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第四章

十一、

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 むぅ、と不満な麻野は、「お世辞とか言わないんですね」と呟きつつも、ベランダから室内に戻る。ふくれっ面の麻野に気づかないままの新居崎からは、返事もなく、麻野はますます膨れた。
「……これは?」
 ふと。
 新居崎が、机の上に置きっぱなしにしていた本たち――の、傍に雑多に置いてあった、麻野のメモに視線を落とした。そこには、バイトしている居酒屋のメニューやテーブル番号、そのほか、開店から閉店までの準備や片付けまで、やらなければならないことがずらっと書いてある。
「見ての通り、メモです。忘れちゃうんで」
「なんのメモだ」
「何って、バイトですよ。短期の」
「……バイトだと?」
 はっ、と口をつぐむ。
 時計を壊した際、バイトなどしなくてもいいと言ってくれたのは、新居崎だ。それを無視してバイトをした挙句、時計代の支払いに当てた資金ではないのだから、怒られても仕方がない。
「ま、まってください。違うんですっ! 電話で言ってた新幹線代を、先生に返そうと思ったら、やっぱりバイトを――」
 途端に、新居崎の表情が強張った。
 僅かな沈黙ののち、これ以上ないほどに眉間に皴がよる。
「いらん、そんなもの」
「でも」
「大江山で一泊したときに、言ったはずだ。いらんと」
「き、聞いてませんよっ。それに先生、入用なんじゃ。少しでも役立ててください」
 ぐい、と封筒を押し付けると。
 新居崎は、ため息交じりに麻野の手を振り払う。
 久しぶりに冷たくあしらわれて、懐かしさと同時に寂しく感じてしまうのは、身勝手すぎるだろうか。
 なんとなく、京都旅行の一件で、仲良くなれたと思っていたのに。
「学生の本分は勉強だ、暇なら知識をつめこめ。必要のないバイトはしなくてもいい。大体、私は別に入用ではないし、資金面で困っているわけではない。実験費用うんぬんを言うのなら、桁が違う」
「だって、新幹線代をお返ししますって言ったら、今すぐ行く、って」
「え」
「……え? だって、さっき、電話で」
 新居崎は、右手の甲で自分の額を押さえた。
 やたら絵になる立ち姿のまま、ふいっと後ろを向く。
「先生?」
 まさかの、無言。そして沈黙。
 麻野は、振り返ることなく黙り込んだ新居崎の横を回り込もうとするが、その都度向きを変える新居崎ゆえに、表情が見えない。具合が悪いわけではなさそうだ。ならば、顔を見られたくないのだろうか。
「もしかして先生、泣いてます?」
「……なぜそうなるっ」
「大丈夫です、私が胸を貸します。どうぞ! 思う存分に泣いてくださいっ」
「違うと言っているだろう」
 新居崎は、リビングのソファに腰を下ろした。麻野へ何も聞かずに、我が家のように背もたれを使って、長い足を組む姿は、家主のようだ。
 麻野には出来ない振る舞いに、憧れる。
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