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最終章
生涯を、あなたと共に
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セディルは、おい、という聞き覚えのある声に脚を止めた。
今日は、取引先との関係で仕事が午前中に終わったため、帰宅する途中だったが、なぜこの男はいつもタイミングよく現れるのだろう。
「なんだ、サボりか?」
「今日は早出だった。今から帰るところだ」
「へぇ、大変なんだな」
前々から思っていたが、この男――レックスは、何者なのだろう。カネ回りはよさそうだが、仕事をしている様子はない。汗水垂らす必要のない仕事なのだろうか。別に知りたいとは思わないので、聞きはしない。セディルは再び歩き出す。レックスが断りもなく隣りに並んで歩き出した。
「なぁ、飲みにいかねぇ?」
「行かない」
「ふぅん。じゃ、今日もアイナんとこいこ」
(今日も?)
聞き捨てならない言葉に、セディルがレックスを振り向いたとき。レックスと目が合い、彼がにやにやと笑っていることを知る。からかったのだろうか。激しく不愉快だ。どうもこの男は好きになれない。
「怒んなって。つーかさ、その指輪なに?」
とんとん、とレックスが己の指を示してみせる。一昨日の夜、アイナから貰った指輪のことだ。あれ以来、セディルはずっと指輪をつけている。
話を逸らされた気がしたが、他者から指輪について聞かれたのは初めてで、どう返事を返したものかと戸惑った。職場ではセディルの指輪について問うほど親しい者はいないし、誰も何も言わなかった。他者からすれば、セディルなど気に掛けるほどではないのだろう。
そう思っていたため、変に窮してしまった。婚約指輪だ、と言うべきか? だがアイナは、婚約指輪は改めて買うと言っていた。ではこれは婚約指輪ではないのか。……指輪を見る。これはアイナからの贈り物で、贈り物を貰ったことは嬉しいが――なに、と聞かれると、なんと答えればよいのか。
「まぁ、中の下って感じだな。庶民も庶民の指輪。結婚指輪は一生モノだろ? いいの買ってやれよ」
結婚指輪ではない、という否定の言葉よりも、気になる言葉があった。
「……一生モノ」
「おう。生涯を誓った証なんだからさ。ちなみにそれ、いくらだったんだ?」
夫婦になった者は、お互いに同じ指輪をつける。それは知っていたが、まさか生涯つけていくとは知らなかった。今更ながら己の無知に辟易する。
「どうしたよ?」
「値段はわからない。アイナが買ってくれた」
「………………は?」
レックスが、ぽかんとした表情でセディルを見た。その視線を律儀に受け止めるようなことはせず、セディルは歩き続ける。あまり、レックスにアイナのことを話したくない。アイナはもう、セディルの恋人なのだから。アイナと二人で行ったことは、すべてお互いだけが知っていればいいのだ。
「……………あのさ。指輪って、男が買うものだろ?」
セディルは足を止めて、レックスを見た。レックスは困ったように眉を潜めている。セディルは自分の手にはまっている指輪を見た。これはあくまで、アイナからの贈り物。ペアではなく、つけているのはセディルのみだ。
だが、指輪は男が買うもの、というのは知らなかった。収入はすべてアイナに渡しているし、そこからやりくりして、アイナが買うのだろうと勝手に思い込んでいたが、どうやらそうではないらしい。
「そうだったのか」
「俺はそう思ってるけどなー」
ふむ、と考える。指輪を買うための資金を貯めていこう。だが、小遣い制の自分がどうやって貯めればいいのだろうか。これまで貯蓄などしたことがなかったから、そこからわからない。これは、早急に考える必要がありそうだ。
「ま、自分の小遣いで買える範囲でいいんじゃね? 材料買って作るとかさ」
「……作る?」
「なんだったら、知り合いの加工屋紹介してやろうか? 材料費だけで、お前が作れるように頼んでやるよ」
セディルははじめて、レックスが素晴らしい人間だと思えた。驚いてるセディルの肩に手を回したレックスは、にやりと笑って告げた。
「だから、今日泊めて? うちで待ち伏せされててさー」
前言撤回。
誰になぜ待ち伏せされているのか知らないが――おそらく女がらみだろうが――自業自得だろう。
「助かるよ、持つべきものは友だなぁ」
すでに我が家へくることが決定事項になっているらしく、レックスはセディルの肩をぽんぽんと叩く。この男がアイナに親しくするだけで腹立たしいが、背に腹は代えられない。指輪のためだと、セディルは黙り込む。
「……無言で怒るなよー」
露骨に憮然とするセディルに、レックスは苦笑した。
昼間、セディルが働きに出ているときに、何度かこの家には来たことがある。元々我が家だったこともあり間取りは知っていたが、アイナが家主になってからはまるで別物のような雰囲気になっていた。
アイナは患者に対して真剣に向き合い、街の人々も彼女を認め、今では早くも医者として名が知れ渡りつつあった。
アイナは、イトコの子どもを助けてくれた。イトコは妻と子の命を助けてくれたアイナに感謝していたが、ここ数日、消沈した姿が目立っていた。また彼の最愛の妻であるミナルに何かあったのだろうと察して、相談に乗ろうとしたが、イトコは何も言わない。ただ、「きみはアイナ医師のことを知っていたのか?」とだけ問われた。
あの言葉はどういう意味なのだろうか。アイナに関して、アイナと関わって、何かあったということか。レックスには何もわからない。隣を歩くセディルを横目で見るが、憮然と黙り込んでいる。はっきりと言っていつもの姿だ。
――セディルは、イトコが言っていた「アイナのこと」が何か知ってるのだろうか
そんなことを考えてる間に、セディルたちの家についた。
ただいま、と小声で告げたセディルにくっついて家内に入る。「その声じゃ聞こえなくね?」と告げたが、セディルは返事なく玄関を入り、居間のほうへ向かった。
「……本当に泊まるのか」
居間の前まできて、セディルはやっとレックスへ問うてきた。どうやらアイナに会わせたくないらしいと察したが、わかりきっていたことなので、「うん」とあっさり頷いた。
セディルは眉を潜めてから、嘆息し、居間のドアをノックしようと手を振り上げた……そのとき。
「大きい方がいいのね?」
アイナの神妙な声音に、セディルの手が止まった。レックスもまた動きを止める。このままでは、聞き耳をたててしまうことになることはわかっていたが、なんとなく入ってはいけない雰囲気がドアを伝ってやってくるのを感じた。
「ええ、そう。そういうのは、その、よくわからないんだけど、大きい方が自慢できるんでしょう?」
アイナに返事をしたのは、ミナルだ。
つまり、この部屋のなかには、ミナルもいるということで――漠然と不仲だと思い込んでいたが、アイナとミナルは仲が悪くなどないのかもしれない。
どんな関係か気になるが、それはおいおい知っていくことになるだろう。アイナはこの街で暮らしていくようだし、今後、お互いに知る時間は沢山ある。
「男はそういうのこだわるわねぇ。私は小さいのも悪くないと思うんだけど」
「……あ、あのね、アイナ。どんなふうにしたら、その、あの人は喜んでくれるかしら?」
「あら、ミナルったら気が早いのね。やる気満々じゃないのー」
「ア、アイナ、からかわないで! だって、喜んで貰いたいんだもの。……お願いよ、アイナ。教えて?」
「ふふ、勿論。まず、基本的なこと。愛してあげて欲しいの。独特の匂いとかあるけど、優しくしてあげて。根本のほうを掴んで……親指で、こう」
なるべく無関心を装いたかったが、限界が早くもきそうだ。
何の話をしているのか、レックスの興味がギラギラと滾る。
あっち系の話なら、ぜひ混ざって参加し、指導してあげたいものだ。実地で。何より、女性同士が話しているというだけで、やたらと興奮する。
だから、レックスが、ぺた、とドアに張り付いて耳を欹てるのも仕方が無いことだろう。
「かさの部分は繊細から、優しく解してあげてね」
「……わかったわ。難しそうね」
「そんなことないわよ。慣れればどうってことないわ。でも大きいものは、やりずらいかも」
「だ、男性は大きい方が好きなんでしょう?」
「好きっていうか、見栄じゃないかしら。見た目なんてこっちは気にしないんだけど。目に見える形で自慢したいのよ」
「そうなのね」
「そ。でもよかった、一緒にイけそうで」
「ふふ、アイナのおかげよ。あの人、きっと喜ぶわ」
ガチャ、と音がしてドアが内側に開いた。
レックスは倒れるように部屋に入って、女性二人の驚きの視線を受けながら背後を振り返る。ドアノブを握りしめたセディルが涼しい顔で立っていた。
「お、おまっ、なんで開けるんだよ⁉いいとこだったのに、馬鹿じゃねぇの⁉」
「……?」
セディルは眉を寄せてレックスを一瞥したあと、アイナへ視線を向けた。
「例のキノコ狩りの話か」
「……びっくりした。おかえりなさい、セディル。そうなの、ミナルが一緒に行ってくれるって」
「そうか。聞き耳をたてるつもりはなかったが、邪魔をしては悪いと思った」
「気を使ってくれてありがとうー。ミナルったら、もうおっきい松茸取るつもりなのよ」
「ちょ、アイナ!…わかってるからっ、そう簡単に取れないって!……でも、せっかく珍しいキノコ狩りに行くんだから、大きいの取ってあの人に食べさせてあげたいの」
「料理の仕方もバッチリだものね」
レックスは遠い目をして俯き、ガン、と床を叩いた。
これは仕方が無いと自分に言い聞かせ、首をぶんぶん振る。てっきり。てっきり、アレの話かと思ってしまった自分がいた。
松茸狩りの話だったのか。では、男は大きい方が好きという意味は? と考えたが、答えはすぐに出た。近年、キノコ狩りが流行りつつあり、山を持つ貴族らがキノコ狩りのために山を提供し、催しを開くことがある。
そんな催しで優勝すれば、かなりの名誉となり、平民が誉れを得られる数少ない場だ。
そんな催しで優勝するには、大きなキノコを取る必要があり、男たちは競って大きな松茸を欲しているという。
だが、まぁ、食べる方としては大きさなど関係ない。
レックスはすぐに立ち直り、食卓の椅子に座った。アイナが、いらっしゃい、と言いながらお茶を出してくれて、ほっこりとする。
「なぁ、松茸取りにいくの?」
「ええ、来月にね。レックスも行く?」
「行かねぇけど、持って帰ってきたらお裾分けして」
「沢山採れたら、ちゃんと分けるわよ……高級食材だもの」
一瞬、アイナの瞳がどこか遠くを見たような気がしたが、すぐにいつものアイナに戻る。レックスは深く考えはせず、ぼんやりと談話に勤しんでいるとミナルに肩を叩かれた。
気を利かせろという意味らしく、仕方なくアイナの家をあとにした。ミナルも一緒に暇したため、アイナとセディルは二人きりになれるだろう。
帰り道、上機嫌のミナルを家まで送り届けて、レックスもまた自らの家へ向かった。
今度アイナの開店記念でもするかー、と微笑んだ。
自宅前で待ち伏せしているだろう女たちのことを、忘れたまま。
「アイナ」
「んー?」
一緒にベッドに入ったころ、セディルに呼ばれた。振り返る前に後ろから抱きしめられて、アイナは微笑んだ。大柄な恋人は甘えん坊で、寂しくなるとこうして首筋に顔をぐりぐりしてくる。
恋人の言葉を待ったが、セディルは黙り込んでしまった。
名前を呼ばれただけなのかもしれないが、何かを伝えたいという響きがあったようにも思う。
「どうしたの?」
促してみると、セディルが唸った。やはり何か言いたいことがあるようだが、それを伝えてくれないらしい。言葉がまとまらないのだろうか。名前を呼んでくれたのだから、伝えようとしてくれていることは確かだろうに。
「……アイナ」
「ん?」
「愛している」
「ええ、私もよ」
「愛している」
セディルを振り返ると、端正な顔が切羽詰まったように歪んでいた。彼の頬を両手で覆い、軽く口づけをする。
「ほら、言ってみて。全部よ。思ってること、全部教えて」
「……ずっと傍に居たい。他の誰でもなく、私が、傍にいたい。私の生涯の伴侶になってほしい」
昨日、アイナが求婚した言葉では、不十分だったのだろうか。
セディルはまた一人で悩み、考え、こうして伝えてくれる。まだ彼のすべてを理解できていないし、今後も出来ないだろうけれど。
それでも、二人の関係を真剣に考えて傍に居てくれる相手の存在が、これほどまでに心地よい。
「宜しくお願いします」
丁寧に返事を返してから、口づけをする。角度を変えて、お互いを知り尽くすように深く口内を貪った。荒い呼吸をつきながら、じっとセディルを見つめる。
「新婚旅行も行きましょうね」
「……新婚旅行?」
「ええ。結婚したら、二人で旅行に行くの。二人きりで過ごすのよ。ハネムーンっていうの」
「はねむーん」
途端に、セディルは眉をひそめた。貯蓄をするにしても使い道が……などと、呟いている。どうやら資金について悩んでいるようだ。あとで、何に悩んでいるのか問い詰めよう。話したがらないなら、強引に聞き出そう。
「……私、すでに尻に敷いてない? 今の考えって、鬼嫁じゃない?」
独り言だったが、セディルが律儀に「アイナの尻に敷かれたい」と返事をくれるので、思わず笑ってしまう。
二人で暮らしていくとなると、今後も何かしらのトラブルがあるだろう。
けれど、そんなやり取りでさえ、これまでにはなかったもので。相手のことが気になるから、好きだから、わかってほしいから、喧嘩だってするのだ。本当にどうでもいい相手なら、嫌いな相手なら、さっさと見捨てるだろう。
アイナは、そっとセディルの手に自分の手を絡ませた。
求めていたものが、ここにあるのだ。
欲していたのに拒絶して、築いてきた壁を壊してまで、アイナを求めてくれた稀有な男。奇跡のような彼の存在を、アイナは生涯愛するだろう。
恥ずかしいから、「愛している」なんて、あまり言わないけれど。
これからの人生、すべて共にあると決めたのだから。
今日は、取引先との関係で仕事が午前中に終わったため、帰宅する途中だったが、なぜこの男はいつもタイミングよく現れるのだろう。
「なんだ、サボりか?」
「今日は早出だった。今から帰るところだ」
「へぇ、大変なんだな」
前々から思っていたが、この男――レックスは、何者なのだろう。カネ回りはよさそうだが、仕事をしている様子はない。汗水垂らす必要のない仕事なのだろうか。別に知りたいとは思わないので、聞きはしない。セディルは再び歩き出す。レックスが断りもなく隣りに並んで歩き出した。
「なぁ、飲みにいかねぇ?」
「行かない」
「ふぅん。じゃ、今日もアイナんとこいこ」
(今日も?)
聞き捨てならない言葉に、セディルがレックスを振り向いたとき。レックスと目が合い、彼がにやにやと笑っていることを知る。からかったのだろうか。激しく不愉快だ。どうもこの男は好きになれない。
「怒んなって。つーかさ、その指輪なに?」
とんとん、とレックスが己の指を示してみせる。一昨日の夜、アイナから貰った指輪のことだ。あれ以来、セディルはずっと指輪をつけている。
話を逸らされた気がしたが、他者から指輪について聞かれたのは初めてで、どう返事を返したものかと戸惑った。職場ではセディルの指輪について問うほど親しい者はいないし、誰も何も言わなかった。他者からすれば、セディルなど気に掛けるほどではないのだろう。
そう思っていたため、変に窮してしまった。婚約指輪だ、と言うべきか? だがアイナは、婚約指輪は改めて買うと言っていた。ではこれは婚約指輪ではないのか。……指輪を見る。これはアイナからの贈り物で、贈り物を貰ったことは嬉しいが――なに、と聞かれると、なんと答えればよいのか。
「まぁ、中の下って感じだな。庶民も庶民の指輪。結婚指輪は一生モノだろ? いいの買ってやれよ」
結婚指輪ではない、という否定の言葉よりも、気になる言葉があった。
「……一生モノ」
「おう。生涯を誓った証なんだからさ。ちなみにそれ、いくらだったんだ?」
夫婦になった者は、お互いに同じ指輪をつける。それは知っていたが、まさか生涯つけていくとは知らなかった。今更ながら己の無知に辟易する。
「どうしたよ?」
「値段はわからない。アイナが買ってくれた」
「………………は?」
レックスが、ぽかんとした表情でセディルを見た。その視線を律儀に受け止めるようなことはせず、セディルは歩き続ける。あまり、レックスにアイナのことを話したくない。アイナはもう、セディルの恋人なのだから。アイナと二人で行ったことは、すべてお互いだけが知っていればいいのだ。
「……………あのさ。指輪って、男が買うものだろ?」
セディルは足を止めて、レックスを見た。レックスは困ったように眉を潜めている。セディルは自分の手にはまっている指輪を見た。これはあくまで、アイナからの贈り物。ペアではなく、つけているのはセディルのみだ。
だが、指輪は男が買うもの、というのは知らなかった。収入はすべてアイナに渡しているし、そこからやりくりして、アイナが買うのだろうと勝手に思い込んでいたが、どうやらそうではないらしい。
「そうだったのか」
「俺はそう思ってるけどなー」
ふむ、と考える。指輪を買うための資金を貯めていこう。だが、小遣い制の自分がどうやって貯めればいいのだろうか。これまで貯蓄などしたことがなかったから、そこからわからない。これは、早急に考える必要がありそうだ。
「ま、自分の小遣いで買える範囲でいいんじゃね? 材料買って作るとかさ」
「……作る?」
「なんだったら、知り合いの加工屋紹介してやろうか? 材料費だけで、お前が作れるように頼んでやるよ」
セディルははじめて、レックスが素晴らしい人間だと思えた。驚いてるセディルの肩に手を回したレックスは、にやりと笑って告げた。
「だから、今日泊めて? うちで待ち伏せされててさー」
前言撤回。
誰になぜ待ち伏せされているのか知らないが――おそらく女がらみだろうが――自業自得だろう。
「助かるよ、持つべきものは友だなぁ」
すでに我が家へくることが決定事項になっているらしく、レックスはセディルの肩をぽんぽんと叩く。この男がアイナに親しくするだけで腹立たしいが、背に腹は代えられない。指輪のためだと、セディルは黙り込む。
「……無言で怒るなよー」
露骨に憮然とするセディルに、レックスは苦笑した。
昼間、セディルが働きに出ているときに、何度かこの家には来たことがある。元々我が家だったこともあり間取りは知っていたが、アイナが家主になってからはまるで別物のような雰囲気になっていた。
アイナは患者に対して真剣に向き合い、街の人々も彼女を認め、今では早くも医者として名が知れ渡りつつあった。
アイナは、イトコの子どもを助けてくれた。イトコは妻と子の命を助けてくれたアイナに感謝していたが、ここ数日、消沈した姿が目立っていた。また彼の最愛の妻であるミナルに何かあったのだろうと察して、相談に乗ろうとしたが、イトコは何も言わない。ただ、「きみはアイナ医師のことを知っていたのか?」とだけ問われた。
あの言葉はどういう意味なのだろうか。アイナに関して、アイナと関わって、何かあったということか。レックスには何もわからない。隣を歩くセディルを横目で見るが、憮然と黙り込んでいる。はっきりと言っていつもの姿だ。
――セディルは、イトコが言っていた「アイナのこと」が何か知ってるのだろうか
そんなことを考えてる間に、セディルたちの家についた。
ただいま、と小声で告げたセディルにくっついて家内に入る。「その声じゃ聞こえなくね?」と告げたが、セディルは返事なく玄関を入り、居間のほうへ向かった。
「……本当に泊まるのか」
居間の前まできて、セディルはやっとレックスへ問うてきた。どうやらアイナに会わせたくないらしいと察したが、わかりきっていたことなので、「うん」とあっさり頷いた。
セディルは眉を潜めてから、嘆息し、居間のドアをノックしようと手を振り上げた……そのとき。
「大きい方がいいのね?」
アイナの神妙な声音に、セディルの手が止まった。レックスもまた動きを止める。このままでは、聞き耳をたててしまうことになることはわかっていたが、なんとなく入ってはいけない雰囲気がドアを伝ってやってくるのを感じた。
「ええ、そう。そういうのは、その、よくわからないんだけど、大きい方が自慢できるんでしょう?」
アイナに返事をしたのは、ミナルだ。
つまり、この部屋のなかには、ミナルもいるということで――漠然と不仲だと思い込んでいたが、アイナとミナルは仲が悪くなどないのかもしれない。
どんな関係か気になるが、それはおいおい知っていくことになるだろう。アイナはこの街で暮らしていくようだし、今後、お互いに知る時間は沢山ある。
「男はそういうのこだわるわねぇ。私は小さいのも悪くないと思うんだけど」
「……あ、あのね、アイナ。どんなふうにしたら、その、あの人は喜んでくれるかしら?」
「あら、ミナルったら気が早いのね。やる気満々じゃないのー」
「ア、アイナ、からかわないで! だって、喜んで貰いたいんだもの。……お願いよ、アイナ。教えて?」
「ふふ、勿論。まず、基本的なこと。愛してあげて欲しいの。独特の匂いとかあるけど、優しくしてあげて。根本のほうを掴んで……親指で、こう」
なるべく無関心を装いたかったが、限界が早くもきそうだ。
何の話をしているのか、レックスの興味がギラギラと滾る。
あっち系の話なら、ぜひ混ざって参加し、指導してあげたいものだ。実地で。何より、女性同士が話しているというだけで、やたらと興奮する。
だから、レックスが、ぺた、とドアに張り付いて耳を欹てるのも仕方が無いことだろう。
「かさの部分は繊細から、優しく解してあげてね」
「……わかったわ。難しそうね」
「そんなことないわよ。慣れればどうってことないわ。でも大きいものは、やりずらいかも」
「だ、男性は大きい方が好きなんでしょう?」
「好きっていうか、見栄じゃないかしら。見た目なんてこっちは気にしないんだけど。目に見える形で自慢したいのよ」
「そうなのね」
「そ。でもよかった、一緒にイけそうで」
「ふふ、アイナのおかげよ。あの人、きっと喜ぶわ」
ガチャ、と音がしてドアが内側に開いた。
レックスは倒れるように部屋に入って、女性二人の驚きの視線を受けながら背後を振り返る。ドアノブを握りしめたセディルが涼しい顔で立っていた。
「お、おまっ、なんで開けるんだよ⁉いいとこだったのに、馬鹿じゃねぇの⁉」
「……?」
セディルは眉を寄せてレックスを一瞥したあと、アイナへ視線を向けた。
「例のキノコ狩りの話か」
「……びっくりした。おかえりなさい、セディル。そうなの、ミナルが一緒に行ってくれるって」
「そうか。聞き耳をたてるつもりはなかったが、邪魔をしては悪いと思った」
「気を使ってくれてありがとうー。ミナルったら、もうおっきい松茸取るつもりなのよ」
「ちょ、アイナ!…わかってるからっ、そう簡単に取れないって!……でも、せっかく珍しいキノコ狩りに行くんだから、大きいの取ってあの人に食べさせてあげたいの」
「料理の仕方もバッチリだものね」
レックスは遠い目をして俯き、ガン、と床を叩いた。
これは仕方が無いと自分に言い聞かせ、首をぶんぶん振る。てっきり。てっきり、アレの話かと思ってしまった自分がいた。
松茸狩りの話だったのか。では、男は大きい方が好きという意味は? と考えたが、答えはすぐに出た。近年、キノコ狩りが流行りつつあり、山を持つ貴族らがキノコ狩りのために山を提供し、催しを開くことがある。
そんな催しで優勝すれば、かなりの名誉となり、平民が誉れを得られる数少ない場だ。
そんな催しで優勝するには、大きなキノコを取る必要があり、男たちは競って大きな松茸を欲しているという。
だが、まぁ、食べる方としては大きさなど関係ない。
レックスはすぐに立ち直り、食卓の椅子に座った。アイナが、いらっしゃい、と言いながらお茶を出してくれて、ほっこりとする。
「なぁ、松茸取りにいくの?」
「ええ、来月にね。レックスも行く?」
「行かねぇけど、持って帰ってきたらお裾分けして」
「沢山採れたら、ちゃんと分けるわよ……高級食材だもの」
一瞬、アイナの瞳がどこか遠くを見たような気がしたが、すぐにいつものアイナに戻る。レックスは深く考えはせず、ぼんやりと談話に勤しんでいるとミナルに肩を叩かれた。
気を利かせろという意味らしく、仕方なくアイナの家をあとにした。ミナルも一緒に暇したため、アイナとセディルは二人きりになれるだろう。
帰り道、上機嫌のミナルを家まで送り届けて、レックスもまた自らの家へ向かった。
今度アイナの開店記念でもするかー、と微笑んだ。
自宅前で待ち伏せしているだろう女たちのことを、忘れたまま。
「アイナ」
「んー?」
一緒にベッドに入ったころ、セディルに呼ばれた。振り返る前に後ろから抱きしめられて、アイナは微笑んだ。大柄な恋人は甘えん坊で、寂しくなるとこうして首筋に顔をぐりぐりしてくる。
恋人の言葉を待ったが、セディルは黙り込んでしまった。
名前を呼ばれただけなのかもしれないが、何かを伝えたいという響きがあったようにも思う。
「どうしたの?」
促してみると、セディルが唸った。やはり何か言いたいことがあるようだが、それを伝えてくれないらしい。言葉がまとまらないのだろうか。名前を呼んでくれたのだから、伝えようとしてくれていることは確かだろうに。
「……アイナ」
「ん?」
「愛している」
「ええ、私もよ」
「愛している」
セディルを振り返ると、端正な顔が切羽詰まったように歪んでいた。彼の頬を両手で覆い、軽く口づけをする。
「ほら、言ってみて。全部よ。思ってること、全部教えて」
「……ずっと傍に居たい。他の誰でもなく、私が、傍にいたい。私の生涯の伴侶になってほしい」
昨日、アイナが求婚した言葉では、不十分だったのだろうか。
セディルはまた一人で悩み、考え、こうして伝えてくれる。まだ彼のすべてを理解できていないし、今後も出来ないだろうけれど。
それでも、二人の関係を真剣に考えて傍に居てくれる相手の存在が、これほどまでに心地よい。
「宜しくお願いします」
丁寧に返事を返してから、口づけをする。角度を変えて、お互いを知り尽くすように深く口内を貪った。荒い呼吸をつきながら、じっとセディルを見つめる。
「新婚旅行も行きましょうね」
「……新婚旅行?」
「ええ。結婚したら、二人で旅行に行くの。二人きりで過ごすのよ。ハネムーンっていうの」
「はねむーん」
途端に、セディルは眉をひそめた。貯蓄をするにしても使い道が……などと、呟いている。どうやら資金について悩んでいるようだ。あとで、何に悩んでいるのか問い詰めよう。話したがらないなら、強引に聞き出そう。
「……私、すでに尻に敷いてない? 今の考えって、鬼嫁じゃない?」
独り言だったが、セディルが律儀に「アイナの尻に敷かれたい」と返事をくれるので、思わず笑ってしまう。
二人で暮らしていくとなると、今後も何かしらのトラブルがあるだろう。
けれど、そんなやり取りでさえ、これまでにはなかったもので。相手のことが気になるから、好きだから、わかってほしいから、喧嘩だってするのだ。本当にどうでもいい相手なら、嫌いな相手なら、さっさと見捨てるだろう。
アイナは、そっとセディルの手に自分の手を絡ませた。
求めていたものが、ここにあるのだ。
欲していたのに拒絶して、築いてきた壁を壊してまで、アイナを求めてくれた稀有な男。奇跡のような彼の存在を、アイナは生涯愛するだろう。
恥ずかしいから、「愛している」なんて、あまり言わないけれど。
これからの人生、すべて共にあると決めたのだから。
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