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終章

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「勿論でござる。ささ、姫島屋先生はこちらへ」
 空閑くんが場所をゆずり、私の隣へ姫島屋先生が座った。真理亜ちゃんが、少し憮然とした顔をしているけれど、可愛さは健在だ。
「用事は終わったんですか?」
「ああ。……今話していた、柳瀬梓について、警察に聞いてきた」
「なんと! 姫島屋先生は、警察に顔が利くのでござるか⁉」
「いや、先日の……岩戸刑事といったか。沙賀城家で会った、あの刑事が特別に教えてくれたんだ。柳瀬梓は、酷く錯乱している様子だったそうだ。どうやら、娘の死を受け入れられないらしい」
 こぼれんばかりに目を見張る私に、姫島屋先生は目を眇めた。
「柳瀬梓は、夫から酷い暴力を受けていたということだ。今回のことも、夫が仕組んだという線が強い。……四年前、私はまだここへ来たばかりでほとんど記憶にはないが、柳瀬中惠は、とても生き生きと暮らしていた。その母親も――顔までは覚えていないが、母子、仲の良かった記憶がある。この村での暮らしは、彼女たちにとって特別だったのかもしれないな」
 姫島屋先生の声音は淡々としていて、仕草も同じく、淡々と持ってきた袋からパンを取り出している。
 姫島屋先生の言葉で、私は少しだけ救われた気がした。私は部外者で、真実はまだわからないし、ただ私自身の感情の在り方でしかないのに、救われるというのはおかしな話だけれど。
 私は、お弁当からミニトマトを箸で持ち上げた。つるんと滑って、お弁当箱へ戻る。手でヘタの部分をもって口の中へといれた。
 ふと、視線を感じて隣をみる。
 姫島屋先生が、かすかに微笑んで私をみていた。
「な、なんですか」
「いや。可愛いなと思って」
 その瞬間、反対隣から悲鳴があがった。
 可憐な少女に似つかわしくない、ぎぇええ、という悲鳴だった。
「なにこのひとっ、惚気てるううう」
「妹よ、拙者たちは退散しよう」
「わ、わかってるわよっ。でもなんか悔しいんだものっ。きっと何か進展があったのよ……はっ、入籍したのかも!」
「さすがにそれはまだ早いでござろう。赤子が出来たのやも」
「授かり婚ね! 私と先生の子どもは、きっと可愛いに違いないわ」
「……よくわからぬが、姫島屋先生が睨んでいるでござるから、退散するでござるよ」
 そそくさと屋上からいなくなった二人の後姿を見送りながら、お弁当途中だったんじゃないの、と心配になる。
「……空気を読めるようになったのは、進歩だな」
「はい? あ、そうっ、可愛いとか言わないでくださいっ」
 さっきの言葉を思い出して、頬が熱くなる。
「生徒もいるのに。というか、可愛くないですから私っ」
「そうか」
 そう言って笑う姫島屋先生は、きっと、私の言葉を聞き流している。
「だが、ふむ。……ご両親にも、挨拶にいかなければならないな」
 落ち着こうとお茶を口にした私は、思わず吹き出してしまう。咽る私の背中を、先生の硬くて男らしい手が撫でてくれた。
 いきなり挨拶なんて言われたら、咽ても仕方がないだろう。
「……私は、遊びか?」
 なのに、姫島屋先生は、悲しそうな声でそんなことを言う。私は勢いよく首を横に振った。
「そんなわけないじゃないですかっ! いつでも来てください。親には連絡しますからっ」
 途端に、姫島屋先生は朗らかに笑う。
 なんだか、旅行以来、少しだけ姫島屋先生が意地悪になった気がする。
 ふと、背中を撫でていた手が腰に回された。
 はっとして周りを見回す。
「誰もいない」
「でも、あの。ち、ちかい」
「近く寄ってるんだ」
 腰を撫でる手つきが、みょうに……いやらしい。
 そんなふうに思ってしまう自分が恥ずかしかった。姫島屋先生に、他意はないだろうに。
 頬を赤くしてしまう私に、姫島屋先生がいう。
「……これからも、傍にいてくれるか」
「え? 勿論ですよ。ずっと傍にいます」
「ならば、婚約成立だな」
 え?
 もしかして今の、プロポーズ?
 そのことを正確に認識する前に、近づいてきた姫島屋先生の唇が耳をかすめた。
「諦めなくて、よかった」
 息を、つめる。
 その言葉には、多くの意味が含まれていることを私は知っていた。
 思わず顔を向けると、至近距離で目が合う。
 無性に恥ずかしくなって、すぐに視線をそらした。
 腰を強く引かれて、姫島屋先生の胸に身体を預ける格好になる。お弁当を落とさないように、慌てて握り締めた。
「菜緒子」
「なんですか、もう」
「生涯、ともにいてくれるか」
 息を呑む。
 顔をあげると、穏やかに微笑む姫島屋先生がいた。私が、是、以外の言葉を言わないのを知っている安心しきった表情だ。
 信用されている。
 そのことが、私の喜びに拍車をかけた。
「はい。不束者ですが、よろし」
 つるん、と。
 お弁当箱が、地面に落ちた。
 綺麗に裏返しの状態で、足元に着地している。
「いいとこなのに、なんでぇ!」
 思わず叫んだ私に、姫島屋先生は、声をあげて笑った。


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