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番外編
道化師《ピエロ》は菜の花の花束を抱えて歩く 1
しおりを挟む『僕の本命は心結だよ。どれだけ他の女性と関係を持ったとしても』
・・・・・・おかしいよね。そんな酷い言葉を笑顔で言われた時が一番穏やかで幸せな時間の中だったなんて。
有名な筒井画伯の展覧会にやって来て、既に何時間が経過したのか覚えていない。
筒井画伯の代表作、『菜の花畑』の絵画が見えるソファに座り込み、ボンヤリとしていた。筒井画伯の絵は、本当に様々な形で見る人の心を揺さぶっていると思う。
「大丈夫ですか?」
突然声を掛けられ、声のほうに振り向いても誰もおらず、首を傾げ、何気なく目線を下に下げた心結の目に・・・。
「朝早くからいらしていますけど、顔色が良くないですよ?」
ソファの肘掛けに頭をのせて心結を見つめる美少女が居た。思わず叫び声を上げそうになった。が、美少女の頭を叩く手がそれを防いだ。
「なにしてるのよ。そんな恰好で話しかけたら皆驚くわよ」
呆れた声は明らかに男性のものであったが、口調は女性。しかし、目の前に居るのは人間離れした美貌を輝かせて人目を引いてはいるが男性。
叩かれた美少女は、これから大人の女性の階段を上っていくだろうアンバランスな妖艶さを合わせ持ち、どこか儚げな雰囲気を持ちながらも、目に眩しいキラキラとした容姿をしていて、二人が居る場所だけ、別世界のように感じてしまう。
叩かれた頭を擦っている美少女は、立ち上がると、心結に再度話しかけてくる。
「朝から、あの絵ばかり眺めてますよね。でも、好きというよりは、ボンヤリしているようで、気になっていたんです」
この少女は人をよく見ているのだろう。思わず苦笑が零れてしまうのは致し方がないだろう。
「ありがとう。少し考え込んでしまっていて。筒井画伯の絵を見たら気分も変わるんじゃないかと思って寄ってみたんだけど・・・」
「駄目でしたか?」
純粋に首を傾げる少女の姿は何だか愛らしい。
自分の妹とは大違いだと心結は思いつつ、率直な意見を言葉にしていた。
「わたしは、筒井画伯のお弟子さんである、眞藤画家のほうが好きですね」
タッチはとてもよく似ている師弟ではあるが、持つ感性や雰囲気は、やはり違う。
そんなことをツラツラと考えていた心結は、少女が再度ソファの肘掛けに顔まで突っ伏している姿を見て、首を傾げる。
「あの・・・?」
「よかったじゃないの、なっちゃん。なっちゃんのファンですって」
オネエ口調の男性が、とても優しげで愛おしそうな目と声で、少女の頭を撫でている。
「え?」
「す、すみません・・・。申し遅れました。私、筒井画伯の弟子の眞藤菜月と言います」
顔を上げた少女、菜月は真っ赤な顔で心結に挨拶をし、心結は今度こそ驚きで大きな声を上げてしまった。
展覧会の会場内にある関係者専用の個室で、心結、と菜月、千咲と名乗った男性三人でお茶を飲んでいた。
「すみませんでした。大きな声を上げてしまって・・・」
「いえいえ。純粋に嬉しかったです」
ニコニコと屈託なく笑う菜月という少女は、確か今年で十九歳だったはず。自分もこんな家族がいたら、こんなにも色々なことで悩んでいなかったのかもしれない。
どこか不思議な雰囲気を纏ったファンである画家の少女と同じ人間だとは思えない美貌の、何故かオネエ言葉の男性に、気付けば心結は心の奥底にあることを話し始めてしまっていた。
「・・・・・・今、私の結婚の話が出ているんです」
「あら、おめでたいじゃない。それなのに、顔色は良くないのね? 嫌だったり、望んでない相手、とか?」
「いえ、恋人です」
心結の言葉に、菜月がわからない、というように首を捻る。
「・・・恋人・・・、なのかな? わたしはその人だけなんですけど、相手は、「わたしが本命」と言いながら浮気ばかりしてるんです」
「「うわっ、最低!」」
二人の異口同音に重なった言葉に、苦笑いしか浮かばない。
「あれ? でも、結婚の話となると、家族や周囲も関わってきますよね?」
やはり菜月は勘がいい。
「確かに恋人で、結婚話は出ているんですが・・・・・・。両親は、妹のほうと結婚させたいみたいなんですよ・・・」
「どうして? 可愛い娘を、そんな浮気男にくれてやることないじゃない」
確かに一般的な親の思考からすればそうだろう。オマケに、上の娘の恋人に、下の娘をあてがうなど、聞いたこともない。だが。
「わたしの家は古くからある旧家でして、恋人とも幼馴染同然に育ったんです。恋人の家は資産家で、会社経営もしているので、個人の意思などは二の次・・・、なんですよね」
昨今は恋愛結婚ばかりに目がいくが、家のことが絡んでくると、まだまだ政略的な結婚や婚約というものは実在する。
「・・・・・・心結さんのご両親は、妹さんのほうが可愛い、とかいう親なんですか?」
眉根を寄せて遠慮がちに訊いてくる菜月の言葉は本当に的を射ており、思わず素直に笑いが込み上げてきてしまう。
「菜月さんの想像通りの親だと思って下さって大丈夫ですよ。妹は一歳違いなだけなんですけれど、わたしと違って、容姿も頭もすべてにおいて抜きん出てるんです」
目の前にいる二人には到底敵わないだろうけれど、という言葉は呑み込んでおく。
「心結さんも充分魅力的ですよ?」
「そうよねぇ、上流階級でもちょっとお目にかかれないぐらいの素材の持ち主よね」
まるでツーカーな二人と話していると、何だか心が軽くなっていくようだ。
「それでも妹のほうが人目を惹くんです」
「・・・う~ん。でも、家同士の結婚なら、言葉は悪いですけれど現在進行形かはわかりませんが、恋人のほうがよいですし、そこまで急ぐ必要はないんじゃないでしょうか?」
「少し前まではそうだったんですけれど・・・」
「何か面倒な問題でも起きた、とかかしら?」
「はい。数ヶ月前のジェイコブ氏と日本の政界人の方が主催されたパーティーで、名家に連なる坂元家と大佐和家に纏わるスキャンダルが起きまして」
「「ぶふっ!」」
心結の言葉が終わるか終らない微妙な合間に、菜月と千咲が飲んでいるお茶を吹き出しかけた。
「だ、大丈夫ですか?!」
「だ、だいじょう・・・ぶっ、ですッ。つ、つづっき・・・を・・・ッ」
口元をハンカチで押さえながらも、続きを促してくる二人の姿に途惑いつつ、心結は口を開く。
「スキャンダルといっても、坂元家や大佐和家にはそこまで打撃はいかなかったらしいんです。ただ、ご婚約をされた両家の子息と息女が、とても酷い落ちこみようだったらしく、元々の騒動を起こした、子息と息女のご学友時代の家のほうに色々と飛び火したらしくて。今現在、纏められる縁談や良いことは纏めてしまって、備えておこう、みたいになっているらしいんです」
話を聞き終えた菜月と千咲の表情は、何故かとても微妙な顔付きだった。
「・・・それで、可愛い娘のほうの縁談を先に纏めてしまおう、と?」
「そんなところです」
「・・・あんまり口出ししたくはないけど、世間に顔向け出来る親ではないわねぇ」
率直な意見に、今度こそ笑い声を上げてしまう。そんな心結を訝しむこともなく、口元に苦笑いを浮かべると、菜月はカバンから名刺ケースを取り出し、名刺を一枚取り、裏側に素早くペンを奔らせ、その名刺を心結に差し出す。
「私、展覧会までの三ヶ月間は日本に滞在していますので、またお時間がある時にでもお話したいです」
「え?! でも、お忙しいでしょう?」
「師匠の展覧会なだけで、私はお披露目みたいなもので、付き添い同然ですから」
とても迷ったが、心結は有難くその名刺を受け取ることにした。
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