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第四章 秘密の部屋

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 小鳥の囀りで目が覚めたメリアは、ぼうっと、視界に映る白いふかふかの布団を見つめた。

(気持ちいい……こんなに柔らかいなんて、出来立てのパンみたい)

 こんなことを考えているとフィーアに「そこは嘘でも、わたがしみたい、とか、可愛いこと言うのよ。食い意地張ってるの、すぐばれちゃうからね!」と言われてしまいそうだ。
 フィーアがメリアにとって、女らしさを教えてくれる同期の友達だった。
 すでに結婚退職したラナは、メリアに女の性というものを教えてくれた。十三歳で宮廷使用人見習いとなり、十七で住み込みにて働くことになる。
 両親が他界したのは、メリアが十五歳になってすぐのことだ。
 正式な雇用試験も近い大切な時期だった。
 使用人として重責を担っていた父が抜けたことで、使用人としての仕事も忙しくなったため、メリアは必死に働いた。
 両親の葬儀はささやかなものに留め、放置できない実家については、必要最低限のものを寮へ移して、販売に出した。
 本当ならば、ちゃんとした葬儀を行い、実家を維持してずっと暮らしていきたい。けれど、時間も資金もなく、メリア自身が働くしか生きるすべがないなかで、あれもこれもと手に入れるのは不可能なのだ。
 貴族には遺産というものがあるというが、平民のメリアに両親が残してくれたのは、小さな庭つきの家だけだった。メリアにとって、かけがえのない大切な家だったけれど、職場から離れすぎており、メリアが通いで働く余裕はない。交通費だってかかる。
 仕方なく手放して、そのあとは、ただ必死に仕事に打ち込んだ。
 生きることに必死で、同期が結婚していくのを「おめでとう」と見送るのが当たり前になっていた。
 でも本当は、憧れていた。
 いつかメリアにだって、愛し愛される人が現れる――。
 そんな夢物語に想いをはせることもあったけれど、やはりメリアは、生涯独り身らしい。
 それどころか、大切な職場の皆にも迷惑をかけてしまった。

(……待って。でも、レイブランド子爵の件は、旦那様が助けてくださって……旦那様? 閣下、ではなく――)

 がばっ、と勢いよく身体を起こしたメリアは、すぐに自分が今どこにいるのか自覚した。当然、ふかふかのパンに挟まってなどいない。初夜を迎えたベッドで、ぐっすりと眠りこけていたのだ。
 ベッドにゲオルグの姿はなく、シーツは冷えてしまっている。

「わたし……どうしよう。また寝すぎちゃった」

 慌てて動いたとき、足の間に違和感と痛みを覚えた。
 何気なく視線をやって、すぐに顔を逸らす。真っ赤に頬を染めたメリアは、なるべく身体に響かないように、枕元へ畳んで置いてある夜着を身に着ける。
 ドロワーズもあったが、昨夜の情事で汚れてしまっており、身に着けるか迷ったけれど、ここは着るしかない。
 そもそも、昨夜どこへ置いたかわからないままの夜着が枕元に畳んで置いてあるなんて、誰がしたのだろう。

(まさか、旦那様が? そんなわけ……ない、と思いたい)

 想像すると、居た堪れない。
 こんなに汚れた下着を、明るいなかで見られてしまったなんて。
 メリアは布団を整えて、部屋を出ようとして戸惑う。壁にあるドアは二つ。確か片方が廊下と直通で、もう片方がゲオルグの書斎に続いているはずだ。
 迷った末に、書斎のドアを叩いた。
 こちらから来たら、嫌でも相手がメリアだとわかるだろうと思ったが、返事がない。
 何度か叩いたあとそっと書斎を覗いたけれど、どうやらゲオルグは不在のようだった。
 無性に寂しい気持ちになったメリアは、夜着を握り締めて首をふる。

(子どもみたいこと考えちゃ駄目。まずは、寝坊したことを謝罪して、これから何をすればいいのか尋ねないと)

 メリアは廊下へ直通のドアから廊下へ出た。

「おはようございます、奥様」

 丁度モナがやってきたところに出くわしたらしく、メリアは安堵して微笑んだ。

「おはよう、モナ」
「まぁまぁ、もうわたくしを覚えてくださったんですか。嬉しいですわ。……ところで、もう起きてしまわれるのですか?」
「私、お寝坊してしまったと思うんだけど」
「とんでもございませんよ。今日は特別な朝です、ごゆっくりおくつろぎください」

 そう言いながら、モナはメリアを部屋に押し戻した。
 モナが、寝室にあった衣装棚からてきぱきと着替えを用意する姿を見て、夜着のまま屋敷をうろつくわけにはいかないのだと気づく。
 大人しくメリアは、モナに言われるまま淡い桃色の色合いをしたドレスへ着替えた。
 昨日のドレスとは別のドレスだ。グラデーションに染めてある生地を使っており、そこに華美すぎない程度にレースをあしらった、可愛いけれど大人っぽいデザインになっている。
 腰の部分に白の帯がついていて、引っ張ると腰を締める仕組みになっていた。

「あっ、いけません!」

 紐を引っ張ろうとしたメリアを、モナが窘めた。

「失礼いたしました。この紐は、こうして緩く括り付けて結び目を垂らすことで、より美しく見えるのですよ」

 胸の前でちょうちょ結びをされて、長い紐が太もも辺りにまで垂れる。レースと重なって、なんとも精緻なドレスだという印象を受けた。

「随分と凝ってるのね。初めて見たわ」
「旦那様がデザインなさったものですから」
「えっ、このドレスを?」

 モナが誇らしげに頷く。
 メリアは改めて自分の姿を見下ろして微笑んだ。
 ぴったりだ。
 サイズも、何よりデザインも、メリアのために設えたようである。
 もしかして、という考えが浮かんだ。

「ええ、旦那様が奥様のためにデザインなさったのですよ」

 聞こえてきたのは、モナの声ではなかった。
 寝室の入り口のところに、モナよりも年嵩の女が立っている。一瞬、ゲオルグの身内かと思ったけれど、ゲオルグを旦那様と呼んだこと、彼女が身に着けているエプロンが使用人向けのものであることで、この人もまた、数少ないという女使用人だと悟った。
 彼女は、その場でふわりとスカートを広げて膝をつき、主に対する礼をとる。

「ツェーリアと申します、この屋敷でレディース・バトラーをしております」

 女使用人を纏める、女執事のことだ。
 執事は基本、男が抜擢されるが、男女差別に厳しくなりつつある現在、執事と女使用人たちの間に「女執事」という役割を置くことで、女たちが働きやすい環境を作っているという。
 メリアはにっこりと微笑んで、ツェーリアを見た。
 笑み一つなく、きりっとした眉と瞳をした彼女は、とても厳しい印象を受ける。どことなく、宮廷使用人として働いていた際の上司である侍従長に雰囲気が似ていた。

「メリアです、昨夜お会い致しましたね」

 昨夜というのは、披露宴から屋敷へやってきたときだ。
 ずらっと出迎えに並んだ使用人たちのなかに、彼女の姿があったと記憶している。
 ふいに、ツェーリアが相好を崩した。
 優しく孫を見守る祖母のような、温かい笑顔だ。

「覚えていて頂けたとは、光栄です。奥様の身の回りのお世話はモナが行いますが、困ったことがございましたら、誰にでも、なんなりとご質問くださいませ」
「ありがとう、ツェーリア」

 ツェーリアは、そっと身体を起こすと、こほんと咳ばらいをして視線をさっと部屋へ向けた。

「ところで、寝室が随分と整っているようですが、昨夜は……もしや、何もなかった、ということは」
(昨夜? 昨夜……あっ)

 初夜の営みのことを言われているのだと気づいた瞬間、どうしようもないほどに顔が熱くなる。きっと、真っ赤になっていることだろう。恥ずかしくて両手で顔を覆ってしまう。

「おやおや、まぁまぁ」
「おおお奥様、本当でございますか⁉」

 前者はツェーリア、後者はモナだ。

「あ、あの、旦那様が、ついに……」
「ええ、モナ。その通りです。旦那様がついに、脱童貞なさったのです」
「なんとっ、おめでたいこと尽くしではありませんか。で、ですが、寝室が、とても整っておりまして……わたくし、てっきり昨夜、ここは使われなかったのかと」
「ええ、それはわたくしも気になりました」
「それに、奥様はあまりお疲れではないご様子。こんなに早く起きてこられるなんて」
「仕方がありません、童貞とはいえ旦那様もそれなりのお歳ですから」
「……ああ」

 納得したようなモナの声に、メリアはぶんぶんと首を横に振った。

「ち、ちが、います。お部屋は、その、恥ずかしいので先ほど手直しさせて頂いたのです。私、元々使用人ですので。旦那様は、その……と、とても優しくしてくださいました」

 言ってから『激しく優しくしてくださいました』の方が良かっただろうかと思ったけれど、言ってしまったあとで気づいてもどうしようもない。
 返事のない使用人たちに不安になったメリアは、そっと顔を覆っていた手を退ける。
 二人はその場で固まっていた。
 だが、メリアが「あの」と声をかけた瞬間、彼女たちの喜びが弾けた。
 モナは歓声をあげて両手を振りかざし、ツェーリアはむせび泣いたのだ。勿論それは喜びによるもので、厳しい印象だったツェーリアが号泣する様子には、度肝を抜かれた。
 どうやらゲオルグは、本当に長い間、女嫌いを貫いてきたらしい。

 ◇

 身体を清めると、食堂へ案内される。
 昨夜軽食を取った場所に、二人分の朝食が準備してあった。
 モナにすすめられるまま椅子に座ったメリアは、目の前の朝食を見て瞳を輝かせた。
 メインの皿には、カリカリの香ばしい焼き加減のベーコンとハーブ入りのウインナーが並び、三角に切ったブロッコリーのキッシュが添えてある。シャキッと新鮮なレタスとトマトのサラダが彩を与え、見た目も食欲をそそる朝食になっていた。
 メインの皿の隣には、ほんのり湯気の立つクロワッサンが二つ。バターとイチゴジャム、ブルーベリージャムがそれぞれ、小さな入れ物に入れて置いてある。デザート皿には、小さく切った果実とヨーグルトがあった。

「美味しそう!」
「それはよかった」

 本音がこぼれたそのとき、ゲオルグが食堂へ入ってきた。
 途端に背筋を伸ばすメリアを見て、ゲオルグが苦笑する。彼は、白い襟の大きなシャツに黒いトラウザーズを穿いていた。
 ラフな格好に目を丸くするメリアの向かい側に座ったゲオルグもまた、メリアの姿を見て目を瞬いた。

「ああ、やはり似合っている」

 ふ、と微かに口元を緩めたゲオルグに、メリアは自らの身体に視線を落として、慌てて頭をさげた。

「あの、ドレスをありがとうございます。それから、えっと……おはよう、ございます」
「おはよう、メリア」

 微笑みながら名前を呼ばれて、メリアはほんのりと頬を染める。
 清潔感のある食堂に食卓、ラフな姿の愛する旦那様に、美味しそうな朝食。想像していたよりも遥かに豪華だが、憧れだった結婚生活そのものだ。

(なんだか、素敵)

 うっとりとゲオルグに見惚れていると、露骨な咳ばらいをしたゲオルグが、「食べよう」と食事をすすめてきた。
 メリアは、ナイフとフォークでサラダをつつきながら、ちら、とゲオルグを見る。
 水で喉を潤したあと、豪快にパンへバターをつけて口へ入れる姿は、とても美しい。そしてどこか卑猥だと感じてしまうのは、昨夜の情景を彷彿とさせるからだ。
 あの口で、犯されるような口づけを交わした。
 そして、もっと深くまで知り合ったのだと思うと、胸の奥が甘く疼く。

「随分と早いな。身体はよいのか」
「えっ、あ、はい」
「以前、レイブランド元子爵に追われていただろう? てっきり、体力がないものだと思っていた」
「その節は、お恥ずかしいところをお見せいたしました。宮廷使用人として、体力訓練を日課で行っておりましたので、ほどほどには動けると思います」

 レイブランド子爵に追い詰められたのは、パニックになったメリアがあちこちに逃げ惑い余計な距離を走ったせいだ。元より、庭園に追い詰めるつもりだと、体力を消耗させることが目的だとわかっていればあのように無様な姿を見せずに済んだのに。

「……あ。ですが、短距離を全力で走ると疲れてしまいます」

 レイブランド子爵の件を思い出しながら伝えると、ゲオルグが頷く。

「持久力があるということだな」

 騎士たちと比べれば劣り過ぎる体力でも、蝶よ花よと育てられた貴族令嬢らよりは、かなり動けるはずだ。

「お待たせいたしました」

 そこへ、白い口髭をはやした老齢の使用人がやってきた。

(彼は確か、昨日真っ先に出迎えてくれた執事の……エドワード、だったかしら)

 自己紹介さえしていないことを思い出して挨拶をしようとしたメリアだったが、先にゲオルグが言葉を発したので口を噤んだ。

「待たせた、とは?」
「こちら、ふわふわオムレツでございます。奥様の好物だと伺いましたので、料理長に作らせて参りました」

 じと、とゲオルグがエドワードを睨むけれど、エドワードは偽物くさい笑顔を貼り付けたまま、ふわふわオムレツが乗った皿を手元に並べた。

「僭越ながら、わたくしがケチャップをかけて差し上げましょう」
「エドワード?」

 訝るゲオルグの視線の先、ケチャップが文字を描いていく。
 エドワードは驚くほど優雅な手つきで、皿をゲオルグとメリアの前に差し出した。
 それぞれの皿には、ケチャップで大きく「おめでとうございます」と書いてある。

「……」
「……」
「ぬふ。ぬふふ。旦那様、我ら一同の念願がやっと叶いました」
「……念願とは?」
「勿論、旦那様の脱童貞です!」

 ぴく、とゲオルグのこめかみが震える。気温が数度下がったような気がしたが、エドワードは構わずに語り続けた。

「それだけではなく、愛する奥方を娶られるとは。そう、奥方、というくだりが大切なのです。どれだけ旦那様に、愛妻を娶って頂きたかったことか。このような素晴らしい日に立ち会えたこと、嬉しく思いますぞ!」
「もう黙れ」
「ぬふふ。若人の邪魔をしてはなりますまい。ああ、ですが一言だけ。今日は我らの念願、旦那様が愛妻と初夜を過ごされて脱童貞された記念日、となるのです。さぁさぁ、旦那様も私どもを祝ってくだされ!」
「……おめでとう」

 ゲオルグが、げんなりとした顔で祝いの言葉を言った。
 メリアとしては、なぜゲオルグがおめでとうと言うのかわからなかったが、エドワードは「ありがとうございます!」と胸を張って去って行く。
 きょとん、とするメリアにゲオルグがため息交じりに苦笑した。

「騒々しいだろう? すまんな」
「いいえ、とても楽しい方々ですね」
「今日は特別に浮かれているようだ」
「旦那様がとても愛されていると、実感致します。そんな旦那様の妻にして頂いた私は、本当に幸せものです」

 そう言って、メリアは食べたくてたまらなかったふわふわオムレツにナイフをいれた。ふわっと湯気がたち、新鮮な卵の香りが鼻孔を擽る。フォークでオムレツをすくって口に入れると、じゅわっと蕩けるように柔らかく解れていく。

「んっっ、おいしい!」
「そうか、それはよかった」
「エドワード様は、私の好物をなぜご存じなのでしょう?」

 ふと浮かんだ疑問を口にすると、ゲオルグは、ぴく、と動きを止めた。

「妻に娶る相手のことだ、情報として必要だったのだろう」
「そうですね、なるほど」

 確かにもてなす側として、事前の情報収集は大切だ。
 納得したメリアに幾分か安堵したゲオルグが朝食を再開すると、メリアも黙々と朝食を食べた。
 食事を終えると、使用人の紹介、そして屋敷の説明を受けた。屋敷は母屋のほかに離れが一つ、庭は広く庭師が二人いるとのことだ。
 屋敷は三階建てで、一階から順番にどこに何があるのか、エドワードに案内されて歩いた。隣にはゲオルグが、斜め後ろにはモナが控えている。
 順番に階段をのぼり、そして、三階へ来たところで。
 いくつか部屋を紹介されると、エドワードとモナが下がっていく。廊下には、メリアとゲオルグの二人が残ってしまった。
 ゲオルグがメリアを連れて、突き当りの部屋の前に立つ。
 ぴりっ、と緊張に張りつめた空気に息を呑んだ。ゲオルグが、ふいに厳しい表情をしたためだ。
 彼は、人差し指で、カツカツと突き当りのドアを叩いた。

「ここへは、決して入らぬように。他の部屋は好きに使って構わない」

 あまりにも真剣な声音に、メリアは小さく息を呑んだが、すぐに頷いた。理由はわからずとも、夫が望むのだからそれに従おう。
 ゲオルグはほっとしたように、息をついた。
 苦笑を浮かべたゲオルグがメリアを見下ろし、メリアの頭を優しく撫でた。

「今日は部屋でゆっくり過ごそう。結構歩いたが、身体は辛くないか」
「はい」

 そのあと、寝室のある部屋へ戻り、カウチでくつろいだ。ゲオルグが先にカウチに座り、向かい側へ腰を下ろそうとしたメリアに、ゲオルグは咳ばらいをして引き留め、隣に視線を送る。
 メリアは、向かい側ではなく、ゲオルグの隣に座った。あっという間に抱き上げられて、膝の上に座らせられる。
 真っ赤になるメリアの顔を覗き込み、ゲオルグはメリアの身体を抱きしめた。

「ふむ。他愛ない話をしようと思ったが、なかなかもって、難しいな」

 メリアは、はっと顔をあげた。

「どうした?」
「あの、前に会ったことがあると仰っていましたが、もしかして昔、我が家へ来てくださった……り、しましたか?」

 ゲオルグの返事を待つけれど、彼は眉を寄せたまま何も言わない。メリアは、しどろもどろになりながら、言葉を続けた。

「ハクモクレンの花を、差し出してくださった方……ではないかな、と考えてました。あの、違うかもしれません。ごめんなさい」
「ほう、覚えているのか」

 メリアは、喜びに顔をあげる。

「やっぱりそうなんですね! 雰囲気がよく似てらっしゃるので」

 八年前のことで、ほんの少ししか話したことのない相手だ。顔はぼんやりとしか覚えていないけれど、差し出されたハクモクレンの花と彼から貰った言葉はとてもよく覚えている。
 当時の会話を思い浮かべたメリアは、そっとドレスの裾を握り締めた。

「あの、ごめんなさい。あんなふうに諭してくださったのに、両親が他界してから、夢を目指す余裕がなくなってしまって」
「当時目指すものがあると言っていたが、諦めたのか」

 メリアは、ゆっくりと顔をあげる。

(私、お嫁さんになりたいって夢も、当時の旦那様に話したかしら。……たしか)

 息を呑んで青くなったメリアの脳裏には、当時自分が言った言葉の数々が飛び交っていた。メリアはあのとき、夢をゲオルグに話し、そしてなんと、その場で自分からゲオルグへ求婚したのだ。

「ひゃあああっ」
「メリア⁉」
「わ、私、なんて身の程知らずなことを! 私あのとき旦那様に、旦那様に、きゅ、求婚を!」

 ゲオルグは、ほっとしたように頬を緩めたあと、苦笑した。

「懐かしいな」
「お、覚えておいでですか⁉」
「当然だろう。あのように口説かれたのは初めてだった。情熱的だったな」
「……忘れてください」

 恥ずかしさから、両手で顔を隠したメリアの頭を、ゲオルグがそっと撫でる。優しい手のひらのぬくもりに、少しだけ顔をあげた。

「思えば当時から、きみに惹かれていたのだろう。あの頃も、今も、きみは真っ直ぐだ」

 ゲオルグが、メリアの額に唇を押しつける。
 一度離れた唇は、すぐに頬に押しつけられた。

「メリア」
「は、はい」
「昨夜は、とてもよかった」
「えっ⁉」

 突然の宣言に、メリアは顔を真っ赤にする。
 昨夜というのはつまり、情事のことだろう。

「きみは意外と積極的で、可愛らしかったぞ」

 頬が熱くて、湯気が出そうだ。メリアが両手で顔を隠してしまうと、その手の甲に、ゲオルグが口づけをした。

「暫く次ができんのが惜しいほどだ。その分、こうして傍にいてくれ」
「え、え、出来ない、の、ですか」

 手を少しずらしてゲオルグを見ると、彼は驚いた顔をしており、すぐに苦笑を浮かべた。

「さすがの私も、昨夜の今夜にやるほど鬼畜ではない。初めてはとても痛むどころか、出血するほどの怪我をするのだろう? メリアの怪我を治すのが先決だ」

 ゲオルグの気遣いに、メリアは嬉しい反面お預けをくらったようで、少ししょんぼりとしてしまう。毎日することではないと聞いているけれど、治るまでとなるとそれなりの時間がかかる。

「……私、早く治します」
「軟膏を用意しておこう。もし自分で塗るのが厳しいようなら、手伝うのもやぶさかではないが」

 にやり、とゲオルグが笑い、メリアは首まで真っ赤になった。

「だ、旦那様っ、えっちです!」
「生まれて初めて言われたが、きみに言われるのは悪くないな」

 くっ、と笑うゲオルグはとても愉快そうで、メリアは揶揄われたのだと知った。つい子どものようにぷくっと頬を膨らませて、ゲオルグを睨んでしまう。
 ゲオルグは笑みを深めて、メリアの唇に自分のそれを押し当てた。
 軽い口づけかと思ったが、唇の隙間へ尖らせた舌が侵入してきて、驚いて口をひらいた瞬間に、噛みつくような深い口づけを受ける。

「ん、ふっ」

 突然のことに、ぎゅっとゲオルグにしがみつくと、大きくて熱い手のひらが、メリアの身体を愛撫し始める。ドレスの上からの愛撫がもどかしくて、甘い疼痛を堪えるように身体をゆすってしまい、自分のはしたなさに羞恥で頬を真っ赤にした。
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