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第二章
二十三、
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意識が遠くなり、ぼんやりとした認知のなか、いつの間にか、麻野は夕暮れどきの公園に立っていた。蜜を垂らしたような陽光が地面を染めるなか、長く伸びる間野の影に重なるように、別の影が近づいてくる。
影の主は、麻野へ手を差し出した。
麻野は、彼の手に自らの手を重ねようとして、戸惑った。
「駄目。……できない。したいのに」
ぐ、と唇をかんだ、そのとき。
頬に痛みが走って、麻野の意識は覚醒した。
麻野がいたのは、夕暮れどきの公園ではなく、橙色の暖かい蛍光灯に照らされた内風呂だった。ごつごつした石の床に、おしりをつく形で座っている。風呂から強引に引っ張り出されたようで、すぐ目の前に新居崎の顔があった。
麻野は、新居崎の腕のなかにいた。半身を彼の胸に凭れかけており、ぐったりとした体は妙にだるい。
「馬鹿か、きみは!」
頭につんざく声に、麻野の身体はびくりと震える。怯える麻野に気づいているだろうに、新居崎は口調を変えずに続けた。
「何が起こったかわからないという表情だな? きみは今、湯舟で倒れ込んでいたんだぞ。まだ顔が淵に出ていたからよかったものの、沈んだらそのまま溺死だ!」
よく見れば、新居崎の浴衣はびっしょりと濡れている。風呂に入っていた麻野をひっぱりあげたのだから、濡れて当然だろう。
そう、助けてくれたのだ。新居崎は。
「無茶をして。疲れているときは、無理に風呂へはいるな! きみのような若者が風呂で疲労ゆえに溺死など、勿体ない!」
ああ、本当に、助けてくれたんだ。
麻野は、険しい表情で文句を言い続ける新居崎を見つめた。本気で怒っている。麻野を心配してくれているのだ。その証拠に、聞き流している彼の文句には、僅かも彼自身の保身が含まれていない。
同室で一泊する学生が溺死。など、准教授の立場としては、これ以上ないほどに立場を窮地に追い込むものだ。准教授としての立場だけではない。場面が場面だけに、殺人と疑われる可能性だって無きにしろあらず。容疑をかけられただけでも、人生としても追い込まれると聞く。
なのに。
新居崎は、純粋に麻野のことを心配してくれているのだ。
本当に、真っ直ぐな人だ。
影の主は、麻野へ手を差し出した。
麻野は、彼の手に自らの手を重ねようとして、戸惑った。
「駄目。……できない。したいのに」
ぐ、と唇をかんだ、そのとき。
頬に痛みが走って、麻野の意識は覚醒した。
麻野がいたのは、夕暮れどきの公園ではなく、橙色の暖かい蛍光灯に照らされた内風呂だった。ごつごつした石の床に、おしりをつく形で座っている。風呂から強引に引っ張り出されたようで、すぐ目の前に新居崎の顔があった。
麻野は、新居崎の腕のなかにいた。半身を彼の胸に凭れかけており、ぐったりとした体は妙にだるい。
「馬鹿か、きみは!」
頭につんざく声に、麻野の身体はびくりと震える。怯える麻野に気づいているだろうに、新居崎は口調を変えずに続けた。
「何が起こったかわからないという表情だな? きみは今、湯舟で倒れ込んでいたんだぞ。まだ顔が淵に出ていたからよかったものの、沈んだらそのまま溺死だ!」
よく見れば、新居崎の浴衣はびっしょりと濡れている。風呂に入っていた麻野をひっぱりあげたのだから、濡れて当然だろう。
そう、助けてくれたのだ。新居崎は。
「無茶をして。疲れているときは、無理に風呂へはいるな! きみのような若者が風呂で疲労ゆえに溺死など、勿体ない!」
ああ、本当に、助けてくれたんだ。
麻野は、険しい表情で文句を言い続ける新居崎を見つめた。本気で怒っている。麻野を心配してくれているのだ。その証拠に、聞き流している彼の文句には、僅かも彼自身の保身が含まれていない。
同室で一泊する学生が溺死。など、准教授の立場としては、これ以上ないほどに立場を窮地に追い込むものだ。准教授としての立場だけではない。場面が場面だけに、殺人と疑われる可能性だって無きにしろあらず。容疑をかけられただけでも、人生としても追い込まれると聞く。
なのに。
新居崎は、純粋に麻野のことを心配してくれているのだ。
本当に、真っ直ぐな人だ。
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