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第四章

二、

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 破れないように包み紙を開こうとする彼女を見ながら、そうだ、と麻野は口をひらいた。
「先生に、話しちゃった」
「何を」
「幼いころに酒呑童子に会って、彼がずっと姿を変えて傍にいてくれてるってこと」
 びりりり。
 丁寧に梱包を開いていた静子が、盛大に包み紙を破った。こぼれんばかりの目で、麻野を見ている。
 ゆらっ、と静子が待とう空気が揺らいで。
 静子の瞳が――深紅に、変わる。
「……言ったのか」
「ちょ、いきなり戻らないでよ。びっくりするから」
「俺のほうが驚くだろうが! そんな軽く『話しちゃった』なんて言われて、俺の頭がついていかん!」
 姿は静子のまま。
 けれど、声は低く、目を閉じて聞き入りたくなるほどに美しい、バリトンボイスだ。何より静子の「澄ました今時の女性」といった表情は豹変し、酷く怜悧な面持ちとなっている。
 麻野は、気圧されつつも、顔をあげて口をひらく。
「だって、言いたかったから」
「っ、これまで、俺が傍にいることは誰にも話さなかっただろうっ!」
「それは、だって。小さいころ妖怪に会ったことは、誰も信じてくれなかったし……しーちゃんのこと話したら、もう、しーちゃんに会えなくなるような気がして、言えなかったの。言う人もいなかったし」
「つまり、新居崎は言うに値する相手ということか。それとも、俺が傍からいなくなってもいいと思うようになったのか」
「そんなわけないよっ! 大江山で先生を巻き込んじゃったから、どうしても説明したかったの。本当のことを、言いたくて――」
 ぴく、と静子の表情が強張る。
「……お前、大江山へ行ったのか」
「う、うん」
 立ち上がる勢いで身を乗り出していた静子は、盛大なため息をついて椅子に背中を凭れさせた。
「なぜ」
「しーちゃんがよく、聞かせてくれたから。大江山で暮らしてた時期があるって。だから、どんなところか見たかったんだ」
「そんなところへ行く必要などないだろうが」
 静子は、がしがしと整った頭をかく。髪が乱れたが、気にする様子もない。部屋には二人だけゆえに、擬態する必要がないのだろう。
「それで、巻き込まれたって、何に」
「なんか、知らない人に誘拐されちゃって? 女の人なんだけど」
「はぁ?」
「鬼っぽい人だったよ。しーちゃんの居場所を聞いてきたから」
 つと。
 静子の表情が、これまでよりもさらに、冷たいものになる。いや、無表情になった、といったほうが正しいだろう。あらゆる感情が抜け落ちて、静子は今、能面のような顔でそこにいる。
 部屋の空気も固まってしまったかのようで、呼吸が苦しい。これが威圧だと麻野が理解する前に、静子が言う。
「どんな姿だった」
「す、すごい、美女で。着物姿だった」
「……なるほど、茨木だな」
「え? 茨木童子のこと?」
 酒呑童子が大江山で暮らしていたころ、鬼の部下がいた。そのなかの一人が茨木童子だという話は、有名だ。さらにいうと、酒呑童子は源頼光に退治されたと言われている。だが、実際に酒呑童子は生きていて、ここにいるのだから、伝承や民話のたぐいは、すべて信用できるものではないだろう。
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