新人種の娘

如月あこ

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第二章 飛龍島

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 自分の目で海を見るのは初めてだった。
 テレビの画面で見る海は「ただそこにある」といった具合に無感動だったが、生まれて初めてみる海は思いのほか大きく、どこまでも続く青い水平線に目を奪われてしまう。
 もっと近くで見ようと乗り出した小毬の腕を、青年が引っ張った。
「落ちるぞ」
 足元は岩壁になっていた。
 三メートルほどの高さだが、崖が反り返った形になっているため落ちれば海の藻屑と化してしまうかもしれない。
 小毬と青年は、海沿いに生い茂る深い森林のなかにいた。左右数十メートルに渡って海沿いに緑が広がり、さらにその向こうには小さな砂浜がある。小毬が想像していた白と青の砂浜ではなく緑と茶色の藻のようなものが砂にこびりついた場所だが、砂浜であることに違いはないだろう。

 砂浜より遥か遠くへ視線を向ければ、山間に伸びる道路が僅かに見えた。道路の先には道の駅があり、つい先ほどそこで食料を買い込んでここへたどり着いたばかりだった。
 小毬が振り返ると、青年はどさりと地面に腰を下ろした。
「疲れた、少し寝る」
「うん。走っては休んでの繰り返しでここまで来たもんね」
 青年の瞼が下り、翡翠色の瞳が見えなくなった。

小毬は青年から離れると、道の駅で買った食料と縄、そしてノコギリを袋から取りだした。食料は小毬が選んだものだが、縄とノコギリは青年が買ってくるように言いつけたものだ。青年は新人種ゆえ人前に出ることができないので小毬がすべて購入してきたのだが、一体これらの道具は何に使うのだろう。
(まさかね)
 ある考えに至って、そんな馬鹿なと首を横に振る。
 まさか、このノコギリと縄、そしてこの辺りにある樹を使って船を作ろうなどとは考えていないと思いたい。
 ふと静かな寝息が聞こえてきて、小毬は青年を振り返る。
 ここに来るまで、青年の背中におぶさって移動してきた。休憩と移動をひたすら繰り返すこと四日、ついに日本海まで辿りついたのだ。これからどこに行くのか、どこを目指しているのか、青年は何も言わない。ただ故郷へ帰るとだけ告げたので、新人種が住まうという飛龍島へ行くつもりなのだろう。
(……島、っていうくらいだから、陸からは離れてるんだろうな。やっぱり船、作るのかな)
 小毬は食料を数日分に分けると、再び袋のなかにしまった。
 そのあとは海を眺めて過ごしたが、陽が暮れるまでは少し時間があるだろうし、暇である。ここへ辿りつくまでは青年が気遣ってくれたので、小毬は多めに休憩を取ってきた。休憩するたびに寝床も整えてくれたので、小毬の疲労はあまりない。
 小毬は「よし」と呟いて立ち上がり、海沿いを歩き出した。
 岩壁に沿って歩くだけなら迷わないだろうし、海には漁船もないので人に見つかる心配もない。
 通い慣れた樹塚城のボロ小屋へ行くのも好きだったが、見知らぬ土地を当てもなく歩くことも好きだった。このままどこかへ消えてしまうような、束縛のない自由な感覚が小毬の心を落ち着かせる。
 この趣味である放浪も、中学生に上がってからは完全に辞めた。
ただ単純に時間が取れないことと、あと、小学生のころに放浪を繰り返して何度も迷子になったため「見知らぬ土地での散歩禁止令」が施設長である義母より出たからだ。
 懐かしい自由な感覚を堪能していると、ふと、海から照り返す光がやや暗くなっていることに気づいて足を止めた。もう時期に陽は橙色に染まり、そして闇が下りるだろう。
(そろそろ帰らなきゃ)
 踵を返した瞬間、そこにあるはずのない壁に顔面からぶつかって鼻を抑えた。
「ここにいたのか」
「あ。勝手にうろうろしてごめんなさい」
 青年がそこに立っていた。
 探しにきてくれたらしく、翡翠色の瞳が安堵に歪む。
「これからどうするの? 飛龍島へ行くんでしょ。海を渡るの?」
「ああ。船を作る」
(やっぱり)
 小毬の表情を見た青年が、眉をつり上げた。
「私の船造りの腕はなかなかだぞ。若いころは船大工見習いをしてたからな」
 今でもじゅうぶん若いだろうと思ったが、それよりも船大工「見習い」というのが気になった。だがまったくの無知ではないらしいのでとりあえず安堵しておく。
「本当に私と飛龍島へ行く覚悟はあるのか」
「あるよ」
 即答した小毬に、青年は苦笑した。
「ならば……そうだな、ちょうどいい。着いてきてくれ。見せたいものがある」
 再び岩壁沿いに歩き出した青年の後ろをついていく。来た方角とは反対方向、つまり小毬が当てもなく歩いていた方角を再び歩き出した。
「私の名は、トワだ」
 青年――トワの言葉に、小毬は目を丸くした。
「名乗っていいの?」
「これから長い付き合いになるのに、呼び名がなかったら困るだろう」
 長い付き合い、というくだりに小毬は益々目を丸くした。つまり、小毬を飛龍島へ連れていく覚悟を、トワはたった今決めたということだ。逆にいえば、小毬をここまで連れてきて尚迷っていたともとれる。
「……ありがとう」
 とっさにこぼれた言葉に、トワは肩を揺らした。笑っているのだろう。
「それで、きみの名は?」
「小毬。小さい毬で、小毬」
「小毬か、わかった。小毬は新人種についてどのくらい知っている?」
「人間から迫害されている種族、ってことくらい」
 トワが肩ごしに振り返った。目をぱちくりとさせたかと思うと、ふいに笑い出した。
「きみはすでにこちら寄りだな。まぁ、新人種に人権を与えよという保護団体も存在するのだから、おかしいことではないが。ほかは?」
    
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