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Ⅰ章.始まりの街カミエ

17.ハク①

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 私の名前は、今はハクという。

 昔の名前は忘れた。ある事件にあってから以前の記憶が、私にはあまりないのだ。住んでいた町や屋敷、そこから見えていた壁の内側の町並みははっきりと覚えているというのに、実の父母や弟の顔や名前すら曖昧であり、記憶の中の彼らは目も鼻も口もない、のっぺらぼうの姿で現れる。

 私が生まれたのは、カミエの街の西方にあるカロという町だ。カロの町は国境の町で、東南東の街道を進めば隣国のセイクレスという町へ、南西の街道を進めば山岳の街アテへと行くことができる。
 セイクレスは穴倉族ドワーフぞくの町で、アテの町はアマギ南方の魔獣との戦闘が行われている最前線のため多くの魔獣素材が集まる町だ。
 腕に自信のある渡世人はカロを経由してセイクレスの街で装備を整え、アテの街で魔獣を狩って財をなし、カロの街で体と心の疲れを癒している、そんな町だった。

 そして、私の父はカロの町の守備隊長だったと記憶している。
 記憶の中の顔のない父は、屈強な体格と『剣聖』の加護と聖剣『水晶刀』を所持しており、アマギ南方では最強の一人と呼ばれていたらしい。

 そんな父は二人の正妻を持ち、複数の側女そばめを抱えていた。
 女の少ないアマギでは、女子供は壁に囲まれた街の中に、女家じょかと呼ばれる家でくらす。女家は女と十歳になるまでの男児が暮らす家であり、夫となる人物は女家に通う多夫一妻制が普通だが、為政者や官吏、軍でもある程度以上の高官や、農業・商工業で財をなし、町壁の中に家を持てる者だけが、その才覚に応じて一夫多妻を持つことが認められている。

 若く美しい二人の母と、利発で素直な弟の五人家族の中で、私は幸せに暮らしていたのだと思う。

 そう、私が五歳の誕生日を迎えた日、巫女神様から頂いていた加護が顕現するまでは……

 私が頂いた加護は『剣帝』だった。父の持つ『剣聖』の上級の加護であり、過去に数名しか顕現けんげんしたことのない加護。その加護を発現した者は、みな英雄と呼ばれるような武功をあげている、おとぎ話の中の加護だった。

 実の母が私の加護の内容を知ったとき、少し震えていたのを今になって思い出すが、その時は大好きだった父と同じように強くなれると、私は心から喜んでいた。
 母が父に私の加護の件を話すと、父は一瞬険しい表情を浮かべたが、その後すぐにいつも通りの優しい声と大きな手で、これからも剣に精進するんだよと優しく頭を撫でてくれたことを思い出す……
 自宅を訪れる父の部下や商人たちからも、『強くて可愛い娘さんだ。これで、この家も安泰だ』、そう言われて嬉しかったが、剣の修業では父が厳しくなり、私はもっともっと強くならねばならないと頑張る日々が続いていた。


 そして一年が過ぎ、一つ下の弟も加護が顕現した。


 加護は、『実りの加護』だったのだ……

 『実りの加護』は、地を耕し食糧を生産する者が与えられる加護だ。アマギの国では、子供は二つ以上の加護を得るのが普通だが、二つ目の加護は成人するまでに顕現することが多く、一つ目に顕現した系統の加護を得る。

 つまり、弟は武系の加護は得られないと確定してしまった瞬間だった。弟は十歳になるまではこの家で暮らせるが、その後はどこか辺境の農村に割り振られるのだ。武人の息子として、弟に剣技を教えていた父と弟の落胆は大きかったと思う。
 父の家系は、代々『聖剣』を宿していたが、農民となる弟に『聖剣』を引き継ぐことは軍や為政者が許さない。アマギの国の中でも数少ない武門の系譜を持つ家系が消滅することを、それは意味していた。

 二人の母からは、『貴女はこの家の娘として恥じない社人になりなさい』と言われ、父もまた『うちの家系が最後に輩出したのが剣帝のお前であることを誇りに思う』といってくれたのだが……

 それから数か月、以前よりも厳しい父との修練が続き、『聖剣』を使う父を相手にした訓練でも、五本に三本は勝てるようになったある日、父はよく頑張ったと私を抱きしめてくれた事を覚えている。
 父の胸に抱かれていた私には、その表情が見えなかったけど、きっと父も喜んでくれていると、その時までは私は信じていたのだ……


 そしてあの忌まわしい事件が起こった。

 ある夏の夜、数日間続くお祭りでにぎわう町をよそに、私は布団で寝込むことになってしまった。父との激しい修練の結果、身体が疲れにまけて寝込んでしまったのだ。

 僅かな使用人を残し、弟や母たちを連れてお祭りに出かけていた父が、私の部屋の戸を引き開けたのは、お祭りで最も賑わう時刻だった。
 少し酔った口調の父は、私の体調を心配してくれ、父に言われるままに服をはだけ、背を向けたその後の記憶はあまりない。

 体中を襲う激しい痛み、背中から何かが侵入し、全身に広がるおぞましい感触…… 鋭利なモノで身体を貫かれる痛みや全身がすり潰されそうな圧迫感と、そして味わったことのない快感による恍惚とした感覚が交互に襲い、私はそのまま気を失っていた……




 どのくらい経ったのだろうか?
 夜更けでも賑わう町とは別に、閑散とした屋敷の中で誰かの悲鳴が響いた。
 そして、その声で目覚めた私は、自分が服を着けておらず、そして左右の両手が何者かに押さえつけられ、身体の上に重い何かがのしかかっているのを知った。

 窓から入る月と輝くリングの光は、私にはそれがなにかを教えてくれて、私は悲鳴をあげた。

 自分の全身が、粘つく赤黒いモノで染められており、身体の上にのしかかるなにかは、頭頂から股間まで二つに断ち割られていた、父だったものの亡骸であったことに……



 その後は様々な事があり、記憶があいまいだ。

 弟とその母は死んでいた。父は息子として自分の跡を継ぐことができなかった不甲斐無い息子と、その母を許す事ができずに、聖剣で殺害したとのことだ。
 母は元巫女だった為にからくもその凶行の場から逃れていたが、その後父は家に舞い戻り、私に弟とその母の血で穢れた『聖剣』を引き継ぐ儀式を強行したらしい。

 父は、女でありながら自分を超える加護を持つ私をも、憎んでいたのだ。

 『聖剣』は男だけに引き継がせる理由は、別に男尊女卑の考えからではなく、『聖剣』を引き継ぐ儀式は、人が生まれてから死ぬまでに、肉体で味わう全ての苦痛や快楽を伴うからだ。

 女に継がせた場合儀式に伴う痛みで、高い確率で精神が持たずに自己を消失して、ただの生き人形と化してしまうのが殆どだといい、過去に成功した事例はないといわれている。

 そして生き人形かした娘は、濃厚な色香をまとっており、そばにいる男であればその魅力に逆らう事ができずに娘を襲う。娘に内封された『聖剣』によって、己の身体が両断されることが分かっていても……
 父は、幼い娘相手になら、そういう状況になっても耐えられると思っていたのだろう。だが、結果は……歴史が示す通りのものとなっただけの話だ。

 なぜ、私が生き人形にならなかったのか…… その理由は自分にはわからない。母は、巫女神様の加護が強かったから助かったのだろうというが……

 父は軍の高官でもあった事から、カロの守備隊は、首都での事情聴取が必要と判断し、母と私は秘密裏に移送されている途中であったのだ。
 なぜ秘密裡に移送されるのかというと、アマギの国では女を裁く権限は本来は宮社にあるからだ。普通ならば、三ノ宮のあるカミエに移送され、母と私はカミエの巫女が立ち会う形で事情聴取に応じるのが通例なのだそうだ。
 巫女の中には嘘をも見抜く『看破』の加護を持つ者もいるし、知り合いだからと言って巫女が嘘をつくことはない。嘘をつくことは『看破』の加護を失うことにもなりかねないのだから、当然である。
 
 だが、カミエの街は母が巫女時代を過ごした街であり、三ノ宮の巫女は母と面識があるものが多い。
 そして、街に住み市民も、巫女への敬愛の念が強い街でもある。それゆえに、軍はカミエの街での事情聴取ではなく、異例ともいえる首都での事情聴取へ及ぼうとしているのだという。
 とはいえ、兵士たちにとっては私と母は死んだ上官の娘と妻であり、比較的丁重に扱われていた。彼らにとっては会ったこともない首都の高官よりも、私たちのほうに親愛の情を感じてくれているからだ。

 母がいうには、アマギの国は平和であるがゆえに、政を行う高官や指導者たちと、宮社との間には常に争いがあるという。
 魔獣や魔物の存在は、辺境に多いがゆえに、既にある街道を使用した移動しかできない。それは、国境の街道をふさぐ防衛拠点があれば、他国は攻め込むことができないということだ。他国も同様に街道上に防衛拠点を築いており、国同士の表立った戦いは数百年起きていないそうだ。

 それゆえに国の指導者や高官たちは、宮社のある五都市に住む女たちを、倍の十都市へと広げて住ませたいのだという。女が多い都市が多く点在すれば、魔物を寄せ付けない安全な領地が広がり、農業も工業も振興するというのが彼らの言い分なのだ。
 宮社はそれに対して反対しているのだ。今でさえ、女が危害に合えば街壁のすぐ外側まで魔物はやってくる。女が減れば、さらに守れる面積は減ってしまい、街壁を越えられたら女たちが直接の被害にあうからだ。
 さらに一人の女がさらわれた場合、魔獣は一月ひとつきで倍になるのだ。さらわれた女の体が生きている限り、魔獣は増え続ける。そんなリスクを冒せるはずがないと。

 本来、まつりごとは男の権であり、女が口をだすものではないと思っている者は多い。巫女神様の加護を持つ女に、国が守られているのは屈辱であり、軍がいれば宮社など不要だと思っている者も多いのだ。
 それゆえに男は武力としての『力』を欲している。『聖剣』は男の側の『力』であり、指導者や高官が女の側にそれが移るのを黙ってみている訳はないのだと、母はいった。 

 体に封じられた『聖剣』を奪えるはずがないと思っていた私は、考えが甘かったことは芹が話したはく奪することが可能だという言葉で思い知らされたのだ。
 首都にそのまま赴けば、彼らは私から『聖剣』をはく奪し、軍の高官を死亡させた、父殺しの罪で私を最底辺の遊女にするか、そのまま死んだことにして首都で高官や指導者たちの慰み者にすることも自由自在というわけだ。

 母は首都への護送で立ち寄ったカミエの街で、カロの守備隊からカミエの軍へと身柄を移された直後、巫女であった当時の術を使い、三ノ宮へと身を寄せた。
 軍は母と私の身柄を引き渡すよう通達してきたが、非合法的に女を移送しようとしていたことを指摘され、正規の手順で尋問をするしかなくなった。そして、それらが終われば私は三ノ宮の宮社に社人見習いとして引き取られることがきまる。
 父は正式に妻殺し・子殺しの罪で死後告発され、所持していた財産は没収された。そして、生き残った母は髪を肩までの長さで切られ、髪が腰の長さになるまでの間を『補助宮』と呼ばれる支宮ですごすことになる。

 母はまだ若く、子を産めるからその後はどこかの殿方に嫁ぐことになるのだろう。父が凶行に及ばなければ続いていた家族としての暮らしは、生き残ったとはいえ私から持っていた家族も、暮らした家も、私自身の所有物は体に内包した一振りの血塗られた『聖剣』を除いてすべてを奪っていった。

 そして私は名前さえも失い、カミエの街の宮社『三ノ宮』に預けられることになったのだった。
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