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8-2、背負い続けるべきもの
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静まり返ったマリアンヌの部屋には、昼夜問わず侍女が待機している。
ジスは昼間のように侍女を部屋から下がらせた。さすが王族に仕える侍女というべきか、嫌な顔ひとつせずにジスの命じたまま退室していくさまを、セリナは関心しながら見送った。
ヒューイは、地下の部屋に置いてきた。
ジスはやや迷った素振りを見せたが、縄で入念に縛ることで、放置しても大丈夫だと判断したようだ。
セリナがジスに告げたことは、事実だ。
ヒューイをあの部屋から連れ出せば、マリアンヌは死ぬ。
ジスにとっては、なぜそうなるのか、そしてセリナの言葉が真実かどうかさえ、わからないだろう。だから強行はしないと思ったが、事実、ジスは無理やりヒューイを罪人として連行しなかった。
つまり、ジスは本当にマリアンヌを助けたいのだ。
マリアンヌの『奇病』がどういったもので、なぜ起きているのかはわかった。
あとは『真実』を知るだけ。
(本格的な呪解は久しぶり)
セリナは、そっと息を吐く。
マリアンヌの、月明りのみでぼんやりと照らされた部屋にいるのは、セリナ、カイン、ジス、そして当人であるマリアンヌだ。
それぞれ息さえ殺し、静寂のなかにたたずんでいる。
ジスは、腕を組んでセリナを見た。
「『治療』の前に、いくつか確認したい。妹が呪われていることは他言しないこと、危害を決して加えないこと。それを守ってほしい」
「前者は保証するし、後者も私は危害を加えないと誓います」
「含みのある言い方だね」
セリナはそれには答えずに、マリアンヌの部屋を見回した。そして、マリアンヌのベッドの周りに蝋燭をたてはじめる。
「……何をする気だ」
カインの言葉に、セリナは振り返らずに答えた。
「真実を知るのよ」
「真実?」
「そう。なぜヒューイ様はマリアンヌ様に対して、呪術を行っているのかを」
ジスが、静かに息をつく。
「きみも、あの女がマリアンヌを呪っていると確信があるんじゃないか」
「呪いにも種類があるんですよ、殿下。現代では、呪いといえば悪しきものという認識ですが、いわゆる魔術全般を呪術と呼んだ時代がありました。その後人々は魔術を、悪魔の力を借りる悪しきものだと決めつけ、この世から追い出した。でも、実際は魔術すべてが悪しきわけじゃないんです」
「……どういうことかな」
「黒魔術、白魔術、とか聞いたことありません? 魔術は人を呪うものです。けれど、『呪う』という言葉自体、人々は誤解している。遥か古代、医学と魔術が同義語だった時代は、その呪いを用いて人々を治療していたんですよ」
セリナは蝋燭を立て終えると、それぞれに火を灯した。そして懐から取り出した、セリナが調合した特殊な香を焚く。すぐに室内へ、甘い匂いが広がった。
地下から持ち帰った鏡を両手で持ち、それをマリアンヌへ向ける。
「――――」
セリナは、口の中で小さく呪文を唱える。それは、現代では使われなくなった、古代語の元となった『音』の連なりでもあった。
静かな緊張を感じ取ったのか、男二人は何も言わない。
セリナは呪文を唱え終えると、小瓶を取りだした。持ち歩いている守りの聖水を、マリアンヌへ振りかける。マリアンヌの顔が濡れ、衣類に染みが出来た。
その瞬間、鏡が割れた。
男たちは息を呑むが、セリナはつと目を眇め、口をひらく。
「拒まないで。出てきて……理由を知りたいの」
ややのち、唸り声がした。
それは、マリアンヌの口から聞こえてくる。セリナは微笑んで、頷いた。
「そう、出てきて。……あなたの名前は?」
『私は、ジョセフィーヌ』
マリアンヌの口が動き、声を発する。けれど、紡がれた声はマリアンヌよりも年配の女のものだった。
王妃様、とジスが呟く声が聞こえ、セリナは淡々とした口調で問いかけた。
「あなたは、マリアンヌ様の母君ですね」
『ええ、そう』
「マリアンヌ様に憑りついているのは、あなたなのですね。なぜです」
『……止めたかったから』
「何を」
『マリアンヌを』
「王女様の、何を止めようとなさったのですか」
『……』
「答えたくないのですね。では、あなたはどうして死んだのですか。私が調べたところによると、病死、ということになっていますが」
『殺された』
「誰に」
『――マリアンヌ』
次の瞬間、マリアンヌの身体が跳ねた。
(限界か)
セリナは抱えたままだった鏡の枠を捨て、マリアンヌへ手を伸ばす。その手を、空気を撫でるように、そっとうえへ移動させた。
「光が見えますか。真っ直ぐ、そちらに向かってください。大丈夫、私を信じて。もう、誰も傷つけはしません」
『……あ』
ふと、マリアンヌの身体から力が抜ける。
ジョセフィーヌの姿は、誰にも見えなかった。けれど、その瞬間、確かにマリアンヌの身体から何かが抜け出たような、そんな気がした。
部屋に沈黙が降りて、セリナは緊張を解いた。
「これで、もうすぐ王女様は目覚めますよ」
ジスが、え、と呟く。
「待って。今のは何? マリアンヌの口から紡がれた声は、王妃様の……ジョセフィーヌ様のものだった」
「王妃様が、娘であるマリアンヌ様に憑いていたんです。つまり、王妃様がマリアンヌ様に憑りつくことで、仮死状態にした。王妃様はそのまま王女様を衰弱死させるつもりだったんでしょう。けれど、地下からヒューイ様が自らの生気を呪術で王女様へ送り続けていたから、王女様は何カ月経っても死ななかった」
地下にあった陣、あれは、あの場と離れた場所とをつなぐもの。それは、心であったり、記憶であったり、時間であったり、あらゆるものを共有したり、送ったり、奪ったりもできる高度な術だ。
けれど、ヒューイの力では精々自らの生気を一方的に送るのが精いっぱいだろう。それさえ、半年以上も続けた今、限界が近かったはずだ。実際、ヒューイはやせ細り、生気もほとんど感じられなかったから――かなり無理をしていただろう。寿命も縮んだに違いない。
「……馬鹿な。王妃様がそんなことをなさるはずがないっ。あの女は、王妃様と仲が悪かった。あの女が、マリアンヌを呪っていたんだろう!」
「ヒューイ様は、王女様を助けようとしていた。おそらく、かねてより親しかったんでしょうね」
「なぜ言い切れるんだ!」
「王女様の身近な者で、魔術に精通しているのはヒューイ様くらいだと思ったからです。王女様は、ヒューイ様の元で知った魔術を『実践』した。そのために、生贄として実母を殺した。その結果として、今回の事態が起きたんでしょう」
「……ふざけるな。何も知らないお前に、マリアンヌの何がわかるっ」
「知らないからこそ、客観的に見える部分もあるんです、王子様。……あなたの権力で、私を処罰しますか?」
セリナは、ジスを振り返った。
ジスは拳を握り締めて、青い顔を震わせていた。
せっかくの美男子が台無しなほどに、顔を歪めている。
ふいに、「ん」と小さな唸り声がして、皆の視線がマリアンヌへと向く。マリアンヌの瞼が上がり、視線を辺りに彷徨わせた。
ジスが慌てて駆け寄り、マリアンヌを覗き込んだ。
「気がついたんだね」
「……お兄様。私は、一体」
マリアンヌは半身を起こそうとしたがふらつき、ジスが慌ててその背中を支えた。兄の手を借りて半身を起こしたマリアンヌはベッドを囲む蝋燭を見て、鼻をひくつかせる。部屋にゆったりと充満している匂いを確認し、そして、セリナを見た。
兄であるジスと同じ、空色の瞳がセリナを射抜く。
「何をされましたの?」
透明感のある、心地よい声音だった。明るいセフィリアとは違い、儚く消えてしまいそうなほどに、美しい声音。壊れる寸前のガラス細工を連想させる繊細さがあるその声音を聞き、セリナは無表情のまま告げた。
「降霊術の一種を。亡くなった王妃様に、色々とお聞きしていたんです。王女殿下」
マリアンヌは、頬に手を当ててため息をついた。
「何をどこまでご存じなのかしら」
「全部」
「あら、そう」
マリアンヌは、セリナから視線をずらした。カインを見て、おっとりとした笑みを浮かべる。その魅惑的な笑みを少しだけ悲しそうに歪めて、口を開く。
「あなたはわたくしを信じてくださるわよね。わたくしは、何もしていない」
「何がどうなっているのか、私にはわかりません。しかし、私はセリナを信じます」
マリアンヌは微笑んだまま、ジスへ視線を向けた。
「お兄様は、こんな小娘より私を信じてくださるでしょう?」
「……マリアンヌ。お前が何について話しているのか、僕にはわからない。さっきまで、きみは眠っていたんだ。セリナ医師が行った施術の間も眠っていて、聞こえていなかっただろう。なのに、何をそんなにむきになって訴えるんだ。無実を訴えるほどの悪事をしたのか。……自分の行いを弁解する必要があるような悪事に、思い当たる節があるのか」
マリアンヌはため息をついて、小首を振った。
頬に手を当てて、首を傾げる。視線は再びセリナへ向く。
「あなたが、わたくしの婚約者やお兄様を洗脳して操り、わたくしを犯人扱いしようとしているのね」
「……してませんよ、王女殿下。ちなみに、なんの犯人です?」
「決まってるじゃないの。お母様を殺した犯人よ」
「マリアンヌ? 王妃様は病死だと、きみが父上に告げた。……父上は信じた。きみが病死だと告げたのに、王妃様を殺した犯人がいる、っていうのは、矛盾して――」
「うるさい」
低く呟いたのは、マリアンヌだった。
ジスは、ふらりと身体を後方に傾げて、そのまま後ろへと下がった。マリアンヌは笑みを消し、冷めた目でセリナを見据えている。
「生贄には、身内の血を使うのがもっとも効果的ですからね。実母の次は実兄、その次は実父ですか」
セリナの言葉に、マリアンヌは少しだけ口元を歪めた。けれど何も言わない。セリナは話を続ける。
「呪術は、ヒューイ様の元で学んだんですね。だから、ヒューイ様は責任を感じて、あなたを庇った。あなたを殺してしまいたくなくて、命がけであなたへ生気を送り続けた。……つまり、あなたの目的は」
「あら、言う必要ある?」
マリアンヌは、笑った。
可愛く、朗らかに。
「でも、聞きたいなら教えてあげる。わたくしが欲しかったのは、命よ」
「つまり……目的は、不老不死」
マリアンヌは笑みを深める。
「よくご存じね」
「地下に、近年発売された魔術書がありました。仕事がら以前に目を通しましたが、その方法と現状がよく似ているんです。血の繋がりの濃い身内を生贄に悪魔と契約し、不老不死になれるとか。……こんなデマ本を信じて、母親を殺すとか馬鹿じゃないの」
後半は侮蔑交じりに吐き捨てた。
マリアンヌの表情が強張った。刹那、美しい顔を顰めて、セリナを射殺すように睨みつける。
「馬鹿ですって?」
「そうよ、馬鹿も馬鹿。命、舐めんじゃないわよ」
「舐めてないわ。命ほど大切なものはない。だからわたくしのために犠牲になってもらうの。わたくしは美しい。誰よりも、美しいの。永遠を得るに値する美貌があるのよ。老いずに美しいまま、永遠に生きるべきだわ!」
マリアンヌは言い放つと、微笑んだ。
セリナは冷めた目で見つめ、足元に置いておいた斧を肩に担ぐ。
「永遠に生きるなんて、辛いだけよ」
斧を持ったままマリアンヌに近づくと、ぎょっとしたマリアンヌがベッドのぎりぎり後ろまで下がった。それを追うように、セリナは歩み寄る。
「何をする気なの。わたくしは王女よ。そして、この世の誰よりも美しい王女なの!」
「あなたは醜い」
セリナは斧を振り上げた。マリアンヌめがけて振り下ろす。
斧はマリアンヌの顔のすぐ横にあった壁にささり、マリアンヌは気を失った。ずるりと滑るようにベッドに転がったマリアンヌを見つめて、セリナは視線を落とす。
(……永遠の命を得る方法、ね)
セリナはマリアンヌへ近づいた。脈を図り、そっと額に触れる。そして糸をつむぐように、くるくると指先を回していく。
やがて紡ぎ取ったソレを手のひらに納め、小瓶につめた。
セリナはジスを振り返った。
「明日には、王女様は目を醒まされますよ」
「……あ、ああ」
ジスは頭を抱えて、首を振る。
「僕は信じられない。マリアンヌが、王妃様を殺した? 生贄のために?」
「いいえ」
セリナは、おかしそうに笑って首を横に振った。
ジスが、きょとんとした顔をする。
「医師殿?」
「王女様は、呪術になどかかっていませんでした。これは、奇病です」
「……奇病? でも、王妃様が憑りついていた、と」
「王女様が呪術を習得されていたことと、ヒューイ様が生気を送り続けておられたことは事実です。けれど、それ以外は事実無根ですよ」
「でもきみはさっき、そう言って……」
「王女様がそう思い込まれているようだったので、合わせただけです」
セリナは、つとマリアンヌを見た。穏やかに眠っている。
「この奇病は、身体が仮死状態に近くなります。放置すれば、衰弱して死に至る。だから一刻も早く目覚めさせる必要がありました。というよりも、眠っている間も王女様には意識があったんですよ。私たちの声は聞こえていたはずです。けれど、奇病ゆえに心身が言うことを聞かない。だから、強引に目を醒ましてもらいました。私が唱えた呪文は、医療呪術の一つです。目を醒ましてもらうための」
セリナはベッドの周りに置いた蝋燭を片付け始める。すぐに、カインも手伝ってくれた。
「王女様の奇病に、名はありません。とても珍しいものなので。ただ、眠りが浅くなると虚言を吐くことがあるんです。起きた瞬間も、同じです。それらは記憶の混濁からくるもので、目覚めてからしばらくは先ほどのように造り話を口走ります。けれど、再び意識を失ってしまえば――明日、目覚めたとき何もかもを忘れているでしょう」
カインが手を止めて、顔をあげる。
「何もかも?」
「目覚めた王女様はおそらく、記憶喪失と同等の状態になってるわ」
セリナもまた手を止めて、ジスを振り返る。
「生きるために身体が覚えていることは、すべてお忘れでしょう。自分が王女であることや、名前まで」
ジスはセリナを、そしてマリアンヌを見る。
「……記憶喪失」
「それがこの奇病の特徴でもあり、治すためには避けて通れません」
ジスはやや黙したのち、頷いた。
そしてマリアンヌの傍へ向かうと、妹の額に手を振れる。
「……マリアンヌの命が助かるのなら、仕方がないね。明日、目を醒ますんだね」
「はい、必ず」
セリナは部屋を片付けて魔術を行った形跡を消し、ジスを部屋に残してマリアンヌの部屋を出た。斧や蝋燭を抱えたカインもついてくる。
セリナは再び地下へ向かい、ヒューイの縄を解いた。
「王女様に憑りついていた王妃様は、浄霊しました」
ヒューイは驚いた顔をして、セリナの肩を掴む。
「生きてるの? マリアンヌは」
「ええ。けれど、記憶を消しました。……王女様は、己自身のことも、あなたのことも……そして、自らが行った罪も、覚えていないでしょう」
「……本当に王妃様が憑いておられたなんて」
ヒューイはがくりと床に膝をつき、沈黙した。
「霊を落とすなんて、あなたは本当に凄い呪術を使うのね。霊能力みたいだわ」
ヒューイは語りだす。自分は、元々王城で働いていた呪術師の末裔で、国王に見初められて王城へ上がった。のちに国王は王妃を娶り、王妃はヒューイを嫌った。そして産んだ子どもが娘だったことに失望し、マリアンヌにも冷たかった。
いつの間にか、マリアンヌはヒューイの元へ通うようになり、魔術を知ることになる。そして、今回の事件が起きた。
セリナはそれらを聞き流して、地下を出た。
自らが宛がわれた客室へ戻ってくると、ついてきたカインが先に口をひらく。
「王子殿下に告げたことは、嘘か」
「嘘よ。王女が王妃を殺し、王妃が娘の暴動を止めるために憑りつき、それを救おうと妾が呪術を行っていた。王妃は悪意をもって憑りついていたわけではなかったから、気配を読み取りにくかったのね」
セリナは大きくあくびをしてソファに座る。
呪術は、世間に知られないに限る。
王女が呪術のために実母を殺したことは、王子も国王も知らないままでいい。ジス王子はセリナが嘘をついたことに勘づいているかもしれないけれど、それを本人や周囲に告げはしないだろう。
そもそもの話、呪いとか、幽霊とか。そんなもの、誰も信じないだろう。
「万事解決でしょ」
セリナはそう言って笑ってみせた。
けれど、胸中ではため息をつく。
(この解決方法が、限界)
王女の記憶を消す必要があった。死んでしまった王妃を蘇らせることはできない。寿命を縮めたヒューイの寿命を戻すこともできない。
これが、精一杯の解決方法なのだ。
カインが、セリナの隣に座った。ふとセリナはカインを振り返り、笑ってみせる。
「明日、王女様が目覚めたのを確認したら王城を出るわ。陛下もあんたが言ってたようにいい人みたいだし、色々杞憂だったわね。王城を出たら、あんたの呪解も始めましょう。日数が必要かもしれないから、合間に城下の観光でもしようかしら」
カインは黙り込んだまま、俯いている。
セリナは苦笑した。「お前についていくことを辞めた」とか「王女殿下との婚約を継続することになった」など、そういったことを言われるのだ、と思った。
カインは優しいから、セリナを傷つけまいと言葉を選んでいるのだろう。
(気にしなくてもいいのに)
ややのち、カインは口を開くが――その内容は、セリナが予想していたものとは違っていた。
「罪は、背負い続けるべきものなのかもしれない」
「……え?」
「王女殿下の記憶を消しただろう。だが、王女殿下は己の罪を認め、償うべきだった」
「記憶を失うことが償いでしょう。私は、王女様を目覚めさせることによって、ジス王子やヒューイ様、陛下を救いたかったのよ」
カインは納得できないというように眉をひそめて、呟く。
「私は姉を殺した。未だに夢を見る。過去は消せない、忘れるべきではない」
「何言ってんの、あんたのせいじゃないでしょ」
「故意ある悪だけが、罪ではない」
「そんなこと言ってたら、世の中が悪人だからけになっちゃうわよ」
「ならば、なぜお前は背負い続けているんだ」
カインは、セリナを振り返った。その瞳は森の奥にある湖のように静かだが、何もかもを見透かすような――死ぬ間際の祖母の瞳を彷彿とさせる、威力があった。
セリナはそんなカインと視線を合わせて、呟く。
「何か『視た』?」
「お前が村の人々を殺し、その血を口にするのを」
ぶわり、とかつての光景が脳裏に蘇り、セリナは顔を顰める。未だに手に残る生々しい感触を消すために、ぐっと拳を握り締めた。
「……そう」
「あれはローグ村で三百年前に、実際にあったことか。お前はあの事件が原因で……生き続けているのか」
「だったら、なに」
自嘲気味に、冷ややかに答えた。
その瞬間。
カインの力強い手に肩を抑えられて、そのまま仰向けに押し倒された。
ジスは昼間のように侍女を部屋から下がらせた。さすが王族に仕える侍女というべきか、嫌な顔ひとつせずにジスの命じたまま退室していくさまを、セリナは関心しながら見送った。
ヒューイは、地下の部屋に置いてきた。
ジスはやや迷った素振りを見せたが、縄で入念に縛ることで、放置しても大丈夫だと判断したようだ。
セリナがジスに告げたことは、事実だ。
ヒューイをあの部屋から連れ出せば、マリアンヌは死ぬ。
ジスにとっては、なぜそうなるのか、そしてセリナの言葉が真実かどうかさえ、わからないだろう。だから強行はしないと思ったが、事実、ジスは無理やりヒューイを罪人として連行しなかった。
つまり、ジスは本当にマリアンヌを助けたいのだ。
マリアンヌの『奇病』がどういったもので、なぜ起きているのかはわかった。
あとは『真実』を知るだけ。
(本格的な呪解は久しぶり)
セリナは、そっと息を吐く。
マリアンヌの、月明りのみでぼんやりと照らされた部屋にいるのは、セリナ、カイン、ジス、そして当人であるマリアンヌだ。
それぞれ息さえ殺し、静寂のなかにたたずんでいる。
ジスは、腕を組んでセリナを見た。
「『治療』の前に、いくつか確認したい。妹が呪われていることは他言しないこと、危害を決して加えないこと。それを守ってほしい」
「前者は保証するし、後者も私は危害を加えないと誓います」
「含みのある言い方だね」
セリナはそれには答えずに、マリアンヌの部屋を見回した。そして、マリアンヌのベッドの周りに蝋燭をたてはじめる。
「……何をする気だ」
カインの言葉に、セリナは振り返らずに答えた。
「真実を知るのよ」
「真実?」
「そう。なぜヒューイ様はマリアンヌ様に対して、呪術を行っているのかを」
ジスが、静かに息をつく。
「きみも、あの女がマリアンヌを呪っていると確信があるんじゃないか」
「呪いにも種類があるんですよ、殿下。現代では、呪いといえば悪しきものという認識ですが、いわゆる魔術全般を呪術と呼んだ時代がありました。その後人々は魔術を、悪魔の力を借りる悪しきものだと決めつけ、この世から追い出した。でも、実際は魔術すべてが悪しきわけじゃないんです」
「……どういうことかな」
「黒魔術、白魔術、とか聞いたことありません? 魔術は人を呪うものです。けれど、『呪う』という言葉自体、人々は誤解している。遥か古代、医学と魔術が同義語だった時代は、その呪いを用いて人々を治療していたんですよ」
セリナは蝋燭を立て終えると、それぞれに火を灯した。そして懐から取り出した、セリナが調合した特殊な香を焚く。すぐに室内へ、甘い匂いが広がった。
地下から持ち帰った鏡を両手で持ち、それをマリアンヌへ向ける。
「――――」
セリナは、口の中で小さく呪文を唱える。それは、現代では使われなくなった、古代語の元となった『音』の連なりでもあった。
静かな緊張を感じ取ったのか、男二人は何も言わない。
セリナは呪文を唱え終えると、小瓶を取りだした。持ち歩いている守りの聖水を、マリアンヌへ振りかける。マリアンヌの顔が濡れ、衣類に染みが出来た。
その瞬間、鏡が割れた。
男たちは息を呑むが、セリナはつと目を眇め、口をひらく。
「拒まないで。出てきて……理由を知りたいの」
ややのち、唸り声がした。
それは、マリアンヌの口から聞こえてくる。セリナは微笑んで、頷いた。
「そう、出てきて。……あなたの名前は?」
『私は、ジョセフィーヌ』
マリアンヌの口が動き、声を発する。けれど、紡がれた声はマリアンヌよりも年配の女のものだった。
王妃様、とジスが呟く声が聞こえ、セリナは淡々とした口調で問いかけた。
「あなたは、マリアンヌ様の母君ですね」
『ええ、そう』
「マリアンヌ様に憑りついているのは、あなたなのですね。なぜです」
『……止めたかったから』
「何を」
『マリアンヌを』
「王女様の、何を止めようとなさったのですか」
『……』
「答えたくないのですね。では、あなたはどうして死んだのですか。私が調べたところによると、病死、ということになっていますが」
『殺された』
「誰に」
『――マリアンヌ』
次の瞬間、マリアンヌの身体が跳ねた。
(限界か)
セリナは抱えたままだった鏡の枠を捨て、マリアンヌへ手を伸ばす。その手を、空気を撫でるように、そっとうえへ移動させた。
「光が見えますか。真っ直ぐ、そちらに向かってください。大丈夫、私を信じて。もう、誰も傷つけはしません」
『……あ』
ふと、マリアンヌの身体から力が抜ける。
ジョセフィーヌの姿は、誰にも見えなかった。けれど、その瞬間、確かにマリアンヌの身体から何かが抜け出たような、そんな気がした。
部屋に沈黙が降りて、セリナは緊張を解いた。
「これで、もうすぐ王女様は目覚めますよ」
ジスが、え、と呟く。
「待って。今のは何? マリアンヌの口から紡がれた声は、王妃様の……ジョセフィーヌ様のものだった」
「王妃様が、娘であるマリアンヌ様に憑いていたんです。つまり、王妃様がマリアンヌ様に憑りつくことで、仮死状態にした。王妃様はそのまま王女様を衰弱死させるつもりだったんでしょう。けれど、地下からヒューイ様が自らの生気を呪術で王女様へ送り続けていたから、王女様は何カ月経っても死ななかった」
地下にあった陣、あれは、あの場と離れた場所とをつなぐもの。それは、心であったり、記憶であったり、時間であったり、あらゆるものを共有したり、送ったり、奪ったりもできる高度な術だ。
けれど、ヒューイの力では精々自らの生気を一方的に送るのが精いっぱいだろう。それさえ、半年以上も続けた今、限界が近かったはずだ。実際、ヒューイはやせ細り、生気もほとんど感じられなかったから――かなり無理をしていただろう。寿命も縮んだに違いない。
「……馬鹿な。王妃様がそんなことをなさるはずがないっ。あの女は、王妃様と仲が悪かった。あの女が、マリアンヌを呪っていたんだろう!」
「ヒューイ様は、王女様を助けようとしていた。おそらく、かねてより親しかったんでしょうね」
「なぜ言い切れるんだ!」
「王女様の身近な者で、魔術に精通しているのはヒューイ様くらいだと思ったからです。王女様は、ヒューイ様の元で知った魔術を『実践』した。そのために、生贄として実母を殺した。その結果として、今回の事態が起きたんでしょう」
「……ふざけるな。何も知らないお前に、マリアンヌの何がわかるっ」
「知らないからこそ、客観的に見える部分もあるんです、王子様。……あなたの権力で、私を処罰しますか?」
セリナは、ジスを振り返った。
ジスは拳を握り締めて、青い顔を震わせていた。
せっかくの美男子が台無しなほどに、顔を歪めている。
ふいに、「ん」と小さな唸り声がして、皆の視線がマリアンヌへと向く。マリアンヌの瞼が上がり、視線を辺りに彷徨わせた。
ジスが慌てて駆け寄り、マリアンヌを覗き込んだ。
「気がついたんだね」
「……お兄様。私は、一体」
マリアンヌは半身を起こそうとしたがふらつき、ジスが慌ててその背中を支えた。兄の手を借りて半身を起こしたマリアンヌはベッドを囲む蝋燭を見て、鼻をひくつかせる。部屋にゆったりと充満している匂いを確認し、そして、セリナを見た。
兄であるジスと同じ、空色の瞳がセリナを射抜く。
「何をされましたの?」
透明感のある、心地よい声音だった。明るいセフィリアとは違い、儚く消えてしまいそうなほどに、美しい声音。壊れる寸前のガラス細工を連想させる繊細さがあるその声音を聞き、セリナは無表情のまま告げた。
「降霊術の一種を。亡くなった王妃様に、色々とお聞きしていたんです。王女殿下」
マリアンヌは、頬に手を当ててため息をついた。
「何をどこまでご存じなのかしら」
「全部」
「あら、そう」
マリアンヌは、セリナから視線をずらした。カインを見て、おっとりとした笑みを浮かべる。その魅惑的な笑みを少しだけ悲しそうに歪めて、口を開く。
「あなたはわたくしを信じてくださるわよね。わたくしは、何もしていない」
「何がどうなっているのか、私にはわかりません。しかし、私はセリナを信じます」
マリアンヌは微笑んだまま、ジスへ視線を向けた。
「お兄様は、こんな小娘より私を信じてくださるでしょう?」
「……マリアンヌ。お前が何について話しているのか、僕にはわからない。さっきまで、きみは眠っていたんだ。セリナ医師が行った施術の間も眠っていて、聞こえていなかっただろう。なのに、何をそんなにむきになって訴えるんだ。無実を訴えるほどの悪事をしたのか。……自分の行いを弁解する必要があるような悪事に、思い当たる節があるのか」
マリアンヌはため息をついて、小首を振った。
頬に手を当てて、首を傾げる。視線は再びセリナへ向く。
「あなたが、わたくしの婚約者やお兄様を洗脳して操り、わたくしを犯人扱いしようとしているのね」
「……してませんよ、王女殿下。ちなみに、なんの犯人です?」
「決まってるじゃないの。お母様を殺した犯人よ」
「マリアンヌ? 王妃様は病死だと、きみが父上に告げた。……父上は信じた。きみが病死だと告げたのに、王妃様を殺した犯人がいる、っていうのは、矛盾して――」
「うるさい」
低く呟いたのは、マリアンヌだった。
ジスは、ふらりと身体を後方に傾げて、そのまま後ろへと下がった。マリアンヌは笑みを消し、冷めた目でセリナを見据えている。
「生贄には、身内の血を使うのがもっとも効果的ですからね。実母の次は実兄、その次は実父ですか」
セリナの言葉に、マリアンヌは少しだけ口元を歪めた。けれど何も言わない。セリナは話を続ける。
「呪術は、ヒューイ様の元で学んだんですね。だから、ヒューイ様は責任を感じて、あなたを庇った。あなたを殺してしまいたくなくて、命がけであなたへ生気を送り続けた。……つまり、あなたの目的は」
「あら、言う必要ある?」
マリアンヌは、笑った。
可愛く、朗らかに。
「でも、聞きたいなら教えてあげる。わたくしが欲しかったのは、命よ」
「つまり……目的は、不老不死」
マリアンヌは笑みを深める。
「よくご存じね」
「地下に、近年発売された魔術書がありました。仕事がら以前に目を通しましたが、その方法と現状がよく似ているんです。血の繋がりの濃い身内を生贄に悪魔と契約し、不老不死になれるとか。……こんなデマ本を信じて、母親を殺すとか馬鹿じゃないの」
後半は侮蔑交じりに吐き捨てた。
マリアンヌの表情が強張った。刹那、美しい顔を顰めて、セリナを射殺すように睨みつける。
「馬鹿ですって?」
「そうよ、馬鹿も馬鹿。命、舐めんじゃないわよ」
「舐めてないわ。命ほど大切なものはない。だからわたくしのために犠牲になってもらうの。わたくしは美しい。誰よりも、美しいの。永遠を得るに値する美貌があるのよ。老いずに美しいまま、永遠に生きるべきだわ!」
マリアンヌは言い放つと、微笑んだ。
セリナは冷めた目で見つめ、足元に置いておいた斧を肩に担ぐ。
「永遠に生きるなんて、辛いだけよ」
斧を持ったままマリアンヌに近づくと、ぎょっとしたマリアンヌがベッドのぎりぎり後ろまで下がった。それを追うように、セリナは歩み寄る。
「何をする気なの。わたくしは王女よ。そして、この世の誰よりも美しい王女なの!」
「あなたは醜い」
セリナは斧を振り上げた。マリアンヌめがけて振り下ろす。
斧はマリアンヌの顔のすぐ横にあった壁にささり、マリアンヌは気を失った。ずるりと滑るようにベッドに転がったマリアンヌを見つめて、セリナは視線を落とす。
(……永遠の命を得る方法、ね)
セリナはマリアンヌへ近づいた。脈を図り、そっと額に触れる。そして糸をつむぐように、くるくると指先を回していく。
やがて紡ぎ取ったソレを手のひらに納め、小瓶につめた。
セリナはジスを振り返った。
「明日には、王女様は目を醒まされますよ」
「……あ、ああ」
ジスは頭を抱えて、首を振る。
「僕は信じられない。マリアンヌが、王妃様を殺した? 生贄のために?」
「いいえ」
セリナは、おかしそうに笑って首を横に振った。
ジスが、きょとんとした顔をする。
「医師殿?」
「王女様は、呪術になどかかっていませんでした。これは、奇病です」
「……奇病? でも、王妃様が憑りついていた、と」
「王女様が呪術を習得されていたことと、ヒューイ様が生気を送り続けておられたことは事実です。けれど、それ以外は事実無根ですよ」
「でもきみはさっき、そう言って……」
「王女様がそう思い込まれているようだったので、合わせただけです」
セリナは、つとマリアンヌを見た。穏やかに眠っている。
「この奇病は、身体が仮死状態に近くなります。放置すれば、衰弱して死に至る。だから一刻も早く目覚めさせる必要がありました。というよりも、眠っている間も王女様には意識があったんですよ。私たちの声は聞こえていたはずです。けれど、奇病ゆえに心身が言うことを聞かない。だから、強引に目を醒ましてもらいました。私が唱えた呪文は、医療呪術の一つです。目を醒ましてもらうための」
セリナはベッドの周りに置いた蝋燭を片付け始める。すぐに、カインも手伝ってくれた。
「王女様の奇病に、名はありません。とても珍しいものなので。ただ、眠りが浅くなると虚言を吐くことがあるんです。起きた瞬間も、同じです。それらは記憶の混濁からくるもので、目覚めてからしばらくは先ほどのように造り話を口走ります。けれど、再び意識を失ってしまえば――明日、目覚めたとき何もかもを忘れているでしょう」
カインが手を止めて、顔をあげる。
「何もかも?」
「目覚めた王女様はおそらく、記憶喪失と同等の状態になってるわ」
セリナもまた手を止めて、ジスを振り返る。
「生きるために身体が覚えていることは、すべてお忘れでしょう。自分が王女であることや、名前まで」
ジスはセリナを、そしてマリアンヌを見る。
「……記憶喪失」
「それがこの奇病の特徴でもあり、治すためには避けて通れません」
ジスはやや黙したのち、頷いた。
そしてマリアンヌの傍へ向かうと、妹の額に手を振れる。
「……マリアンヌの命が助かるのなら、仕方がないね。明日、目を醒ますんだね」
「はい、必ず」
セリナは部屋を片付けて魔術を行った形跡を消し、ジスを部屋に残してマリアンヌの部屋を出た。斧や蝋燭を抱えたカインもついてくる。
セリナは再び地下へ向かい、ヒューイの縄を解いた。
「王女様に憑りついていた王妃様は、浄霊しました」
ヒューイは驚いた顔をして、セリナの肩を掴む。
「生きてるの? マリアンヌは」
「ええ。けれど、記憶を消しました。……王女様は、己自身のことも、あなたのことも……そして、自らが行った罪も、覚えていないでしょう」
「……本当に王妃様が憑いておられたなんて」
ヒューイはがくりと床に膝をつき、沈黙した。
「霊を落とすなんて、あなたは本当に凄い呪術を使うのね。霊能力みたいだわ」
ヒューイは語りだす。自分は、元々王城で働いていた呪術師の末裔で、国王に見初められて王城へ上がった。のちに国王は王妃を娶り、王妃はヒューイを嫌った。そして産んだ子どもが娘だったことに失望し、マリアンヌにも冷たかった。
いつの間にか、マリアンヌはヒューイの元へ通うようになり、魔術を知ることになる。そして、今回の事件が起きた。
セリナはそれらを聞き流して、地下を出た。
自らが宛がわれた客室へ戻ってくると、ついてきたカインが先に口をひらく。
「王子殿下に告げたことは、嘘か」
「嘘よ。王女が王妃を殺し、王妃が娘の暴動を止めるために憑りつき、それを救おうと妾が呪術を行っていた。王妃は悪意をもって憑りついていたわけではなかったから、気配を読み取りにくかったのね」
セリナは大きくあくびをしてソファに座る。
呪術は、世間に知られないに限る。
王女が呪術のために実母を殺したことは、王子も国王も知らないままでいい。ジス王子はセリナが嘘をついたことに勘づいているかもしれないけれど、それを本人や周囲に告げはしないだろう。
そもそもの話、呪いとか、幽霊とか。そんなもの、誰も信じないだろう。
「万事解決でしょ」
セリナはそう言って笑ってみせた。
けれど、胸中ではため息をつく。
(この解決方法が、限界)
王女の記憶を消す必要があった。死んでしまった王妃を蘇らせることはできない。寿命を縮めたヒューイの寿命を戻すこともできない。
これが、精一杯の解決方法なのだ。
カインが、セリナの隣に座った。ふとセリナはカインを振り返り、笑ってみせる。
「明日、王女様が目覚めたのを確認したら王城を出るわ。陛下もあんたが言ってたようにいい人みたいだし、色々杞憂だったわね。王城を出たら、あんたの呪解も始めましょう。日数が必要かもしれないから、合間に城下の観光でもしようかしら」
カインは黙り込んだまま、俯いている。
セリナは苦笑した。「お前についていくことを辞めた」とか「王女殿下との婚約を継続することになった」など、そういったことを言われるのだ、と思った。
カインは優しいから、セリナを傷つけまいと言葉を選んでいるのだろう。
(気にしなくてもいいのに)
ややのち、カインは口を開くが――その内容は、セリナが予想していたものとは違っていた。
「罪は、背負い続けるべきものなのかもしれない」
「……え?」
「王女殿下の記憶を消しただろう。だが、王女殿下は己の罪を認め、償うべきだった」
「記憶を失うことが償いでしょう。私は、王女様を目覚めさせることによって、ジス王子やヒューイ様、陛下を救いたかったのよ」
カインは納得できないというように眉をひそめて、呟く。
「私は姉を殺した。未だに夢を見る。過去は消せない、忘れるべきではない」
「何言ってんの、あんたのせいじゃないでしょ」
「故意ある悪だけが、罪ではない」
「そんなこと言ってたら、世の中が悪人だからけになっちゃうわよ」
「ならば、なぜお前は背負い続けているんだ」
カインは、セリナを振り返った。その瞳は森の奥にある湖のように静かだが、何もかもを見透かすような――死ぬ間際の祖母の瞳を彷彿とさせる、威力があった。
セリナはそんなカインと視線を合わせて、呟く。
「何か『視た』?」
「お前が村の人々を殺し、その血を口にするのを」
ぶわり、とかつての光景が脳裏に蘇り、セリナは顔を顰める。未だに手に残る生々しい感触を消すために、ぐっと拳を握り締めた。
「……そう」
「あれはローグ村で三百年前に、実際にあったことか。お前はあの事件が原因で……生き続けているのか」
「だったら、なに」
自嘲気味に、冷ややかに答えた。
その瞬間。
カインの力強い手に肩を抑えられて、そのまま仰向けに押し倒された。
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