87 / 106
第四章
十一、
しおりを挟む
むぅ、と不満な麻野は、「お世辞とか言わないんですね」と呟きつつも、ベランダから室内に戻る。ふくれっ面の麻野に気づかないままの新居崎からは、返事もなく、麻野はますます膨れた。
「……これは?」
ふと。
新居崎が、机の上に置きっぱなしにしていた本たち――の、傍に雑多に置いてあった、麻野のメモに視線を落とした。そこには、バイトしている居酒屋のメニューやテーブル番号、そのほか、開店から閉店までの準備や片付けまで、やらなければならないことがずらっと書いてある。
「見ての通り、メモです。忘れちゃうんで」
「なんのメモだ」
「何って、バイトですよ。短期の」
「……バイトだと?」
はっ、と口をつぐむ。
時計を壊した際、バイトなどしなくてもいいと言ってくれたのは、新居崎だ。それを無視してバイトをした挙句、時計代の支払いに当てた資金ではないのだから、怒られても仕方がない。
「ま、まってください。違うんですっ! 電話で言ってた新幹線代を、先生に返そうと思ったら、やっぱりバイトを――」
途端に、新居崎の表情が強張った。
僅かな沈黙ののち、これ以上ないほどに眉間に皴がよる。
「いらん、そんなもの」
「でも」
「大江山で一泊したときに、言ったはずだ。いらんと」
「き、聞いてませんよっ。それに先生、入用なんじゃ。少しでも役立ててください」
ぐい、と封筒を押し付けると。
新居崎は、ため息交じりに麻野の手を振り払う。
久しぶりに冷たくあしらわれて、懐かしさと同時に寂しく感じてしまうのは、身勝手すぎるだろうか。
なんとなく、京都旅行の一件で、仲良くなれたと思っていたのに。
「学生の本分は勉強だ、暇なら知識をつめこめ。必要のないバイトはしなくてもいい。大体、私は別に入用ではないし、資金面で困っているわけではない。実験費用うんぬんを言うのなら、桁が違う」
「だって、新幹線代をお返ししますって言ったら、今すぐ行く、って」
「え」
「……え? だって、さっき、電話で」
新居崎は、右手の甲で自分の額を押さえた。
やたら絵になる立ち姿のまま、ふいっと後ろを向く。
「先生?」
まさかの、無言。そして沈黙。
麻野は、振り返ることなく黙り込んだ新居崎の横を回り込もうとするが、その都度向きを変える新居崎ゆえに、表情が見えない。具合が悪いわけではなさそうだ。ならば、顔を見られたくないのだろうか。
「もしかして先生、泣いてます?」
「……なぜそうなるっ」
「大丈夫です、私が胸を貸します。どうぞ! 思う存分に泣いてくださいっ」
「違うと言っているだろう」
新居崎は、リビングのソファに腰を下ろした。麻野へ何も聞かずに、我が家のように背もたれを使って、長い足を組む姿は、家主のようだ。
麻野には出来ない振る舞いに、憧れる。
「……これは?」
ふと。
新居崎が、机の上に置きっぱなしにしていた本たち――の、傍に雑多に置いてあった、麻野のメモに視線を落とした。そこには、バイトしている居酒屋のメニューやテーブル番号、そのほか、開店から閉店までの準備や片付けまで、やらなければならないことがずらっと書いてある。
「見ての通り、メモです。忘れちゃうんで」
「なんのメモだ」
「何って、バイトですよ。短期の」
「……バイトだと?」
はっ、と口をつぐむ。
時計を壊した際、バイトなどしなくてもいいと言ってくれたのは、新居崎だ。それを無視してバイトをした挙句、時計代の支払いに当てた資金ではないのだから、怒られても仕方がない。
「ま、まってください。違うんですっ! 電話で言ってた新幹線代を、先生に返そうと思ったら、やっぱりバイトを――」
途端に、新居崎の表情が強張った。
僅かな沈黙ののち、これ以上ないほどに眉間に皴がよる。
「いらん、そんなもの」
「でも」
「大江山で一泊したときに、言ったはずだ。いらんと」
「き、聞いてませんよっ。それに先生、入用なんじゃ。少しでも役立ててください」
ぐい、と封筒を押し付けると。
新居崎は、ため息交じりに麻野の手を振り払う。
久しぶりに冷たくあしらわれて、懐かしさと同時に寂しく感じてしまうのは、身勝手すぎるだろうか。
なんとなく、京都旅行の一件で、仲良くなれたと思っていたのに。
「学生の本分は勉強だ、暇なら知識をつめこめ。必要のないバイトはしなくてもいい。大体、私は別に入用ではないし、資金面で困っているわけではない。実験費用うんぬんを言うのなら、桁が違う」
「だって、新幹線代をお返ししますって言ったら、今すぐ行く、って」
「え」
「……え? だって、さっき、電話で」
新居崎は、右手の甲で自分の額を押さえた。
やたら絵になる立ち姿のまま、ふいっと後ろを向く。
「先生?」
まさかの、無言。そして沈黙。
麻野は、振り返ることなく黙り込んだ新居崎の横を回り込もうとするが、その都度向きを変える新居崎ゆえに、表情が見えない。具合が悪いわけではなさそうだ。ならば、顔を見られたくないのだろうか。
「もしかして先生、泣いてます?」
「……なぜそうなるっ」
「大丈夫です、私が胸を貸します。どうぞ! 思う存分に泣いてくださいっ」
「違うと言っているだろう」
新居崎は、リビングのソファに腰を下ろした。麻野へ何も聞かずに、我が家のように背もたれを使って、長い足を組む姿は、家主のようだ。
麻野には出来ない振る舞いに、憧れる。
0
お気に入りに追加
35
あなたにおすすめの小説
夫の不貞現場を目撃してしまいました
秋月乃衣
恋愛
伯爵夫人ミレーユは、夫との間に子供が授からないまま、閨を共にしなくなって一年。
何故か夫から閨を拒否されてしまっているが、理由が分からない。
そんな時に夜会中の庭園で、夫と未亡人のマデリーンが、情事に耽っている場面を目撃してしまう。
なろう様でも掲載しております。
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?
新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。
※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!
【完結】婚約破棄されたので、引き継ぎをいたしましょうか?
碧桜 汐香
恋愛
第一王子に婚約破棄された公爵令嬢は、事前に引き継ぎの準備を進めていた。
まっすぐ領地に帰るために、その場で引き継ぎを始めることに。
様々な調査結果を暴露され、婚約破棄に関わった人たちは阿鼻叫喚へ。
第二王子?いりませんわ。
第一王子?もっといりませんわ。
第一王子を慕っていたのに婚約破棄された少女を演じる、彼女の本音は?
彼女の存在意義とは?
別サイト様にも掲載しております
【完結】双子の伯爵令嬢とその許婚たちの物語
ひかり芽衣
恋愛
伯爵令嬢のリリカとキャサリンは二卵性双生児。生まれつき病弱でどんどん母似の美女へ成長するキャサリンを母は溺愛し、そんな母に父は何も言えない……。そんな家庭で育った父似のリリカは、とにかく自分に自信がない。幼い頃からの許婚である伯爵家長男ウィリアムが心の支えだ。しかしある日、ウィリアムに許婚の話をなかったことにして欲しいと言われ……
リリカとキャサリン、ウィリアム、キャサリンの許婚である公爵家次男のスターリン……彼らの物語を一緒に見守って下さると嬉しいです。
⭐︎2023.4.24完結⭐︎
※2024.2.8~追加・修正作業のため、2話以降を一旦非公開にしていました。
→2024.3.4再投稿。大幅に追加&修正をしたので、もしよければ読んでみて下さい(^^)
【完結】忘れてください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。
貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。
夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。
貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。
もういいの。
私は貴方を解放する覚悟を決めた。
貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。
私の事は忘れてください。
※6月26日初回完結
7月12日2回目完結しました。
お読みいただきありがとうございます。
【完】あの、……どなたでしょうか?
桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー
爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」
見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は………
「あの、……どなたのことでしょうか?」
まさかの意味不明発言!!
今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!!
結末やいかに!!
*******************
執筆終了済みです。
私が死ねば楽になれるのでしょう?~愛妻家の後悔~
希猫 ゆうみ
恋愛
伯爵令嬢オリヴィアは伯爵令息ダーフィトと婚約中。
しかし結婚準備中オリヴィアは熱病に罹り冷酷にも婚約破棄されてしまう。
それを知った幼馴染の伯爵令息リカードがオリヴィアへの愛を伝えるが…
【 ⚠ 】
・前半は夫婦の闘病記です。合わない方は自衛のほどお願いいたします。
・架空の猛毒です。作中の症状は抗生物質の発明以前に猛威を奮った複数の症例を参考にしています。尚、R15はこの為です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる