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第1章 赫いダイスをふる人
第3話 恋とは呼べぬ欲しいものよりもまずは駒を見定めて
しおりを挟む「あの孤児院に行った日から、ユリア様が王宮にいらっしゃらないわね」
「そりゃあそうよ! あれだけ王都中に悪い噂が広まっていたら、わたしだったら家に引き籠るわね!」
「フェアシュタ様は女神様のようにお優しくてお美しいけど、ユリア様は外見だけお可愛らしくても性格が悪いって。あとあと、フェアシュタ様の婚約者であるレクスィ殿下を寝取ったとまで言われてるらしいわよ!」
「レクスィ殿下もあんな女に騙されるんだから、王太子から降ろされて当然だって!」
「そういえば、その公務にあの『残念美形』の人が護衛で行ったらしいわよ」
「ああ、あの『残念さん』ね。本当に顔だけはいいんだけどな~」
「でも、顔だけでもさすがに嫌よね。あれじゃあ」
国王と王妃の両名は、まだレクスィ達のことで対応に追われつつ、日々の仕事や公務もこなしていた。ヴォールは王太子に任じられてからというもの、宰相とともに外交などを学んでいて後宮に訪れる余裕も暇もない。
クローネもヴォールの傍らにいることはあるが、宰相との話し合いに参加することなどできないので、必然的に王宮に滞在しているフェアシュタの世話をすることが増えていた。
「皆さん、お話もけっこうですが、誰かに聞かれていたりしたら大変ですよ」
「クローネ様!?」
宮女達が慌てて途中だった掃除を再開する。
「私は見てない振りなどいくらでもできますが、宮女長に見つかったら怒られますからね」
「その時はクローネ様も巻き込みます!」
「ふふっ。宮女長は私の言葉のほうを信じると思いますよ」
「酷いです~! クローネ様!」
「ごめんなさい。また私もお話に参加させてくださいね」
「もちろんです!」
その場にいた宮女達が異口同音に言うので、笑いながらクローネはその場を去る。
あの公務から数日、クローネの思惑以上に噂は何枚もの尾ひれがついて王都中を駆け巡っている。
王太子の移行も発表されて、ますます火がついたのだろう。
ユリアはそんな噂と貴族達の好奇の視線に耐え切れず、社交の場にも出ずに屋敷に引き籠っているようだ。
まあ、それは公爵夫人も同じことらしいが。
あの婚約破棄の場で、国王からの叱責をうけたヴェステン公爵と公爵夫人も貴族達の笑いの種らしく。
公爵はどうしても出席しなければいけないパーティーには顔を出しているようだが、針の筵状態。
公爵夫人はユリアを労わり、笑っている貴族達のほうが理不尽だとのたまわっている。
どうしてあんな夫婦にフェアシュタという、王妃になるために生まれてきた方ができたのか、疑問が湧いてくる。
自然の奇跡?
いや、神秘?
まあ考えても仕方がないと思いながら、フェアシュタに王妃から言付かった数冊の帝王学の本を運んでいると、騎士団員達が偶に休息に使っている王宮の離れの庭先に人影が見えてクローネは立ち止まった。
(あれは、)
先程話題に上っていた『残念美形』、『残念さん』パラスト・ツヴェルグともう一人。
騎士団の中で唯一の女性騎士であるアン・ローダンがいた。
面識はあるものの、きちんと話したことは一度もない。
ローダン男爵家の息女で、騎士団長からも女性ながらに認められる逸材だと聞いている。
庭のベンチに腰かけながら他愛無い話をしているようだ。
けれど、その二人の顔がほんのりと赤く染まっていることに気付いて、なるほどと思う。
お互いに意識し合っていることがわかる。
宮女には嫌だと言われていても、好きになってくれる女性がいるではないか。
けれど、確かアンは二十四歳。パラストは二十二歳。
アンはプライドが高い性格のようなので、告白はパラストの方からしないと恋の実りは難しそうだ。
今度、宮女達と話す時にネタにするのも悪くない。
宮女達の情報網はあなどれない。恩は売っておくに限る。
この時はそれしかクローネは思うことがなかった。
ヴェステン公爵家へと向かう馬車の中、フェアシュタは心ここにあらずといった様子で窓から慣れ親しんでいるだろう風景を眺めている。
王宮に滞在して数日、フェアシュタは一度公爵家へ戻りたいと国王と王妃に願い出た。
正直な所、今戻ってもあまりフェアシュタにとってよくないことは容易く想像できる。
もう少しいてもいいという国王の申し出を迷惑になりたくはないからと断り、クローネが公爵家まで見送ることとなったのだ。
自分の屋敷に帰るというのに、その顔は晴れない。
「フェアシュタ公爵令嬢様、大丈夫でございますか? 城に引き返しても国王陛下はなにも仰られないと思いますが」
「いいえ。やはり一度は帰らなければ。ユリアの様子も気がかりですから」
クローネがフェアシュタの決めたことに口を出せるはずもない。
ただ曇った顔がどうにか明るくならないかと考えてしまう。
ただ無意味に馬車に揺られる時間が過ぎ、公爵家の門をくぐる。
一旦はクローネも王宮へと戻るが、なにかあったら知らせが届くようにはしてあるし、ここは仕方がないと諦めて止まった馬車から先に降り、クローネはフェアシュタの手をとって馬車から降ろさせた。
「ありがとう。ではまたお城で会いましょう」
優雅に笑って玄関ホールへと消えてゆくフェアシュタを見送って、クローネは踵を返そうとしたが、なぜだか気になって足を止めてしまった。
早く立ち去ったほうが失礼ではないのだけれどと思いながら、時間にして五分も経っていない時だっただろうか。
屋敷からなにかが割れる音が響いて、メイドらしき数人の女性達の短い悲鳴が聞こえた瞬間にはクローネは走り出していた。
「失礼いたします!」
玄関ホールに立つ執事がなにかを言う前に押しのけて飛び込んだクローネは目を瞠った。
玄関ホールの階段で公爵夫人であるソルネ・ヴェステンが憤怒の表情で床に手をついているフェアシュタを睨みつけている。
近くにあった花瓶が割れて、フェアシュタの綺麗なドレスに水をしたたらせていた。
ゆっくりと顔を上げたフェアシュタは右頬を手で押さえている。
「フェアシュタ公爵令嬢様!?」
「なっ!? クローネ・オルクス!?」
その場にはヴェステン公爵もいた。
なのに娘に駆け寄ろうともせず、声を上げたクローネを驚いて見つめている。
クローネがフェアシュタに駆け寄ると、叩かれたであろう右の頬は赤くなっていた。
「早く冷やしましょう!」
「余計なことはしないで頂戴!」
かな切り声を出す公爵夫人に、持っていたハンカチをフェアシュタの頬にあてて、クローネは侮蔑を込めた目を向けた。
クローネのそんな態度が気に入らなかったようで、公爵夫人はクローネにも手を上げようとする。
だが、その手が振り下ろされる前に公爵によって止められた。
「やめろ! この子に手を上げたら私達はただではすまないぞ!」
「離して! 貴方はいったい誰の味方なのよ! ユリアが可愛くはないの!?」
喚き散らす公爵夫人に視線を移すことなく、フェアシュタはクローネに消え入りそうな声で「ごめんなさい」と呟く。
諦めた瞳と声。
クローネはフェアシュタの背をできるだけ優しく撫でた。
気休めにもならないが、フェアシュタのことを心配しているのだと伝えたくて。
そして、未だに押し問答を続ける夫妻を睨み据える。
「ヴェステン公爵様、これはどうしたことなのかご説明をお願いいただけないでしょうか? どうしてフェアシュタ公爵令嬢様がお母上である公爵夫人様にこのようなことをされているのか」
「そ、それは……」
「フェアシュタ公爵令嬢様は将来貴き御方になられる身です。その御方に理由もなしにこのようなことはなさらないでしょう。ご説明を」
「なにが貴きよ! 笑わせないで!」
「ソルネ!」
「ユリアがあんな根も葉もない噂で外にも出られなくなったというのに、姉である貴方は心配もせずに城で過ごしていたなんて! 貴方に妹を思う心はないの!」
口ごもる公爵とは対照的に公爵夫人は激昂にまかせてフェアシュタを罵ってくる。
笑わせないで?
それはどちらの台詞なのかわかっていない頭の弱さにクローネは笑い出してしまいそうになる。
おかしそうに口元を緩めたクローネに訝しむ公爵と公爵夫人にはなにも言わずに、フェアシュタをゆっくりと立ち上がらせた。
「勝手なことはしないでと言ったでしょう!」
「公爵夫人様、フェアシュタ公爵令嬢様も貴方様の娘でしょう? それなのにレクスィ殿下の婚約破棄から今に至るまでヴェステン公爵様含めて、お二人共ユリア公爵令嬢様のことしか考えておられない。はっきり言わせていただきますと、おかしいのは貴方がたです。それは国王陛下も王妃様も思っておられることです」
国王と王妃の名が出た途端、公爵夫人は今までの鬼気迫る顔から青い顔に変わってゆく。
それは公爵も同様で、額から汗が滲み出ている。
「ユリア公爵令嬢様のことですが、あれは自業自得というものです。小さなか弱い少女を突き飛ばしたのですよ? 無理矢理フェアシュタ公爵令嬢様についてこられての行動で、終いにはその場から逃げ出している始末。私も騎士の方々も皆呆れておりました」
「な、なんですって!?」
「事実しか私は申し上げておりません。もう少し周りを見ることを覚えたほうがよろしいかと。今日のことは国王陛下に報告させていただきます。フェアシュタ公爵令嬢様、参りましょう」
「ま、待ちなさい!」
フェアシュタを促して階段を降りようとするクローネの肩を掴もうとした公爵夫人だったが、簡単にすり抜けられて足を踏み外しそうになる。
「ソルネ!?」
それを必死に支えた公爵に振り返って一礼する。
「それではこれで失礼いたします」
二度とここには戻らせないほうがいいと国王に伝えなければいけない。
城へと引き返す道すがら、フェアシュタは何度もクローネに謝罪した。
なんとも思っていないと本心を話しているのに、フェアシュタの顔色は公爵家へ戻る前よりも悪くなっている。
あんな場面を見られて、公爵という爵位を賜っている父親を情けないと思う気持ちと、恥ずかしいという思いが混ざり合っているのだ。
これは戻ってからすぐに休ませて、ヴォールに知らせたほうがいいだろうと考えていた。
だが、城へと帰ったクローネ達をさらに衝撃が襲った。
フェアシュタを気遣いながら王宮に入った直後、顔見知りの宮女がクローネを見つけるなり血相を変えて飛んできた。
「クローネ様! フェアシュタ様! ヴォール殿下がお怪我を! レクスィ殿下に斬りつけられて!」
目を見開いたのと同時に、あまりの衝撃的な内容のせいでフェアシュタの体が崩れ落ちた。
「フェアシュタ公爵令嬢様!」
宮女も慌ててフェアシュタを支えるが、その体からは力そのものが失われている気がした。
「我が君のご容態は!?」
「命に別状はないとのことですが、何針か腕を縫われたようです」
それを聞いて安堵するものの、ともかくフェアシュタを休ませてヴォールの元に一刻も早く向かわなければいけない。
なにがあったのか把握が全くできていないのだから。
「クローネさん……わたくしのことは構いませんから、ヴォール殿下の元へ……」
「いけません。今のフェアシュタ公爵令嬢様を放って我が君の元へ駆けつければ、それこそ我が君に叱られてしまいます。フェアシュタ公爵令嬢様、休みましょう。疲れをとるために」
クローネが務めて優しく出した声に安心したのか、フェアシュタは頷いてクローネに身を預けてくれた。
フェアシュタを後宮の部屋まで送り届け、ベッドに入るまで確認してほしいと宮女に伝えてクローネは急いでヴォールの元に駆けつけた。
扉を開けたままにして、近づく。
すでに治療を終えていたヴォールは自室のベッドに横になっていた。
左腕には包帯が巻かれ、顔にもところどころ切り傷がある。
「我が君……!」
「クローネか。心配をかけてすまない。フェアシュタ嬢は大丈夫だったか?」
ベッドから体を起こしたヴォールは、いつも通りの笑顔を見せてくれる。
それが痛々しい。
クローネは顔をしかめた後、緩く首を横に振った。
フェアシュタのことで嘘をつくつもりは毛頭ないし、国王と王妃にもこれから報告をしなければいけない。
本当は後宮を出た後、すぐに報告をと国王のいる仕事場になっている応接間に向かおうとしたが、この事態をうけて宰相他数名と話し合いをしていると言われて、後にすることにしたのだ。
「そうか……。フェアシュタ嬢は城へ連れ帰っているのだろう?」
「はい。今はお疲れのご様子だったのでお休みいただいております。帰ってきた直後にこの話を聞いたせいで、色々と無理をなさっていたものが保てなくなってしまわれたのでしょう」
「そうだな。フェアシュタ嬢はいつも無理ばかりをしている。今は僕を見てくれようと頑張ってくれていることが嬉しくもあり、複雑でもある。聞いているのだろう? クローネ」
左腕を軽く持ち上げるヴォールにクローネは頷いた。
「詳細をお聞きしてもよろしいですか? お嫌でしたら国王陛下にお伺いいたしますが」
「嫌でも絶対にクローネは聞きだすだろう。あの手この手で。昔からよくまあ色々と考えつくなと感心しするよ。…………今日、兄上に会ったんだ。宰相と一緒に。正直な所、兄上ならば反省して自分がどんなに大変なことをしたのか理解していると思っていたんだ」
「違ったのですね」
「ああ……。どうして謹慎という処分がくだされたのかもわかってはいなかった。宰相に詰め寄って詰る姿は本当に兄上かと疑いたくなったほどだ。あの婚約破棄の一件は一時の気の迷いだと、僕はどこかでそう思っていたんだな」
ヴォールにとって兄であるレクスィは憧れであり、尊敬する人物だった。
勉学にも剣術にも秀でて、周りから良き王となると言われていたし、それを疑う者などいなかった。
フェアシュタが慕うのも無理はない。
ヴォールの叶わない恋は、それでも二人が歩む未来を思い描けば苦しいことなどなかったのに。
「兄上の言われた言葉に僕が掴みかかってしまったんだ……。どうしても、許せなかった……!」
「なにを仰られたのですか?」
「…………『婚約を破棄してもなにも問題はなかったはずだ。どうしてもと父上が言うならフェアシュタを側妃にすればいいだけだ』と……! 『ああ! ヴォールはフェアシュタが好きだったな。だったらヴォールと結婚して王宮に共にいてユリアに王妃の仕事を教えればいいだろう』……!」
ぶるぶると怒りと兄への情けなさで震える両手をきつく結び、口から絞り出す言葉はクローネの体を冷たくさせた。
涙を懸命に堪えるヴォールの姿が、ブリューテ興国に来た日を思い出させた。
クローネを庇い、必死で両手を広げて守ろうとしてくれた幼い体が、生きる糧を与えてくれて。
(もう一回、痛い目をみたほうがいいのでしょうね)
泣かれる所を見られたくはないだろうと後ろを向いたクローネの目には生気がなく。
なのに口の端は弧を描いていた。
ヴォールが落ち着くまで部屋の隅にいたクローネは、ヴォールが休むのを宮女とともに確認して、退出した。
王宮内が婚約破棄の時以上に騒がしい。
それでも、きっとあそこは誰かがまだいるはずだと、いや、目的の人物がいるはずだという確信がクローネにはあった。
騎士団の演習場に入ると、かなりの人数の騎士達が夜も迫っているというのに帰らずに稽古をしていた。
きっと今日の出来事があって、中々帰る気にはなれないのだろう。
二階から下の演習場を見廻して、すぐに探していた人物を発見することができた。
けれど、稽古をするでもなく、その人物はベンチに座ったまま。
おおかたレクスィの今日しでかしたことでも考えて、ユリアを心配しているのだろう。
下に降りようとクローネが階段に行くよりも先に、その人物・パルツはいきなり後ろから蹴り飛ばされて、ベンチから転がり落ちた。
「稽古をせぬのなら、とっとと帰らんか! この愚息が!」
パルツを蹴ったのはブリューテ興国騎士団長でパルツの父親であるシュトム・フェアレーター伯爵だった。
がっちりとした筋肉に高い身長。
男らしい寡黙な容姿をしている騎士団長と、整い過ぎた容姿をしているパルツはあまり似ていない。
外見はどうやら母親似であるらしく、美女と野獣の夫婦と社交界では言われていた。
「なっ!? なにするんだよっ!?」
怒りを全面に押し出す騎士団長に食って掛かかろうとしたパルツだったが、騎士団長の背後に控えていたパラストの存在に気づいて眉をしかめた。
「いつになったら正気に返るのかと思っておったというのに、まったく戻る気配もない。勝手に騎士団を動かす権限など与えておらぬのにユリア嬢の護衛に付き従わせるバカなことをしおって。その上、その際に訪れた孤児院で子供達を睨む始末。孤児院から後で、そのことに関してだけ苦情が入っておったわ」
「あれは! 体の弱いユリアに泥のついた手なんかで触れようとするから!」
「バカもん! 子供にそんなことがわかるはずがなかろう!」
「けれど、ユリアは震えて、」
「ユリア公爵令嬢様を呼び捨てにするのはおやめください」
パルツの言葉を遮って、降りてきたクローネは言い切った。
騎士団員がひしめき合う演習場だというのにクローネの声は響き渡り、辺りを静まらせる。
「ユリア公爵令嬢様はいずれレクスィ殿下の妃となられる御方です。親しいからといっても礼儀というものがございます」
「クローネ殿か」
「フェアレーター騎士団長、お邪魔しております」
すかさずクローネが礼をとれば、かまわないと返答が返ってくる。
そのまま騎士団長と話し出そうとしたクローネの腕を、パルツは強引に掴んだ。
「お前如きにとやかく言われる筋合いなどない。どこの馬の骨ともしれない平民風情が」
それは騎士団員の中にもいる平民達の顔色を変えるのに充分な言葉だった。
騎士団長とパラストの顔色も変わっている。主に怒りで。
「事実を述べたまでです。この事実に平民か否かは関係がありません。それと、もう一つご忠告申し上げておきます。ユリア公爵令嬢様にあまり近づくのもおやめになったほうがいいかと。結婚前の男女なのですから、そういう関係ではないのに誤解を招くような振る舞いは慎まれるべきでしょう」
「うるさい! ヴォール殿下の愛人であるお前に言われたくなどない!」
ざわりと場がざわめく。
ヴォールの愛人。
陰でそう囁かれていることは知っていた。
平民であるクローネが王宮で、国王や王妃にも認められていることを嫉妬する輩の虚言。
それを鵜呑みにする者はアホぐらいだろうと思っていたが。
「そんな噂が流れているのは知っておりましたが、本気にする者はいないと思っておりました。それは我が君を侮辱するのと同じこと。まさかここまで頭が足りない方だとは思いもよりませんでした」
心底呆れたと態度で示すと、カッとなったのか、パルツが剣を抜こうとしたが、抜く前にその手は叩き落された。
騎士団長によって。
「ここまで愚かだったとは! 女性に手を上げるなどもってのほか! お前は騎士団でいったいなにを学んできたのだ!」
「っ、父上!」
「もうお前とは父でも子でもない! 勘当する! 騎士団からも除名するので、そのつもりでいろ! お前の変わりなどいくらでもいる!」
衝撃をうけたパルツだったが、騎士団員からの冷めた視線に気付いて、唇を噛んで演習場から飛び出して行った。
「すまなかったな。クローネ殿」
「いいえ。ですがよろしかったのですか? 勘当など」
「もうあれになにを言っても無駄だ。騎士団の名と家名を汚さないためにも、早々に切り捨てたほうがよいのだ」
前々から考えていたのだろう。
苦渋に満ちた顔で話す騎士団長を見ながら、クローネは駒ができあがったのを知り、笑いを堪えていた。
(いらないのですから、なにも問題なく使わせていただきますね)
こんな時、平静を装いながら話すのは疲れる作業だが、仕方ないと思っていた。
グキっという変な音が聞こえて、その方向に目をやれば、なぜだか片足を捻ったパラストが悲鳴を上げていた。
またかと騎士団長が目で語っている。
捻った足を押さえようとして体勢を崩したパラストは後ろに転げた。
「ぐえっ!?」
頭をもろに打ったせいで奇妙な声を出して、おかしな体制でぴくぴくと体を痙攣させるパラストを見て、クローネは我慢がどうしてもできなかった。
「ぶはっ!」
最初に会った時から、この人は本当に残念過ぎる。
笑う状況でないところで笑わしてくれるから厄介だ。
しかもクローネが笑いを堪えている時だから、なおさら。
笑い過ぎて目尻に涙が溜まる。
「驚いたな。そんな風に笑うクローネ殿は初めて見たぞ」
息子を勘当した直後だというのに、パラストの行動のせいか、笑うクローネが異質に捉えられることはなく。
「すみません。笑い過ぎてしまいました。ちゃんとしたご挨拶がまだでしたね。私はクローネ・オルクスと申します。ヴォール殿下の侍従をしております」
「パ、パラスト・ツヴェルグです。よろしくお願いします。それにしても笑い過ぎではないですか?」
手を差し出してきたパラストに、まだ笑いながら、すみませんと返そうとしたのだが、手を握る直前に捻った足を恥ずかしかったのか無理に普通に歩こうとして再度捻り、またまた転がった。
お腹を抱えて笑うのを堪えきれなかった。
そんなクローネを見て、密かにクローネに憧れている騎士団員からパラストが攻撃されるのは、すぐ後のこと。
クローネとパラストを遠くから不安気に見ているアンがいたことにクローネは気がついていた。
国王に報告ができたのは深夜を回ってからだった。
けれど、慌ただしく行き来を繰り返す宰相達がいては本音で話せるはずもなく、簡単な報告だけで済ませて早々にクローネは自室に帰った。
フェアシュタのことはヴェステン公爵のことも考えて、国王の弟君であるエアースト公爵の養女にすることを検討すると国王は話していた。
けれど、エアースト公爵の名を出した時点で、ほぼ国王の中で決定事項なのだと予測できる。
国王の元を去る際、いずれ手紙で詳細は報告する旨を伝えると、見たくないという顔をされた。
だから世間話のように「それと、欲しいものができました。今回は人ですよ。普通に言えば好意を抱いたからでしょうか」と告げた時の国王の顔は今までに見たことがない、間の抜けた顔をしていた。
そう。欲しくなった。
あの、残念さんが。
あの人がいれば自分がどこで笑っていようと不自然に思われない。
なんて便利なんだろう。
(色々と面倒なことは多いけど、手に入れよう。でも、まずは)
赤いダイスのネックレスを鏡台の前に置いて、転がしながら笑う。
鏡に映るクローネは無機質な瞳で、笑い続けている。
(いらないと言われた人の有効活用。さあ、逃げ道をあげるから足掻いてみせて)
振ったダイスの目は三と出て、月明かりに見える数字に楽しげにクローネは笑い続けた。
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