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episode2
私の決断
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私の前に二つの道があった。
亡き妻がいる男性をこのまま好きでいるか。それとも好きという思いに決着をつけてあきらめるか。
当然、後者の方が痛手は少ない。彼の様子を思えば今でも亡き妻を愛している可能性が高いのだから。この思いはあきらめるべきだ。だけど……。奨さんをそっと見た。寂しげな眼差しで月を見つめている。思えば彼のこの表情に惹かれてしまったのだ。奨さんの寂しさや悲しみを少しでも癒してあげたい、側にいたい。たとえ亡き妻を今も思う男性であったとしても。
ああ、私はどうしたらいいのだろう? 理性は止めるべきだと訴えているけれど、感情が追いつかない。この状況になってやっと実感した。私は奨さんを愛している。好きなんて言葉じゃ足らない。そんな簡単な思いじゃない。奨さんの側にいて、彼を幸せにしてあげたい。でも私に耐えられる? 亡くなった奥様の思い出を今も大切にしている奨さんの側にいられるの?
いろんな思いが交錯して、気持ちがまとまらない。道は二つしかないのに、どちらを選んだらいいのかわからない。
「……ちゃん、まゆちゃん、どうしたの?」
奨さんが私を呼んでいる。今までならすぐに聞こえたのに、何度呼ばれても気付けなかったみたいだ。
「すみません、ちょっとびっくりしてしまって……」
私は混乱している。たぶん自分が思っている以上に。時間が必要なのかもしれない。
「ごめんね、僕が昔のことを突然話したからだね。もっと早く話せばよかったね。でも話しにくくてね……。瑤子のことを話すと、どうしても当時のことが蘇って泣けてくるから。まゆちゃんの前で泣きたくなかった」
ああ、奨さんも辛いんだ。そう思った。辛い思い出を話してくれたのは、私への信頼の証しに思えた。
「あの、聞いてもいいですか?」
「なんだい?」
私にとっても、彼にとっても辛い質問かもしれない。
「私のご先祖に魔女がいたという話を、なぜ詳しく知りたいと思ったんですか?」
「ああ、それはね。瑤子が気になることを言い残していったからだよ」
「気になること?」
「瑤子はこう言った。『わたしがいなくなった後に、もしも魔女の力を受け継いでいるという人間に出会ったら、その人を守ってあげてほしい。できることなら、あなたには平穏無事に暮らしてほしいけれど、わたしと出会ってしまったことで運命は動き出してしまったから』と」
「運命は動き出してしまった? 瑤子さんはそう言ったんですか?」
「ああ。そして僕にいろんなものを遺していった」
愛したものを懐かしむように話す奨さんの表情を見るのは正直辛かった。でも聞かなければ私も前に進めない。どちらの道を選んだらいいのかわからない。
「なんだか不思議な人ですね。瑤子さんは、どんな女性だったんですか?」
彼はふふっと小さな声をあげて笑った。
「その通りだよ。僕から見ても瑤子は不思議な人だった。作家志望だった頃に彼女に出会ったけど、『大丈夫よ、あなたは作家になれるから。でもなってからのほうが大変よ。でもその道程があなたを名作家にするわ』と言われてね。事実、彼女に出会って数か月後に新人賞を受賞して作家になった。でも二作目に苦しんで、今は売れない作家さ。この先どうなるかわからないけど、嘘ではないような気がするんだ」
瑤子さんのことを嬉しそうに話す奨さん。やっぱり奨さんは今でも……。
「奨さんは、今でも瑤子さんのことを愛しているんですね……」
それなら私に出番はない。彼の側にはいられない。
奨さんはしばし沈黙したのちに、ゆっくりと語り始めた。
「瑤子のことを忘れることはできない。大切な人だったから。でもね、一生このまま彼女だけを想って生きていくべきなのか、わからないんだ。情けないよね、僕は」
愛した妻を早くに亡くしたという痛みに、今も奨さんは苦しんでいるんだ。簡単に忘れられるはずがない。思い出は消えることはないから。
「瑤子を亡くしてからずっと、僕は一度も笑えなかった。生きる屍みたいだったよ。でもね、まゆちゃんに出会ってやっと笑えるようになった。まさか黒猫が人間になるなんて思わなかったしね」
奨さんは笑った、私を愛しむように。その眼差しは優しく温かい。ひょっとして彼は、私のことを少しは好きでいてくれるの? だからこそ瑤子さんの思い出を忘れられなくて辛いの?
「まゆちゃんのことを守ってあげたいと思ってる。その不思議な力の謎も気になるし。僕の側にいてほしい。できたら僕と一緒に暮らさないかい?」
「私を守ることは、瑤子さんの願いでもあるんですよね……?」
奨さんは小さく笑い、否定はしなかった。奨さんと一緒に暮らす。それは天に登るほど嬉しいのに、素直に喜ぶことができない。
彼は私の決断を静かに待っていた。ここで彼の誘いを断れば、奨さんとの未来はもうないのかもしれない。それは嫌だ。奨さんを忘れることなんてできない。少しでも可能性があるなら、わずかでも未来を望めるなら。頑張ってみよう、彼の側にいるんだ。たとえそれが長く苦しいものになったとしても。
「私は家事や雑用を受け持ちますね。これからよろしくお願いします」
奨さんの表情がぱっと明るくなった。彼も嬉しいんだ。きっとこの決断は正解だ。
こうして私は、奨さんの側にいることを決めた。それは私の長い片思いの始まりだった。
亡き妻がいる男性をこのまま好きでいるか。それとも好きという思いに決着をつけてあきらめるか。
当然、後者の方が痛手は少ない。彼の様子を思えば今でも亡き妻を愛している可能性が高いのだから。この思いはあきらめるべきだ。だけど……。奨さんをそっと見た。寂しげな眼差しで月を見つめている。思えば彼のこの表情に惹かれてしまったのだ。奨さんの寂しさや悲しみを少しでも癒してあげたい、側にいたい。たとえ亡き妻を今も思う男性であったとしても。
ああ、私はどうしたらいいのだろう? 理性は止めるべきだと訴えているけれど、感情が追いつかない。この状況になってやっと実感した。私は奨さんを愛している。好きなんて言葉じゃ足らない。そんな簡単な思いじゃない。奨さんの側にいて、彼を幸せにしてあげたい。でも私に耐えられる? 亡くなった奥様の思い出を今も大切にしている奨さんの側にいられるの?
いろんな思いが交錯して、気持ちがまとまらない。道は二つしかないのに、どちらを選んだらいいのかわからない。
「……ちゃん、まゆちゃん、どうしたの?」
奨さんが私を呼んでいる。今までならすぐに聞こえたのに、何度呼ばれても気付けなかったみたいだ。
「すみません、ちょっとびっくりしてしまって……」
私は混乱している。たぶん自分が思っている以上に。時間が必要なのかもしれない。
「ごめんね、僕が昔のことを突然話したからだね。もっと早く話せばよかったね。でも話しにくくてね……。瑤子のことを話すと、どうしても当時のことが蘇って泣けてくるから。まゆちゃんの前で泣きたくなかった」
ああ、奨さんも辛いんだ。そう思った。辛い思い出を話してくれたのは、私への信頼の証しに思えた。
「あの、聞いてもいいですか?」
「なんだい?」
私にとっても、彼にとっても辛い質問かもしれない。
「私のご先祖に魔女がいたという話を、なぜ詳しく知りたいと思ったんですか?」
「ああ、それはね。瑤子が気になることを言い残していったからだよ」
「気になること?」
「瑤子はこう言った。『わたしがいなくなった後に、もしも魔女の力を受け継いでいるという人間に出会ったら、その人を守ってあげてほしい。できることなら、あなたには平穏無事に暮らしてほしいけれど、わたしと出会ってしまったことで運命は動き出してしまったから』と」
「運命は動き出してしまった? 瑤子さんはそう言ったんですか?」
「ああ。そして僕にいろんなものを遺していった」
愛したものを懐かしむように話す奨さんの表情を見るのは正直辛かった。でも聞かなければ私も前に進めない。どちらの道を選んだらいいのかわからない。
「なんだか不思議な人ですね。瑤子さんは、どんな女性だったんですか?」
彼はふふっと小さな声をあげて笑った。
「その通りだよ。僕から見ても瑤子は不思議な人だった。作家志望だった頃に彼女に出会ったけど、『大丈夫よ、あなたは作家になれるから。でもなってからのほうが大変よ。でもその道程があなたを名作家にするわ』と言われてね。事実、彼女に出会って数か月後に新人賞を受賞して作家になった。でも二作目に苦しんで、今は売れない作家さ。この先どうなるかわからないけど、嘘ではないような気がするんだ」
瑤子さんのことを嬉しそうに話す奨さん。やっぱり奨さんは今でも……。
「奨さんは、今でも瑤子さんのことを愛しているんですね……」
それなら私に出番はない。彼の側にはいられない。
奨さんはしばし沈黙したのちに、ゆっくりと語り始めた。
「瑤子のことを忘れることはできない。大切な人だったから。でもね、一生このまま彼女だけを想って生きていくべきなのか、わからないんだ。情けないよね、僕は」
愛した妻を早くに亡くしたという痛みに、今も奨さんは苦しんでいるんだ。簡単に忘れられるはずがない。思い出は消えることはないから。
「瑤子を亡くしてからずっと、僕は一度も笑えなかった。生きる屍みたいだったよ。でもね、まゆちゃんに出会ってやっと笑えるようになった。まさか黒猫が人間になるなんて思わなかったしね」
奨さんは笑った、私を愛しむように。その眼差しは優しく温かい。ひょっとして彼は、私のことを少しは好きでいてくれるの? だからこそ瑤子さんの思い出を忘れられなくて辛いの?
「まゆちゃんのことを守ってあげたいと思ってる。その不思議な力の謎も気になるし。僕の側にいてほしい。できたら僕と一緒に暮らさないかい?」
「私を守ることは、瑤子さんの願いでもあるんですよね……?」
奨さんは小さく笑い、否定はしなかった。奨さんと一緒に暮らす。それは天に登るほど嬉しいのに、素直に喜ぶことができない。
彼は私の決断を静かに待っていた。ここで彼の誘いを断れば、奨さんとの未来はもうないのかもしれない。それは嫌だ。奨さんを忘れることなんてできない。少しでも可能性があるなら、わずかでも未来を望めるなら。頑張ってみよう、彼の側にいるんだ。たとえそれが長く苦しいものになったとしても。
「私は家事や雑用を受け持ちますね。これからよろしくお願いします」
奨さんの表情がぱっと明るくなった。彼も嬉しいんだ。きっとこの決断は正解だ。
こうして私は、奨さんの側にいることを決めた。それは私の長い片思いの始まりだった。
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