【原版】猛毒の子守唄

了本 羊

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第十二話

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五日後。
 寝台からようやく起き上がれる許可を貰ったヒイシは、朝早くから侍女と騎士一人ずつに先導され、王宮内のとある部屋に向かっていた。
 客間の一つに入り、本棚から騎士が一冊の本を抜き取ると、隠し通路が現れる。
 侍女が先導し、騎士がヒイシの後に付き、階段を下っていく。
 王宮には必須の隠し通路なのだろうとヒイシは思う。
 大分進んだ先で、重厚な扉が立ち塞がった。
 侍女の手によって開かれた扉の部屋には、王宮内に置かれた調度品と変わらない質の物が適度に置かれ、中央には長椅子とテーブル、壁には大きな絵画が掛けられている。
その絵画を一人の少女が見上げていた。
ヒイシには後ろ姿しかわからないが、美しい青い髪が照明に反射して輝く。
 扉が閉じられる音にようやく我に返ったのか、少女が振り向く。

 少女の姿をその瞳に移したヒイシは、まるで幻想の中を揺蕩うような錯覚を覚えた。
 腰以上までの真っ青な髪は艶やかで、瞳は空の色をしている。光に透ける柔らかな髪質にピーチブロッサムのふっくらした唇。手折れてしまいそうな華奢な体躯に白い肌に細長い手足。整ったパーツの花顔の美しさを湛えた容貌。
 幼さと無邪気さを内封した雰囲気を湛えながら、蜃気楼のような浮世離れした存在感を身に纏う少女は、バズが口にしていた通り「海の女神」なのだろう。
しかし、ヒイシは別の印象を持った。

 (人魚姫だ……)

ロウヒという少女も、ヒイシを見て目を瞠り、身体を動かせずにいる。
そんな空気を破ったのは、侍女の長椅子へと誘う声だった。
 絵画を目の前に隣り合わせに座ったものの、何を話せば良いのかわからない。
 侍女はお茶の用意をすると、合図があるまで外に出てはいけないという旨を伝え、退室していく。
 「……初めまして。私はヒイシ・アルリア・シュターレンと申します。ロウヒ様……ですよね?」
 何時までも会話もしないままでは気不味い空気のままだ。今日一日はこの部屋で隠れていなければならないかもしれないのに。
 「あ………。わ、私は、ロウヒ・ミステリステと申します」
ヒイシの自己紹介に、ロウヒは緊張しながらも名前を名乗る。三つの名前を持つのは特別な理由がない限り王侯貴族に限られる。
 「陛下がお選びになられた花嫁様、ですよね」
 「わ、私もお名前は存じ上げておりました。ヒイシ様」
ロウヒの腕にはヒイシと同じく、婚約用のブレスレットが光っている。
 石はペリドット、サファイア、パライバトルマリン、ヘミモファイトだ。
 「そんなに緊張なさらなくても大丈夫ですよ。私は没落した皇族ですから、敬意を払う必要はありませんし」
 「で、でも……」
 「皇族といっても、ほぼ軟禁されていた生活なのでそれすらも妖しいですけれど」
ロウヒの瞳が見開かれるのを、ゆっくりと観察しながらヒイシは口を開く。
 「それに、恐らくはお互い此処に居る理由は同じですし」
 「え?」
 「……自ら花嫁になるのと無理矢理とでは、大きく異なりますから」
ヒイシは静かな口調で語り、一口お茶を飲む。
 傍らのロウヒの目からは、止めどなく涙が零れ落ちては床に滴っている。
ヒイシはロウヒの頭を両手で包み込むと、背中を優しく撫で擦る。
ロウヒの嗚咽がおさまるまで寄り添い、ポツリポツリと此処に至るまでの経緯を話すロウヒの言葉を、焦らせずにゆっくりと訊きだしていく。



ロウヒがミスラの兄であるアトリアと出会ったのは、属国の島国で、上陸寸前のアトリアが乗る船が海賊に襲われていたらしい。
もちろん護衛の騎士達がたくさん乗船していたために圧倒的に戦闘においては有利だったらしいが、その戦闘中、誤ってアトリアが船から海に落ちてしまった場面をロウヒは見ていた。
 島民達は戦闘の雄叫びや大砲の音などに怯え、各々の家に引き籠っていたらしいが、ロウヒは運悪く海での貝採りに出ていて、急いで海の近くにある茂みに隠れていたそうなのだ。
 考えもなしに思わず海に飛び込んでしまう辺り、ロウヒはとてもお人好しなのだろう。
 海中でアトリアの腕を引き、慌てふためく騎士の一人に任せて再び島へと戻り、そこで終わったはず……だった。

ロウヒという少女は生まれながらに島民達とは髪や瞳の色がまったく異なり、異端扱いを受けて成長した。
 見たことのない容姿の美しさも、その異端扱いに拍車をかけていたのかもしれない。
ロウヒの美しさに魅入られた者はロウヒを欲し、幼い頃は周囲で常に諍いが絶えることはなかったという。
 島の領主が仕方なくロウヒを厳重な鍵のかかった錆びれた教会に閉じ込めた。
 必要最低限の生活が出来るものは揃っていたが、食糧はいつか尽きてしまう。
 領主はロウヒが死ぬことを願っていたのだろう。
だが、ロウヒは生きていくための知恵を自ら身に付け、教会の地下水路から海へと出て、毎日の食料などを確保していた。
あのミスラの兄であるアトリアがロウヒを見逃すはずなどない。
 数日後、いきなり大きな破壊音がしたかと思うと、教会の檻や鍵は壊され、アトリアがロウヒを連れ出し、無理矢理伴侶として定めてしまったのだ。



そこまで聞き終えたヒイシは、何とも言えないため息が零れてしまうのを抑えきれなかった。
よくまあこれだけ似通った状況と日時で兄弟が自分勝手に決めた伴侶と出会うものだ。
ヒイシはロウヒの話を聞き終えると、今度は自分のことを包み隠さず話し始めた。
 故国のこと。両親のこと。ミスラと出会った経緯、己の異能すべてを。
ロウヒは信じられない話の内容についていくことが精一杯のようであった。
それでもヒイシが話すことを決めたのは、何も同じ境遇だから、というわけではない。
ロウヒもまた、ヒイシにとっては「見通せない者」であるとわかったからだ。
 本当にまったく、何の因果か知らないが、ややこしいことこの上ない。
 話が終わると、暫しお互い無言で宙を見つめていた。
 「……花売りのバズという少女には会いましたか?」
どれくらいの時間ボンヤリとしていたのかわからないが、ふと、ヒイシはロウヒに尋ねてみた。
 「あ、はい……。とても良い子です」
そんな会話をしていることが何だか可笑しくて、思わず顔を見合わせて笑ってしまう。
と、何か騒がしい声のようなものが響く。気のせいかとも思ったが、音は小さいが響き続けている。
 「な、なんでしょうか?」
 怖々と辺りを見回すロウヒとは別に、ヒイシはもしかしてと思い、絵画の前に立つと、絵画を両手で横に押す。
すると簡単に絵画は横に移動し、何もない壁が現れた。
が。
 「何故我々がこのような扱いを受けねばならないのだ!?」
いきなり壁の向こうから響いた男の怒声に、ヒイシとロウヒは耳を押さえる。
 「い、一体……?」
 未だに響いている怒声と、その怒声を制止するような声の言い合いに、何もない壁を見つめながらロウヒは呟く。
 「恐らく、この壁の向こうが謁見の間なのですよ。他国の謁見の間に入れない者達のために、この部屋が造られたんです。絵画は音を遮断している役目を担っているんでしょう。王族や皇族の城には、割とこのような造りのものが多いですから」
 「な、なるほど……」
それにしても喧しい。
 「……属国であろうとも、貴方方は重要な要職に就く者達のはず。何と見苦しい」
ミスラの声がうるさい音に掻き消されずに響いて聞こえる。
 「まったくだ。しかもシャルナの宰相まで加担していたとは」
ミスラとそっくりのこの声はアトリアのものなのだろう。
それにしても……とヒイシは眉根を寄せる。
シャルナとは、ジルベスタンの属国でも二番目に大きな国である。そんな国の宰相が関わっていたとは……。何も知らなかった王や重鎮達はさぞ戦々恐々としていることであろう。
 「心外でございますなぁ。ワタクシはただ、王家の血を受け継ぐとはいえ、庶子が治めている国の属国から、祖国を救うために行動したまでのこと」
ミスラとアトリアという最悪の二人の兄弟を前にしているのに、シャルナ国の宰相には、怯えも恐れもなく、騎士達や重鎮達の前であるというのに、国王を貶している。
 「無礼な!」
 「陛下と閣下になんたる非礼を!」
 憤った声が飛び交う中でも、シャルナ国の宰相は余裕を失っていないように思える。
 「……陛下、閣下。どうやらこの者は、何か言いたいことがあるのではないでしょうか?」
ミスラとアトリアのすぐ傍から、別の男の声が聞こえる。
この声の主はアトリアと共に長く視察に出掛けていたという将軍のサイ・スーナタリア・アンサイクロなのだろう。
 確かミスラとアトリアとは幼馴染で、同い年の二十六歳で将軍の地位に就いた強者、と聞いた覚えがある。
 「言いたいこと?」
 「ワタクシが何も知らないとでもお思いですか、陛下、閣下? いえ、この場合は、閣下を陛下、とお呼びしたほうが宜しいのでしょう。双子だからと入れ替わっては責務を交替し合うのは如何なものか」
 思わずヒイシとロウヒはお互いの顔を凝視し合ってしまった。
シャルナ国の宰相が言っていることは、すなわちずっとヒイシがミスラだと思ってきたのは国王のアトリアであり、ロウヒがアトリアだと思ってきたのは宰相閣下のミスラだということだ。
 見通せないということが、こんな弊害を生むとは思いもしなかった。
まさか兄弟で入れ替わっていたとは。
しかし、思い返せばミスラは閨でもヒイシの名前は呼ぶが、己の名前を呼ばせることは絶対にしなかった。
 名前は自分の一部である。
 兄弟といえど、それだけは違うのだ。
そこまで考えて、疑問がヒイシの頭の中に浮かぶ。
 二人が入れ替わっていたとして、それは既に常習犯のような言い方をシャルナ国の宰相はしている。事実そうなのだろう。
だが、王宮内で働いている者達は、そのことを黙認している節がある。でなければ、ヒイシを宰相閣下の伴侶。ロウヒを国王の伴侶として、王宮内だけであれ、ヒイシにすら気付かせないほどの自然さで嘘を貫ぬけはしない。後々露見した時が厄介極まりないではないか。
そんなヒイシの疑問に賛同するように、所々で笑い声が響き始める。
 「そんなこと、この王宮に長く勤める者達には周知の事実!」
 「何を今更」
 「それで国が立ちゆくのならば、安いこと」
そうだろうな、とヒイシでも思う。
それに気色ばんだらしいシャルナ国の宰相は、僅かに声を震わせてはいるものの、まだ大丈夫だと己に言い聞かせているようだ。
 「……確かに! 確かにその通りなのでしょう。ですが! 忌まわしきことを王族がしているのならば話は別というもの!」
 「貴方の御託に付き合うのはそろそろ疲れましたので、手短に簡潔に要件を纏めていただけないでしょうか」
ミスラ、否、アトリアがため息を吐いて子どもをあやすような言葉で語りかける。
それは年配であり、属国ながらも宰相という地位に立つ者の神経を逆撫でするには充分のものだった。

 「伴侶を見つけたなどと白々しい! 兄弟同士で閨を共にし、交ぐわい合っている穢らわしき者が!」

 一瞬、何を言っているのか、理解が追い付かなかった。
いや、追いつくことを拒否している、とでもいったほうが正しいか。

 「それの、何が問題なのだ?」
 心底不思議だというように重鎮の一人が発した言葉に、ヒイシは身体に冷水を浴びせかけられたようだった。
ロウヒは口を手で押さえて、必死に悲鳴をあげようとする心と闘っている。
 「子が出来るわけでもない。無駄な争いを生まない。良いことではないか」
 「ですなあ。陛下も閣下も、伴侶と定める方々を見付けてからはそういったことは一切してはおらんし」
 「心に決めた者が現れたからこそ、お互いとの情事をやめられたことは、喜ばしいことではないか」
 頭がガンガンし、耳鳴りまでする。
ようやくわかったことがある。
この王宮内で働く者達は、知らされずにいる者達を除いて全員がアトリアとミスラに心酔し、崇拝し、君主として信頼している。
 結果が良ければ、行動に重きをおかないのだ。
 狂っているのではなく、盲信。
ヒイシは壁に手を付くことで何とか震える足を叱咤していた。
ロウヒは膝が立てなくなったらしく、床に両手を付いて、蒼白な顔色をしている。

 自分達は、とんでもない者達の伴侶に選ばれてしまった。
それを痛感せずにはいられない。





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