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第一章 死者からの招待状

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「先生!」

 ノックも忘れてドアを押し開くと、ソファに足を投げ出して座り、小説へ視線を落としている男があった。
 先生は、秀麗な眉をひそめて私を睨むと、嘆息して本を閉じる。勿論、閉じる前にお気に入りのしおりを挟むのを忘れない。

「騒々しい」
「島が見えてきたんです、抜刀島ですよ」
「ほう」

 先生は寝かせていた身体を起こしてソファに座ると、漆黒のベストの襟を整えた。
 先生の衣装は、いつも変わらない。白いシャツに漆黒のスラックス。さらに、暑かろうが寒かろうが、必ず白いシャツのうえには漆黒のベストを着用している。
 今日も同様の姿だが、くつろいでいるためか、襟首のボタンは外してあり、陽に焼けていない不健康な白い肌が見えていた。
 私は先生の隣に座ると、軽く先生を睨みつけた。

「先生、抜刀島のいわく、知ってたんじゃないですか?」
「いわく?」
「先生も知らないんですか。さっき、ゼンヤさんから聞いたんですけど。抜刀島って、沢山の刀が屠られているから抜刀島っていうそうなんです」
「ああ。戦国時代後期から、主に罪人の処刑に用いられた刀を供養する意味で、刀の墓場として利用されてきた島だな。処刑に使用した刀は穢れに侵されている、そう信じていた人々の手で、刀そのものを神として祀ることで、穢れを浄化していたと」
「……やっぱり、調べてたんですね。どうして教えてくれなかったんですか」

 先生は手の中で文庫本を弄びながら、にやりと笑った。
 横になっていたせいか、頭に撫でつけた髪型がやや崩れているが、先生は気にした様子もなく膝に肘をつき、手の甲に頬を置いた。

「こんな怪しい手紙を貰って、下調べもせずにやってくる馬鹿がどこにいる」
「……ここに、ひとり」
「よかったな、オンリーワンだ」

 厭味ったらしく言うと、先生は文庫本を私に押し付けて立ち上がった。壁にかけておいた薄手の黒いコートを羽織る。

「馬鹿だって、ゼンヤさんにも言われました」
「……そのゼンヤというのが誰なのかはさておき。抜刀島のいわくだが、時代は現代に戻り、つい六十年前。戦後まもなくのことだ。迫田棚芳公さこただなほうこうという者があの島を買い取り、移り住んだ。芳公は刀墓の傍に館を建てて、妻子と幾人かの使用人とともに暮らしたそうだ。なぜ芳公が抜刀島で暮らす気になったのかは不明だが、事件は、移住した五年後に起きた」

 ばさり、とコートをはためかせて、先生が歩き出す。
 私は文庫本を机に置いて、慌てて先生のあとを追いかけた。甲板デッキまでの細い廊下を歩きながら、先生は話を続ける。

「異変に気づいたのは、島へ食料を届けていた業者だ。定期的に入る注文がこなかったことから不審に思い、また大口の注文客を無くしたくない思いから、抜刀島の芳公の館へ様子を見に行った。そこで、業者は地獄絵図を見ることになる」

 先生は、甲板に出るドアノブに手をかけた。

「館で暮らしていた者すべてが、首を落とされて死んでいたのだ。ある者は館の廊下で、部屋で、庭で。ある者は刀墓の傍で。……ただひとり、芳公だけは腹を切って果てていたという」
「え? そうなんですか?」

 ドアノブをひねろうとした先生の手が止まって、私を見下ろした。先生は背が高いため、小柄な私を見るためには見下ろさなければならないのだ。

「聞いたんじゃないのか」
「そこまで詳細には聞いてません。業者が見に行くと、島で暮らした人たちが首を切られて殺されていた、って、とこまでで。なんで芳公は、首を落とされなかったんですかね」
「簡単な話だ。首を落とすにはそれなりに力がいる。ましてや、自殺には用いることが不可能。つまり、館の人間すべてを芳公が殺害し、最後に切腹よろしく腹を切って自害した」
「なるほど、だから芳公は首が繋がってたんですか」
「真偽のほどはわからん。私が得たのも所詮、人から人へ伝わった噂に過ぎない。だが、興味深いのは、このあとだ。当然ながら、警察の捜査が入ることになるんだが、調べた結果、芳公の腹に刺さっていた抜刀が、すべての犯行に使用されたことは間違いないという。だが、検死の結果、芳公が死んだのは館の人間が死ぬより前だったらしい」
「……はい?」

 先生が、持ち前のニヒルな笑みを浮かべた。

「面白いだろう?」

 がちゃりとドアが開いて、濃い潮風が私の長い髪をさらう。咄嗟に手をかざした私の隣を、先生がずんずんと通り過ぎた。
 甲板には、柵に寄りかかって島を眺めるシンジがいた。ゼンヤの姿はなかった。

「あれが、抜刀島か。……なるほど」

 先生の独り言に、シンジが振り向いた。シンジは先生をちらっと見たあと、私を見て微笑んだ。

「リンコちゃん、どうしたの? 部屋に戻ったんじゃなかったっけ」
「はい。島が見えたことを、先生に報告に行ったんです」

 シンジは先生をみて眉をひそめた。
 先生は、島を見つめたまま、彼の癖を発揮していた。独り言だ。「島の半径」だの「岩壁」だの「気候」などという言葉が聞こえてくるが、大方は聞きとれない。
 ひとりでぶつぶつ呟く先生に、シンジは顔をひきつらせた。
 誰がどう見ても先生は『変な人』なのだから、仕方がない。黙っていれば、なかなかの男前なのに。

「先生って、なんの先生なの?」

 シンジは、先生から目を逸らして、私に問う。独り言に夢中な様子から、本人に聞くのを諦めたようだ。さすがは教師、懸命な判断である。先生は独り言モードに入ると、横から遮られることを酷く嫌うのだ。

「先生は、小説を書かれてるんです」
「へぇ、作家先生か。そういえば、リンコちゃんは古書屋で働いてるんだっけ? その関係の知り合い?」
「先生には我が家の二階の空き部屋を、お貸ししてるんです。もともと先生と祖父がとても親しくて」
「同居人ってこと?」

 シンジは、ちら、と先生をみて、肩をすくめた。

「随分と男前なひとだね、さぞモテるだろうな。きみも苦労するだろう?」

 苦労、というのはどういう意味だろう。たまに、私を先生の恋人や妻だと誤解する人から、大変だろうと言われることがあるけれど、そういった意味だろうか。
 それとも、別の意味があるのか。
 無駄に深読みしてしまった私は、いつの間にか先生が私を見ていることに気づいて、はっと思考を押しやった。

「先生、もう観察は終わりましたか?」
「ああ。そして飽きた。部屋に戻る」

 先生はシンジに挨拶もせず、真っ直ぐに部屋に戻って行った。

「つれない恋人だね」
「恋人じゃありませんよ」
「ふぅん、恋人未満か」

 シンジはからからと笑うと、ふと、真顔になった。

「僕の手紙には、必ず一人で来るようにと記載されていた。きみのは、違うの?」

 部屋に戻ろうと踵を返した私は、シンジの言葉に驚いて振り返った。目を瞬いて、首を横にふる。

「私が貰った手紙には、一名の同伴が可能とありましたよ」

 シンジは、顎に手を当てた。

「なるほど、それぞれ内容が違うのか。まぁ、そうだろうね。あの手紙の内容からして同じわけがない。でも、そうか。うん」

 くだんの手紙は、今から遡ること一か月半ほど前。
 大学時代からの親友の、突然の訪問によって、もたらされた。

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