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終章
1、
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「あら、久しぶりやなぁ」
そう言って微笑んだ壮年の女性は、この本屋の店主なのだろう。以前に来たときも見た顔である。ここに来るのは二度目だが、この女性もよく小毬を覚えていたものだと感心した。それだけ客が少ないのかもしれない。
ここは彩我町という山奥にある辺鄙な町だ。樹塚町も不便な場所にあったが、ここはさらに人口が少なく、住んでいる者も高齢者が多かった。
この本屋の店主も、この辺りでは若い年齢に入る。
そういう理屈からすると、一度しか来たことがない小毬のことを覚えていたのも納得できた。
「わざわざ奥から買いにきてくれはったん?」
「はい」
そう言って持っていた本を置いた。
指三本ほどの分厚いハードカバーは、本屋の店先に大きな見出しと共に陳列されていたものだ。小毬は元々、この本を買うために奥――彩我町からさらに山奥へ行った場所にある集落――から、やってきた。
もっとも、小毬が現在暮らしているのはその集落よりさらに山を登った場所なのだが、この辺りに住んでいる人々からすれば「奥」に変わりない。
財布からお金を出して、本を購入する。
「この本、今めっちゃ人気やねん。話題やからねぇ。なんでも、ノンフィクションらしいで」
「ええ、知ってます。読むのが今から楽しみです」
小毬は丁寧に頭を下げると、紙袋に包んでもらった本を小脇に抱えて店を出た。はぁ、と吐き出す息が白い。
(もう、冬なんだよね)
この身体になってから、あまり暑さや寒さを感じなくなった。おかげで多くの衣類を買わなくて済むが、あまりに薄着で冬に歩いていると不審な目で見られるだろう。なので、季節には当時より遥かに敏感になっていた。いや。樹塚町で暮らしているときと比べ、「生きている」と実感しているからだろうか。
冬の寒さも、夏の暑さも、何もかもが新鮮で心地よい。
小毬は帰ろうと踵を返したとき、ふと、古めかしい暖簾がかかった食料店が見えた。せっかく町へ降りてきたのだから、少し寄り道してもよいだろう。
小毬は食料店で購入した金平糖の小袋を手の中で弄びながら、山を登っていく。
通常のヒトとは違う小毬にとって、町から奥へ、奥から自宅の小屋へ行くのは、大した距離ではない。それでも普通のヒトにして見れば健康体の者であっても一苦労する距離なので、越してきてから今に至るまで小屋を訪ねてきた者はいなかった。
「あ、ついたー」
ひとりで呟く。
細い獣道を登った先にある小屋、といえば樹塚城跡にあった小屋を思い出す。トワと出会った大切な場所であり、胸が苦しくなるほどの思い出がつまっている場所だ。
この小屋は、あの小屋によく似ている。
ただ、少し……いや、かなり、いびつではあるけれど。
クヌギの樹に凭れかかるように作った小屋は、住んでみればそれなりに快適だった。部屋も狭いながら三部屋あり、自然の木々が雨風を遮ってくれるので自然災害にも強い。
こうして見ると、山の中にぽつんとある小屋は違和感の塊でしかないが、裏手に回ればそれなりに大きな家庭菜園が広がっている。基本的には自給自足で、たまに種や苗を買いに町に降りることもあった。
小毬は開け閉めするたびに軋むドアを開き、小屋のなかへ入った。
手作りの机に本と金平糖を置き、裏手の家庭菜園へ向かう。
「千里―。お菓子買ってきたから、お茶にしよう」
家庭菜園のちょうど真ん中辺りでしゃがみこんでいた千里が、顔をあげる。十二歳となった彼はわずか三年で見違えるほどの美少年となり、その秀麗な眉は今、これ以上ないほどに顰められていた。
「……また余計な出費を。本を買いに行ったんだろ」
「お菓子って言っても、金平糖だよ。知ってる?」
「知らない。余計な出費に変わりないだろ、金は大事に使え」
小毬は肩をすくめて、先に小屋のなかに入った。出がらしのお茶を二人分煎れて、金平糖を皿に置き、木の株でつくった机に並べる。
手を洗った千里が入ってくると、金平糖を繁々と眺めながら椅子に座った。ぎし、と椅子が軋みをあげる。椅子もまた手作りのものだ。この小屋には、手作りの物が溢れている。そこもまた、住み心地がよい理由の一つでもあった。
「随分と可愛いな。これがお菓子?」
「そう。食べてみて」
「うん」
一粒持ち上げて、千里は口に入れる。
がりりと噛み砕いた瞬間、千里の表情が緩んだ。
千里は甘いものが好物だ。
飛龍島には菓子らしい菓子がなかったので、小毬と二人で暮らすようになって初めて菓子を食べたとき、感動してはしゃぎまわったほどだった。
「……甘い」
「気に入ってもらえてよかった」
そう告げた瞬間、千里は表情を改める。
「小毬、無駄使いは駄目だ。俺たちは金を稼げないだろ。人様から盗んだお金で、贅沢はよくない」
「そうだね、気をつける」
「本当にわかってるのか」
「わかってるってば。服とか、鍋とか、最低限のものしか買わない」
「鍋なら、集落のほうで物々交換して貰えるだろ」
千里は憮然とそう言うと、金平糖をもう一つ口のなかに入れた。
「それで、本は買えたのか?」
「買えた。ほら。今、すごく売れてるんだって」
そう言って微笑んだ壮年の女性は、この本屋の店主なのだろう。以前に来たときも見た顔である。ここに来るのは二度目だが、この女性もよく小毬を覚えていたものだと感心した。それだけ客が少ないのかもしれない。
ここは彩我町という山奥にある辺鄙な町だ。樹塚町も不便な場所にあったが、ここはさらに人口が少なく、住んでいる者も高齢者が多かった。
この本屋の店主も、この辺りでは若い年齢に入る。
そういう理屈からすると、一度しか来たことがない小毬のことを覚えていたのも納得できた。
「わざわざ奥から買いにきてくれはったん?」
「はい」
そう言って持っていた本を置いた。
指三本ほどの分厚いハードカバーは、本屋の店先に大きな見出しと共に陳列されていたものだ。小毬は元々、この本を買うために奥――彩我町からさらに山奥へ行った場所にある集落――から、やってきた。
もっとも、小毬が現在暮らしているのはその集落よりさらに山を登った場所なのだが、この辺りに住んでいる人々からすれば「奥」に変わりない。
財布からお金を出して、本を購入する。
「この本、今めっちゃ人気やねん。話題やからねぇ。なんでも、ノンフィクションらしいで」
「ええ、知ってます。読むのが今から楽しみです」
小毬は丁寧に頭を下げると、紙袋に包んでもらった本を小脇に抱えて店を出た。はぁ、と吐き出す息が白い。
(もう、冬なんだよね)
この身体になってから、あまり暑さや寒さを感じなくなった。おかげで多くの衣類を買わなくて済むが、あまりに薄着で冬に歩いていると不審な目で見られるだろう。なので、季節には当時より遥かに敏感になっていた。いや。樹塚町で暮らしているときと比べ、「生きている」と実感しているからだろうか。
冬の寒さも、夏の暑さも、何もかもが新鮮で心地よい。
小毬は帰ろうと踵を返したとき、ふと、古めかしい暖簾がかかった食料店が見えた。せっかく町へ降りてきたのだから、少し寄り道してもよいだろう。
小毬は食料店で購入した金平糖の小袋を手の中で弄びながら、山を登っていく。
通常のヒトとは違う小毬にとって、町から奥へ、奥から自宅の小屋へ行くのは、大した距離ではない。それでも普通のヒトにして見れば健康体の者であっても一苦労する距離なので、越してきてから今に至るまで小屋を訪ねてきた者はいなかった。
「あ、ついたー」
ひとりで呟く。
細い獣道を登った先にある小屋、といえば樹塚城跡にあった小屋を思い出す。トワと出会った大切な場所であり、胸が苦しくなるほどの思い出がつまっている場所だ。
この小屋は、あの小屋によく似ている。
ただ、少し……いや、かなり、いびつではあるけれど。
クヌギの樹に凭れかかるように作った小屋は、住んでみればそれなりに快適だった。部屋も狭いながら三部屋あり、自然の木々が雨風を遮ってくれるので自然災害にも強い。
こうして見ると、山の中にぽつんとある小屋は違和感の塊でしかないが、裏手に回ればそれなりに大きな家庭菜園が広がっている。基本的には自給自足で、たまに種や苗を買いに町に降りることもあった。
小毬は開け閉めするたびに軋むドアを開き、小屋のなかへ入った。
手作りの机に本と金平糖を置き、裏手の家庭菜園へ向かう。
「千里―。お菓子買ってきたから、お茶にしよう」
家庭菜園のちょうど真ん中辺りでしゃがみこんでいた千里が、顔をあげる。十二歳となった彼はわずか三年で見違えるほどの美少年となり、その秀麗な眉は今、これ以上ないほどに顰められていた。
「……また余計な出費を。本を買いに行ったんだろ」
「お菓子って言っても、金平糖だよ。知ってる?」
「知らない。余計な出費に変わりないだろ、金は大事に使え」
小毬は肩をすくめて、先に小屋のなかに入った。出がらしのお茶を二人分煎れて、金平糖を皿に置き、木の株でつくった机に並べる。
手を洗った千里が入ってくると、金平糖を繁々と眺めながら椅子に座った。ぎし、と椅子が軋みをあげる。椅子もまた手作りのものだ。この小屋には、手作りの物が溢れている。そこもまた、住み心地がよい理由の一つでもあった。
「随分と可愛いな。これがお菓子?」
「そう。食べてみて」
「うん」
一粒持ち上げて、千里は口に入れる。
がりりと噛み砕いた瞬間、千里の表情が緩んだ。
千里は甘いものが好物だ。
飛龍島には菓子らしい菓子がなかったので、小毬と二人で暮らすようになって初めて菓子を食べたとき、感動してはしゃぎまわったほどだった。
「……甘い」
「気に入ってもらえてよかった」
そう告げた瞬間、千里は表情を改める。
「小毬、無駄使いは駄目だ。俺たちは金を稼げないだろ。人様から盗んだお金で、贅沢はよくない」
「そうだね、気をつける」
「本当にわかってるのか」
「わかってるってば。服とか、鍋とか、最低限のものしか買わない」
「鍋なら、集落のほうで物々交換して貰えるだろ」
千里は憮然とそう言うと、金平糖をもう一つ口のなかに入れた。
「それで、本は買えたのか?」
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