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第2章

36話

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 男はアレッシオの部下で一番隊副隊長のバルノアだった。リュシールは有無を言わさず彼の足を鎖で絡めとって転倒させる。

「痛っ。な、なんだ!?」
「この緊急事態に聖騎士副隊長様はどちらへ?」
「邪魔するな! 俺は大事な用事があるんだよ!」

 バルノアはリュシールをしっかりと見た瞬間血の気が引いた顔をした。

「吸血鬼……、もうここまで入り込んでやがったのか。それにそっちは"光"の……、お前らグルだったのか」
「吸血鬼とグルだったのは君たちの方でしょ。計画が頓挫したから騒ぎに乗じて一人で逃げようってところかな?」
「うるせえ! 俺は脅されていたんだ」

 リュシールは咳払いして、地下で彼を縛った時の口調や声色で喋り始める。

「無実の人たちを吸血鬼に売ったこと、アレッシオから計画を打ち明けられて賛同していたことも聞いていたぞ」
「その声、お前あの時の魔術師か! 吸血鬼のクセに人間の味方みたいに動いて何が目的だ」
「わたしは味方したい人の味方だよ。そこに種族なんて関係ない」

 穏やかな口調とは裏腹にリュシールはバルノアの全身を鎖で縛り上げる。無力化されたのを確認してセレスタは近づく。

「私たちにはここで貴方をどうこうする権利はありません。ただ、逃がすつもりもありません。アレッシオさんと一緒にこの国の法に則って裁かれるべきです」
「クソ! 人類の裏切り者め! 覚えてろ!」
「セリィ、口も縛っていい?」
「いいよ」

 リュシールはさらに鎖を出して口を塞ぐ。そして引っ張って城の中へ入っていく。メイドと兵士がこちらに気が付きやって来る。彼らは教皇の命でセレスタを探していたという。アレッシオが裏切り者だということも聞かされているというのでバルノアを引き渡す。手ぶらになった二人は玉座の間へ案内される。同行者も一緒に来てほしいとのことだったので気乗りしていない様子のリュシールも同行させたのだ。
 教皇は階段の下にいた。連れてきてくれたメイドたちは表情一つ変えずに下がる。

「セレスタの友人だな。ウェネステル皇国第八十五代教皇ベアトリーナ・エルネデ・ラステティルだ」
「リュシール・パルバート……」

 リュシールは小声で名乗りながら渋々彼女の手を取る。教皇はあまり気にしない様子でセレスタに向き直った。

「主犯格を捕らえることができた。礼を言う」
「まだ彼らと手を組み攻めてきている吸血鬼の王がいます」
「その王もこの国に侵攻してきているのか?」
「いえ、攻めてきているのはその王の配下ですが、実際に指揮を執っているのは協力関係にある別の王です」
「そうか……」

 頭を抱える教皇を他所にリュシールは出ていこうとする。セレスタもそれを止めようとはしなかった。

「やっぱりグェンドルのとこ行ってくるよ。倒すにしても交渉するにしてもそっちの方が早い」
「ええ、お願い。私はここにいるから」

 聖騎士長不在の中、教皇を守るために留まるという意味で言ったのだが、負傷しているので安全な城の中で待っているというように聞こえるよう言葉を選んだ。リュシールはセレスタの手の甲に軽くキスをして玉座の間をあとにした。

「彼女、大丈夫なのか? 王族というのは聖騎士長三人でやっと倒せたのだぞ」
「陛下、その時倒した王は王族ではなかったのです。部下を囮にして逃げていました」
「なんだと……?」
「その王こそがアレッシオの取引相手です」
「ではアレッシオはその王の居場所を知っているのではないか?」
「知っているかもしれませんが、交渉に使っていた場所は既に引き払っているでしょう」

 そう言い切ったところで床に座り込む。まだ身体中が痛んでいた。教皇は休めるよう部屋を用意すると提案してくれた。しかし、質素な椅子だけを用意してもらって玉座の間の入口に座る。戦いが終わるまで横になる気などなかった。



 リュシールが城を出ると城門前に吸血鬼の姿はなかった。まだ各地で魔力の衝突が感じられる。兵士たちが必死に食い止めているのだろう。
 穴へ向かう途中、遥か手前でグェンドルと再会した。

「よう、パールバートの姫様。調査は済んだのか?」
「ええ、なので通してもらえませんか?」
「ダメだ。日が沈み切ったら城を落として門を開ける。もうちょっと待ってな」
「その必要はありませんよ」

 リュシールは牙で右手の親指を勢いよく切って血を出す。血からロングソードを生成しグェンドルに斬りかかる。

「てめぇ! 何しやがる!」

 リュシールは連続で斬り続けるがグェンドルもそれを躱し続けた。そしてリュシールの体勢が僅かにブレる。グェンドルはそれを見逃さない。振り下ろした剣を持つ腕を蹴り飛ばす。

「人間に情があるのか知らねえがやめとけ。人間の血が入ったヤツが俺様に敵うわけねえだろ」
「大したものだね。優位な状況でも周囲に目を配って警戒している。自信過剰な態度は素なのか相手を油断させるための演技か分からないけど、いつでも倒せるぞという意思が伝わってくる」
「そこまで分かってるなら退けよ」
「嫌だね」

 右腕を振って血を飛ばす。それらは瞬時に鉄の壁となりグェンドルを囲んだ。すぐに壁を殴った音が一撃聞こえ、少し歪むが包囲からは抜け出せなかった。右手の指を全て切り、次の攻撃の準備をする。レイピアを生成し、地面に血を撒いた。壁を解除して一気に片を付けるつもりだ。
 解除しようとしたその時、壁の裏から静かに燃えるような音が聞こえた。直感的に大きく後ろに跳んで、撒いた血を壁に変える。思わず目を閉じてしまうような巨大な爆発音がした。グェンドルを囲んでいた壁は跡形もなくなり、周囲の壁も溶けだしていた。煙を帯びた彼が姿を現す。

「俺様に血流術ブラート・ヴァールを使わせるとはな。落ちぶれても王族の血は引いてるみてえだ」
「あれが一撃で壊されるとは驚いたよ」

 グェンドルの両手は燃え、身体中から蒸気のようなものを発している。見た目通り炎や熱を操る能力のようだが、見た目以上に厄介だ。能力の相性もさることながら、一撃の重さも向こうの方が上である。

「もう壁も剣もムダだぜ。全部貫いて殺す」

 そう言って腕を振るうと炎の球が飛んでくる。しかし、壁を作らずとも回避できた。そしてそれがフェイントであることも分かっていた。
 左に回り込んで拳を叩き込んでくる。大振りの右を一歩引いて回避する。本命の左は右手で防ごうとする。グェンドルは思わず口角が上がっていた。その瞬間、大きな音を立てて光る破片が周囲に飛び散る。

「鉄しか作れないって思ったかな?」

 グェンドルの身体をガラスの破片が傷つけていた。リュシールの右手にもいくつか破片が握られている。それを投げつけるがほとんどがあっさりと弾かれる。しかし何個かは刺さっていた。
 煽るように言ったが誇張だった。たしかにガラスは作れるがそれもごく最近出来るようになったことで鉄ほど上手く操れるわけではない。

「小細工ばっかしやがって」

 またもグェンドルは燃える拳で襲いかかる。基本は回避で対処しガラスで傷をつけていく。運良く心臓か首を狙えればといった程度でそもそも致命傷を与えるのが目的ではない。
 攻撃の度に拳が身体に近づいてくるのを感じた。こちらの動きが読まれているのかもしれないが、こちらも向こうの動きを読めつつある。そう考えると危険の正体が分かった。火力が増しているのだ。しかし、苛立ちと焦りで動きが雑になってきているのも見えてくる。

「気づいたか。少しずつ強くしてったんだがな。まあもう遅いぜ」

 グェンドルは大きく後ろに跳んだ。そして、左足を前に出して身体を少し捻る。左の拳を体の前に、右の拳を脇腹に構えた。拳闘術の構えの一つだ。リュシールも同じ構えを取る。

「まさか打ち勝てると思ってんのか?」
「やってみる?」

 両の手の平から血が流れるほど強く握りこんだ。二人は同時に地面を蹴って相手に突進する。拳のぶつかる瞬間、リュシールは両手を開き鉄の盾を生成した。面積は極力小さく、厚さは相手の拳よりもぶ厚く。グェンドルの炎を帯びた拳は盾に勢いよく当たり表面を焼いていく。左手が伝わってきた熱に耐えきれず火傷していた。焼灼止血をされたくない。右手の爪で左手を傷つける。湧き出る血を次々と鉄に変えて盾に継ぎ足していく。
 徐々に盾が薄くなっていくのがわかる。既に左手の血は止まっていた。リュシールの手の平にグェンドルの拳が弱々しく当たった時、彼の炎は消えていた。
 リュシールの左腕は力を失って落ち、振り子のように小さく動く。煙が出ているだけだったグェンドルの拳からは一気に血が吹き出た。血は地面に落ちてもなお煙を発していた。お互いに血を使いすぎたのだ。

「痛み分けってところかな」
「バカ言え、まだ戦えるぞ……」

 グェンドルは前のめりに倒れる。リュシールは一息ついて後ろを振り返る。

「出て来なよ」

 シルヴィオが建物の影から姿を見せた。

「手を貸そうと思ったんだが、あまりの攻防に見入っちまってな」
「足手まといがいなくて戦いやすかったよ。他の聖騎士長は?」
「まだ戦ってる」
「じゃあ君の手柄にするといい。わたしは城に戻るよ」
「待て、誰の許可を得て城に入った?」
「君たちのご主人様だよ」

 リュシールが踵を返すと、シルヴィオが呼び止める。

「待ってくれ。やはりこいつは俺たちの手には負えない」
「分かったよ。こっちの好きにさせてもらう。じゃあ変わりに城に戻って報告してきて」
「ああ」

 シルヴィオが城へ走っていくのを見届けた後、グェンドルを肩に担いで穴の方へと向かう。『好きにさせてもらう』などと言ってみたが実際どうしたものか悩ましい。王族となると簡単に殺すわけにもいかないだろう。
 途中、撤退しようとしている吸血鬼に先を越される。時々怯えた視線を向けられるが、誰もこちらに話しかけてこないし襲ってくる気配もない。
 穴のある所が見えてくると、我先に入ろうとする吸血鬼達が弾かれたようにこちらへ戻ってくる。見知った吸血鬼が出てくる。ヴェスピレーネとラミルカだ。

「リュシール、無事で良かった。そしてすまない。愚弟が迷惑をかけたようだな」

 ぼろぼろの服を手で引っ張り、辛うじて動く左手を小さく振りながら

「これが無事に見える?」

 と言ってみる。

「少なくともそいつよりはな」

 グェンドルを指差しながら軽く返されてしまう。近づいて両手を出すヴェスピレーネにグェンドルを渡す。

「ディレイザ王もいやらしいことするね。どっちが上手くいっても利が得られるようにしてたわけだ」
「ああ、ジェスガー王の部下から聞き出すまでこいつがここにいることすら知らなかった。私達は都合良く使われていたようだ」
「今ここで弟くんを殺せば跡継ぎ争いの相手が一人減るんじゃない?」
「それでは父上と同じだ。他者を騙し、利用し、切り捨てる。そのような卑劣な王になるつもりは断じてない」

 リュシールは彼女の優しさと覚悟を甘いと笑いながらも眩しく感じた。自分なら殺していただろう。彼女がそれを止めようとするなら同様に殺したと思う。大業を成すには命の取捨選択をするべき時がある。父が母を守るために祖父ヴェザンを殺した時のように。

「どうした? 傷が痛むのか」
「いや、大丈夫。それよりこの後はどうするの?」
「ジェスガー王は逃がしてしまったが、これで任務は終了だ。エスヴェンド王のもとへ報告に行く」
「そっか。わたしたちはまだこの国ですることがあるから残るよ。それと弟くんから伝言、『お袋が話があるから一度帰ってこい』って」

 ヴェスピレーネは一瞬深刻な表情を見せたが何事もなかったように

「そうか、感謝する」

 とだけ返した。リュシールもそれ以上触れずに別れの言葉を切り出す。

「大変だったけどいい旅だったね」
「そうだな。機会があればまた会おう」

 ヴェスピレーネは皇国を去った。
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