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第二章「ひとりといっぴきのリスタート」

本当に大切なもの

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「……私にそう持ちかけるという事は、そういう事だと考えてよろしいわね?ユゥーキ?」

パチンッと扇子を閉じ、モエさんは姿勢を正して真っ直ぐに俺を見た。
そこにいるのは年頃のご令嬢ではない。
大商人ノービリス家の看板を背負った、一人の優れた商人だ。
誰よりも侮ってはいけない人であり、また、誰よりも頼もしい人だ。
俺も姿勢を正し、モエさんを真っ直ぐに見返した。

「ええ、貴方の商人としての鋭い目、そして手腕に感銘を覚えました。貴方は世間で思われている様な扱いに困る大商人のご令嬢ではない。誰よりも優れた商人です。私はそう思います。」

「そう……。」

俺の言葉にモエさんは一度俯き、グッと拳を握りしめた。
それがどういう意味なのかはわからない。
だが、次に顔を上げたモエさんを見た時、俺はこの人を信じてみてよかったと思った。

パチンッと扇子を開き、不敵に笑う。
そうだな、モエさんはこうでなくっちゃ。

「よろしくってよ!ユゥーキ!話を聞きましょう!!」

「ありがとうございます!」

高飛車悪役令嬢全開のモエさんはとても生き生きしている。
何でだかわからないが、俺もちょっと嬉しくなった。

タリーさんが彼女の横で苦笑しているが、決して悪い意味じゃない。
ギムギムさんとリーフスティーさんはは微笑ましそうにそれを見守り、ノース君は……呆気にとられて放心している。
やだな、口、開きっぱなしだよ、可愛いなぁ~。
俺はパコンッとその口を閉じてあげた。

「つかぬ事をお伺い致しますが、ノービリス家では人口スキューマ、つまり炭酸水の製造をされていますよね?」

「しておりますわ。」

「その手法をお伺いしても?」

俺の言葉にモエさんは少し黙り、タリーさんをちらりと見た。
そりゃそうだ。
炭酸水の製造方法ともなれば、企業秘密の可能性がある。
だから話すべきか考えたのだろう。
タリーさんは優しい目でモエさんを見つめ、ゆっくり頷いた。
それにモエさんも答える。

「……貴方を信用してお話します。最も、これは特許を取っておりますので、手続きをすれば閲覧可能な情報ではありますけれども。」

「お願い致します。」

「我がノービリス家の工場では、液体を瓶に詰めそこに炭酸ガスを入れ蓋をする事で作成していますわ。」

「プレミックスですね。良かった。」

「良かったとは?」

「この粉のを作る環境が整っていると言う事です。」

俺の言葉にモエさんは目を丸くした。
そしてノース君もびっくりしたように俺を見た。
いやモエさんはわかるけど、ノース君はさっきギムギムさんと俺が話しているところに一緒にいたよね?!
ちょっと苦笑いして、また開いたままになっている口をパクンと閉めてあげた。
可愛い。
どさくさに紛れてよしよしとモフる。

「ユゥーキ……この粉は炭酸を作るものではないのですか?!」

「そういう側面もあります。」

「なのにこの粉を作るのに、炭酸ガスが必要なのですか?!」

「はい。」

モエさんは訳がわからないといった顔をしている。
まぁ、元々は「混ぜるだけでスキューマが作れる粉」がモエさんは欲しかった訳で、なのにその粉を作るのに二酸化炭素つまり炭酸ガスがいるなんて思わないよなぁ。

「どういう事ですの??」

「はい。この粉、炭酸ガスを発生させるという事は、炭酸ガスを持っている粉と言う事です。」

「ええ。」

「つまりこの粉を作る為には、炭酸ガスを持っていない粉に炭酸ガスを持たせてしまえばいいのです。それは水に炭酸ガスを持たせてスキューマにするのと同じ事です。」

それを聞いてモエさんは少し考えた。
理屈はわかっても、水をスキューマにするのと変わらないなら、わざわざ一度粉に炭酸ガスを持たせてから粉でスキューマを作るのは二度手間だと思ったのだろう。
確かにその通りだ。

「先程も申し上げましたが、これは魔法の粉です。水に溶かして弱いスキューマを作るだけの物ではありません。お嬢様はケーキはお作りになりますか?もしくは製造過程をご覧になられた事は?」

俺の言葉にモエさんはカッと赤くなった。
そして扇子で口元を隠しながら、そっぽを向いて小声で答えた。

「わ、私だって、ケーキぐらい作れますわ…。」

その横でタリーさんが笑いを噛み殺している。
これは作った事はないんだろうなぁと思う。
別にご令嬢なんだから作った事がなくてもおかしくないし、俺は女の子だからお菓子が作れないとなんて思わないし、男だからお菓子作りが得意なのは変だとは思わない。
俺の兄貴なんてお菓子作りが好きすぎて散々学校ではイジられてたけど、好きが高じてパテシエになって、今では数店舗持っていた。
その影響で俺はちょっと料理関係の知識があるけど、俺自身はそこまで料理やお菓子作りに詳しくない。
モエさんは商人の才能があるんだから、別に気にしなくてもいいのになぁ。

「失礼しました。ケーキを作る際、卵白を泡立てる事によってスポンジを膨らませます。これは気泡が熱によって膨張する事で生地を膨らませていますよね?ですが生地を混ぜすぎると泡が死んでしまい、上手くスポンジが膨らまない事がございます。」

モエさんはなんだかやけに熱心に俺の話を聞いている。
ちょっと可愛いなぁと思ってしまった。

「そこで!この熱によってべらぼうに二酸化炭素を発生させる魔法の粉をちょこっと生地に混ぜたと致しましょう!どうなると思われますか?!お嬢様!!」

「泡を補って!スポンジを膨らませてくれますわ!!」

「そうなんです!他にもクッキーなどに入れれば!重い生地にも空気を含ませる事ができ!サクサクっとした軽い食感を生み出せるんです!!」

「ほう…それは試してみたいですなぁ。」

ちょっとテンション高めにプレゼンすると、モエさんだけでなくタリーさんも乗ってきてくれた。
なんかテレビ通販ショッピングのプレゼンターになった気分だ。

「それだけではありません!食品に使えるだけでなく!汚れを落とす効果があり、お掃除にも強い味方です!!」

「……なんででッスか??」

「そう、それはよくわかりませんわ。」

調子に乗って熱く語ろうとしたのだが、そこに来て周囲の温度はサクッと下がった。
うぅ、恥ずかしい……。
ノース君に出鼻をくじかれるとは思わなかった。
ギムギムさんとリーフスティーさんがくすくす笑っている。
俺は咳払いをして姿勢を正した。

「失礼。それが先程のヴァルテの花の蜜を青くした性質と関わってきます。」

「……たしかアルカリ性?とか言うものですわね??」

「はい。重曹は水に溶かして弱アルカリ性となります。私達の身の回りにあるものの多くは、中性から酸性のものが多く、それは汚れも同じなのです。」

「と言うと??」

「先程の青くした蜜水は味を整えるために酸性のものを入れてしまうと青みが消えてしまいます。それがなぜかと言うと、酸とアルカリで中和されてしまうからです。」

「中和ってなんなんスか??」

「そうだねぇ。プラスとマイナスって事かな。酸がプラスでアルカリがマイナスって考えた場合、+1の酸と-1のアルカリを足したらどうなる??」

ノース君はちょっと首を傾げて考えている。
可愛いなぁ、もふもふしたいなぁ。
そろそろもふもふ充電が切れそうでヤバい。

「1と-1なのだから、ゼロですわ。」

そこに冷めたようなお嬢様の声が交じる。
うわぁ~身も蓋もない……。
すぐに答えが出せかなかったノース君が、シュンっと小さくなる。
は~耳ペタしてて可愛い……。
あ~もふもふしたい~。
もふもふ充電が切れかけ、怪しい人になりそうだ。
早く帰ってネストルさんのお腹の毛でもふもふしながら寝たい……。

そうだ、ネストルさんだ!

俺は窓から外の様子を伺いハッとした。
もうアミナスも夜明かりになってしまったから、きっと心配している。
俺は早く話を終わらせなければと思った。

「その通りです、お嬢様。+1と-1でゼロ。これが中和です。酸性の汚れはアルカリ性によって中和する事で落としやすくなります。」

「なるほど……確かに汚れによっては、酢を用いるとよく落ちるものがありますな。」

「恐らく石鹸汚れなどですね。石鹸はアルカリ性ですので多くがアルカリ性の汚れとなり、酸性の酢で落とす事ができます。これも中和を用いた汚れの落とし方です。」

一通りの説明を終えると、モエさんはまた考え込んでいる。
確かにスキューマを作る事だけを考えたら、わざわざ粉に二酸化炭素を持たせてからまた水に溶かして作るというのは非効率的だ。
だがその他の用途を考えれば、絶対に重曹を作る事は無駄ではない。

「この様に様々な用途がございます。粉に炭酸ガスを持たせたこの重曹は、必ずその手間以上の価値をもたらしてくれると思います。」

俺は最後にそう言って締めくくった。
これ以上、色々言っても仕方がない。
モエさんの判断を待とう。

少しの沈黙が部屋に落ちる。


「………粉に炭酸ガスを持たせるとして、何の粉を用いますの?」


やがて顔を上げたモエさんが言った。
モエさんの勝算でも、粉に炭酸ガスを持たせる事が勝ったようだ。

「何でも良いという訳ではないのでしょう?ユゥーキ??」

「はい。」

「それは何ですの?」

「ソーダ灰です。」

「ソーダ灰??あのガラスを作る時に使う??」

「流石はお嬢様、博識でいらっしゃる。そうです。そのソーダ灰です。化学名、炭酸ナトリウム。炭酸ガスの問題はノービリス家が人口スキューマを作られていると聞いたので、クリアできると思っていました。ただソーダ灰の方はどうなのだろうと思っていました。食塩から作る方法もあるにはあるのですが、ここでどの程度のコストがかかるかわかりませんでした。しかし、ガラスがあるという事はソーダ灰があるだろうと思ったのです。ギムールさんにお伺いした所、鉱石の他に、この辺りでは塩湖にはえる植物からソーダ灰を作っていると聞きました。しかもその植物、めちゃくちゃはえるようで塩業商人の頭を悩ませているとか。だとしたらその厄介な植物から作る灰からできたソーダ灰を用いれば粉の仕入れ値は抑えられるかと思いますし、食品に入れる際も鉱石から作ったとなると抵抗のある方もいると思いますが、植物の灰が原料となればそこまでの抵抗はないかと思います。」

「………塩湖の植物…ウップルの事ですわね……。確かにあれはやたらはえる上成長も早く、岩塩に混ざりこむ為、塩商人が手を焼いていると聞きますわ……。それに地表から掘り出した鉱石より、ウップルの灰から作ったと宣伝した方がウケがよろしいと私も思いますわ……。」

またそこからモエさんは考え込んだ。
モエさんの中で、これが商売として成り立つか、綿密に計算されていく。

「そうですわね……考えてみても良いかと思いますわ……。」

そしてその結論が出たようだ。
そう呟いた後、キリッと姿勢を正し、モエさんが真っ直ぐに俺を見た。

「ユゥーキ、すみませんがこの場での返答はできかねます。ですがこのお話、前向きに検討致しますわ。」

「承知しております、お嬢様。宜しくお願い致します。」

「ただ少し気が早いお話ですが、この粉の特許はユゥーキがお持ちなのですわね?」

「いえ、私が申請を保留していますのは、これを用いたスキューマの作成だけです。」

「そう……。」

「この粉の特許は、条件付きでお嬢様のご判断にお任せします。」

「!!」

俺の言葉に、その場の全員が振り向いた。
色々相談していたギムギムさんですら、びっくりしたように俺を見た。

「コーバー君?!」

「どうしちゃったんですか?!コーバーさん?!」

てっきり俺がモエさんに特許を売りつけるか、使用料を交渉するかと思っていた商業許可所の二人は、鳩が豆鉄砲でも食らったようにびっくりしている。
ちょっと申し訳ない。

「どういう事ですの?!ユゥーキ?!」

驚くモエさんを俺は真っ直ぐ見つめる。
そして言った。

「この街はアルバの森のマクモ様の守る街です。そしてこの街は、長い間そのマクモ様の考えに沿って暮らしてきました。だから私もそれに沿いたいと思いました。それだけです。」

俺がそう告げると、タリーさんが柔らかく笑った。
ギムギムさんとリーフスティーさんも優しく笑ってくれる。

「私の出す条件は、この粉の特許がマクモ様のお考えと同じように『誰も理不尽に権利を、生きる自由を侵害されない』事です。ですからこの粉を売るに当たり、商品に特許料をかけないで頂きたい。その代わり、粉の作成方法はノービリス家で特許を取って頂いて構いません。」

「ですが…それでは……ユゥーキにはほとんど得がないですわ……。」

「……見えるものだけに価値があるとは限りません。」

「ユゥーキ……。」

「これは恩返しです。私を助けてくれたマクモ様と、私を受け入れ手助けしてくれた街の皆さんへの恩返しです。きっと重曹が販売されたら、そこからたくさんの新しい商品が生まれます。街はきっと活気に湧くでしょう。それを楽しみにしています。」

にっこり笑ってそう言うと、モエさんが言葉を詰まらせた。
そして大きく息を吐き出す。

「……完敗ですわ、ユゥーキ。」

モエさんが悔しそうに笑う。
でもそれはどこかスッキリしたような笑顔だった。

「貴方はやはり商売の才能はちょっと低いですわ。でも、このアルバの森の主が守るコルモ・ノロの街の商人としては、私以上だと言わざるおえませんわ……。」
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