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第二章 6、渡月は試される

1、

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 施設の職員の方々にご挨拶をして、同じ施設へ実習に来ていた学生たちへも挨拶をした。
 明日から、また、通常の授業が始まる。しばらくは一段階実習の振り返りとなるだろう。
 先生のアトリエへ帰ってきた私は、珍しく自分から「ただいま帰りました!」と挨拶をした。だが、返事がない。
 先生は不在なのだろうか、戸締りはしていないようだが。
 休憩室の散らかり具合を確認しながら、ふと、思い浮かんだ考えに、私は小さく「あ」と呟いた。
 実習が終えるのだから、私はまたマンションに戻らないといけなくなる。
 また一人暮らしに戻るのだ。先生と会えなくなるわけではないけれど、マンションまで電車で二十分という時間を考えると、ここで過ごせる時間が減る。
 実習前はそれが当たり前だったのに、一度楽しさを知ると、元に戻るのがつらいというのは、おかしな話だ。
 鞄を片付けるために、二階へ上がった。借りている部屋に鞄を置くと、まるで、招くように向かいの部屋のドアが開いていることに気づく。朝方には閉めてあったと思ったが、レポートを書くときに机を借りたので、閉め忘れてしまったのだろうか。
 ドアを閉めようと、ドアノブに手を伸ばしたとき。
 執務机のうえに、見覚えのない封筒が増えていることに気づいた。何気なく歩み寄ると、そこには「須藤まどか様」と印字されていた。だが、住所は書いておらず、当然ながら消印もない。
 ハンドメイド関係の仕事書類ならば、一階のパソコン周辺の棚にまとめてあるはずだ。かすかな違和感に、心がざわついた。
 封筒は、長3の茶封筒だ。手に取ると、ずしりとした重みがある。封はノリ付けされておらず、だが、開いた緩みのような形跡はない。
 しん、と静まり返った部屋で、私は、静かに緊張を感じながら、封筒をひらく。人様当ての封筒をひらくなんて、と思わなくはない。けれど、そんな考えなど吹っ飛んでしまうくらい、心がざわめいていた。
 傾けた封筒から手のひらに落ちたのは、写真だった。画質は古いが、印刷されたのはつい最近だろう。枚数は、十枚ほどだろうか。
 写真を見た瞬間、さあっと血の気が引くのがわかった。
 そこには、四歳ほどの少女と、美しい女性が映っている。
 幼いころの私と、須藤由紀子だ。
 呼吸が、止まる。息をするのも忘れて、不規則に、大きく息を吸い込んだ。
 どれも、記憶にある暖炉のある家のなかで、撮られた写真だった。見たくない思いで、一枚ずつ確認していく。指の腹をこする、写真のつるりとした感触に恐怖さえ覚えた。
 最後の一枚。
 そこに映っていたものに、ひっと悲鳴をあげて、写真を床に投げ捨てた。
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