竜と生きる人々

ねぎ(ポン酢)

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黒き風と生きる

揺らぐ信念

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闇の中、バキバキと骨を砕く音が響く。

俺はもう何が起きたのか、目の前のそれが現実なのか理解できず、ガチガチと歯を鳴らしながら固まっていた。
逃げようという思考にすらならず、ただ恐怖と理解できない状況にそれを凝視し続けていた。

それは声を上げた俺に顔を向け、無感情に見つめてくる。

俺は死を覚悟した。
エコーを食い終わったら、次は自分なのだと。

小さな人間の子供など気に掛ける必要もないというのか、それは俺をあまり気にせず、闇の中でエコーを食べ続けた。
俺は目を逸らす事もできずそれを見続ける。

怒りや憎しみ、恐怖、悲しみ。
たくさんの感情が感極まってしまい、俺は何も感じなくなっていた。

親友が……親友だったモノが……それに食われていく……。

もう何も考える事も感じる事もできず、呆然とそれを見つめる。
死の恐怖すら麻痺してよくわからない。

何より圧倒された。
その絶対的な存在の前に、俺はなす術など無いのだと本能で理解していた。

黒い竜。

山に竜は数種いるけれど、こんな竜を見るのは初めてだった。
他の竜とは明らかに違う。

異質だった。

見るからに硬そうな皮膚と鱗。
この山の様に荒々しく棘立っている。
その黒い甲冑のような姿には一切の隙がなく、挑んだとしても死があるだけだと肌で感じた。
他の竜とは一線を画すオーラのようなもの。
それは目には見えないが、ビリビリと空気を緊張させていた。
体は他の竜よりも大きく、けれど異様なほど細い。
まるで一本の槍の様な姿。

「黒い風」だ……。

俺は悟った。
これが「黒い風」の正体だ。

あまりに早く飛ぶので竜だと確認する事は難しかったのだろう。
それにこんなにも異質だ。
竜である事は間違いないが、何か格が違いすぎる。
野性味というのか、生きている生々しさが臭い立つ様にそこにあった。
それは親友を食らっている様からも感じ取れた。

山の自然は容赦がない。
いつだってその牙をこちらに向けているのだ。

それは常に命の隣にある死。

生きるか死ぬか。
山はいつでもその二択を切り札として差し出してくる。
気を抜けば間違ったカードを引かされかねない。

そして今、俺はそのカードを引いたのだ。

竜の長い首が岩肌の上を舐めるように暫く行き来する。
そこにもう「食べ残し」がないかを探しているのだ。

その首がゆっくりと頭を擡げる。

歯がガチガチと音を鳴らす。
何も感じていないようで、意識できないだけで恐怖しているのだと思った。

暗い闇の中のそれが、スッと首を伸ばして目前に迫った。
思わず顔を背け、ぎゅっと目を瞑る。
巨大なふいごの様な音。
その生暖かい風を肌で感じる。

終わりだ。
俺はこれに食われて終わる。

そう覚悟を決めた。

だって他にどうしようもない。
恐怖で体は動かないし、声すら出ない。
泣こうが喚こうが、もうその口が目の前にあるのだ。
せめてあまり痛くないよう、ひとおもいに殺してくれればいいと願った。

一瞬のような長い時間。
「黒い風」は何かを確かめるように俺の匂いを嗅いでいた。

次の瞬間、俺はヌメッとした空気に包まれた。
ぬらぬらとした妙に温かい液体が顔や服を濡らす。
グイッと無造作に体が持ち上げられた。

「~~~っ!!」

皮膚のあちこちに、鋭い牙が食い込む。
遊んでいるのかそれが皮膚を貫通することはなかったが、いずれ突き刺さるのだろうと身を固くする。

バサッ……そんな音が聞こえた。

「?!」

そして空圧がかかる。
何かと思って薄目を開けると、どうやら黒い風は俺を口に加えて飛び上がったようだ。
親友を食べて腹が膨れたので、俺は後で食べる為に巣に持ち帰るようだ。

山が下に見えた。
その事にドクンッと心臓が鼓動した。

飛んでるんだ……。

もうすぐ巣に運ばれて食われるのに、俺は生まれて初めて空を飛んだ事に胸が高鳴っていた。
これが夜でなければ、きっともっと色々な物が見えただろう。
それが少しだけ口惜しかった。

「うわっ?!」

そんな事を考えていた次の瞬間、竜は下降するとペッと吐き捨てるように俺を離した。
着地してから降ろされた訳ではないので、俺は岩肌にまた体をぶつけ、岩場に転がり落ちた。
それまでの傷もあり、痛みで動くこともできない。
辛うじて顔だけ起こし、空を見上げる。

そこには「黒い風」が吹いていた。

それが見えたのは一瞬の事。
「黒い風」は夜の闇の中に消えて行った。

どういう事だ?
エコーを食べて腹が満たされたので、俺はいらなくなったのか?
よくわからない。

しかし本当に体が限界で、絶対的な威圧感から開放された気の緩みもあり、俺は早々に意識を手放した。

次に目覚めると、村に帰ってきていた。
両親と弟は目覚めた俺を見て良かったと泣き、何があったのか聞くために訪ねてきた長とエコーの両親は強張った顔をしていた。

俺は起きた事をそのまま話した。

エコーの両親は泣き崩れた。
そりゃそうだ。
息子が竜に食われてしまったのだから。

「……エコーは「黒い風」に食べられたんだね?」
「はい……。」
「そうか……良かった……。」
「……え?」
「あぁ、他所の獣に食い荒らされたんじゃない。あの子はちゃんと空に還った……。突然こんな形になってしまったけど……弔ってやれて良かった……。」

大人たちは口々に良かったと言った。
それはエコーの両親もだった。

俺には大人たちが何を言っているのかわからない。
エコーは食われたのだ。
あの黒い竜に食われてしまったのだ。

なのに良かったってどういう事だ?!

「いいもんか!エコーは食われたんだ!!」
「……「黒い風」にだろう?」
「そうだよ?!何がいいんだよ?!」
「それでいい。それが一番、いい形なんだ……。」
「いい形って何だよ?!」

俺が興奮してきたので、俺の両親を残し、皆は帰った。
訳がわからなかった。

だが落ち着くよう促され、それがどういう事なのか教えてくれた。

村では人が死ぬと空葬する。
空葬と言っても、葬式の後、決められた谷に遺体を降ろすというものだ。
俺はずっとそうやって死ぬと谷に捨てるんだと思っていたが、どうやら葬式には続きがあって、谷に置いた遺体を竜が食べる事で空に還す、だから空葬というのだと知った。

その中でも「黒い風」に食べてもらえる事が一番、徳の高い事なのだそうだ。

逆に悪い事をしていた者はどんな竜や鳥にも食べてもらえず、やがてトープ(つまりその辺の獣)に食い荒らされ、散り散りになってしまうと考えられていた。

「でも……なんで俺は食われなかったの……?」
「お前がまだ生きていたからだよ。」
「敵意を向けない限り、「黒い風」は生きた人間を食べたりはしない。」

両親はそう言っていた。
けれどあの光景を直に見ていた俺の胸の奥は、そう言われてもジリジリとした思いが残った。

本当に?
本当に生きていたら食べないと?

相手は竜だ。
しかもあれだけの威圧感のある絶対的な存在。
それを断言できる確証を俺は見いだせなかった。

本当に?

俺はエコーが目の前で食われたショックから、全ての事に疑念を感じ始めていた。

本当に?

この村で決められている事の全て。
この村で当たり前とされている事の全て。

今まで何一つ疑わなかった全て。


本当に?


そしてそれは俺を蝕んだ。
だって俺にだってわからないのだ。


あの時、本当にエコーが死んでいたかが……。
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