【原版】猛毒の子守唄

了本 羊

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第九話

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クララ・メリー・シュターレンは物心がついた頃から、周囲に溺愛と言っても過言ではないほど可愛がられて成長した。
 蝶よ花よと育てられ、いつしか自覚しないままに、世界はクララを幸せにするために存在しているかのような錯覚にさえ陥っていた。
そんなクララが二歳年上の従姉妹であるヒイシと出会ったのは、催事に出席という名目で両親と兄と共に王宮に出向いた時のこと。
 初めての王宮にドキドキし、祖父との謁見に望んだ。
 祖父の傍に寄り添うように居たのがヒイシであった。
クララとはそんなに歳が離れていないのに、その美しさは幼少の頃から桁違いに輝いていて、クララを圧倒した。
 話してみたい、と強く思った希求は、何の感情も込められていない視線を向けられ、すぐに外されてしまったことで霧散してしまった。
その後兄から、ヒイシは亡くなった父親に代わり皇太子となった父様のことを疎んじているのだと聞かされ、仲良くしたいという気持ちは嫌悪にすり替わった。
そして祖父が崩御し、父親が新しく皇位を継いだ後、ヒイシは国の権力者達が利用しないようにと離宮に閉じ込められたことを聞いても「仕方がない」の一言で片づけられた。
 自分を絶対的に愛してくれる両親と兄は、クララの中で最も大きな存在。
だからこそ、民の不満や困窮にすら気付かなかった。
 王宮内でクーデターが起こり、ジルベスタンに強制送還されることになったとき、ヒイシと二度目の邂逅を果たした。
ヒイシの美しさは損なわれるどころか、むしろ更に磨かれたように神々しさが増し、同じく送還されている他国の王族達の視線を一身に浴びていた。
クララも成長と共に「美しい」「可憐」といった形容詞をつけられることが多くなったが、ヒイシは別格なのだと誰もが悟り、そんな視線を昔から変わることのない感情の込められていない瞳で切り捨てていた。
その姿に何故だかとても胸の奥がザワザワとし、不快に感じた。
そしてジルベスタンの宰相閣下との謁見でヒイシの異能を初めて知り、恐れとともにそんなバケモノのような力があるからこそ、容姿は人よりも優れたものを与えられたのだと何故だか安堵を覚えたのだ。
 幽閉の身となったクララは両親や兄から引き離され、毎日が心細く、囚人のような扱いに神経をすり減らしていた。
そんな折、クララはともに幽閉されている顔見知りの父親に仕えていた貴族から、ヒイシが宰相閣下の伴侶に決まったという事実を知らされてしまう。
 何故、と思った。
 何故、あんなバケモノが幸せになれるのかと。
ヒイシに対しての嫉妬と羨みは大きくなり、貴族達の言葉を信じて疑わず、ジルベスタンの不穏分子と通じヒイシを奇襲することを決めた。
 数ヶ月ぶりに見るヒイシの姿は一層の輝きと、以前には見られなかった女性の婀娜めいた色香が内封しているようだった。
 完全なお姫様として育てられてきたクララに人を殺した経験などないが、それでもと心を奮い立たせた。
そんな思念がヒイシに悪魔の囁きをもたらしてしまうなど考えもつかなかっただろう。
 死を望んだのは両親。
しかし、そのキッカケを作ったのは間違いなく伯父夫婦。
この脳内が幸せで充満されて育った人間に真実を暴露したらどんなことになるだろう、と。
クララの思念が悲鳴を上げる度、ヒイシは仄暗い喜びを胸に覚える。

もっともっと苦しんで、絶望してしまえばいい。

 「嘘だと思われるのなら、蒼白な顔色をしていらっしゃるそちらの方にお訊きになられたら? 爺様の温情で処刑だけは免れたというのに」
ヒイシが手で指し示す男に、クララは藁にも縋りつく思いで視線を向ける。
 視線を受けた男は何も口に出来る言葉が見当たらないのか、ギクシャクとクララと仲間の男から顔を背けた。
 背けた事実こそ真実と言っているに他ならない。
クララはその場に呆然と座り込んでしまう。
 「私に聞く前から、それに気付けるほどの状況はあったと思いますが」
ヒイシの言葉は的確だった。
こうして思い返してみればクララが不思議に思う要素はたくさんあったのに、愚かにも気付かなかったのはクララ自身。
 皇太子であった弟が亡くなり、父がその座を継いだのに、王都に呼び戻されることはなく、祖父の崩御まで領地で暮らしていた。
 時折姿を見掛ける貴族や臣下達が嫌悪の眼差しで両親を見ていたこと。
 仕えるべき相手だというのに。
 父親に嫌悪していた者達は前皇帝を尊敬し、ヒイシの父親に仕えることを決めていた者達だった。
 忌まわしい過去を持ち、それを反省もしていないクララの両親には尊敬も信頼も抱けなかったことだろう。
 「貴方方には似合いの末路でしょう」
ヒイシのその言葉に、クララの全身が怒りと憎しみに一瞬で染まった。
 立ち上がり、ナイフをヒイシ目掛けて振り下ろす。
バズの悲鳴が響き渡り、暫しの静寂が庭園を包んだ。
 何かがポタポタと地面に落ちて染みをつくっていく。
ヒイシの肩にはクララが振り上げたナイフが突き刺さっていた。傷口からの血はヒイシの着ているドレスを赤く染め、地面をも赤く染めはじめている。
 「ヒイシ様っ!」
バズの絶叫が響き、ようやく時間が動き出す。
ヒイシの元に駆け寄ろうとしたバズを男の一人が慌てて捕まえ、拘束を強くする。
それでももがくバズの力の強さにたじろいでいる。
クララはヒイシの肩に突き刺さったナイフを真っ青な顔で呆然と眺めていた。
 「……殺すのならば心臓を狙いなさい」
 表情一つ変えることなく、ヒイシは淡々と口にする。
クララはナイフを取り落とし、壊れた玩具のようにヒイシから後ずさっていく。
ため息を吐くと、ヒイシはクララに最後とばかりに言葉を吐き捨てる。
 「弱い者は去りなさい。恐らくは何かしらの処罰が待っていますけどね」
クララはビクリ、と身体を揺らし、ヒイシを涙目で睨み付ける。
 「どうして! どうして、貴方みたいなバケモノが……!!」
 「そのバケモノを人身御供にして命を長らえたのは貴方の父親ですよ」
 淡々とヒイシは事実と真実だけしか口にしない。
 「貴方のように! 娼婦のようなことをして男性に取り入って居場所を得るような人間が何故幸せになれるの!?」

その瞬間、すべての音が遠ざかったような気がした。
バズが激しい嫌悪の瞳でクララを見据えている。

 「幸せ……?」

ヒイシの言葉にクララが顔を向けた。瞬間、ヒイシの思考は暴発するように憤激をあげてしまう。
 「だったら貴方が私を殺してよ!」
ヒイシの絶叫にその場に居る全員が縫い止められてしまう。
 「人一人殺す覚悟もなく大層なことを口にしないで! 私が幸せ!? 貴方の愚かな両親のせいで母様と父様が死んで! 唯一の味方だった乳母と祖父も居なくなって! 九年もの間、陽の差さない部屋に軟禁されて! 出られたときは、貴方達が国をメチャクチャにした後! 命だけは助かりたい伯父上のせいで人身御供として売られて! こんな異能を授かって! 幸せな人間が存在すると思ってるの!? 誰も私の願いなんて訊いてくれない! 知りもしないくせに!」
 未だかつて、ここまで感情を高ぶらせた記憶がヒイシにはない。
 両親が死んだ時に心が麻痺し、乳母が亡くなって麻痺は更に加速して、祖父が死んで心は動くことをやめた。
けれど、死んだわけではない。
 痛みや苦しみに鈍くなっても、願いはいつも存在していた。
 母様は私に「ヒイシが生まれてきてくれて幸せよ」と言ってくれた。
 父様は私に「ヒイシは母様に似たんだな。父親としてはとても嬉しいことだ」と言ってくれた。
 乳母は私に「どんな力があろうが関係ありません。皇太子殿下をお育てさえしたのに、今更恐れも何もありますか?」と言ってくれた。
 祖父は私に「お前がその力を持つせいで、これから先、決して幸せには生きられないだろうが、生き続けてくれることが儂の願いだ」と言ってくれた。
 四人に会いたい。
 会って、長く生きれなかったことを謝って、もう一度抱き締めてほしい。
そうしたら、二度と離れない。
それがヒイシの嘘偽りのない、唯一無二の願い。
けれどこの国へとやって来て、ミスラの目に留まり、その願いは叶わないものとなった。
ミスラはヒイシを絶対に逃がしてはくれないだろう。
 死ぬことも許さない。
ガクっ、とヒイシの身体が崩れ落ちる。
 思った以上に血を流し過ぎたらしい。
 「ヒイシ様!」
バズの必死な声が届くが、ヒイシは身体を地面に丸めて蹲ったまま、誰にも見えない笑いを押さえ込んでいた。
クララに絶望を味あわせたかったのに、自分が絶望に染まりはじめている。
その事実が可笑しくてたまらなかった。
ヒイシの思考は錯乱と傷による痛みに混濁していた。
 「父様ぁ……母様ぁ……お爺様ぁ……。ヒイシもそちらに行きたいのです。もう一度頭を撫でて……抱き締めて欲しいのです……」
 幼児返りをしていることにすら気付かずに、ヒイシは泣き始めた。
 暫しの間呆けていたバズは我に返ると、自分を拘束している男の足を思いっきり踏みつける。
 突然の奇襲に男が呻いた隙に拘束から逃げ出し、ヒイシの元に駆け寄り、クララ達を睨み付けた。
 「ヒイシ様!」
バズの呼びかけにもヒイシはピクリとも動かない。
バズもまた、涙を流しながら懸命にヒイシの背中を擦り、守ろうとしている。
 絶望に沈むヒイシは壮絶な色香を伴ってその場にあった。
ヒイシに亡き母親への恋情を言い当てられた男は我知らずコクリと息を呑み、ヒイシに向かって腕を伸ばした。
だがその腕がヒイシに届くことはなかった。
 男の腕は途中から切り落とされ、血飛沫を放ちながら地面に転がっていた。
 男の絶叫が響き渡り、クララともう一人の男は現れた騎士達により拘束され、跪かせられる。
 「……私の妻に、何をしているのでしょうか?」
 言い方こそ丁寧だが、その声音には色というものがなく、騎士達ですら背筋を戦慄させてしまうほどの恐ろしさがあった。
 「宰相様! ヒイシ様がっ!」
バズの涙声にミスラはヒイシの傍らに足をつき、ヒイシの背中を軽く揺するが、ヒイシの泣き声以外聞こえない。
 「ヒイシ」
ミスラの言葉にも反応がない。
このままでいても埒は明かない、とミスラはすぐさま判断し、ヒイシを軽々と抱き上げる。
ヒイシは頭を抱え込み、その瞳は何も映していないかのように焦点が合わず、涙を零し続けていた。
 「まずは治療が先でしょう。テネレッツァ、付き添っていただけますか?」
 「はい!!」
ヒイシを抱えたまま、バズを横に付き添わせて歩こうとした足を不意に止め、ミスラはクララを振り返る。
 「クララ姫。貴方よりも、ヒイシのほうが既に自分の立場を弁えておりますよ。「己はもう姫と呼ばれる立場ではない」と。無能な王族というのは、貴方のような頭の足りない者を指すのでしょうね」
ニッコリと微笑みながらクララの胸に容赦なく鋭い刃を突き立て、今度こそミスラはバズと共に颯爽と歩き去っていった。




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