの可愛い妹』って」
「蓉子お姉様? あなたはいったい……」
「さちさん、蓉子様が九桜院家でお待ちだよぉ~」

 うひひひと笑い出した少女は、もはや人の顔ではなかった。輝き始めた大きな瞳は、暗闇で光る猫の目そのものだた。

「うみゃ~ん。さちさん、さちさぁ~ん。蓉子様のところへ行くよぅ。みゃ~ん、みゃお~ん」

 恐怖で体が凍り付くさちの耳元に少女が、いや、猫の顔をしたあやかしが、妖しくささやきかける。

「みゃ~ん、この香りをおぼえているだろうぉ?」

 猫の顔をしたあやかしは、みゃんみゃんと語りかけながら、香り袋をさちの鼻先に差し出す。

「これは……お姉様の……蓉子様のかおり……」

 幼い頃からくりかえし何度も嗅がされた、甘い蓉子の香り。この香りにつつまれると、さちは何も考えることができなくなっていく。

「蓉子様……蓉子様……」

 すでに朦朧とし始めたさちの体は、甘い蓉子の香りで満たされていく。

「うひひ。そうだよ、蓉子様だ。それでいいんだよぉ。他の記憶は、ぜ~んぶ忘れてしまいな。あんたは蓉子様だけいればそれでいいんだ」

 遠くなっていく意識の中で、忘れては駄目と、もうひとりのさちが心の奥底で叫んでいる。

(大切なお方を、大好きなぬらりひょん様を忘れてはだめっ!!)

 蓉子とぬらりひょんの姿が、代わる代わる脳裏にうかぶ。すがるように記憶の中のぬらりひょんに手を伸ばすが、さちの小さな手は届かない。

(ぬら……さま、たすけ……)

「あらぁ? なんか抵抗してるねぇ。しゃーない、もう一押しだ」

 猫の顔をしたあやかしは、こほんと咳ばらいをして、別の者の声を真似て、さちに囁きかける。

『さち、わたくしの可愛い妹。すべて忘れて、こちらにいらっしゃい……』

 それは蓉子の声だった。猫の顔をしたあやかしが、さちの姉である蓉子の声を発しているのだ。

 蓉子の声が聞こえた瞬間、さちの体と心は、闇の中へと完全に閉じ込められてしまった。もはや助けを求めようとする気持ちさえ感じられない。
 さちの頭の中から、ぬらりひょんの姿が、灯りが消えるようにふぅっと消えていく。

「わたし、なんでここにいるの……?」
「ああ、やっと術にかかったねぇ。じゃあ行くよ、さちさん。蓉子様のところへ」
「はい……」

 手招きされながら、さちはふらふらと闇の中を進み始める。

 大切な記憶を失い、蓉子の人形と化した哀れなさちは、怨念と陰謀が渦巻く九桜院家へと自らの足で歩いていった。
 
 





 












 

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