菜の花散華

了本 羊

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番外編

道化師《ピエロ》は菜の花の花束を抱えて歩く 5

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滞在している高級ホテルの特別フロア、エグゼクティブルームのスウィートで、菜月はデッサン帳に絶えずペンを奔らせながらも手を休める度にため息を吐いていた。
 手を動かしてはため息を吐いて、の繰り返しに、呆れたように声が聞こえた。


 「なっちゃん、手を止める度にため息を吐くの止めたら? 幸せが逃げるわよ」


 風呂上りであろう湿った髪と首に長いタオルをかけ、常にないラフな服装をした千咲が、菜月を見ていた。


 「・・・・・・昼間会った、心結さんのことを考えると」


ジロリ、と千咲を見ると、素早く視線を逸らす。こういったところは逃げるのが上手い、と常日頃から菜月は思う。


 「絶ッッ対に! 私と千咲さんのせいですよね、あれ?」
 「・・・まさか、そういった動きが起きるなんて思ってなかったのよ」


 本当に珍しく罰の悪そうな雰囲気の千咲に菜月もこれ以上の追求は止め、手の中でペンを弄びながら、天井を見上げる。





 数ヶ月前、世界的に認められた筒井画伯のただ一人の弟子として、菜月がどうしても参加しなければならないパーティーが日本で行われた。
そこには菜月とは実の姉妹である双子の妹の坂元灯里、灯里の婚約者である大佐和湊斗、灯里の幼馴染である柴田壮、天利琴羽、福邊ふくべ高良たからも参加していた。
ハッキリ言って、菜月には双子の妹に対しても元友人だった者達に対しても今更何の感慨も湧かないほどに情などなかった。
 本当の両親の事情を知らない灯里と、実父である筒井暁の絵の才能と変人気質を受け継ぎ、両親の事情をすべて知っている菜月とでは、根本から価値観が違っていたというだけのことである。



 菜月を傷付けた過去は、全員の人生にそれなりの影響を及ぼしたようだが、そんなのは菜月には何の関係もない。何事も起きなければそれでいい。
そう考えてパーティーに出席したのに、灯里と幼馴染達は、出会った瞬間にやらかしてくれた。



 灯里と大佐和が話しかけてきたのはまだいい。
 菜月の妹とその婚約者。
 過去にどんなことがあろうと、社交では笑顔で応対出来なくてはいけない。
そういえば、まだ婚約のお祝いを伝えていなかったことを思い出し、


 「おめでとう」


と伝えた途端、灯里の顔が輝いた。
 最初は、絶縁状態になっていた姉からお祝いされた嬉しさからだと思っていた。事実、それもあっただろう。
しかし、灯里や幼馴染達の考えは、菜月の斜め上をいっていた。


 「これからは、また昔みたいに仲良くしようね! 二人っきりの姉妹なんだし」


 無言になってしまった菜月に構うことなく、灯里と大佐和は笑顔で会話を続け。


 「結婚式には、親族として参列してくれたら嬉しい」


とまでのたまった。顔が引き攣らないように気を付け、


 「仕事が忙しいから、そういったことは無理だな」


と菜月は言外に


「貴方方と付き合いたくなんてありません」


と匂わしたのだが、灯里は涙ぐみ、


 「・・・まだ、許してもらえないのかな?」


と口にした。・・・・・・許すとか許さないの問題ではないのだが。
そう菜月が思い、頭痛を堪えているのに、大佐和は菜月を睨み付け、周囲はまるで、菜月を悪者のような雰囲気に仕立て上げていた。



そんなタイミングで何故か現れた柴田は、菜月に突然プロポーズしてきた。
 今度こそ、菜月は、


 「はあ?」


と言葉が口から洩れていた。


 「中学生の時の責任をとりたい」
 「再会して、本当は菜月のことを真剣に好きだったことを自覚したんだ」






まるで三文芝居でも見ているかのようだった。
 昔から傍観者に徹していた福邊は場を盛り上げ、灯里はとても喜ばしいことのように破顔していた。ただ一人、天利だけは、菜月を只管睨み付けていた。
・・・・・・そちらのほうがまだマシだった。



もうこれは、キレてもいい? いいよね? 
そんなことを考えていた菜月を助けたのは千咲だった。菜月の身体を後ろから抱き締め、殊更仲の良さをアピールし、お互いが婚約者同士であることを口にする。


 絶妙なタイミング、ありがとう! 


と千咲に対して珍しく感謝の気持ちで一杯になった。
 周囲は唖然としていたが、逸早く立ち直った柴田が、千咲の出自や何やらを問い正し、生まれが卑しい、とまで口にした。


 「ふざけんな」


 流石にキレた菜月が放った一言は、声は大きくないのに、周囲の人間達に静寂を与えた。
そこに新たに登場したのが世界的な大富豪であり、世界規模の会社を幾つも経営する菜月の後見人のザッカリー・ジェイコブ。
 元々菜月と千咲の婚約は、ジェイコブが正式に認めたもの。それを罵倒し、侮辱するということは、ジェイコブを侮辱することに等しい。



それを知った灯里や幼馴染達の親族は、ジェイコブに謝罪しようとしたが、一刀両断されてしまった。


 「謝る相手が違うでしょう。貴方方は一体ご子息やご息女にどんな教育を施されてきたんでしょうか? ああ、言い訳は結構。ワタクシはミス眞藤を実の娘同然に可愛がっています。昔のことも、水に流したわけではなく、ミス眞藤が事を荒立てたくない、と言ったからですよ。しかし、流石に二度目は許容出来ない。今後、ミス眞藤を傷付けた者、中傷した者、自分勝手な我儘を押しつけた者は、過去現在関係なく、商談を見合わせていただく」


ジェイコブの放った刃は強烈を通り越して、苛烈だった。
 実父である暁の最大のスポンサーであるジェイコブは、愛妻家で家族をとても大事にし、また懐に入れた者達も守り抜くことで有名であり、その反面、敵と見なした者には遠慮容赦というものがないことでも有名だ。
 敏腕の実業家でありながら、世界中に多くの信奉者を抱えているジェイコブを怒らせることは、実質、家柄や経営等々には死刑宣告にも等しい。


 「ああ、坂元家と大佐和家はその対象から外しましょう。仮にもミス眞藤の血縁者ですからね」


 慈悲をかけられた、と思うかもしれないが、実はこれ、まったくの慈悲ではなく、悪意そのものからきている発言である。
 発端であり、騒動のキッカケにもなったのは灯里と大佐和である。
ジェイコブから睨まれる未来は消えても、余波を受けた諸々からの冷たい目は避けきれない。
まあ、菜月がお世話になっていた前坂元家当主夫妻は隠居し、現在は悠々自適の海外生活を送っているので、菜月的にはなんら不都合はないのだ。



 騒然とした会場内から避難する際、千咲が柴田に何言かを耳元で囁き、柴田は真っ青になって床にへたり込んでしまった。
・・・何を言ったのか、今もって教えてくれないのが唯一の不安である。






そんな渦中で拾い玉に当たりたくない各家々は、己が家や会社を守る方針をとっているのだろう。
それが心結に負担を強いているのならば、やはり罪悪感が募ってしまう。
でも・・・。


 「・・・・・・心結さん、絶対に本当のことは話してなかったですよねぇ」
 「まあね。あれはパーティー後の騒動や自分の結婚に関することに対しては、そこまで重要視していないって感じだったし」


 膝を抱えてデッサン帳を何もせずに見つめる菜月の隣に、千咲は腰を降ろす。


 「どうしたの?」
 「・・・・・・・・・心結さん、お母さんに似てるんですよね」


 千咲は何も言わずに、菜月の頭を自分の肩に引き寄せ、寄り掛からせる。


 「・・・心結さんは、夢の世界に行かなくてもいい幸せを掴んでほしいなぁ」
 「幸せの定義なんて、千差万別よ。なっちゃんがそれを証明してるじゃない」


 千咲の顔をチラリと見て、菜月はクスリ、と笑う。


 「そうでした」




この数十分後、菜月の元に心結からメールが届くこととなる。






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